ハンプトンのビーヴェス (中英詩)

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1838年刊本の扉絵。Turnbull (編)『ハムトンのサー・べヴェス』[1][注 1]メイトランド・クラブ英語版出版会頒布本

中英詩『ハンプトンのビーヴェス卿』[注 2](ハンプトンのビーヴェスきょう、英語: Beves of Hamtoun, Beves of Hampton, Bevis of Hampton, Sir Beues of Hamtoun等)は、中英詩で1300年頃に書かれた 騎士道物語武勲詩(ロマンス)。最古本の《オーヒンレック写本》英語版では全4620行[3][4][注 3]。英国の英雄ビーヴェス卿(ビーヴィス卿英語版、べヴィス卿)の[注 4]、母国や中近東を舞台とした冒険譚。

イングランドの話材英語版(マター・オブ・イングランド)に分類される[注 5]。原話はアングロ=ノルマン語の『ブーヴ・ド・オーントン』(『Boeuve de Haumton』)で、中英詩はその意訳である[9] 。物語はウェールズ語(Ystorya Bown o Hamtwn)、ロシア語(『ボヴァ王子物語』ロシア語版[10][12]ルシン語(『ボヴァ物語』[13]Аповесць пра Баву)、イディッシュ語(『ボヴォの物語』英語版)にも翻案される[10]

あらすじ[編集]

ケルビンク編本の序の英文要約や[14][注 6]、酒見紀成[5]や簡潔な要約も参照[18][注 7]

英国の生い立ち、奴隷に売られアルメニアへ

ビーヴェスの父、ハンプトン伯爵のガイ卿は武勲を重ね高齢で晩婚したが、 若妻のスコットランド王女で、意中のドイツ皇帝[注 8]デヴォウン[?][注 9][注 10] との縁を許さない父王に命ぜられた不本意の結婚だった。彼女はビーヴェスを生むが、七歳に育つと[19]。む[20]、老夫がいやになり、ドイツ帝に暗殺させ、翌日すぐさまの再婚を決めた[21]。ビーヴェスは母を売春婦とののしり[注 11]打ちのめされ、かばった師傅(教師)サベールに預けられた[注 12]。サベールはビーヴェスの始末を仰せつかるが、誤魔化すため豚の血糊のついた衣服を用意する。計画では二週間ほどビーヴェスに羊飼いのふりをさせ、のち某伯爵に養育させ、成人後に父の領地奪還させる手筈だった。しかし館で祝宴のさわぎを聞くとがまんできなくなり、牧童杖を片手に殴り込むが、領地返還をこばむ帝王を三度殴り失神させ、逃亡。サベールは血の衣服をさしだすが騙せず、ビーヴェスは母により奴隷として異国に売り飛ばされる。ビーヴェスは中世アルメニア王国英語版[注 13][注 14] のエルミン王の厚遇を得、15歳の青年に育つ[28]

出世、ジョシアン王女との恋愛[注 15]

ビーヴェスは武勲により立身するが、罵倒して襲ってきたサラセン人兵士を返り討ちしたことで王の寵を失いかける。しかしジョシアン王女がとりなし、傷の介護までする[29]。 つぎにビーヴェスは巨大なを仕留めようと森に入るが、このときジョシアン王女に恋心の自覚が芽生える[30]。ビーヴェスは猪の首を刎ね、これを折れた槍竿に刺して帰途につこうとするが[31]、 十二人の猟場管理者におそわれるが[注 16]、槍竿で撃退する(A本では執事が二十四の騎士と十の猟場管理者を従えて襲って来て、その際に執事より名剣モルゲライ(Morgelai)を獲得する[32][注 17]。 そして猪の首を王に献上する[33]。三年程たち[35]、ダマスカス国王ブラドモンド[注 18]がアルメニアを侵攻し、 ジョシアンを妻にさしだせとせまる。エルミン王は、娘が推挙するままビーヴェスをアルメニア軍の指揮官(王旗英語版持ち)に任命し、名剣モルゲライ[注 19]を与える(A本では既に得ているので、王がこの剣で肩を叩き騎士叙勲し、佩刀させる[注 20]);王女もまた、名馬アルンデル(アロンデル[注 21])を与えた[36]

ダマスカスの俘虜に[注 22]

ビーヴェスは敵王ブラドモンドを捕獲し、エルミンの配下に従え、二人の騎士を救助して宮廷に凱旋した。ジョシアンは告白するが、ビーヴェスの受けごたえにじらされて喧嘩になってしまう。だが二人は街中で会い、彼女がキリスト教に帰依することを条件に仲直りする。口づけを交わすところを、ビーヴェスが救助した騎士が目撃し[注 23]、王女を"陵辱した"と虚偽の報告を王にする[37]。エルミン王は激怒し、ビーヴェスに手紙(彼女と姦通したという讒言)を託してブラドモンドへの伝令として差し向け、しかも名剣と名馬は置いていくように指示する[38][注 24]。 ビーヴェスはダマスカスでサラセン人の神々を罵倒し、ブラドモンドに手紙を渡すと、地中不覚の牢屋に投獄される。毒蛇などが湧くが[注 25]、槍棒で撃退する[41]

その頃、ジョシアンはモンブランのイヴォール王に無理やり輿入れさせられていた。ビーヴェスは英国に帰国して別の女性と結婚した、などと吹聴されて。しかし謀略を察した彼女は、結婚は受け入れたものの、その夫には純潔を奪われないように貞操の魔法の指輪(あるいは帯か護符)を駆使していた[注 26]。結婚式は執り行われ、 イヴォール王はモルゲライとアルンデルを贈呈されたが、 馬に振り落とされて重傷を負い、馬は厩舎に監禁された[44]

