ハービー・ピーカー

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ハービー・ピーカー
Harvey Pekar
Pekar small.jpg
誕生 (1939-10-08) 1939年10月8日[1]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オハイオ州クリーブランド
死没 (2010-07-12) 2010年7月12日(70歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オハイオ州クリーブランドハイツ
職業 漫画原作者事務員文学評論家音楽評論家
国籍 アメリカ人
ジャンル アンダーグラウンド・コミックス
オルタナティヴ・コミック
主題 自伝
代表作アメリカン・スプレンダー
Our Cancer Year
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ハービー・ローレンス・ピーカー(Harvey Lawrence Pekar、1939年10月8日 - 2010年7月12日) はアメリカのアンダーグラウンド・コミック原作者、音楽評論家。自伝的なコミック作品『アメリカン・スプレンダー』で知られる。同作は2003年に同題で映画化され、好評を博した。

クリーブランド桂冠詩人」、「ラストベルト吟遊詩人」と呼ばれ[2][3][4][5]、「グラフィックノベルの――あるいは絵によるメモワールの、もしくは自伝的なコミック表現の――鑑賞と認識のされ方を変えるのに貢献した」[6]と評される。ピーカー自身は自作について以下のように語った。「起こった通りに書いた自伝だ。テーマは死なないこと、仕事に就くこと、一緒に暮らす女を見つけること、居場所を探すこと、創造性のはけ口を見つけること、そんなところだな。人生は消耗戦だ。すべての前線で戦いを続けなければならない。一つを倒しても終わりは来ない。俺は混沌の世界で意志を通そうとした。負け戦だ。だが退くわけにはいかない。やめようと思ったこともあるが、しかしどうしてもだめなんだ」[7]

生涯[編集]

ハービー・ピーカーと弟アレンはオハイオ州クリーブランドに生を受けた。父サウルと母ドーラはポーランドのビャウィストクからの移民であった。サウルはタルムード学者で、キンズマン・アベニューに所有する食料品店の階上に自宅を構えていた[8]。生まれ育った環境がかけ離れていたこともあり、仕事がすべてであった両親との関係は親密とはいえなかった。しかし、ハービーは「二人の互いへの献身には目を見張るものがあった。愛情と讃嘆が溢れていた」と述べている[9]

幼少期に初めて身につけた第一言語はイディッシュ語である。ハービーはイディッシュ語で文字を学び、小説を読むことを覚えた[10]。6歳の時からコミックブックを読み始めたが、数年のうちに陳腐な話の繰り返しだと感じて興味を失った[11]

幼少期には友達がいなかったという[12]。かつては近隣の住人は白人だけだったが、1940年代にはほとんど黒人と入れ替わっていた(ホワイト・フライト)。残されたわずかな白人の子供として、ピーカーはたびたび暴力を受けた。後に振り返ったところでは、この時期の体験を通して「根深い劣等感」を植え付けられた一方で[13]、「一目置かれるケンカ屋」へと成長したという[13]

1957年にシェーカーハイツ高校を卒業し、ケース・ウェスタン・リザーブ大学に進学したが、1年で退学した[8]。その後海軍に入隊したが、極度の不安により審査を通過できず除隊し、故郷のクリーブランドで低所得の職を転々とした。後にクリーブランドの退役軍人局病院でカルテ整理係の職に就き、コミック作家として名声を得てからもその仕事を続けた。2001年に退職するまで昇進を拒み続けたという[8][13]

ピーカーは3度結婚している。作家で教育者だったカレン・デラニーとの婚姻関係は1960年から1972年まで続いた[14]。3人目の妻ジョイス・ブラブナー(Joyce Brabner)とは死去までの27年を共に過ごした。二人は養女ダニエル・バートンとともにオハイオ州クリーブランドハイツに居住していた[15][16]。ブラブナーは社会活動家でコミックブック原作者としても活動している[14][17]。ピーカーとブラブナーが共作したグラフィックノベル『アワー・キャンサー・イヤー』は、リンパ腫に罹患したピーカーが苦しい闘病生活の末に回復する体験を描いた作品である。

