プロジェクト‐ノート:フィクション/過剰な内容の整理/過去ログ1

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フィクション系の各プロジェクトの「過剰な内容の整理」ページの整理提案[編集]

済みこの議論は1度終了しました。継続議論は#フィクション系の各プロジェクトの「過剰な内容の整理」ページの整理提案(再)を参照してください。

現状、フィクション系の各プロジェクトで個別に提示されている「過剰な内容の整理」ページの整理を提案します。具体的には「プロジェクト:フィクション」配下に大元となる「過剰な内容の整理」ページ(すなわちこのページ)を作成するというものになります。

現状では各プロジェクトで下記の「過剰な内容の整理」ページが存在します。

例えば、コンピュータゲームの「操作方法」や、アニメや特撮の「制作スタッフ」のように、その分野固有の物があるのは当然ですが、共通部分も多いです。あらすじや登場人物のルールは、固有の自称というものではないでしょう。また、特に現状は「プロジェクト:漫画」を参照して内容が重複している箇所もまま見られます。そこで「フィクション」として共通部分をまとめたこのページを作成し、あくまで各分野の事項は、専門的に特化させる構成に整理を提案します。

この提案時点の草案は「プロジェクト:漫画/過剰な内容の整理」をベースに、概観を説明する冒頭文ほか、「他キャラクターの声優や俳優といった演者の情報を記述しない」「「各編の登場人物」などのサブ節を設けることの推奨」「過剰内容関連のタグの具体的説明」「整理の人手や助言が欲しい場合」を新規に追加している形になります。また、このページの扱いは方針やガイドラインではなく、現時点で冒頭にテンプレートで指名しているように「解説ページ」とします。

以上、ご意見や疑問点などがあればお願い致します。--EULE会話2024年1月8日 (月) 10:06 (UTC)

《内容過剰の基準》節について[編集]

Wikipedia:コメント依頼から参りました。主ページを拝見して気づいた点(その1)を記します。著作権への言及について。

  • 内容過剰の基準」節の「あらすじ」セクションに「・著作権に抵触する恐れのあるもの。」とありますが、著作権侵害と内容が過剰か否かは無関係なので、除去するのが妥当と考えます。
    • 著作権を侵害するかしないかは、「内容過剰の基準」にはなりえません。記事が過剰な内容であっても なくても、著作権を侵害する記述/著作権法に抵触する記述は記事から削除されねばならないからです。
      • また、もしも仮に「あらすじ」について“著作権侵害のおそれ”が記事内容の過剰を判定する基準になるなら、「登場人物」の記述についても、同様の規定を置く必要があります。
    • 当該記述を残したい場合、「内容過剰の基準」の「その他」セクションに移して、表現を工夫して存置することは可能かもしれません。(「記述内容の如何にかかわらず、」といった前置きを添える、など過剰かどうかの判断基準とは無関係であることを示せば、違和感は低減できるかと思います。)
    • (なお、「著作権に抵触する」というのも難しい表現で、使うのであれば「著作権を侵害する」「著作権に抵触する」といった表現のほうが日本語として妥当なのではないか…? という気もいたします。ただ、これはごく個人的な印象論かもしれません。)

——著作権侵害への言及について、以上です。--Yumoriy会話2024年1月16日 (火) 09:08 (UTC)

返信 コメントありがとうございます。確かにご指摘の通り、著作権侵害云々は過剰内容とは直接関係のない事柄であるため除去いたしました。なお、もともとプロジェクト:漫画にある規定ですが、この議論ではそちらは放置いたします。--EULE会話2024年1月16日 (火) 12:13 (UTC)
返信 除去、了解しました。お役に立てたならうれしいです。--Yumoriy会話2024年1月16日 (火) 13:54 (UTC)

気付いた点(その2)です。日本語表現について、「内容過剰の基準」節の冒頭部の文章(2024-01-08 09:19:22 の版)の改訂案を提案します。

  • なお、いわゆる「ネタバレ」は内容過剰かどうかの判断基準とはなりません。ネタバレの有無にかかわらず、以下の基準に該当する物は内容過剰と判断され、作品解説に必要であれば内容過剰とは見なされない事にご留意ください。

この部分の特に後段(第2文)の意味がとりにくいので、たとえば、

  • なお、いわゆる「ネタバレ」の有無は、記事が内容過剰かどうかの判断基準とはなりません。「ネタバレ」に相当する記述の有無にかかわらず、以下に示す基準に該当する記事は内容過剰と判断され、一方でその作品の解説に必要な記述であれば「ネタバレ」が含まれていても内容過剰とは見なされません。注意してください。

——のような表現に変更すれば、文意が明瞭になると思います。いかがでしょうか。
(ただし、末尾にあった「〜にご留意ください」という文(「注意してください」に差し替えた部分)は、その必要性がいまひとつわかりませんでした。削除してしまったほうが、ページの意図がすっきり伝わるように感じます。こうした呼びかけ表現を「解説ページ」に入れねばならない理由、あるいは何かプロジェクト:フィクション固有の歴史的由来があるのでしょうか?)。--Yumoriy会話2024年1月16日 (火) 13:54 (UTC)