ジョシアンと再会
ビーヴィス(ビーヴェス)[注 4]とアスカパルト[注 27]の対決
—1890年の模写復刻で[45]、オリジナルはコプランド英語版が16世紀中葉に出版したいずれかの版本の木版画[46][注 28]

七年間を獄中生活後[注 29]、ビーヴェスは脱獄する[49]。追手のグランデール王を打ち負かし、その馬トランシュフィスを得る[50]。騎馬で海越えして追手を振り切ったが、 グランデールの兄だと名乗る三十フィートもある巨漢と対峙したときあっけなく馬をなくす。だが勝利を果たし、食料をせしめ、馬替えして[51]

ビーヴェスはエルサレムにいき、総主教懺悔すると、相手が清らかな乙女(処女)でなければ妻帯してはならない、という条件を命ぜられる。ビーヴェスはアルメニアに戻るつもりだったが、ジョシアンがイヴォールに嫁がされたと知りモンブランに向かう。騎士のいでたちを、聖地巡礼者英語版の衣服に取り換えて町に潜入する。ジョシアンは、最初その正体に気づかないが、ビーヴェスはじつは自分は英国の領主であり、名馬にアルンデルついても聞き及んでいるので見せて欲しいとたのむ。主人の名を聞いた[注 30]アルンデルが駆けつけ、もとの主になつくさまをみて、ジョシアンは本物のビーヴェスとの確信を得る。ビーヴェスは申し訳なさそうに、総主教の命により、もう七年間も人妻となっているジョシアンとは夫婦になれない、と告げる。ジョシアンはしかし自分は純潔を守っている、かつて誓った愛を思い起こしてほしい、と語る[52]

二人はイヴォールの留守(兄弟であるダビレント英語版[55]の王のところへ援軍引率中)をつき、駆け落ちする。イヴォールの留守を預かる配下のガルシー王[注 31]は黒魔術に長けていたが、ジョシアンの家令のボニファス[注 32]が、薬草を盛ったワインで眠らせる。ガルシー王は目覚めると魔法の指輪で状況把握し、みずから率いて追跡するが、洞窟に潜伏したビーヴェス一行の足取りを見つけ出せなかった[56]。ビーヴェスが狩りから戻ると、洞窟に二匹の獅子がおり、倒したがボニファスは手遅れだった。休む暇もなくガルシーの手下の巨人アスコパルド英語版が攻め入るが[注 27])、ビーヴェスに敗北したアスコパルドは、ジョシアンのとりなしでペイジ小姓)として一行に加わる。三人はサラセン人たちの船を強奪し欧州に向かう[61]

ジョシアンの洗礼、帰英

まずはドイツのケルンに着き、その司教サベール・フロレンス[注 33](ビーヴェスの叔父)に出会い、ジョシアンにキリスト教の洗礼を受けさせる。 アスコパルドには、わざわざ大型の洗礼盤を作らせたのだが、溺れてしまうと言いわけして洗礼を受けなかった[62]。ビーヴェスは、ケルンに住み着いた毒竜と戦う。竜も恐れる聖なる井泉のおかげで夜はいったん停戦し、竜はく毒に冒されてらい病者のようにただれても復活して、竜を斬首して仕留める[63]。ビーヴェスは意を決し、英国で継父デヴォウン[?]と戦っているサベールと合流することにし、ジョシアンを後に残す[64]。ビーヴェスはフランスの騎士ジェラルドと正体を偽り、ドイツ皇帝(継父デヴォウン)をだまして武具や馬を借り受け[65]、ワイト島のサベールに運輸。皇帝は、偽のジェラルドはビーヴェスであったと伝えた伝令に怒りのナイフを投げ、あやまって自分の息子を傷つける[66][67]

ケルンではジョシアンにミルズ伯[注 34]に言い寄り、偽造の書簡でアスコパルドをおびきよせて捕らえ、結婚をせまる[68]。しかし挙式の初夜、ジョシアンは相手を帯(タオル)[注 35]で絞め殺す。[69]。樽詰めの火刑[注 36]に処されるところを、アスコパルドとビーヴェス(モルゲライを持ち、アルンデルに乗る)で救い出し、ワイト島へ脱走する[70]

ワイト島を拠点とするサベールやビーヴェスたちをドイツ皇帝と、その義父スコットランド王の連合軍が襲う[71]。敵方にいる継父(皇帝)は、一騎討でビーヴェスが落馬させるも討ち漏らした。しかしアスコパルドの活躍でスコットランド王は戦死、皇帝も捕虜に。皇帝は溶解した鉛を入れたに投じられて死ぬ。ビーヴェスの母親は投身自殺。ビーヴェスとジョシアンはケルン司教を呼び寄せて挙式[72]

ビーヴェスはアルメニアに復帰、アスコパルドの裏切り[注 37]