執筆活動[編集]

『アメリカン・スプレンダー』[編集]

ピーカーが自伝的コミックブックシリーズ『アメリカン・スプレンダー』("American Splendor"、「アメリカの輝き」)を書き始めた契機はロバート・クラムとの交友であった。クラムがクリーブランドに在住していた1960年代半ば、ともにジャズレコード愛好家であった二人は親交を結んだ[18]。クラムのアンダーグラウンド・コミック作品を読んだピーカーはコミックスという表現形式の可能性に気付いたという。「映画にできることは何でもコミックスがやってのけられるのがわかった。それで俺もやりたくなったんだ。」[19]それが実現するのには10年を要した。「10年くらいはコミックスを作るための理論固めをしていた」[20]

1972年ごろ、ピーカーは何遍かの作品のコマ割りを行い、棒人間の絵を描き入れて、クラムとロバート・アームストロング英語版に見せた。乗り気になった二人は作画を行うことを申し出た。ピーカーとクラムが制作した1ページ作品「クレイジー・エド」("Crazy Ed")はクラムの作品集『ピープルズ・コミックス』("The People's Comics")の裏表紙を飾った。これがピーカーのコミックスデビュー作となった。後に『アメリカン・スプレンダー』第1号が発行されるまで、ピーカーは「クレイジー・エド」をはじめとして様々な形式でコミック作品を発表した。

  • 「Crazy Ed」、作画ロバート・クラム、『The People's Comics』収録(ゴールデンゲート、1972年)
  • 「A Mexican Tale」、作画グレッグ・バジェット英語版、『Flaming Baloney X』収録(プロパガンダ、1975年ごろ)
  • 「It Pays to Advertise」「Ain' It the Truth」「The Boys on the Corner: A Good Shit Is Best」、作画ウィリー・マーフィー英語版、『Flamed-out Funnies』第1号収録(リップオフ・プレス、1975年8月)
  • 「The Kinsman Cowboys: How'd Ya Get Inta This Bizness Ennyway?」、作画グレッグ・バジェットとゲーリー・ダム英語版、『Bizarre Sex』第4号収録(キッチンシンク・プレス英語版、1975年10月)
  • 「Famous Street Fights: The Champ」、作画ロバート・アームストロング、『コミックス・ブック英語版』第4号収録(キッチンシンク・プレス、1976年2月)
  • 「Don't Rain on My Parade」、ロバート・アームストロング、『Snarf』第6号収録(キッチンシンク・プレス、1976年2月)

1976年5月には自費出版によるコミックブックシリーズ『アメリカン・スプレンダー』第1号が発行された。アーティストとしてクラム、ダム、バジェット、ブライアン・ブラム英語版が制作に参加した。故郷クリーブランドの高齢化が進む区域に住むピーカーの日常を描く作品であった。第1号は赤字であったが、年月とともに売れ行きは上がり、90年代の終わりには毎号1万部を発行するようになった[11]

シリーズの作画を長く務めた著名なアーティストにはクラム、ダム、バジェットのほかスペイン・ロドリゲス英語版ジョー・ザベル英語版ゲリー・シャムレー英語版フランク・スタック英語版、マーク・ジンガレッリ、ジョー・サッコがいる。2000年代にはディーン・ハスピエル英語版ジョシュ・ニューフェルド英語版がレギュラーとして作画を担当した。このほかにピーカーと共作したアーティストには、ジム・ウッドリング英語版チェスター・ブラウン英語版アリソン・ベクデル英語版ギルバート・ヘルナンデス英語版エディー・キャンベル英語版デヴィッド・コリアー英語版ドリュー・フリードマン英語版ホー・チェ・アンダーソン英語版リック・ギアリー英語版エド・ピスカー英語版ハント・エマーソン英語版ボブ・フィンガーマン英語版、ブライアン・ブラム、アレックス・バルトがいる。そのほか、ピーカーの妻ジョイス・ブラブナーやコミック原作者アラン・ムーアなど、職業的なアーティスト以外の人物も作画を担当している。