返信 再度ご指摘ありがとうございます。まず、この一文の経緯はプロジェクト‐ノート:漫画/過剰な内容の整理にあります。これ自体は私は直接関わっていないので細かいところまではわからないのですが、当時はまだWikipedia:ネタバレの規定が未熟で、ウィキペディアにおけるネタバレの在り方が確立していなかった時期でして、ネタバレ慎重派に配慮しすぎた文言になってしまったのだと推測いたします(当該の一文が盛り込まれたのが2009年、ネタバレの考えが現在の形に確立したのは2010年)。そして、今回の氏のご指摘もごもっともなものだと思いますが、いっそ、今の「Wikipedia:ネタバレ」に応じて、新たに書き直しても良いと思うので、ちょっと1日ほど新しい文言を考えさせてください。
その間も何かお気づきの点があればご指摘ください。また、文意自体は変わらない細かいものであれば、直接編集して直していただいても構いません。--EULE会話2024年1月16日 (火) 14:48 (UTC)
返信 参考リンクありがとうございます。「ネタバレ」なるものをめぐって、ウィキペディアの歴史的な積み重ねがあるのですね。当該の一節については新しい文言を書き下ろしてみたほうが良いかもしれないとのこと、了解です。また、表現についての直接編集についても了解いたしました。--Yumoriy会話2024年1月17日 (水) 02:42 (UTC)
返信 ネタバレについての箇所について修正しました。ネタバレについては、それを口実に除去したい者と、残したい者の両者がいるため、それぞれに言及した形になります。もっとも、通常ネタバレは「物語上重要な情報」であるので、些末な情報はその時点でネタバレに該当しないのですけどね。--EULE会話2024年1月17日 (水) 16:24 (UTC)
返信 「ネタバレ」に関する新たな記述(特別:固定リンク/98892647)を拝見しました。文意、旧版より明確に受け取れます。また、ご掲示のWikipedia:ネタバレページに示されている姿勢とも合致していると感じます。
ただ、第三文 「逆に、内容過剰に該当する些末な情報を残す口実として「ネタバレ」を挙げることも認められません。」は意味がとれませんでした。「情報を残す口実」すなわち理由・大義として「ネタバレ」を掲げる、というのはどういうケース、どういう主張を想定しているのでしょうか? 部外者が一読して意味がとれる文章になるとよいと思います。(上でいただいたご返信からすると、「ネタバレ」に該当する記述を(無理を通してでも?)記事中に「残したい者」の所作ということになるのかな、とは思うのですが…。) --Yumoriy会話2024年1月18日 (木) 16:24 (UTC)
返信 考えられるケースとしては「ネタバレを除去する口実として「内容過剰」を挙げることは認められません」を悪用して、過剰内容として除去した記述をネタバレの除去が目的だと反論して差し戻すとかですかね。悪用とまでは言わないものの、ネタバレの規定を誤用して過剰内容を残そうとする傾向があって、例としてはノート:金田一少年の事件簿の登場人物及び、現在は削除されてしまった金田一少年の事件簿の犯罪者があるかと思います(さらに関連してWikipedia:削除依頼/金田一少年の事件簿の犯罪者 20201225)。要は犯罪者だけ集めた独立記事に意味はあるのか(過剰内容)じゃないかという話に、推理ものの犯人という「ネタバレ」の情報だから、「Wikipedia:ネタバレ」に即して除去(削除)は認められないといった議論が起きたりします。
確かによく知らない人から見れば意味不明な一文だということは首肯しますが、実例に出会うと意味がわかる規定という風にとらえていただけでばありがたいです。--EULE会話2024年1月20日 (土) 00:42 (UTC)
返信 「ネタバレ」への言及文についてご提示いただいた (a)《ノート:金田一少年の事件簿の登場人物》および (b)《Wikipedia:削除依頼/金田一少年の事件簿の犯罪者_20201225》をなんとか最後まで読み切りました(またそこからリンクされていた (c)ノート:金田一少年の事件簿の犯罪者、(d)ノート:古畑任三郎の犯人も拝見しました)。情報ありがとうございます。
  • が、リンク先ページ (a) (b) のどのあたりの発言や編集行為が「例として」に該当するのかは判然としませんでした…。
    • ネタバレの規定を誤用して過剰内容を残そうとする傾向」、「推理ものの犯人という『ネタバレ』の情報だから、『Wikipedia:ネタバレ』に即して除去(削除)は認められないといった議論」、「『ネタバレを除去する口実として「内容過剰」を挙げることは認められません』を悪用して、過剰内容として除去した記述をネタバレの除去が目的だと反論して差し戻す」事例 に該当するのは、(a) (b) のどの箇所か、具体的に教えてください。
  • また、(a) (b) 以外の実例を、とりあえず10〜15例程度、列挙いただけますか。
    • 特定ジャンルに偏らず、解説ページ「プロジェクト:フィクション/過剰な内容の整理」の規定が影響する全ジャンルからまんべんなく例示するのがよいと考えます。
    • 「10-15例」という例示の数は、この「解説ページ」が対象として想定しているであろう各ジャンルから数例ずつ実例を挙げると(e.g. 文学, 映画, 漫画, アニメ, 演劇, TVドラマ, コンピュータゲーム, etc.)その程度は必要なのかしら…? と当てずっぽうで出したものです。(プロジェクト:フィクションの影響範囲がわかっていないため、適切な数を示せず申し訳ありません。)
      • ネタバレの規定を誤用して過剰内容を残そうとする傾向があ」るために、「よく知らない人から見れば意味不明な一文」が「解説ページ」に必要である とのことですので、このプロジェクトが影響するジャンルすべてについて事例を示しておけば、当該の「傾向」がたしかにウィキペディア日本語版上に存在することをある程度立証できますし、後日この「解説ページ」を参考にするだろう方も、なるほどそれではプロジェクト:フィクションには「ネタバレ」に関してこの「よく知らない人から見れば意味不明な一文」だが「実例に出会うと意味がわかる規定」は重要だと納得できるはず、と考えました。
——以上です。--Yumoriy会話2024年1月24日 (水) 13:13 (UTC)
返信 提示した例でわからないというのであれば、他の例を挙げても同じでしょうし、もはや全体の主旨からみれば些細な一文で時間を使うのももったいないですから、おっしゃるように除去するという形で対応しましょう。一応、もっとわかりやすい実例がないか探してみたのですが、五十歩百歩というところでした。ただ、この調査で私が思っていたよりも、またネタバレルール策定時に懸念されていたよりも、過剰な内容の整理とネタバレの関係性が適切に解釈され運用されていたので少し安全側に倒しすぎていたのかなとかえりみてます。--EULE会話2024年1月25日 (木) 13:42 (UTC)

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 返信 (EULEさん宛) 以下、EULEさんに回答を要請します。
まず、

  • おっしゃるように除去する」とのことですが、いつ・どこで私は当該部分の除去を提案したのでしょうか。自分がした憶えのない要求を「おっしゃるように」などと押し付けられ、非常にとても、驚いています。私がどこでそんな提案をしたのか、教えてください。

また、

  • 提示した例でわからないというのであれば、他の例を挙げても同じ」とはどういう意味でしょうか。教えてください。
    • 日本語として常識的な読解に照らせば、「自分はだれにでも容易にわかる例を示したのであり、この例示で理解できないとすれば、他のいかなる例を示しても読解力のないあなたにこの問題を理解することは不可能である」 という意味にしか解せませんが、そう理解してよいのでしょうか。

次に、「提示した例でわからないというのであれば、他の例を挙げても同じ」 とまで言われましたので、例示をいただいた (A)「ノート:金田一少年の事件簿の登場人物」、(B)「Wikipedia:削除依頼/金田一少年の事件簿の犯罪者 20201225」を再読いたしました。以下、私が誤読している点を教えてください。