ビーヴェスが旧領の領主たることを英国王エドガーが認知し、その能力を見込んで元帥に任命する[73]。しかしビーヴェスがアロンデルで競馬に勝ち、馬にちなんでアルンデル城を建てると[74][77]、王子が馬を欲しがり、盗み出そうとして馬に蹴られて落命する。王はビーヴェスを絞首刑にといきまくが、臣下は馬の殺処分が妥当といさめる。しかしビーヴェスは馬を失うならば、自分が英国を去ると提案し、領地をサベールに移譲する。そして身重な妻をともない、彼女の祖国アルメニアを目指す。しかしこのときアスコパルドに逆心がめばえ、モンブランのイヴォール王への忠義をとりもどす[78][79]。ジョシアンが森で産気づき、仮の小屋で双子(ミルズとガイ)を産んだ直後、 アスコパルドが彼女を拉致してしまう[80][注 38]。ビーヴェスは息子らを森林官[注 39]と漁師に預けての養父とさせ、ジョシアンの探索に旅立つ[18][83][注 40]。サベールは夢のお告げで、ビーヴェスの身内に危機を救わねばと旅立ち、 アスコパルドを殺してジョシアンを取り戻す[注 41]。 しかしビーヴェスを探し当てるまで7年間の放浪をついやした[18][87]。 ビーヴェスはアルメニアのエルミン王と和解し、イヴォールの侵略戦争に対して助勢する[88]。 エルミン王は死ぬまぎわ、孫(ビーヴェスの子)ガイを次王にと遺言する(そしてビーヴェスとガイはアルメニア国をキリスト教化する[89][90][18])。アルンデルがイヴォールの手下に盗まれ[91]、英国に帰国していたサベールはまたもや夢で危難を察し、異教徒の地に舞い戻り馬の奪還を果たす。サラセン人の追跡隊の危機が迫るが、ビーヴェスの子らが追手を平らげる[92]。ビーヴェスはイヴォールとの戦を再開し、勝利して[93]、モンブラン国の国主となる。一家は英国でサベールの息子が継いだ領地をエドガー王が召し上げたことに憤り、報復しに戻る[94]。王は謁見の後に領地回復もいとわなかったが、執事が強硬派を貫き[95]、 ロンドンのチープサイ英語版で民衆を扇動し、ビーヴェス捕獲を呼びかけた[96]。ビーヴェスはロンドン市民と紛争になり[97]、ロンドンにてビーヴェス死す、の誤報が家族に届き、息子らはロンドンの門(ラドゲート英語版[98])で逆らう者ことごとくを殲滅した[99](異本では息子のガイはアロンダイト(正しくは"Aroundight")という剣をふるう、などの脚色が見える[注 42][101])。 ビーヴェスの救出がかない、祝いの祭典をおこなう[102]。エドガー王は講和のために、ミルズに一人娘を嫁がせ王位の後継者の道筋をつける。ビーヴェス、ジョシアン、ガイは、再び東洋に向かい、アルメニア国、モンブラン国を統治する。 二十年たち、ビーヴェスとジョシアンは抱き合うようにして亡くなった[103][89]

写本[編集]

「ビーヴェス」(A写本)冒頭の物語イニシアル()「L」の字[注 43])
—オーヒンレック写本176r葉[104]

「ビーヴェス」は、数多くの写本や初期版本に残されており、ロマンスとしての人気度を窺わせる[105][106]。残存する書写本は:[15][4]

A本:エジンバラ スコットランド国立図書館英語版Advocates' 19.2.1 写本(オーヒンレック写本英語版)。1330-1340年頃[107]

S本:ロンドン、大英図書館エガートン英語版2862写本 (Sutherland MS./Trentham MS.)。14世紀末ないし15世紀。

N本:ナポリ国立図書館英語版蔵XIII.B.29写本。1450年代。

E本:ケンブリッジ、ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジ蔵175/96写本。1450-1475年。およそ前文の1/3が残存。

T本:ケンブリッジ、トリニティ・カレッジ蔵O.2.13写本。 15世紀中葉~末期。245行の断片。

B本:オックスフォード、 ボドリアン図書館蔵Eng. Poet. D.208写本。 15世紀中葉~末期。二つの短い断片

M本:マンチェスター、チェサムズ図書館英語版蔵8009写本。1470–1480年頃。

C本:ケンブリッジ、ケンブリッジ大学図書館英語版蔵Ff.2.38写本。15世紀末~16世紀初頭[109]

書写本(手稿)や版本から、おおむね4つの系統(A系、C系、 SN系、初期版本系)があることが判明する。最古の中英語の祖本は失われているが、いずれの系統が祖本に最も近いかは断じ難い。すなわちテキストの継承が複雑であり、よって『ビーヴェス』の編集作業は困難極まると定評がある[110]

初期版本[編集]

1630版本の一頁

『ビーヴェス』の版本は、1498年以前には既に刊行されていたことが確定している[111]。そして1500年頃~1533年頃の期間に少なくとも6版が刊行されている[112]。そのうちリチャード・ピンソン英語版版(1503年頃)は、ほぼ完全本[113]だが(タイトル頁とテキスト3葉が欠ける[112][114])、ジュリアン・ノータリー(Julian Notary)が推定版元の2つの版も、ウィンキン・デ・ウォード英語版が推定版元の3つの版も欠損本(断片)でしか伝わっていない[112][115] 。ピンソン版本は、12の木版画が使われ、O本の略称される[116][注 44]