『アメリカン・スプレンダー』コミックブックシリーズに書かれた作品は数多くの作品集やアンソロジーに収録されている。

映画版『アメリカン・スプレンダー』以降[編集]

2003年、『アメリカン・スプレンダー』を原作とする同題の映画が公開された[21]。監督はロバート・プルチーニ英語版シャリ・スプリンガー・バーマン英語版、ピーカー役を主演したのはポール・ジアマッティである。ピーカー自身と妻ブラブナーもゲスト出演した。ピーカーは『アメリカン・スプレンダー: アワー・ムービー・イヤー』で映画の公開による生活の変化を描いた。

2006年、DCコミックスインプリントであるヴァーティゴ英語版から全4号の『アメリカン・スプレンダー』ミニシリーズが発行され、ペーパーバック本『アメリカン・スプレンダー: アナザーデイ』にまとめられた[22]。2008年には同じくヴァーティゴから『アメリカン・スプレンダー』の「第2シーズン」と単行本『アメリカン・スプレンダー: アナザーダラー』が発行された。

これらの自伝的作品に加え、ピーカーは多数の伝記を書いている。最初の伝記作品『アメリカン・スプレンダー: アンサング・ヒーロー』(2003年)は、退役軍人局病院で共に働くアフリカ系の同僚、ロバート・マクニールのベトナム戦争体験を題材にしたものである。

その他のコミック作品[編集]

WonderCon英語版2005(サンフランシスコ)を訪れたハービー・ピーカー。

2005年10月5日、DCコミックスのインプリントであるヴァーティゴからハードカバーでピーターの自伝『ザ・クイッター』("The Quitter"、「腰抜け」)が刊行された。作画はディーン・ハスピールが担当した。同作はピーカーの青年時代を詳細に描いた作品である。

2006年、OverheardinNewYork.comを立ち上げた作家マイケル・マリスの伝記、『エゴ&ハブリス: ザ・マイケル・マリス・ストーリー』がバランタイン社英語版ランダムハウス傘下)から出版された[23]

ピーカーは『ベストアメリカンコミックス2006』に最初のゲスト編集者として参加した。同書はホートン・ミフリン英語版が刊行するベストアメリカンシリーズで初めてのコミックス作品集である。

2007年6月、大学生のヘザー・ロバーソンおよびアーティストのエド・ピスカーとの共作で『マケドニア英語版』を刊行した。同作はロバーソンのマケドニア研究に基づいている[24][25]

2008年1月、新作の伝記『スチューデンツ・フォー・ア・デモクラティック・ソサエティ: ア・グラフィック・ヒストリー』をヒル&ワン英語版から刊行した。

2009年3月、エド・ピスカーのアートで『ザ・ビーツ』("The Beats")を刊行し、ジャック・ケルアックアレン・ギンズバーグなどビート・ジェネレーションの歴史を描いた[26]。2009年5月にはスタッズ・ターケル英語版の『Working』(邦訳『仕事(ワーキング)!』1983年刊)の漫画化『Studs Terkel's Working: A Graphic Adaptation』が刊行された。

2009年からは『スミス』誌のウェブサイト上でウェブコミックシリーズ『ザ・ピーカー・プロジェクト』を連載した[27]

2011年にはイディッシュ語イディッシュ文化を多面的に描いたアンソロジー『Yiddishkeit』がピーカー、ポール・バエレ英語版、ハーシェル・ハートマンの共同編集でアブラムス・コミカーツから刊行された。同書には過去にピーカーと共作したアーティストが多数参加した。

芸能、評論、その他の活動[編集]