  • まず、後者 (B) には(削除)票4名と(存続)票2名が確認できます。当該記事「金田一少年の事件簿の犯罪者」を維持すべきとする2票は、(B-1) 2021年1月4日 (月) 03:03] の票 と (B-2) 同日 17:12 の票 ですが、いずれの票にも私はガイドライン Wikipedia:ネタバレ およびその規定への有意な言及を認識できません。
  • 次に、前者 (A) ノート:金田一少年の事件簿の登場人物 について。長大なページですが、例示として検討の必要を確実に言えるのは内容整理提案「記事の見直しについて_2014年6月」節のみであろうと思います。
    • 同節には Wikipedia:ネタバレ への言及が複数見られます。いずれも『ネタバレの集合体でしかない「犯罪者」は WP:IINFO〔ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません〕に著しく違反するものであり、即刻削除すべき』 と主張する提案者Cr氏(2014年6月2日 (月) 17:04 投稿)に対する“コメント”として登場しています。
    • 具体的には Fs氏による (A-1) 2014年6月3日 (火) 15:48 のコメント、(A-2) 2014年6月4日 (水) 13:17 のコメント、Te氏による (A-3) 2014年6月6日 (金) 01:36 のコメント です。
      • 【a】Fs氏の手になる (A-1) は、『〔提案者による〕「ネタバレの集合体である」ということを根拠にした削除提案は Wikipedia:ネタバレ〔の規定〕により説得力を持たない』、『〔提案者が論拠とした〕WP:IINFO には ネタバレについての記述はなく、〔そうであるなら「ネタバレの集合体でしかない」ことが方針《ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません》に〕「著しく違反する」という〔提案者の〕主張は不適切』 と述べ、(A-2) は、提案者が『「百科事典的でない」ということを理由に 削除依頼を出すのであれば、その根拠にネタバレ〔の過多〕を入れることで 説得力が低下してしまう』、加えて提案者が要求する『「ネタバレの隔離」そのものについても〔隔離を不要と規定するガイドライン〕Wikipedia:ネタバレ〔のそんざい〕を理由に賛同を得られない可能性が低くなく(個人的には特定の分野の記事においては一定の工夫はあるべきだと考えています)』 と述べます。とすれば記事内容の整理、記事の削除、いずれの提案についても Wikipedia:ネタバレ を根拠として反対しているとは言えませんし、実際いずれの投稿も(コメント)として提出されており、内容整理や削除に対する(反対)票とはなっていません。
        • また、(A-2) は「特定の分野の記事においては一定の工夫はあるべきだ」と記して“ネタバレ”の「隔離」の必要性を述べており、そうであればこの時点のFs氏は(0か1かで分けるなら)むしろ、2014年当時すでに「ウィキペディアでは、どのような記述にもネタバレ警告を行う義務はありません。」と規定していたガイドライン Wikipedia:ネタバレ (2013-09-23 15:10:17版) に反して“ネタバレ”含有記事に対して非-好意的な立場に立っている、と言えます。(反対)票を投じていないことを鑑みれば、Fs氏は当該記事の整理と場合によっては削除にも賛成できるが、現在の提案者の主張の論理構成では賛同しかねる。と言っている と捉えるのが穏当でしょう。
      • 【b】次いで Te氏による (A-3) は、提案者が示したような問題点は、“削除依頼”ではなくノートページの議論での合意形成と個別記事での編集改稿で解決すべき性質のものである、とし、提案者が書くように「ネタバレの集合体でしかない」「事件の詳細が細かく記され、最初の削除依頼で存続側の意見である『ネタバレの隔離』ができていない」 といった理由で記事の削除を主張するなら、たとえば記事「アクロイド殺し」といった作品の根幹を“ネタバレ”しているような古典的作品にかんするページはすべて削除すべき ということになるが、それでよいのか、本気でそんな主張をするのか、と反語的に問うたものです。そしてこの (A-3) もまた、当該記事の内容整理・削除に対する(反対)票としては提出されておらず、あくまでも(コメント)として投稿されています。
        • また、(A-3) 後段の「過去に複数回行われた「犯罪者記事」の削除依頼で 多くの存続票が投じられたのをみてもわかるように、この手の記事の内容には 根強い支持者がいるようですからねえ。」といった“皮肉”じみた口吻(自分はそうした記事の支持者ではない、と言外に述べている)や、「記事の肥大化という問題はあるかもしれませんが」と記事の肥大化(≒“過剰な内容”)には対処の必要がある、とエクスキューズを挿入していることから見ても、Te氏は当該記事の内容の整理や削除自体には むしろ肯定的な立場にある、と解するのが妥当です。
      • 【c】最後に、提案者Cr氏は当該ノートページ (A)(また削除依頼ページ (B))全般にわたって“ネタバレ”にきわめて高い頻度で言及しています。しかし、Cr氏発言はほぼすべて、「“ネタバレ”しているから記事を削除すべきである」という主張であり、これは現行の(そして2014年当時の)ガイドライン Wikipedia:ネタバレ そのものを否定・無視・拒絶する立場ですから、「ネタバレの規定を誤用して過剰内容を残そうとする傾向」とは無関係です。
        • なお、Cr氏は 2014年6月3日 (火) 17:08 の投稿 において 『この記事〔金田一少年の事件簿の犯罪者〕が存在していることによって、「ネタバレをなんでも書き込んでいい」と間違った認識を抱いた方々が 好き勝手に加筆をしているのが この記事群全体に見られる現状です。「犯罪者」記事が存在しているだけで、アニメ記事にもドラマ記事にも 相違点という形で事件の詳細が細かく記され、最初の削除依頼で 存続側の意見である「ネタバレの隔離」ができていないのです。』 と述べておられます。これはまさにEULEさんおっしゃるところの 「ネタバレの規定を誤用して過剰内容を残そうとする傾向」「推理ものの犯人という『ネタバレ』の情報だから、『Wikipedia:ネタバレ』に即して除去(削除)は認められないといった議論」がウィキペディア日本語版に存在することを主張した文だと言えます。しかし、こうした ある特定の立場(「“ネタバレ”している記事は削除すべきである」)の人物が 対立者をどのように表象するか を示すタイプの文を持ち出して、なんらかの「傾向」が客観的に実在している証であると例示するようなお気楽な人はいないでしょう。
          • もしくは、まさかのまさかで、記事「金田一少年の事件簿の犯罪者」なり「金田一少年の事件簿の登場人物」なりは“過剰な内容”と誰もが認める記事であるから、その削除を肯わないようなウィキペディア編集者はすべて「推理ものの犯人という『ネタバレ』の情報だから、『Wikipedia:ネタバレ』に即して除去(削除)は認められない」 と主張する者である、とでもEULEさんはおっしゃっているのでしょうか。
    • 以上がEULEさんから例として示されたノートページ (A) についての私の読解です。(A) のどこが・どのように 「ネタバレの規定を誤用して過剰内容を残そうとする傾向」、「『ネタバレを除去する口実として「内容過剰」を挙げることは認められません』を悪用して、過剰内容として除去した記述をネタバレの除去が目的だと反論して差し戻す」ケース、「推理ものの犯人という『ネタバレ』の情報だから、『Wikipedia:ネタバレ』に即して除去(削除)は認められないといった議論」 の例示になっているのか、教えてください。
      • それともあるいは、2010年まで議論が継続していた「記事内容の整理提案_2009年4月」節こそが当該の傾向が明瞭に示された例なのだ、とでもおっしゃっているのでしょうか。