ウィリアム・コプランド英語版による初版は、1560年頃と推定され(Cp本)[118]、完全本としては最古で[113][112]、木版画は8点あり[118]、コプランドの第2版は、1565年頃と推定され(Q本)、木版画は12点あった[119][注 45][注 46]。その後、1667年までの期間に様々な版元より9つの版本が出され、数年の断続のあと、アバディーン市で1711年頃にまた再版された[112]。16世紀初頭、『ビーヴェス』は人気絶頂のロマンス文学のひとつで、聖書訳者のウィリアム・ティンダルが、この類の本の氾濫について"ロビン・フッドやビーヴィス・オブ・ハンプトン、ヘラクレス、ヘクトル、トロイルスにまつわる千もの愛やら淫乱の物語やら寓話やら"と、ぼやくほどであった[122]。『ビーヴェス』の人気は、やがてエリザベス朝ステュアート朝初期に入っても持続するほど例外的で、他の中英語ロマンスは1570年以降、韻文体作品として刊行されることは絶えてしまっており、スペイン産のロマンスの流行に淘汰されていた[123]

しかし『ビーヴェス』も、17世紀後半や18世紀初頭に至ると、韻文体ではなく散文翻案されたものがチャップ・ブック形式で刊行されるようになった。原作の詩の粗筋に、おおよそ沿っているが、新たなエピソードやキャラクターが加わった例も、『The Famous and Renowned History of Sir Bevis of Southampton』(1689年)などにみられる[124]。 チャップ・ブック晩は大衆本であり、子供向けにも読まれたことは、18世紀の随筆家リチャード・スティール英語版[注 47]も書き残している[126]。しかし18世紀中葉を境に、『ビーヴェス』への興味は薄れ、1775年版の再版本では、本作品は"ごくわずかしか知られていない"、と紹介されている[127]

韻文体[編集]

『ビーヴェス』主に脚韻をふんだ二行連形式で書かれているが、冒頭には 尾韻英語版と言って aabccb 形式が使われる[注 48]AEC本では、最初の474行が基本的に6行1組の尾韻形式で、12行詩節の形式(aabccbddbeeb)や[注 49]、別の六行詩形式(aabaab)[注 50]もときおり織り交ぜられる。SN本では528行目まで尾韻で、既存のに二行連に尾行を追加するという単純作業がおおむね行われている。中英語尾韻ロマンスとしては、知られる限り最古例である[128][129]

共通話素[編集]

ビーヴェスが猪狩りで猟場管理者(森番)に襲われる場面では、猪の頭を奪い手柄を横取りする動機があったが{{efn|イノシシ狩りの"名誉 honours"が動機だと、後年の稿本にみえる[130]A本では執事がそれまでビーヴェスが気づきあげた実績を総横取りする魂胆だった[131]。 同様のモチーフは、武勲詩『レーヌ人ガラン』フランス語版の「ベゴンの死」の場面に見られ、フランス語版『ビーヴェス』との粗筋の共有の可能性が指摘されている[132]

17世紀の英文学も、ビーヴェス物語を骨子にした創作が存在する( § 早期研究参照)。

影響[編集]

ビーヴィス/べヴィス卿[注 4]とジョシアンがアスカパルト[注 27]を率いる様子。ジョン・フレデリック・テイラー英語版(1809年没)による挿絵の色付け版
—復刻本 『The Home Treasury of Old Story Books』(1859年)より[注 51][133][136]

『ビーヴェス』のC'本かM本に関連性がある稿本が、初期近代アイルランド語英語版に翻案された物語の祖本となったと考えられる。このアイルランド語版は、唯一の手写本が現存しており、題名はないが今では通称『Bibus』で呼ばれる。アイルランド語『Bibus』は中英語の作品にくらべると抄本の散文訳である[137]

チョーサーはその「トパス卿の話」英語版において「ビーヴェス(Beves)」その他の詩を"けだかいロマンス romances of prys" と評している(899行目[138][139][4][140][141]のみならず、「トパス卿の話」の冒頭文が酷似していてビーヴェス物語の模倣と推察されている[142][138][注 52]

スペンサーは、ビーヴェスで得たモチーフを、特に『妖精の女王』第一巻〈赤十字の騎士>(聖ジョージ)の竜退治の場面で用いているとされる[143]。また同時代のリチャード・ジョンソンの『キリスト教圏の七勇士』(1596–97年)における聖ジョージと竜も、ビーヴェスの作品が流用されている[144][145]

シェイクスピア作『ヘンリー八世』第1幕、第1場面にも、王の(演出された)活躍がすさまじく、昔の架空ロマンスのビーヴェス物語も史実として信じてしまえそうだ、という台詞がある[注 53][146][147][注 54]ベン・ジョンソンの詩や戯曲[注 55][148]や、のちのヘンリー・ヴォーン英語版に言及される[注 56][149]マイケル・ドレイトン英語版『ポリ=オルビオン』英語版第二部も、ビーヴェスと巨人アスコパルトの物語を再話している[150][151]

ジョン・バニヤンは『地獄からのわずかな嘆息 A Few Sighs from Hell』(1658年)において、自分の若い頃は信心深くなく聖書よりも「サウザンプトンのビーヴィス」などの世俗的文学に愛着があったと明かしている[注 57]。また、その代表作『天路歴程 Pilgrim's Progress』にも、ビーヴィス物語の粗筋の話素がいくつか織り込まれていると考察される[152][153][154]

ウォルター・スコットは若かりき頃(1801年)、上述のチョーサーの評をもじって、「'けだかいロマンス'のひとつな割には、僕が熟読しようとしたなかでもっとも退屈だった」[注 58]などと友人のジョージ・エリス英語版への書簡で漏らしていた。しかしながら、スコットの熟年の作品では、幾度となくビーヴィスを騎士道的英雄の鑑のように伝えている[155]