コミック作品の成功を受けて、1986年10月15日に『レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』にゲストとして招かれた。それ以後もたびたび同番組に出演し、短期間に5回の再登場を果たした。ピーカーとレターマンとの口論は人気を集め、特にゼネラル・エレクトリック社によるNBC経営権の取得を巡る論争は評判となった。中でも白熱した1988年8月31日放映回では、ピーカーがレターマンをGE社の宣伝マンのようだと罵ったのに対し、レターマンはピーカーが子供だましの読み物を宣伝に来たと応酬し、二度と出演させないと宣言した[4]。しかし、1993年4月20日放映回でピーカーは同番組に復帰し、1994年には『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』にも登場した[28]

ピーカーは熱心なレコード・コレクターであり、20歳ごろからフリーランスでジャズの批評を行っていた[11]。批評家としてはジャズ黄金時代の著名なプレイヤーを専門としていたが、メインストリームから外れたバース(Birth)、スコット・フィールズ英語版フレッド・フリスジョー・マネリ英語版のようなアーティストの擁護者でもあった。1990年代の初めには、『ロサンゼルス・リーダー』、『ザ・レビュー・オブ・コンテンポラリー・フィクション』、『ウッドワード・レビュー』のような定期刊行物で文学批評を行った[要出典]。公共ラジオで放送された随筆によって賞を受けたこともある。また2000年にはアラン・ツヴァイク英語版によるレコード収集についてのドキュメンタリー映画ビニール英語版』に出演した[29]。2007年8月には、アンソニー・ボーディンの番組『アンソニー世界を喰らう』のクリーブランドを紹介する回でピーカーが取り上げられた[30]

2009年、ジャズオペラ『Leave Me Alone!』のリブレットを書くことで演劇界へのデビューを果たした。同作はダン・プロンジー英語版の音楽が主体となっており、リアルタイムオペラとオーバリン大学の共同プロデュースにより2009年1月31日からフィニー礼拝堂で上演された[31]

2009年、『ボーン英語版』の作者ジェフ・スミス英語版の人生と作品を題材としたドキュメンタリー映画『ザ・カートゥーニスト』に出演した[32]

死去とその後の刊行物[編集]

2010年7月12日、午後一時を回ったころ、オハイオ州クリーブランド・ハイツの自宅でピーカーが死亡しているのが妻ブラブナーによって発見された[8]。死因はすぐには明らかにならなかったが[13]、10月になってカヤホガ郡検視局が過失による抗うつ剤フルオキセチンブプロピオンの過剰摂取だと判断を下した[33]。ピーカーは3度目のガン宣告を受けており、治療が始まるところだった[8]。ブラブナーによると、ピーカーは前立腺ガンのほか、気管支喘息、高血圧、抑うつに苦しんでいた[13]。墓石には生前の発言が墓碑銘として刻まれた。"Life is about women, gigs, an' bein' creative."(人生で大事なのは、女、ギグ、それとクリエイティブであることだ。)[34]

その後も遺された作品の刊行は続いている。『ハービー・ピーカーズ・クリーブランド』("Harvey Pekar's Cleveland"、トップシェルフ英語版社、2012年)はピーカーの死亡時にジョセフ・レムナントによって作画作業が進められていたものである[35]

ジョイス・ブラブナーとの共作『The Big Book Of Marriage』および『Harvey and Joyce Plumb the Depths of Depression』、またピーカー・プロジェクトの下で発表されたウェブコミックス作品にも出版計画がある[17][36]。さらにピーカーは生前、アーティストのサマー・マクリントンとともに、アメリカ人のマルクス主義者ルイス・プロイェクト(Louis Proyect)についての本を完成させていた。同書はプロイェクトが運営するブログと同じ『ザ・アンリペンタント・マルクシスト』という仮題を与えられていた。制作作業は2008年に始まっており、ランダムハウス社から刊行される予定であったが、ブラブナーがプロイェクトとの間に諍いを起こし、同書の出版を取り下げると宣告した[37]。2014年4月現在、これらの四冊の本は未だに世に出ていない。