——とりあえず、以上とします。「率直に言うと」参照すべき箇所がどこなのかも指示されぬまま長大なノートページを「例としては」などと読まされた挙げ句に、「もはや全体の主旨からみれば些細な一文で時間を使うのももったいない」などと言い放たれるのは心外の極みです。時間を言うのであれば、あんな堂々めぐりのノートページを読み、多少なりと論理的な思考ができる人間であれば口にするまでもない このくだらない文章を書くのに費やした私の時間はどうしてくださるのでしょうか。上記諸点について一つずつ、「提示した例でわからない」ような愚人にも理解できる、論理構造の明快な文章での回答をお願いいたします。

◆そして、このような粗雑で乱暴な議論を一方的におこなう方が継ぎはぎで作成された草案を、多人数による検討・精査も経ずにウィキペディア日本語版のすべての「フィクション」関連記事(小説映画演劇漫画ゲームテレビドラマアニメ、etc.)に広範に影響を及ぼしうるような「解説ページ」とすることに、私は明確に強く反対をいたします。
そもそも、「解説ページ」にしたいと提示した文書について、意味が取れない、わかりにくいです と指摘を受けて、「確かに よく知らない人から見れば意味不明な一文だ ということは首肯しますが、実例に出会うと意味がわかる規定」だから問題ない なぞと答えて恬として恥じない提案者というのは、「率直に言うと」どういう思考回路を備えているのか、理解不能です。「よく知らない人」をガイドするための文書が「解説ページ」ではないのでしょうか。あるいは私が「解説ページ」の解釈を誤っており、ウィキペディア日本語版における「解説ページ」なるものは「よく知らない人」ではなく、何をもって“過剰な内容”とするかも記事内容の整理の仕方もすでに「よく知っている」人を対象に提供される文書なのでしょうか。それともまさか、解説ページとは別に「解説ページのための解説ページ」でも作るおつもりなのでしょうか。この状態では、もし仮にこの「草案」なるものがこんな手続きで「解説ページ」になったりすれば、次に気づいた時には、同じような誰にも精査されないような手続きで「解説ページ:プロジェクト‐ノート:フィクション/過剰な内容の整理」が「ガイドライン」文書や「方針」文書にもなっていかねません。ウィキペディアは規則主義ではありませんWikipedia:ルールすべてを無視しなさい を掲げればガイドライン文書の「細かい条文などの齟齬はあまり気にする必要はない」とのことなので、そうなっても「英米法的(というか慣習法的)な考え」とやらに従って プロジェクト:フィクション が提供する解説ページもガイドラインも一切無視すればよいのでしょうが、「一週間待ちましたが反対意見は出ませんでしたので手続き上正当です」などと嘯いてフィクション関連記事すべてのガイドラインなどに格上げされたりするのは、たまったものではありません。ですので、どういう編集者のために何を提供するための文書なのか、また この「解説ページ」が解説として適用されうるジャンル記事が具体的にいかなるものなのかすらまともに検討した気配のない文書を安易に プロジェクト:フィクション の名の下に提供される「解説ページ」とすることには、はっきりと反対を表明します。
(念のため申し添えておきますが、今回の草案「プロジェクト:フィクション/過剰な内容の整理(2024-01-08 09:19:22 (UTC))」について私は、ぱっと目につく話がしやすくたどり着く結論が見えているような問題点をいくつか試みに挙げただけで、本質的に問題だと考える点や議論が面倒だと思う点については、一切まったく、触れておりません。)--Yumoriy会話2024年2月10日 (土) 17:18 (UTC)