ダニエル・デフォーは、主人公のご当地のハンプシャー州に旅した時、この中英詩が文学のみならず民間伝承(フォークロア)に影響している、と実感した。「サウサンプトンのビーヴィスの寓話や、この[サウサンプトン]界隈の森に住む巨人やらとかが、何に発祥したかはわからないが、私の感触では、ここいらの人々はそれらを事実として通してしまいがちのようだ」と述べている[157]。( § 英国の史跡も参照)。

『ビーヴェス』の物語は英語の言語にも痕跡をのこした。"人手が多ければ仕事は楽になる many hands make light work"や、 "盗人を絞首刑から救ってやったとと、決して愛しはしてくれない save a thief from the gallows and (he will never love you) "などの格言の最古例とされている[158][159]。 ビーヴェスの剣モルゲライ(モーグレイ)も、英語では「剣」を意味する換言的な普通名詞として16から17世紀初頭に使われた[160][注 59]

英国の史跡[編集]

「ビーヴィスの親指 Bevis's Thumb」とも呼ばれることがある墳丘墓が、ハンプシャー州とウェストサセックス州の境の コンプトン英語版に在している。他にも「ビーヴィスの墓」と呼ばれる墳丘墓が2基、ハヴァント近郊とアランデル城の近くにそれぞれ所在する。17世紀頃よりビーヴィスが築造したという伝説がまつわるアランデル城では、伝・ビーヴィスのモルゲライ(モーグレイ)が展示されてきた。1.75m の長剣である。また、19世紀までボザム英語版小教区では、ビーヴィスが近くの入江を泳ぎ渡るときに用いたという長棒が展示されていた[162][156]

かつてサウサンプトンの旧門バーゲート英語版の両脇にも、ビーヴィスとアスカパルトのパネル絵("Bevis and Ascupart Panels" )が飾られていた。1881年に、修復のため屋内に撤去されたが、現在も当地の歴史博物館に残される。このパネル絵については、、最古では1635年の記載が知られる[163]

早期研究[編集]

『ビーヴェス』のロマンス物語が研究者や大衆の注目をふたたび浴び始めたのは、18世紀中葉、中世英文学のリヴァイヴァル時代のことである。トーマス・ウォートン (詩人)英語版は評論家として、スペンサーの『妖精の女王』がビーヴェスや、『キリスト教圏の七勇士』などのロマンスより派生したと発表した[注 60]、この『七勇士』の刊行は『妖精の女王』より後年であったが[注 61]、『七勇士』の第1部も『ビーヴェス』換骨奪胎した作品であるという分析を知人のトマス・パーシー司教英語版がしめした[注 62][164]。パーシーはまた、シェイクスピアの『リア王』の台詞の数行が、『ビーヴェス』よりの剽窃であることを見抜き、その著書 『Reliques of Ancient English Poetry』に注釈している[165][注 63][注 64]

トマス・ティリット英語版[注 65]、『ビーヴェス』がそもそも英国で成立したロマンスで、あるいは英国人がフランス語で書いたものとしたが[171] しかし、ティリットを参照したジョセフ・リトソン英語版は、フランスでの創作説を支持していた[172]

上述の ジョージ・エリス英語版は中英語ロマンスの梗概・抜粋を収録した『Specimens of Early English Metrical Romances』(1805年)[注 66]で、『ビーヴェス』の中文要約を記載している。底本はE 本及びピンソンの版本であった[174][175]。エリスは、スコット宛ての書簡で、チョーサーはおそらくビーヴェスを祖本かそれに近い形(要するにA 本)で読んだろう、と意見した。実際、近年の研究ではチョーサーがオーヒンレック写本(A)を知っていた傍証が強いとされる[176]。1831–32年冬、 スコットは N 本をナポリの王立図書館で見つけ、その書写を依頼して本国スコットランドにとりよせた[177]

1838年には、 若きウィリアム・バークレー・ターンブル英語版編の『Sir Beves of Hamtoun』の版本が、メイトランド・クラブ 英語版で刊行された。A本を底本とする[1]。学術的な版本をめざした初の試みであったが、注釈も語彙釈義がなく、正確性に欠けると批判された[178]。やがてのち、ドイツの言語学者オイゲン・ケルビンク 英語版A本および異本を比較対照させた批判校訂版を刊行した[112]

批評[編集]

編者のオイゲン・ケルビンクは中英詩『ビーヴェス』についてレオポルト・フォン・ランケを引いて「(まったくもって)厳めしい、しかつめらしくすらある、その響き(感性)」と評したが[180]、これは作者が"見受けられるからに活力をこめて書いた"[注 67]作品はずだったのに、ドイツの学者はそのような見方で鑑賞できなかった、とアルバート・C・ボー英語版は説明する[181]。ボー自身の批評は、"『ビーヴィス・オヴ・ハンプトン』は、中世ロマンスとしては、特注すべきような例ではない。型通りのモチーフやエピソードで構成されている...エピソードの展開(表現)技法は、粗雑で低練度である。このロマンスが一目おかれるのは主として、その熱気あふれるさま、その一風きわどく浮き気分な作風、あえてあけすけなユーモアで書く、という精神である[注 68]というものである[181]

