ラーイ

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ラーイ
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1985年2月18日
死没 2011年9月22日(26歳没)
Blushing Groom
Glorious Song
母の父 Halo
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 ヒルンデイルファーム
馬主 シェイク・マクトゥーム
調教師 マイケル・スタウトイギリス
ニール・ドライスデール(アメリカ)
競走成績
生涯成績 13戦6勝
獲得賞金 30万7767ドル
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ラーイ (Rahy) はアメリカ生まれの競走馬種牡馬

誕生から競走馬時代まで[編集]

ラーイは1985年にアメリカのケンタッキー州にて生まれた。父は大種牡馬のブラッシンググルーム、母は1980年カナダソヴリン賞年度代表馬グローリアスソング (Glorious Song) 、母の全弟叔父)にはデヴィルズバッグタイキシャトルの父として知られる)がいる良血馬である。半兄には、種牡馬としてメイセイオペラを出したグランドオペラ(父Nijinsky II )、半弟にジャパンカップなどに優勝したシングスピール(父In the Wings)がいる。

競走馬としては当初イギリスでデビューし、のちにアメリカへ移籍した。重賞1989年ベルエアハンデキャップ(アメリカG2)の1勝で、このレースでは10馬身差の圧勝を果たしている。ほかに1987年のミドルパークステークス(イギリスG1)2着などがある。通算13戦6勝の成績を残し、1990年から種牡馬入りした。

種牡馬時代[編集]

本馬が本領を発揮しだしたのは種牡馬になってからである。1990年よりスリーチムニーズファームで繋養され、2世代目の産駒から早くもG1競走11勝の名牝セレナーズソングを出し、その後も多くの活躍馬を輩出した。日本に輸入された産駒にはトキオパーフェクトなど短距離が得意な馬が多いが、日本国外ではファンタスティックライトのような中長距離を得意とする馬も多数いる。2009年の種付けシーズン後に、受精能力の低下から種牡馬を引退。その後もスリーチムニーズファームで功労馬として余生を過ごし、2011年9月22日に老衰のため26歳でこの世を去った。

主な産駒[編集]

日本国外調教馬[編集]

日本国内調教馬[編集]

本馬がブルードメアサイアの主な競走馬[編集]

血統表[編集]

ラーイ血統ブラッシンググルーム系ナスルーラ系) / Pharamond 5×5=6.25%、Mahmoud 5×5=6.25%(母内)) (血統表の出典)

Blushing Groom
1974 栗毛
父の父
Red God
1954 栗毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Spring Run Menow
Boola Brook
父の母
Runaway Bride
1962 鹿毛
Wild Risk Rialto
Wild Violet
Aimee Tudor Minstrel
Emali

Glorious Song
1976 鹿毛
Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
母の母
Ballade
1972 黒鹿毛
Herbager Vandale
Flagette
Miss Swapsco Cohoes
Soaring F-No.12-c


外部リンク[編集]