ビクトル・ハネスク

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ビクトル・ハネスク
Victor Hănescu
ビクトル・ハネスク
基本情報
国籍  ルーマニア
出身地 同・ブカレスト
生年月日 (1981-07-21) 1981年7月21日(42歳)
身長 198cm
体重 85kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2000年
引退年 2016年(最終出場年)
ツアー通算 3勝
シングルス 1勝
ダブルス 2勝
生涯通算成績 244勝316敗
シングルス 201勝244敗
ダブルス 43勝72敗
生涯獲得賞金 $4,330,340
4大大会最高成績・シングルス
全豪 2回戦(2005・09・10・14)
全仏 ベスト8(2005)
全英 3回戦(2003・09・10)
全米 2回戦(2008・10)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(2012・13)
全仏 2回戦(2012)
全英 2回戦(2005・08・09)
全米 2回戦(2005・10)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 26位(2009年7月6日)
ダブルス 92位(2012年1月30日)

ビクトル・ハネスクVictor Hănescu, 1981年7月21日 - )は、ルーマニアブカレスト出身の男子プロテニス選手。ATPツアーでシングルス1勝、ダブルス2勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス26位、ダブルス92位。身長198cm、体重85kgの長身選手。

来歴[編集]

ハネスクは7歳からテニスを始めたきっかけについて、自ら「7歳の時、バスケットボールのクラブに入りたくなった。背は高かったが(バスケットボールをするには)まだ幼すぎると言われ、すぐ近くにあった2面のテニスコートを見て、代わりにテニスを始めた」と話している。2000年に19歳でプロ入り。2001年から男子テニス国別対抗戦デビスカップルーマニア代表選手に選ばれ、以来11年連続で団体戦出場を続けている。2003年全仏オープン4大大会に初出場し、全仏とウィンブルドン選手権の2大会連続で3回戦に進出した。この後2004年アテネ五輪でオリンピック初出場を果たす。

ビクトル・ハネスクが世界的な知名度を獲得したのは、2005年全仏オープンのベスト8進出である。当時世界ランキング90位だったハネスクは、4回戦でダビド・ナルバンディアンを6-3, 4-6, 5-7, 6-1, 6-2で破る勝利を挙げた後、第1シードのロジャー・フェデラーに2-6, 6-7, 3-6のストレートで敗れた。ところが、デビスカップ2006ワールドグループ1回戦で、ハネスクはアメリカ代表との対戦中に腹部の靱帯断裂を起こしてしまい、第3試合のダブルスを途中棄権した[1]。同時に背中の故障を患った彼は、2006年5月から長期間の戦線離脱を経験し、世界ランキングも大幅に下降した。デビスカップ2007ワールドグループ・プレーオフで、ルーマニア代表は対日本戦のため大阪府門真市なみはやドームでプレーしたことがある。ハネスクは鈴木貴男との第1試合で敗れたが、最終第5試合で添田豪に6-3, 5-7, 7-6, 7-6で勝利し、ルーマニアはワールドグループ残留を決めた[2]

2008年夏、ハネスクはついに男子ツアーのタイトルを獲得し、7月第1週のスイス・オープン・グシュタード決勝でイーゴリ・アンドレエフを破ってシングルス初優勝を決めた。翌週のオーストリア・オープンでは、ジェームズ・セレターニと組んでダブルス初優勝を達成する。2度目のオリンピック出場となった北京五輪では、シングルスガエル・モンフィスとの2回戦に進んだ。2009年全仏オープンで、ハネスクは初めて第30シードに選ばれ、4年ぶりの全仏4回戦に進出した。3回戦で地元フランスの第7シードのジル・シモンを6-4, 6-4, 6-2のストレートで破ったが、4回戦ではフェルナンド・ゴンサレスに2-6, 4-6, 2-6で完敗し、4年ぶりの準々決勝進出はならなかった。

ハネスクは2016年6月に地元ルーマニアの下部大会に出場したのを最後に公式戦出場から遠ざかっている。

ATPツアー決勝進出結果[編集]

シングルス: 5回 (1勝4敗)[編集]

大会グレード
グランドスラム (0-0)
ATPワールドツアー・ファイナル (0-0)
ATPワールドツアー・マスターズ1000 (0-0)
ATPワールドツアー・500シリーズ (0-0)
ATPワールドツアー・250シリーズ (1-4)
サーフェス別タイトル
ハード (0-0)
クレー (1-4)
芝 (0-0)
カーペット (0-0)
サーフェス別タイトル
屋外 (1-4)
室内 (0-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2007年9月16日 ルーマニアの旗 ブカレスト クレー フランスの旗 ジル・シモン 6–4, 3–6, 2–6
優勝 1. 2008年7月13日 スイスの旗 グシュタード クレー ロシアの旗 イーゴリ・アンドレエフ 6–3, 6–4
準優勝 2. 2009年7月12日 ドイツの旗 シュトゥットガルト クレー フランスの旗 ジェレミー・シャルディー 6–1, 3–6, 4–6
準優勝 3. 2010年4月11日 モロッコの旗 カサブランカ クレー スイスの旗 スタニスラス・ワウリンカ 2–6, 3–6
準優勝 4. 2011年5月21日 フランスの旗 ニース クレー スペインの旗 ニコラス・アルマグロ 7–6(5), 3–6, 3–6

ダブルス: 4回 (2勝2敗)[編集]

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2005年9月18日 ルーマニアの旗 ブカレスト クレー ルーマニアの旗 アンドレイ・パベル アルゼンチンの旗 ホセ・アカスソ
アルゼンチンの旗 セバスティアン・プリエト
3–6, 6–4, 3–6
優勝 1. 2008年7月14日 オーストリアの旗 キッツビュール クレー アメリカ合衆国の旗 ジェームズ・セレターニ アルゼンチンの旗 ルーカス・アーノルド・カー
ベルギーの旗 オリビエ・ロクス
6–3, 7–5
準優勝 2. 2009年7月13日 ドイツの旗 シュトゥットガルト クレー ルーマニアの旗 ホリア・テカウ チェコの旗 フランティシェク・チェルマク
スロバキアの旗 ミハル・メルティナク
5–7, 4–6
優勝 2. 2011年2月16日 メキシコの旗 アカプルコ クレー ルーマニアの旗 ホリア・テカウ ブラジルの旗 マルセロ・メロ
ブラジルの旗 ブルーノ・ソアレス
6–1, 6–3

4大大会シングルス成績[編集]

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 通算成績
全豪オープン A A 1R 2R 1R 1R 1R 2R 2R 1R 1R 1R 2R A 4–11
全仏オープン LQ 3R 2R QF A 1R 2R 4R 3R 2R 1R 3R 1R LQ 16–11
ウィンブルドン A 3R 1R 2R A A 2R 3R 3R 2R A 1R 1R LQ 9–9
全米オープン A 1R 1R 1R A A 2R 1R 2R 1R A 1R LQ A 2–8

脚注[編集]

外部リンク[編集]