2010年12月、ピーカーの遺稿「ハービー・ピーカー・ミーツ・ザ・シング」がマーベル・コミックのアンソロジー『ストレンジ・テールス II英語版』に収録された。同作でピーカーはスーパーヒーローザ・シングと会話を交わす。作画はタイ・テンプルトン英語版が担当した[38]

2012年10月、クリーブランドハイツ-ユニバーシティハイツ図書館にピーカーの彫像が建立された。ピーカーはこの図書館にほぼ毎日通っていたという[39][40]

評価[編集]

「私が思うに、『アメリカン・スプレンダー』についてもっとも重要なことは、どれだけ巻を重ねようと変わらない。コミックスが発展途上だったころ、[その可能性を] あれこれ言うやつはいても、本当にやろうとしたやつはほとんどいなかったということだ。

70年代の終わりから80年代の初めには、コミックスは大人のためのメディアにおさまりかえっていた。[中略] しかしそれ以前のコミックスは薄っぺらなものでしかなかった。パワー・ファンタジーだな、14歳の男の子の。それと、19歳の若者の、おっぱいとドラッグが入り乱れるファンタジーだ。[中略]

コミックスがどこまで素晴らしいものになれるか、ハービーは限界などないと信じていた。心が揺さぶられる瞬間、心が張り裂けそうな瞬間、小さくても驚嘆に満ちた瞬間を積み重ねて人生の年代記を綴る…

そしてもっとも重要なのは、ハービーがそれをやり遂げたということなんだ」

ニール・ゲイマン[41]

「クリーブランドの桂冠詩人」「ラストベルト吟遊詩人」と呼ばれ[2][3][4][5]、「グラフィックノベルの――あるいは絵によるメモワールの、もしくは自伝的なコミック表現の――鑑賞と認識のされ方を変えるのに貢献した」[6]と評される。

『アメリカン・スプレンダー』は「コミックスの歴史の中で、もっとも訴えかける力を持ち、もっとも革新的なシリーズの一つであり続けている」とされる[42]。さらにピーカーは「コミックブック形式のメモワール(回想録)」を初めて世に広めた作家でもある[43]スコット・マクラウドは、一般市民の日常を真摯に描く80年代以降の自伝的コミックスと、それ以前のアンダーグラウンド・コミックスとをつなぐ存在が『アメリカン・スプレンダー』だと評価している[6]。現在ではブログやソーシャルメディア、あるいはグラフィックノベルの形で自分の人生について表現することは一般化したが、「それが当たり前のことになる以前の70年代半ばに、ハービー・ピーカーはそのすべてをやってしまった」[43]

人物[編集]

最初に刊行された『アメリカン・スプレンダー』書籍の序文でロバート・クラムはピーカーとの交友について述べ、「典型的な自己中心主義者。何かに駆り立てられ、取りつかれたような、クレイジーなユダヤ人だ。」と評した。さらに、一切の装飾や作為を排して「現実に起こったことをありのままに伝える」ことを貫徹する意志の強さを称賛した[44]

自ら「いつも称賛と注目を求めている、正直に言うと」「自分がジャズ評論家でいることに満足できなかった。俺が他人のことを書くのではなく、他人に俺のことを書いて欲しかったんだ」と述べる[13]一方で、テレビ出演やタレント活動には興味を持っていなかった[4]。ブラブナーによると、トークショーで舌戦を繰り広げたデイヴィッド・レターマンに対しては、クリエイティブな自由のないテレビ界で才能を無駄にしていると感じていたという[4]

影響[編集]

幼少期に読んだコミックブックの中では、『プラスチックマン』や『ザ・スピリット英語版』、『キャプテン・マーベル』のようにヒーローものでもユーモアのあるものや、カール・バークスによる『ドナルドダック』が好きだったという。しかし、自身の創作への影響としては、コミックブックよりも『リトル・ルル』や『アウト・アワー・ウェイ英語版』のような日常を題材としたコミック・ストリップの存在が大きかった[45]

