メメット・オカー

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メメット・オカー
Mehmet Okur
Mehmo.jpg
現役時代 (ユタ・ジャズ) のオカー
引退
ポジション
(現役時)
PF/C
背番号(現役時) 13
身長(現役時) 211cm  (6 ft 11 in)
体重(現役時) 119.3kg (263 lb)
基本情報
本名 Mehmet Murat Okur
愛称 "Memo"
ラテン文字 Mehmet Okur
トルコ語 Mehmet Murat Okur
誕生日 1979年3月26日(37歳)
トルコの旗 トルコ
出身地 マルマラ地方ヤロヴァ県ヤロヴァ
出身 トルコの旗 オヤック・ルノー
ドラフト 2001年 2順目 38位 ピストンズ 
選手経歴
1997-1998
1998-2000
2000-2002
2002-2004
2004-2011
2011
2011-2012
ホベントゥット・バダローナ オヤック・ルノー
トファス S.K. トファス S.K.
エフェス・ピルゼン エフェス・ピルゼン
デトロイト・ピストンズ デトロイト・ピストンズ
ユタ・ジャズ ユタ・ジャズ
Türk Telekom Türk Telekom(トルコ)
ニュージャージー・ネッツ ニュージャージー・ネッツ
受賞歴
代表歴
キャップ トルコの旗 1999年-2007年
 
獲得メダル
男子バスケットボール
トルコの旗 トルコ
ユーロバスケット
2001 トルコ 男子

メメット・オクァーMehmet Murat Okur1979年3月26日-)はトルコ共和国の元プロバスケットボール選手NBAユタ・ジャズなどで活躍した。マルマラ地方ヤロヴァ県ヤロヴァ出身。ポジションはパワーフォワードセンター。身長211cm、体重119.3kg。トルコ語の発音に近い「メメット・オクール」と表記される場合がある。

経歴[編集]

トルコ時代[編集]

オカーはトルコ1部リーグ(TBL)でもプレイした経験を持つ。また若くしてトルコ代表としてもプレイし、1997年に開催された22歳以下の世界選手権ではトルコ優勝メンバーの一員だった。1998年にはTofas Bursaでプレイし、その年のリーグチャンピオンの原動力となって活躍した。その後、イスタンブールエフェス・ピルゼン S.K.に移籍し、ユーロリーグに出場するなどした。

NBA[編集]

2001年のNBAドラフトではデトロイト・ピストンズから全体38位指名を受けた。2002年から2シーズン、主にピストンズの控えのインサイドとして活躍。2003-04シーズンにピストンズでNBA優勝を経験し、トルコ出身の選手として初のNBAチャンピオンを経験した。当時から信頼されたインサイドとして好成績を残していた。しかしながら、ピストンズはサラリーキャップの整理と、同シーズン途中にラシード・ウォーレスを獲得していたこともあり、オカーの放出を余儀なくされてしまう。結局、制限付きFAのオカーはシーズンオフにユタ・ジャズと契約(6年間約5000万ドル)。ピストンズはジャズの契約にマッチングを行わず、ジャズへの移籍が成立した。

ジャズに移籍した1年目(2004-05シーズン)は、先発や6thマンとして出場。次第にチームの中心選手の一人に数えられるようになった。

2005-06シーズンは先発に定着したことから出場時間が上昇。平均得点や平均リバウンドなどの成績も前年を上回った。ジャズは前年は26勝しかあげられなかったが、この年は勝率も5割(41勝)にまで復帰。これはオカーの成長によるところが大きいと考えられた。

2006-07シーズンは、NBAオールスターゲームの出場メンバーに選出されるなど飛躍のシーズンとなり、2010-11シーズンまでジャズで活躍した。

2011-12シーズン開幕前の2011年12月にニュージャージー・ネッツに移籍するも、翌年3月にポートランド・トレイルブレイザーズに放出され、バイアウトで解雇された。

2012年11月に引退を表明した[1]

プレイスタイル[編集]

基本的にはインサイドプレイヤーでセンターとパワーフォワードを兼任することができる。しかしながらシュートタッチが良く、外郭からのシュートも無難にこなす。2005-06シーズンは3Pシュートを80本成功させた。また、ビッグマンながらフリースローも得意としており、成功率はキャリア通算で8割近い数字を残している(センターでの8割という数字は上位に数えられる)。

備考[編集]

  • ニックネームは「Memo

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]