返信 「回答」ではなく「返答」をいたします。その理由はちゃんと読んでいただければご理解いただけます。氏ほどではないにせよ、長くなるのでご容赦ください。
◆まず今回の議論の大前提をご説明いたします。最初に述べている通り、また、コメント依頼でも述べている通りなのですが、今回の提案の主旨というのは各分野で並立している「過剰な内容の整理」ページをまとめる(整理する)というものです。また、それは今まで運用されてきた実績もあるものです。これが今回の議論の主題であり、それ以上でもそれ以下でもございません。その上で、慣習的に成立しているテンプレートタグや依頼方法などの具体的な説明も載せようね、とやっています。ただ、これは主旨からすれば、あくまで「ついで」であり、文量が多くとも枝葉末節に過ぎません。何なら文量が多かろうとその点で合意に達せないなら今回はその箇所は変更はおろか、取り下げで除去してもいいのです。いわんや、細かい語彙や些細な文句などもさして拘りはないのです。目的である並立状態が整理されれば。もちろん、それは細かい部分は何も考えていないということではなく、例えば「Wikipedia:執筆・翻訳者の広場」を「Wikipedia:修正依頼」より先にしたことなど、私なりの意図はあるのですが、別に些細なことなので何も言わず、全面的に氏の主張を受け入れているのです。だから、最初にも「文意自体は変わらない細かいものであれば、直接編集して直していただいても構いません」と述べています。それは拘るようなところではない。よって、議論の主旨に影響しない部分において、ある文言や表現を「私は認められない」という人がいるのであれば、かつ、その解決に時間を要すようであれば、「そこはあなたのおっしゃる通りで構いません」とやっています。舎本逐末のような議論は望んでおりませんし、ウィキペディアに限らず、この世のあらゆる会議や議論と形容されるものにも通じる観点です。
氏は私が「理解できないならそこは気にしなくても良いです」と言ったことを未だに非常に気にされておりますが、本当にそこは今回の議論に重要ではない部分だからです。だから、あっさりと撤回もしている。氏は主題の部分には一切何も嫌疑を挟まないから、こちらとしてもそこは賛同していただけていると判断してましたし、だからこそ、そこを踏まえていれば些末だとわかるところに妙に拘る氏が私はよくわからず、結果として、氏の気分を害されてしまったことは、明らかに私の落ち度であり、申し訳なく思います。なのですが、今回の氏のコメントで、そもそもそれ以前のところに病理があったと判明いたしましたので、続けて、その部分の指摘に移らせていただきます。
本題です。氏は私の議論態度を問題視されておりますが、今回の氏のコメントは、むしろ、氏の方の議論態度や手法に問題があることを示す結果となっております。よろしいですか。今さら「本質的に問題だと考える点や議論が面倒だと思う点については、一切まったく、触れておりません。」と大上段から言われてますけど、それが議論において "まず" 重要なことでしょ? さんざん細かい部分で時間をかけさせて「本質的な部分には触れてません。そもそも本質的なところに懸念があったので反対です」って、それってまともな、あるいは望ましい議論姿勢じゃないですよね。意図的にやっているなら不要な議論遅延を狙った議論妨害の手口ですよ。最初に述べたように細かい部分は別に妥協するなり取り下げるなり、いくらでも対処しますし、できることです。だから後回しでいい。でも、主旨や本質的な部分はそうじゃない。それこそcodeタグなんてどうでも良いものに時間をかけさせた上で、今さら「本質的な部分」なんてものを持ちだすのは、いったい何を考えておられるのですか? それがまともな議論の順序だと思いますか?
◆また、今回、氏の論旨は「私に回答を要求する」ですが、これが上記の問題と合わせて、非常に氏の問題点を表しています。仮に、私が時にお金もらってやってるような、時間をかけて精緻にデータ分析してレポートまで作った回答をして、また、それによって氏が納得したとして、氏が言う「本質的な問題」は解決しますか? しませんよね。だって、そこは既に存在しない文言の上に、本質的じゃない部分(枝葉末節な部分)なのですから。まだ氏自身が本質的な部分だと誤解して回答を要求しているなら仕方がないことなのですが、自分ですら本質的な問題点ではなく、その本質的な点で反対する意向を示唆しておきながら、無駄な要求することの議論における合理的な意義をご説明ください。これも氏が無駄に時間を使わせようとしている証左の1つです。
あるいは、今回の氏のご主張を他意なく素直に読めば、氏がわざわざ議論の道理を外してまで私に回答を要求するのは、「お前が信用できないから、その信用を得るためにしろ」ということであると存じ上げます。ただ、そうだとすれば、それはさらに大きな問題です。これは、グレアムの反論のヒエラルキーでいうところの「単純否定」「論調批判」「対人論法」ですから。まして、そこと直接関係のない文言の箇所にまで嫌疑の根拠とするのは、端的に言えば「お前が信用できないから、他の部分も間違っているに違いない、だから反対する」ということであり、なおのこと、そのような論旨は認められるものではありません。
◆また、氏は「多人数による検討・精査も経ずに」と指摘しておられますが、ああこの人は本当に無自覚なんだなと残念に思う次第です。まず、私はコメント依頼のみならず、関連する場所で広く参加者を募っております。それでも人が来ない場合は仕方がないのですが、今回については少し現状を俯瞰して見てください。新規でこの議論に興味を持った人が参加しやすい状況ですか? 第三者から見れば、なんか議論の範囲が広いように見えるし、何やら節分けしているし、特定の2人で細かい話を延々とやり取りしてるし、で、今は新規参加者のハードルがかなり高いです。誠実な人ほど、「これまでの議論を把握しなくちゃ」ってなるから余計にね。それで、この形にしたのは他ならぬ、あなたなのですよ。先の話にも通じますけど、まず主旨という本質的な部分を議論して合意に達した上で、次に細かい文言だとか枝葉末節な部分の詰めを合わせていき、最終稿ができたところで再度、確認するというステップを踏んでいくのが適切な議論なのに、いきなり細かい部分の話を始め、しかもそれを節分けしてさらに細かく同時展開してしまう。とりあえずは主旨には反対は無いのだなと判断するところ、今になって「本質的な問題点はまだ指摘してません」などと、さらに議論の本筋を混乱させることを平気で言う。これで人が集まると思いますか?
そもそも、今ここで一旦仕切ったのも、むしろ新規参加者を求めるためですよ。枝葉末節な部分まで詰められたと少なくとも私は認識したから、経緯の議論まで精査せずとも、この最終稿だけでも見て判断してもらって意見をもらいたいと、やってるのですよ。ここで、「最終決定までの猶予期間を1週間とするのは短いから1ヶ月にして欲しい」とか「合意形成のためのコメント依頼などに再告知すべきではないか」みたいな提案であれば、「確かにその通りですね」と私は返答して受け入れる用意はありますけれども、新規参加者を妨げている主因の方が、新規参加者を募るために行っていることそのものを、強引な進め方だと非難してくるのは、率直に言って呆れております。もし、私が、本当に氏の批判している通りの人物なら、いったん区切りをつけて一定期間を待つなどせず、「一定期間異論がなかったので合意に達しました」ので即決定とやってますよ。そうでしょ?
◆さてまとめますと、まず議題そのもの、主旨や本質的な部分について議論すべきですし、それが普通です。少なくとも私は、本質部分に異論がある議論において主旨よりも枝葉末節な分から詰めろなどという話は寡聞にして知りません。そうした議論の根本部分には一切触れず、最初から文言や表現のみ話題にすれば、それは主旨や主幹部分には賛同しているが、細かいところで調整が必要と普通は判断されます。そして、その調整が1つ1つの箇所ごと順番に展開するという話であればまだいいのですが、氏はわざわざ新規参加者が参入しにくくなるようにしてまで広く議論を並立に展開されました(直接編集して直しても構わないとまで言っているのに)。となると、それがすべての論点だと判断します。そして、そこで挙げられたものを私側の妥協や論点回避などで解決していって、解消されたから、いったん区切って、次のステップに進もうとしています。これは新規参入もしにくくなっているという問題点もあるからです。これはまったくオーソドックスな議論進行です。
ここに至って「今までのはまだ論点の一部に過ぎない」とか、「本質的に問題だと考える点などは、まだ一切触れてない」のようなことを、さも当然のように言われた挙げ句、それらが私が強引に進めている証拠みたいなことを言われても、私はエスパーではないのであなたが言わなかったことや、一般的な議事進行から外れた行為の意図なんて、わかりませんし、対処のしようがないです。だいたい、議論において「私はまだ変身を2つ残しているぞ」みたいなことを突然言われても、逆にお聞きしたいのですが、どんな反応をあなたは期待しているのですか? なぜ、最初に議題としなければならない重要な部分を隠し、切り札にするのですか? それは議論ではなく、カードゲームの所作ですよ。--EULE会話2024年2月11日 (日) 14:42 (UTC)
返信 1週間以上経ちましたが、 特に反論などは無いと判断いたします。今後についてですが、いずれにせよ、広く意見を募るという観点からも議論の仕切り直しが必要であるため、下記の通り、今回の提案は1度打ち切り、再始動します。--EULE会話2024年2月20日 (火) 13:56 (UTC)

