ペロ・アグアヨ・ジュニア

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はアグアヨ第二姓(母方の)はラミレスです。
ペロ・アグアヨメキシコの旗
プロフィール
リングネーム ペロ・アグアヨ・ジュニア
エル・イホ・デル・ペロ・アグアヨ
ペリート
本名 ペドロ・アグアヨ・ラミレス
ニックネーム 山犬二世
身長 168cm
体重 75kg
誕生日 1979年7月23日
死亡日 (2015-03-21) 2015年3月21日(満35歳没)
出身地 メキシコの旗メキシコシティ
所属 ペロス・デル・マール
トレーナー ペロ・アグアヨ
グラン・コーチス
デビュー 1995年6月18日
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ペロ・アグアヨ・ジュニアPerro Aguayo, Jr)のリングネームで知られるペドロ・アグアヨ・ラミレスPedro Aguayo Ramírez1979年7月23日 - 2015年3月21日)は、メキシコメキシコシティ出身のプロレスラー

父は「山犬」ことペロ・アグアヨ

来歴[編集]

1995年6月18日、父であるペロ・アグアヨが所属していたAAAにてペリートのリングネームでプロレスラーデビューを果たす。

1998年6月7日、ペロ・アグアヨとタッグを組んでメキシコナショナルタッグチーム王者であるフエルサ・ゲレーラ & モスコ・デ・ラ・マーセドに挑戦して勝利し、ベルトを奪取。

1999年4月18日、ブルー・デーモン・ジュニア & ラ・パルカ・ジュニア & マスカラ・サグラダ・ジュニアと組んでロス・バトス・ロコス(チャーリー・マンソン & ピクード & メイ・フラワーズ & ニグマ)から勝利してナショナルアトミコス王座を奪取。

2000年3月、ペロ・アグアヨの引退ツアーで新日本プロレスに初来日を果たす。

2002年4月21日、エレクトロ・ショックから勝利してメキシコナショナルライトヘビー級王座を奪取。

2003年5月、CMLLへと移籍。同年8月8日、エル・イホ・デル・サントと組んでブルー・デーモン・ジュニア & ニチョ・エル・ミジョナロから勝利してWWA世界タッグチーム王座を奪取。

2004年、レジェンダ・デ・プラタにて優勝を飾る。

2005年8月16日、ウルティモ・ゲレーロと組んでエル・イホ・デル・サント & ネグロ・カサスから勝利して2度目のWWA世界タッグチーム王座を奪取。

2006年、トルネオ・グラン・アルタナティバにてミステリオッソ2号と組んで優勝を飾る。

2007年2月16日、ミステル・アギラ & エクトール・ガルサと組んでアトランティス & タルサン・ボーイ & ウルティモ・ゲレーロから勝利してCMLL世界トリオ王座を奪取。

2008年1月31日、エクトール・ガルサと組んでドクトル・ワグナー・ジュニア & ショッカーから勝利して3度目のWWA世界タッグチーム王座を奪取。同年11月、CMLLを退団。12月にダミアン666と新団体であるペロス・デル・マールを旗揚げした。

2010年6月、ペロス・デル・マールと平行してAAAやCMLLを始めする他団体に参戦している。

2015年3月21日、インディー団体であるCRASHにてマニックと組んでレイ・ミステリオ・ジュニア & エクストリーム・タイガーとの対戦中にミステリオのドロップキックを喰らった際に受け身を取れずに頭部をロープへと強打し首の頚椎を損傷。この損傷が元で死去した。享年35歳[1]

得意技[編集]

  • ラ・ランツァ
ダイビング・フット・スタンプ
ダイビング・セントーン
ロー・エルボー

獲得タイトル[編集]

CMLL
AAA
WWA

脚注[編集]

  1. ^ Perro Aguayo Jr. passes away in Tijuana hospital after match last night (Updated)”. Wrestling Observer. 2015年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月21日閲覧。

外部リンク[編集]