近年のデレク・パーサル英語版も次の様に評している"『ビーヴェス・オヴ・ハムトン』は、大衆好みに合わせて及ぶ限りのなにもかもを献上している。そのストーリーは、奇想天外事件[たっぷり]の芳香醸造物であり、... そのファンタジックな混合物〔ポプリ〕のすべてを、[人を惹きつけて]たまらない颯爽ぶり、そしてその標(しるし)きわだつコミック感性で[展開]執行してゆく。鮮やかで、大判で、つぎからつぎへと破茶滅茶だが、けっして退屈はさせない[注 69][182]ディーター・メールドイツ語版は、"きわめて活き活きしており娯楽的だが、総じていえばいささか芸がない"[注 70]と評する[183]

バロン(William R. J. Barron) は、このたぐいの文学に対していささか辛口で、"『ビーヴィス』や『ガイ・オヴ・ウォリック』英語版は、いずれも有能(及第点)だが、やや俗物化しており、受け狙いの効果を繰り返しになりがちで、勇者らの価値観についてはほんの口先〔リップサービス〕ばかりで、彼らの冒険に、ほぼ完全にかかりきりである"[注 71]、と述べている[184]

ジョージ・ケイン英語版は、この作品が"その構成部から察して相応と思われる以上に良効果をだしている。なぜならば、このほぼ形なきストーリーは、奇跡や驚異やら、わめくサラセン人やドラゴンやらあり、洗練さや技術を欠いた、嵩増しと付け足し風の作風で語られており、詩的・語り的な芸術性センスとぼしいのだが、それなのにロマンスとしては、ただ読むに足る以上のものとなっている。『ホーン王』英語版『デーン人ハヴェロック』英語版と同様、芸術的な粗雑さをつい許してしまうのは、その男女主人公(ビーヴェスとジョシアン)と伴にいたさ、がゆえである。なにしろ[二人]には、温かい人間性、という創作者の想像力のなすすべが反映されているのである"と評価した[注 72][185]。 本編物語の最近年の編者らは、"主人公の価値観は、さして深淵なものでないにしろ、それこそ心からのものであり、敬意すべきほどの気鋭でもって表されている。すぐれた冒険譚の価値や、その作成難易度を過小評価することを、我々は躊躇して控えねばならない。[作品の]そのエネルギーとバラエティーこそが、あるいは何よりもまさり、現代の読者にそのかつて昔日の人気を理解させ、現在においても反応するのを可能たらしめているのではなかろうか"、と本作を紹介している[注 73][186]

現代版[編集]

  • Turnbull, William B. D. D., ed (1838). Sir Beves of Hamtoun: A Metrical Romance. Edinburgh: Maitland Club 
  • Kölbing, Eugen, ed (1885). The romance of Sir Beues of Hamtoun. Early English Text Society, Extra Series 46, 48, 65. Appendix by Carl Schmirgel. London: Trübner & Co.. オリジナルの2009-08-09時点におけるアーカイブ。. https://archive.org/details/romancesirbeues00schmgoog [16]
  • Ashton, John, ed (1890). “Sir Bevis of Hampton”. Romances of Chivalry Told and Illustrated in Fac-simile. London: T. Fisher Unwin. pp. 121–172. https://books.google.com/books?id=lxmaAAAAIAAJ&pg=PA121 
  • Fellows, Jennifer, ed. (1980). Sir Beves of Hampton : study and edition (Thesis). Vol. 5 vols. Cambridge University.
  • Herzman, Ronald B.; Drake, Graham; Salisbury, Eve, eds (1999). Four Romances of England. Kalamazoo, Michigan: Western Michigan University for TEAMS.. https://books.google.com/books?id=12xtEAAAQBAJ 

注釈[編集]

