菅谷昭

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菅谷昭
すげのや あきら
生年月日 (1943-11-22) 1943年11月22日(74歳)
出生地 長野県更埴市(現:千曲市
出身校 信州大学医学部
前職 医師
長野県衛生部長
所属政党 無所属
称号 医学士

当選回数 4回
在任期間 2004年 - 現職
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菅谷 昭(すげのや あきら、1943年11月22日 - )は、日本政治家医師長野県松本市長(第13代)。

来歴[編集]

長野県更埴市(現:千曲市)生まれ。信州大学医学部卒業。聖路加国際病院での研修を経て、信州大学医学部第二外科学教室に入局。1976年トロント大学に留学して甲状腺疾患の基礎研究を学ぶ。1991年から、松本市NGOによるチェルノブイリ原子力発電所事故の医療支援活動に参加する。1993年、信州大学助教授に就任。

1996年から、ベラルーシ共和国首都ミンスクの国立甲状腺がんセンターにて、小児甲状腺癌の外科治療を中心に医療支援活動に従事した。1999年、チェルノブイリ原発事故により高度に汚染されたゴメリ州の州立がんセンターで医療支援活動にあたる。2001年に日本に帰国し、長野県衛生部医監に就任。同年、吉川英治文化賞受賞。翌2002年、長野県衛生部長に就任。

2004年松本市長選挙に日本共産党の支援を受けて出馬。現職の有賀正松本市長らを破り、初当選を果たした[1][2]2008年に再選。

2012年3月の松本市長選挙では、現職の菅谷以外に立候補を届け出た人物がいなかったため、無投票で3選を果たす。過去の松本市長選挙における無投票当選の例は、1976年3月の和合正治の初当選以来、36年ぶりの出来事であった。なお当選後、退職金の市への返還(後に特別条例で可決制定)と任期後の引退を表明した。

2016年3月13日に投開票された松本市長選では、就任当初に任期後の引退を表明していた菅谷の去就が注目されたが直前まで態度を明らかにせず、松本史上最多の候補が乱立をするなど混乱をきたしたが結局4選立候補を表明した。無所属現職の菅谷が医療・福祉や子育て支援などの充実を柱とする「健康寿命延伸都市・松本」施策の継続、前進などを訴え、民主党のほか共産、社民各党がそれぞれ加わる市民団体連合長野松本広域協議会、市内の業界団体などの支援を受け、自民党公明党の自主投票で、無所属新人で元NHK解説委員の臥雲義尚、団体役員の鈴木満雄を破り、4選を果たした[3]

人物[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 松本市長に菅谷氏当選/共産党支援 自・民・公現職破る/長野 しんぶん赤旗 2004年3月16日
  2. ^ 自・民・公現職破り 菅谷市政誕生/長野・松本/6万署名無視 145億円施設に批判 しんぶん赤旗 2004年3月17日
  3. ^ 3月14日の信濃毎日新聞Web版(信毎web)
  4. ^ 菅谷 昭 (1999年8月1日), 講演録「チェルノブイリで子供たちに何が起きたのか!」小児甲状腺がんの現状, “資料庫(特集・通信・要望書など)”, プルサーマルを考える医師歯科医師の会 プルサーマルを考える柏崎刈羽市民ネットワーク, http://www.kisnet.or.jp/net/sugenoya.htm 2011年6月14日閲覧, "5月の15日までは、乳牛に新鮮な牧草を与えることを全国的に禁止するっていうことで、結局この牧草の中に放射性のヨードが舞い降りてますからそれを食べた乳牛のお乳の中に放射性ヨードが含まれるから、そういう意味でもって牧草を与えることを禁止したってことですね。それから1000ベクレル/リットル以上の汚染ミルクを子供や妊娠授乳中の女性が飲むことを禁止。…(中略)…4歳以下の子供には乳牛のお乳がなくて粉ミルクを飲ませると、まずいですけどもねでも粉ミルクを飲ませて、これも良かったですね、子供や妊娠授乳中新鮮な葉菜類、葉物の野菜を採らないように。こういうことを初期に対策したもんですから、もちろん4日目ですけども、遅れてるんですけれども、結果としては現在ポーランドでは小児の甲状腺ガンが増えてないということで、初期にきちんと対策すれば…(中略)…この場合はあくまでも、子供の甲状腺のガンの発生に関してはこういう対策をしたら防げるということであります。" 

外部リンク[編集]

先代:
有賀正
Flag of Matsumoto, Nagano.svg 長野県松本市長
第13代: 2004年-
次代:
(現職)