小説に関しては、『ユリシーズ』の内的独白から多大な影響を受けたという。またヘンリー・ミラーの文体や、ジョージ・エイド英語版の日常生活の細部への注視に惹かれると述べている[45]

受賞歴[編集]

著作リスト[編集]

邦訳[編集]

  • 『アメリカン・スプレンダー』、明浦綾子ほか(訳)、ロバート・クラム(序文)、ブルース・インターアクションズ(2004年)。4-86020-099-3
映画の日本公開直後に刊行された。

脚注[編集]

  1. ^ "United States Social Security Death Index," index, FamilySearch Familysearch.org Accessed 19 Mar 2013, Harvey L Pekar, 12 July 2010.
  2. ^ a b "Harvey Pekar Dies: Comic book writer was 'poet laureate of Cleveland'" by Marc Tracy, Tablet, July 12, 2010
  3. ^ a b Nate Jones (2010年7月13日). “The Five Best Videos of Harvey Pekar”. TIME. 2017年9月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e Michael Cavna (2017年9月21日). “How Harvey Pekar became one of David Letterman’s greatest recurring guests - The Washington Post”. 2017年9月21日閲覧。
  5. ^ a b Kevin Hoffman (2017年9月21日). “Harvey Pekar RIP: Bard of the Rust Belt”. City Pages. 2017年9月21日閲覧。
  6. ^ a b c d "HARVEY PEKAR: Remembering the man - and legacy - one year later" by Michael Cavna, The Washington Post, 7/13/2011
  7. ^ "Harvey Pekar" (obituary), The Daily Telegraph, July 13, 2010
  8. ^ a b c d e f Connors, Joanna (2010年7月12日). “Cleveland Comic-Book Legend Harvey Pekar Dead at Age 70”. The Plain Dealer (Cleveland, Ohio). オリジナル2010年8月4日時点によるアーカイブ。. http://arquivo.pt/wayback/20100804232837/http://blog.cleveland.com/metro/2010/07/cleveland_comic-book_legend_ha.html. "He was recently diagnosed with prostate cancer, and also suffered high blood pressure, asthma and clinical depression, which fueled his art but often made his life painful." 
  9. ^ Pekar, Harvey; Remnant, Joseph (illustrations) (2012). Cleveland. Zip Comics and Top Shelf Productions. p. 53. 
  10. ^ Exclusive: A Smorgasbord of Art and Comics Celebrating Harvey Pekar’s Yiddishkeit | Heeb”. Heebmagazine.com. 2012年4月24日閲覧。
  11. ^ a b c Steve Holland (2017年9月21日). “Harvey Pekar obituary”. The Guardian. 2017年9月21日閲覧。
  12. ^ Cleveland by Harvey Pekar, illustrated by Joseph Remnant, Zip Comics and Top Shelf Productions, 2012, page 42.
  13. ^ a b c d e f "Grimes, William (2010年7月12日). “Harvey Pekar, 'American Splendor' Creator, Dies at 70”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2010/07/13/arts/design/13pekar.html 
  14. ^ a b Warren Allen Smith (2011). Celebrities in Hell. Lulu.com. p. 290. 
  15. ^ Connors, Joanna (2010年7月12日). “Harvey Pekar, Cleveland comic-book legend, dies at age 70”. The Plain Dealer. Cleveland.com. 2017年9月20日閲覧。
  16. ^ Ulaby, Neda (2010年7月12日). “Harvey Pekar Dies; Authored 'American Splendor'”. NPR. 2017年9月20日閲覧。
  17. ^ a b Dave Itzkoff (2017年9月20日). “The Unsettled Afterlife of Harvey Pekar - The New York Times”. 2017年9月20日閲覧。
  18. ^ "Who is Harvey Pekar?", WKSU.org
  19. ^ Momo College
  20. ^ "Harvey Pekar", Metajam.mobi
  21. ^ IMDB Movie Page. Retrieved December 28, 2008.
  22. ^ Irvine, Alex (2008). “American Splendor”. In Dougall, Alastair. The Vertigo Encyclopedia. New York: Dorling Kindersley. p. 21. ISBN 0-7566-4122-5. OCLC 213309015 