《過剰内容関連のタグについて》節について[編集]

主ページ「過剰内容関連のタグについて」節の日本語表現を、2024-01-17 14:07:06 の版特別:差分/98890863‎)で調整してみました。ご確認ください。

  • 用語「タグ」を「テンプレートタグ」に変更しました。それにともないセクション名も「過剰内容関連のテンプレートタグについて」に変更しました。
    • Help:テンプレート#テンプレートを使う に、「この{{テンプレート名}}という書き方を、「テンプレートタグ」と呼んでいます。」とあり、テンプレートもしくはテンプレートタグという表現がウィキペディア日本語版における正規の表現であろう(「タグ」はいわば俗語であろう)と考えました。
    • セクション名(節名)は、この節の内容にふさわしい、より適切で明瞭な名称がありそうな気がします。
      • 特に末尾の「〜について」は、「〜のテンプレートタグ」と言い切ってしまったほうが良いのかもしれません。
  • 注意喚起テンプレートの除去条件について、「「内容過剰の基準」で説明されている状態でなくなったら、タグを除去してください。」とあったのを、「前掲の「内容過剰の基準」で説明している状態を解消・解決できた時点で、テンプレートタグを記事ページから除去してください。」に変更しました。
    • 〜でなくなったら」という表現では、タグを除去すべきタイミングが初心者にとってぼんやりしている、と考えて表現を明確化しました。
      • 「状態を解消・解決できた時点」とナカグロを用いて併記したのは、この節に先行する節が「解決方法」と題されている点を考慮しました。
  • 記事の改善後ふたたび内容過剰に陥ったケースについて、テンプレートタグを再度貼り付け「当面は貼り付けたままとしてください」とありますが、この文は「当面」の意味(指す時間範囲)がわかりませんでした。「当面」という表現を除去する、もしくは指示範囲が明確な表現に差し替える必要があると考えます。
    • 「当面」が、どの程度の長さを指しているのか不明なのが問題です。現行の記述は、記事が改善され、内容過剰の問題がふたたび解決しても「当面は」タグを貼り付けたままにせよ、という意味にとれますが、そう解してよいのでしょうか? また、その場合は、再度貼り付けられたタグを除去してよい条件は、誰が・どこで決定しているのでしょうか?(逆にいえば、それを示しておけば問題は生じません。)
      • 特殊な規定なので、「当面」という表現にはプロジェクト:フィクションにおけるなんらかの歴史的由来があるものと思われますが、不明です。

——以上です。問題がありましたら編集の差し戻しあるいは再編集をお願いいたします。--Yumoriy会話2024年1月17日 (水) 14:47 (UTC)