  1. ^ 『ハムトンのサー・べヴェス』は高宮利行によるカナ表記[2]
  2. ^ 『ハンプトンのビーヴェス卿』は酒見の試訳の題。
  3. ^ 現存の《オーヒンレック写本》では4444行が残されるが、ケルビンク編本では(f. 188 につづくはずの失われた1葉の)176行を補遺している[3]。酒見訳にも "4444 + 176 lines. [Auchinleck ms.] ff. 176ra - 201ra"とあり[5]
  4. ^ a b c 中英語韻文ロマンスの酒見による試訳では Bevesの綴りを反映した「ビーヴェス」のカナ表記が使われるが、1560?年・1565年版本などでは "Beuys"、1582年版本では "Syr Bevis"など、それ以降の韻文版本も"Bevis"に移行している[6]。日本では20世紀前半頃の解説に「ベヴィス」の表記がみられるが[7][8]
  5. ^ ブリテンの話材(マター・オブ・ブリテン、アーサー王物語群)とは区別。
  6. ^ ケルビンクの校訂本はASNMEC写本とO版本の諸本を使っており[15][16]、ケルビンクの要約は原則的に底本(A本)に基づくものの、A本以外に異本のほうがフランス語版と合致するときはそちらに従うとしている[17]、テキストの部(下対比テキストや脚注)を参照。
  7. ^ 酒見の和訳もA本(《オーヒンレック写本》)より訳出される。
  8. ^ 原文""Of Almayne þat emperur"; 酒見訳は"アルマーニュ(ドイツ)のかの国王"(34行目)
  9. ^ Devoun(原文 "Deuoun")。この名は後半の2913行目で明かされる。ケルビンクの固有名詞索引を参照。フランス語版では Doon となる。
  10. ^ 異本:ドイツ皇帝の兄弟ムルドォール[?]卿 Sir Mordour/Murdour。 下101–102行目; Ellis (1805), p. 240。
  11. ^ 原文では売春宿を経営する[にふさわしき[22]]売春婦、とある "houre to be, /To holde bordel, [to manage a brothel]"。TEAMS編注釈本を参照。"Pute"呼ばわりはフランス語版にも踏襲される[23][22]
  12. ^ 原文"meister"、要約では"fosterer 養育係"の Saber; 酒見訳"彼の教師"
  13. ^ 原典の中英語では"Ermony[e]"と呼び、その名称を用いる解説もある[24]
  14. ^ 中世アルメニア王国といっても、バグラトゥニ朝アルメニアではなく、現今トルコキリキア地方にあったキリキア・アルメニア王国を指すものと考察される。この作品の地理は、十字軍の背景で解釈するべきと論説されており[25]、この時代の頃にはふたつのアルメニアがあったが、バグラトゥニ朝を11世紀に東ローマ帝国が征服したのち、1071年にセルジューク朝に併呑されており、対象外とされる。また、ビーヴェスの文章にある行程・日程から換算するに、キリキア・アルメニア王国にたどり着くのが限度であり、また、そのルートは交易ルートと重なるとみるのが妥当であるという考察がなされる[26]。作中で巡礼者のビーヴェスは幾つかの商業都市をたどったと言っているが、列挙されたなかに貿易港のタルススがあり[27]、これはキリキア・アルメニアの王都であった。
  15. ^ TEAMS編の刊行本の序の要約では、前編を5エピソードに分けており、"Episode One" は冒頭からジョシアンの恋心の芽生えまでに至る。 Herzman, Drake & Salisbury (1999), Introduction, pp. 190–191; (htm 版)
  16. ^ フランス武勲詩における「ベゴンの死」との類似については § 共通話素を参照。
  17. ^ ケルビンクは、このA本のこの部分(585–738行)、"イノシシ狩りの剣にはまったく蛇足の並行ストーリー entirely superfluous parallel story to the boar-hunting"であるとし、これが挿入部分なのはあきらかで、本来はA本ののちのくだりにもあるとおり、名剣も名馬アロンデルも王や王女から贈呈されるのだとしている(pp. xxxvi–xxxvii)。
  18. ^ Brademond
  19. ^ 底本/本(上半テキスト)ではMorgelay(975行)、異本(下半テキスト)Morglay(744行)。
  20. ^ 975行で酒見訳では"彼がモルゲライを腰に帯びると"とあるが、原文は"SiÞe a gerte him wiÞ Morgelay"とある。
  21. ^ 酒見訳ではアルンデルだが、底本/A本(上半テキスト)ではArondel(988行ほか)だが、異本(下半テキスト)Arondeỻ(750行)Arundel(1976行ほか)。O版本にも"Arundel"と見える。
  22. ^ TEAMS版では、"Episode Two"は上にあるブラドモンドの登場からすでに始まっており、 ビーヴェスがグランデール王の馬トランシュフィスに乗って海を渡る箇所に至る。Herzman, Drake & Salisbury (1999), Introduction, pp. 191–193?]; (htm 版.)
  23. ^ しかも自分の家令(chamberlain)として雇った男である。 1203行
  24. ^ 並行ストーリーとして、1345–1432行ではサベールの息子のテリィがビーヴェス探索中に出くわすが、主人の顔に覚えがなく、処刑されたとの誤報をもたらしてしまう。サベールはワイト島にこもり、ブラドモンドとの対戦をつづける[39]。異本ではビーヴェスの上述の継父ムルドォール[?]卿と対戦[40]
  25. ^ 原文の"[n]adder"は、狭義ではクサリヘビ属ヨーロッパクサリヘビを指すが、酒見訳の「マムシ」もクサリヘビ科マムシ亜科(pit vipers)に属する。南方熊楠は、"サー・ベヴィス・オブ・ハムプタウンを竜の牢に入れた"とする[7]
  26. ^ A本では指輪に嵌めこまれた石により"指輪を嵌めている間は、/誰も私に対して欲望を抱かない"という能力を発揮、1469–72行;O版本ではお札か手紙("writ", "letter")で "知恵ある神官(clerk wise of wit)"が書いたものであるが[42]、それ以外の異本では帯(girdle、"lituỻ girduỻ"、下半 1396行)[43]
  27. ^ a b c ケルビンク要約は"Ascopart"で統一しているが[57]、索引見出し・A本初出は"Ascopard"だが、CM本では"Ascapart(e)"も見える[58]。。酒見訳等は"~d"形のアスコパルド[59]をもちいる。チャールズ・ラムの随筆で"Ascapart"と言及されており[60]、その和訳でで"アスカパルト"とある[8]
  28. ^ アシュトンは衆力再話の序で、大英博物館蔵が1550年刊と推定するコプランド版本を底本とした、としている。近年の学者によれば、コプランド1560? 年と(略号Cp本)と1565?年(略号QCp本)の2回において刊行していることがしられ、後者は現在も大英図書館(博物館蔵の収集書籍を踏襲)が所蔵する[47]