  23. ^ The Voice of the City”. Overheard in New York. 2012年4月24日閲覧。
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  25. ^ Sequart Research & Literacy Organization Columns ? High-Low #15: Pekar, Piskor and a Preview of Macedonia”. Sequart.com. 2012年4月24日閲覧。
  26. ^ "Novel Graphics looks at Hoover, Beats, Genetics" San Diego Comicon International v2, July 13, 2006. Retrieved July 10, 2008.
  27. ^ The Pekar Project”. Smithmag.net. 2010年7月12日閲覧。
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  29. ^ SHOOTING MYSELF IN THE MIRROR: The Obsessive Cinema of Alan Zweig”. Winnipeg Film Group. 2011年2月12日閲覧。
  30. ^ Harvey Pekar Meets Anthony Bourdain”. Potrzebie.blogspot.com (2007年8月18日). 2012年4月24日閲覧。
  31. ^ NPR: Harvey Pekar Makes His Opera Debut”. NPR.org. 2014年4月16日閲覧。
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  33. ^ Galbinca, Pat (2010年10月20日). “Coroner rules that Harvey Pekar's death due to 'natural causes'”. The Plain Dealer. 2010年10月20日閲覧。
  34. ^ Findagrave.com: Harvey Lawrence Pekar
  35. ^ Top Shelf and ZIP Comics to Release Harvey Pekar’s ‘Cleveland’” (2017年9月20日). 2017年9月20日閲覧。
  36. ^ Dueben, Alex (2010年10月19日). “NYCC: Remembering Harvey Pekar”. Comic Book Resources. 2014年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月9日閲覧。 Archive version requires blocking-off text in order to make black-on-black text visible.
  37. ^ Articles tagged 'Pekar' on Louis Proyect's blog, Unrepentant Marxist”. Unrepentant Marxist. 2014年4月7日閲覧。
  38. ^ What I Bought (15 December 2010), by Greg Burgas, at Comic Book Resources; published 17 December 2010; retrieved 25 June 2014
  39. ^ [1]
  40. ^ "Harvey Pekar statue unveiled at library is tribute to the late graphic novelist from Cleveland" by Tom Breckenridge, The Plain Dealer, October 14, 2012.
  41. ^ 原文 ” I think probably the most important thing about American Splendor, in all its incarnations, is that there were very few people in the earlier days of comics prepared to put their work where their mouth was. It was all very well a medium for adults by the late ‘70s and early ‘80s. ... But before [Harvey], there wasn’t much to show. You had the power fantasies of 14-year-olds and the 19-year-old tits-and-drugs fantasies. ... Harvey believed there was no limit to how good comics could be. To chronicle his life from these tiny wonderful moments of magic and of heartbreak -- and the most important thing was that he did it."[6]
  42. ^ "The Reading Life: Harvey Pekar's Jewish question" by David L. Ulin, Jacket Copy, The LA Times, July 12, 2012.
  43. ^ a b "Graphic Memoir: The Legacy of Harvey Pekar" by JT Waldman, The Prosen People, The Jewish Book Council, July 3, 2012.
  44. ^ ロバート・クラム 「まずはじめに」『アメリカン・スプレンダー』 明浦綾子ほか訳、ブルース・インターアクションズ、2004年ISBN 4860200993
  45. ^ a b 小野耕世 (2005). アメリカンコミックス大全. 晶文社. pp. 330-342. 
  46. ^ The Harvey Awards”. The Harvey Awards. 2010年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月12日閲覧。

外部リンク[編集]