返信 主ページの直接編集、現在のところ受け入れ可能な改訂になっている とのこと、よかったです。後者の「タグの除去基準」節の件。
  • 文言「当面は〔貼り付けたままとしてください〕」の件、除去の方向性、了解しました。私も同意します。
    • ただ、どういう経緯で何のために「当面は」というテンプレートタグ除去の決定権者を曖昧化させる奇妙な文言がプロジェクトに登場してきたのかは、気になります。(何らかの必要があって挿入されたであろう表現だと思うので、書き込まれた理由が不明のまま安易に除去を決めてよいものか、迷いは感じます。)
——以上です。--Yumoriy会話
返信 黎明期のルールは、それっぽい文言だけど、よくよく考えると意味不明というのが多く、特におっしゃる通り、無意味に曖昧化する傾向というのがあって是正されてきた経緯があります。今回の「当面」は元々はWikipedia:過剰な内容の整理にあった文言に由来するものでして、2012年の改定で無くなってるものになります。なので、除去でいいだろうと。--EULE会話2024年1月20日 (土) 00:42 (UTC)
返信 ウィキペディア初期のルール文は「それっぽい文言だけど、よくよく考えると意味不明」なものが多い、なんだか身も蓋もない指摘ですね(笑) それはさておき、
  • 当面は」文言はもともと Wikipedia:過剰な内容の整理 ページの記述に由来した文言で、すでに2012年の改訂で除去されている との情報、ありがとうございます。ウィキペディア日本語版のガイドラインでも除去され、10年以上にわたってその状態で維持されている(「当面は〜」文言の復帰が提案されていない)ということであれば、むしろ積極的に除去すべきだろうと考えます。EULEさんのご意見に賛成します。
——以上です。情報ありがとうございました。--Yumoriy会話2024年1月20日 (土) 04:02 (UTC)
返信 率直に言うと、ルールの精神が矛盾しない限りにおいて、細かい条文などの齟齬はあまり気にする必要はないです。日本人的にはルール間の齟齬は完全にないのが望ましいと考えるのですが、ウィキペディアというか英米法的(というか慣習法的)な考えだと多少の齟齬があってもよく、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいウィキペディアは規則主義ではありませんなどで現されるものになります。あくまで重要なのはそのルールの目的(精神)であって、条文ではないです。--EULE会話2024年1月20日 (土) 07:23 (UTC)
返信 言及いただいた前者、関連タグを紹介するテーブル(表)の用語の件です。(原型・下敷きになっているテンプレート関連ページ、情報ありがとうございます。)
  • ご教示の Wikipedia:主要なテンプレート/問題のある記事#スタイル と比較対照してみたかぎりでは、不一致(用語や形式の変更)によって問題は生じない、当該の表の用語を踏襲する必要はなさそうだ、と考えます。表は各ページそれぞれの文脈の中で、閲覧者に解釈ストレスや混乱を与えない適切かつ明瞭な表現を与えられるべきだからです。
    • 現在の変更箇所; 列(カラム)の名称を左列「名称等」→「タグの名称・対象など」、右列「内容又は表示」→「表示例」に修正。左カラムの箇条書き細目にあった「用途:」を「対象:」に修正。タグ{{百科事典的でない}}の2行にのみ、左列のテンプレート名の横に続けて「{{百科事典的でない}} (引数:type=IINFO)」と引数の指定が示されていたのを、引数指定を右列に移し「※引数 xx を指定した場合。」として画面表示例とともに記述。
      • 原型となった表の「内容又は表示」という右列(右カラム)の名称は、意味がわかりませんでした。ざっと眺めたかぎり右列に掲載されているのは、左列掲載のテンプレートタグを使用した場合に記事ページでどのように表示されるかの例(表示例)に見えます。カラム名の筆頭にある「内容」の指示対象を掴めません。また、カラム名に用いられている「」や「又は」といった漢字表記は Wikipedia:表記ガイド#仮名書き の規定に特に意味なく反しているように見えますし、当該の表の用語はかなり昔に作られたまま放置されているのではないか? とも思われました。
      • 左カラムのテンプレート名掲示部分について、原型表では <code></code> が付与されているようです。テンプレートそのものの名称を、その後に続く箇条書き項目(関連リンク?や、対象、貼り付け位置)と差別化する、という意味で有意義に思いました。
      • 表の左カラムの細目に、原型表と同じく「用途: 」を用いたい場合は(改訂版では「対象: 」に変更しています)、要素の文末表現を「〜の場合。」や「〜の記事に対して。」「〜のとき。」形式に修正すれば、一見して意味がとれると思います。
    • 上のいずれにかかわらず、改訂前の旧版の表よりも現在の表の表現がわかりにくくなっている(とりわけ初心者にとって)場合は、もちろん原型の表の用語表現に近づける選択肢も含めて、さらに改善されるべきです。
——以上です。--Yumoriy会話2024年1月20日 (土) 02:45 (UTC)
返信  codeタグについては、{{Tlc}}に内蔵されているものになります。一々、HTMLタグをベタ書きしているのは{{Tl}}や{{Tlc}}がなかった時代の名残りですね。--EULE会話2024年1月20日 (土) 07:23 (UTC)
返信 ごめんなさい、何度も読み直しているものの、「codeタグについては、{{Tlc}}に内蔵されているものになります。」 の意味が把握できません。さまざま考えてみたのですが、たとえば 「過剰内容関連のテンプレートタグについて」節にある表は {{Template:Tlc}} で自動的に書き出しているものである(そのため、原型になったページの表のようにcodeタグを実装できない?)、ということ……なのでしょうか? 補説をお願いできれば幸いです。
(一方、後段の「一々、HTMLタグをベタ書きしているのは...」という言及は、原型になっている Wikipedia:主要なテンプレート/問題のある記事 ページなどの表(テーブル)の作り のこと…ですよね?)--Yumoriy会話2024年1月24日 (水) 13:48 (UTC)
返信 難しく考えすぎているように思います。正直、先の説明の通り、言葉通りとしかいいようがないのですが、まず「テンプレート」とは単に定形文を自動的に吐き出すものです(Help:テンプレート早わかり)。{{Tlc}}という実際の使い方(記法=コード)を示すテンプレートの中には定形文としてcodeタグも入っているという話です(なので、codeタグを実装できないのではなく、ここでもやったら二重になるので不適切な使用方法になる)。Yumoriyさんがお使いのブラウザがEdgeなのかChromeなのかはわかりませんが、いずれのものでも右クリックで「ソースの表示」というようなものがあるはずですから、そこで中身を確認してください。そもそも、HTMLタグ自体をよくご存知でないのであれば、特にウィキテキストにおいて気にする必要はないですよ。--EULE会話2024年1月25日 (木) 13:42 (UTC)
返信 コメントありがとうございます。謎が解けました。おっしゃられていることを理解できたかと思います。
  • 唐突に現れた「{{Tlc}}に内蔵されているもの」という文の意味が分からなかったのですが、ここで {{Tlc}} は {{Template:Tl}} と同類のテンプレートの代表例として挙げられていて、主ページの表(テーブル)の左カラムでテンプレート名を表示するのに用いられている {{TL}} タグを含めて指していたのですね。
    • また、主ページの表で使用されている {{TL}} タグが、2文字目の“l”を大文字の“L”で代替表記しているだけで {{Template:Tl}} タグと同じである点も、私は気づいていませんでした。
      • そのため「{{Tl}}や{{Tlc}}がなかった時代の名残り」というEULEさんの文が主ページで使用されている {{TL}} タグに言及していることも把握できていませんでした。
    • その結果、主ページの表でテンプレート名の表示には用いられていないように見えた {{Tlc}} タグに言及された文を理解できず、{{Tlc}} はテーブルを書き出すために使える特殊なテンプレートだったりするのか…? と誤解していました。(おっしゃるとおり「難しく考えすぎている」状態に陥っていました。)
  • 一方、EULEさんの返信はWEBページとしてのウィキペディア記事のHTMLコード上に存在するcodeタグ、について述べている。
——以上、自分が何につまずいたのか記しました。--Yumoriy会話2024年1月28日 (日) 09:40 (UTC)
返信 上記理解の上で、codeタグについて先に 「左カラムのテンプレート名掲示部分について、原型表では <code></code> が付与されているようです。テンプレートそのものの名称を、その後に続く箇条書き項目(関連リンク?や、対象、貼り付け位置)と差別化する、という意味で有意義に思いました。」と記した意図を示しておきます。
  • 主ページの表の下敷きになっているとご教示いただいた Wikipedia:主要なテンプレート/問題のある記事#過剰な内容 のテーブル(表)(以下、“原型表”と呼びます)において、テンプレート名は、『 {{内容過剰}} 』のかたちで画面表示されており、他方、主ページの過剰内容関連のテンプレートタグについて節のテーブルのテンプレート名は『 {{内容過剰}} 』のかたちで表示されている状態、に私の環境では見えます。
    • 原型表のあるページで「編集」をクリックすると、テンプレート名を掲示する部分のソースは 「 <code>{{[[Template:内容過剰|内容過剰]]}}</code> 」 とcodeタグ(Help:ウィキテキストにおけるHTML によれば {{Template:Code}} と同値)が付与されており、主ページの表では「 {{TL|内容過剰}} 」とcodeタグ無しの記述となっている、ように私には見えます。
      • 上で「編集」と書いたのは文字どおり“ウィキペディア上で「編集」をクリックすること”を指しています。ページのHTMLソースは表示しておりません。
        • 以上、パソコンではブラウザChrome、Firefox、Opera、Edgeで、モバイル端末ではSafari、Chrome、Operaで、画面表示と「編集」の状態をそれぞれ確認いたしました。
    • だとすると、たとえば「 {{Tlx|内容過剰}} 」 の形で {{Template:Tlx}} を利用してテンプレート名を記述すれば、原型表と同様の画面表示を得られる、と考えます。(使用テスト⇒ {{内容過剰}}
      • なお、現時点では私は、テンプレート名をcodeタグ付き(e.g. 『 {{内容過剰}} 』)で画面表示したほうがよい、と主張しているわけではありません。そのほうが表の左カラムでテンプレート名の下に並ぶ要素と差別化することができ、閲覧者にとって一瞥して理解しやすい可能性があるのではないか? 検討する価値があるのではないか? と提案している段階です。
  • 私は WEBページとしてのウィキペディア記事のHTMLコード上に存在するcodeタグについては、述べていません。ウィキペディア上でのページの「編集」で使用されている(ウィキテキスト上で使用されている?)codeタグ({{Code}} と同値)、について述べました。
——先の2024年1月20日 02:45付投稿で私がお伝えしようとしたのは、以上のことです。言葉がつたなくて申し訳ありませんでした。--Yumoriy会話2024年1月28日 (日) 10:06 (UTC)
返信 そういうことであれば、本項でcodeタグは不要です。Tlxを使う必要もないです。なぜなら本項はリンクとコードを切り分けているからです。左列のものは単なるリンクでありコードではありません。コード(記法)は右列に示しています。codeタグというのは、それが文章でもリンクでもなく、あくまで「コード」だと示すものです。だから見た目的にも表示が変わったりするのですが、リンクが主になると見た目もかわりません。元の「主要なテンプレート」は、リンクとコードの切り分けができていないのです。特に当時と違って今は貼り付けた年月などの引数はほぼ必須ですので、引数なしで使うことはありえず、そういう意味でも初心者に不親切です。--EULE会話2024年1月28日 (日) 15:07 (UTC)
返信 了解です。見た目を優先してHTMLとしての意味を無視するのはよくないです、たしかに。納得できました。なぜ引っかかったのかを考えてみて、タグの名称が初心者でも目に入るようにテンプレートタグ表 左カラムの書き方を修正してみました(2024-01-30 15:30:54 の版)。これなら、codeタグによらずに要素の差別化を実現できているかと思います。
(しかし、「そういうことであれば、」で済ますということは、本当に私の元発言の意味がわからなかったのですね。自らの日本語運用能力の不足を恥じるばかりです。)--Yumoriy会話2024年1月30日 (火) 15:39 (UTC)

《整理の人手や助言が欲しい場合》節について[編集]

主ページ「整理の人手や助言が欲しい場合」節の日本語表現を、2024-01-17 09:40:32 の版特別:差分/98887265‎)で調整してみました。ご確認ください。またその際に文章の調整ではなく、新しい要素の追加として以下の2点、

  • 節の冒頭に Wikipedia:依頼と提案 ページへの{{See also(〜も参照)}}を設置。
    • 節見出しの“人手や助言が欲しい場合”の対処方法=(他の編集者への)「依頼」と考えると、「依頼」にかんするウィキペディア全体の統括ページへの参照があったほうがよい、と考えました。(Wikipedia:整理の手順 も当該ページへリダイレクトされていたため、当該項目への参照が妥当と考えました。)
      • なお、Wikipedia:依頼と提案からリンクされている依頼掲示用ページに、「特に修正を要する項目があり、自分で修正できない場合には、他の人の目にとまるようここに掲示してください。次のようなものが例としてあげられます。」として、「・冗長すぎて読みにくい。内容過剰」を編集依頼の対象とする「Wikipedia:修正依頼」が存在します。「ステップ3. さらに人を募りたい場合」項に選択肢として追加する意義があるかもしれません。
  • 「ステップ3. さらに人を募りたい場合」にある「各分野のプロジェクトのノートページ」を参考列挙するパーレン内に文言「映画であれば「プロジェクト‐ノート:映画」」を追加。

—をおこないました。問題があればお手間をかけますが編集の差し戻しか再編集をお願いいたします。
(ノートページの議論に主ページのセクションに対応した見出しがあれば あとから来た方が状況を追いやすそうかと思い、とりあえず小見出しを設置してみます。支障あれば再編集ください。)--Yumoriy会話2024年1月17日 (水) 11:13 (UTC)

ぎゃ!ごめんなさい! 上述の件、Wikipedia:修正依頼 へのリンクは、すでに「整理の人手や助言が欲しい場合」節の末尾にありました(「・「Wikipedia:執筆・翻訳者の広場」または「Wikipedia:修正依頼」。」と記載)。見落としていました…。なお、当該記述について、
  • 順序を入れ替え、「Wikipedia:修正依頼」へのリンクを「Wikipedia:執筆・翻訳者の広場」へのリンクよりも前に(先に)置いたほうが良いように感じます。
    • Wikipedia:執筆・翻訳者の広場」への記事内容の整理提案の掲示も誤りではないと思いますが、当該ページの冒頭には 「執筆・翻訳者の広場は、ウィキペディアにおける執筆者・翻訳者が、ちょっとした分からないことを教え合うためのページです。」と宣言があり、記事の“過剰な内容の整理”、という特定の編集のための手引きを提供する という当ページの趣旨からすると「Wikipedia:修正依頼」への誘導を優先したほうがよい、ように思われました。(後者は明示的に「冗長すぎて読みにくい。内容過剰」な記事の編集をターゲットとして依頼を受け付けているため。)
—以上です。--Yumoriy会話2024年1月17日 (水) 11:52 (UTC)

Yumoriy氏へご協力ありがとうございました。他の方も含め、現状で特に異論が出ておりませんので現時点を最終案とし、もう1週間ほど異論がなければ合意形成に達したとみなしたいと思います。--EULE会話) 2024年2月9日 (金) 12:32 (UTC)(撤回)--EULE会話2024年2月20日 (火) 13:56 (UTC)

議論の終了告知とまとめ[編集]

下記理由から、議論の継続が不可能なことが明らかのため、いったん終了し、告知なども掲載し直した上で再始動したいと思います。

  • 主幹・本質的な部分の議論がされずに枝葉の議論のみが展開・時間浪費をした上で、主幹・本質的な部分を理由にちゃぶ台返しされる事態になっていること
    • 特に当人が意図的に本質部分の議論を避け、反対する意向も隠し、枝葉の議論に時間を掛けさせたことを明言している
  • 参加者が2人に限られている上で、枝葉の議論が多重的に並列展開された結果、新規参加者が望めない状態であること(新規参加のコストが非常に高いこと)
  • 修正した文言は基本的にそのまま再提案時の素案とする

新規議論は単純な節分けで展開する予定ですが、1週間待っても新規参加者が現れない場合は、長大に見える前段議論を把握してから参加する必要があると誤解され、猫跨ぎされている可能性などを懸念し、この前段議論を過去ログ化し、見かけの印象をすっきりさせたいと思います。もちろん、過去ログ化した場合も、その経緯などは軽く触れておきます(読みたい人は読めば良いスタンス)。また、追加文案で1つだけ経緯が異なる『「各編の登場人物」などのサブ節』の文言はいったん取り下げます。--EULE会話2024年2月20日 (火) 13:56 (UTC)