  29. ^ 空飛ぶマムシ(adder)に噛みつかれ、右の眉が損傷する[48]
  30. ^ ジョシアンが、はっと思い、もし(眉の傷で)人相が変わっていなければこの御仁はビーヴェスと見まごうばかりだ、とひとりごちるのを、馬が聞きつけ鎖を引きちぎる。
  31. ^ King Garcy.
  32. ^ Bonifas。この人物はすでに物語に既出。
  33. ^ 原書ではSaber Florentinで、Florentin はフランス語でいえばフローレンス(フィレンツェ)の形容詞形。
  34. ^ ケルビンク要約では"(Earl) Miles"だが、索引見出しは"Mile (an earl at Cologne)"になっており、"Mile (son of Sir Beues)"と異なる綴りだが、いずれの人物もMile/Miles/Myle/Myles等の異綴りがあるKölbing (1885), p. 413。ビーヴェスの双子の息子らの名前は邦訳者が「ガイ」と「ミルズ」と表記CITEREF酒見2014 。
  35. ^ A本ではタオル(towaile、3220行)。異本ではgyrdel
  36. ^ In a tonne for to branne、3260行。現代綴りでは"tun"が「樽」(要約参照)。
  37. ^ 最後の"Episode Five"(TEAMS版の要約)は、アスコパルドの反逆の箇所に始まる。 Herzman, Drake & Salisbury (1999), Introduction, pp. 195–196; (htm 版).
  38. ^ A本には脚色があり、彼女はいっとき佇んだのち(3646-3670行)、薬草を服してらい病のような容貌に変え、イヴォールの興味をそいでしまう(3671-3708行)[81][82][43]
  39. ^ 原文は"forester"で、前に出た複数の"forester"の訳語「猟場管理者」とは酒見訳では区別されている。
  40. ^ ビーヴェスとテリィは、町で槍試合に参加することにする。賞品は、オーンビフォース[?](Aumbeforce)[84]の王女との結婚である(3756行以下)。ビーヴェスは勝利し、テリィを婿の身代わりに立てる(3793-3840行)[85]
  41. ^ A本では軟膏を使って元の美貌を取り戻す[86][43]
  42. ^ ガイがまたがる "rabyte"は、アラビア産駒のことであるとエリスやケルビンクの註に見える。しかしミルズは"Adromounday"というなの馬にまたがる、とエリスが解釈した部分は、Kölbing 編は "a dromounday" と読んであおり、 "dromedary(ラクダ)"の事だと説明する[100]
  43. ^ 挿絵装飾した「L」は韻文冒頭の "Lordinges, herkneþ to me tale.." を飾る。
  44. ^ すでにケルビングの比較校訂本でも O 略称でこの版本(オックスフォードのボドリアン図書館蔵本)を異本として用いている[117]
  45. ^ コプランドが使用した挿画は、異論もあるがおそらくピンソン版の絵の派生であろう[120]
  46. ^ ビーヴィスとアスカパルトの対決の木版画の復刻画像は、上の § あらすじ内に掲載済みである。また、コプランド本を紹介した(コロフォン文章が書き出されているので"Crane wharfe"という地名が記される初版本と特定可能)活字印刷史の書籍に、アスカパルトがーヴィスと馬、ジョシアンを抱えて乗船しようとする木版画が復刻される[121]
  47. ^ <スペクテーター>誌の共同創刊者でもあるが、ここでは<タトラー>誌英語版から引く。
  48. ^ 細かく言えば、aa4b2cc4b2で、aa等は脚韻、数値は強勢音節を表す。
  49. ^ aa4b2cc4b2dd4b2ee4b2.
  50. ^ aa4b2aa4b2.
  51. ^ この色付け版は再版であり、当初は Ambrose Merton (William J. Thorns の筆名)作(再話)として<Gammer Gurton's Story Books>シリーズで発行された( 1845年)。そしてこの編者ソーンズ(Thorns)は近年においても(Thoms)と誤記されてきた(リッチモンド女史は改訂版で訂正しているが[133]、エチャード氏は誤記のままである[134]。そして邦訳されたW・J・トムス編『サウザンプトンのビーヴィスの冒険』は、装丁は日本語だが中身は英文のままで[135]、まさに、正しくはソーンズ編本の復刻と目される。
  52. ^ 「トパス卿の話」
  53. ^ "that former fabulous story/Being now seen possible enough, got credit,/That Bevis was believed"
  54. ^ また、シェイクスピア作『リア王』第3幕第4場のエドガーの台詞"But mice and rats, and such small deer,/Have been Tom’s food for seven long year しかし独楽鼠(マウス)やら熊鼠(ラット)やら小動物が、この長い七年間、トムの食べ物さ"が、『ビーヴェス』物語の"Rattes and myce and suche smal dere/Was his mete that seven yere"のパクリであると指摘される[146]
  55. ^ 詩「Underwood[s]」および戯曲『癖者ぞろい』英語版第3幕第2場。
  56. ^ ヴォーン『甦ったタレイア Thalia Rediviva』:"Bevis and his horse Arundel".
  57. ^ 英語原文:"Alas, what is the Scripture, give me a Ballad, a Newsbook, George on horseback, or Bevis of Southhampton".
  58. ^ 英語原文:"the dullest Romance of priis which I ever attempted to peruse".
  59. ^ 用例では、リチャード・スタニハースト英語版による『アエネーイス』の英訳や、『正直者の幸運』英語版ジョン フレッチャーフィリップ・マッシンガー英語版ネイサン・フィールド英語版による共作)、ジョン・クリーヴランド英語版の『The Character of a London Diurnall』が挙げられる[160]。加えて "claymore "(クレイモア)という語との近似も指摘される[160][161]
  60. ^ ウォートンの『Observations on the Faery Queen of Spenser』(1754年、1762年改稿)。
  61. ^ という指摘をリチャード・ファーマー英語版より書簡でうけた。
  62. ^ これも書簡(Correspondence)でウォートンに告げた。
  63. ^ またファーマーとの書簡でも述べた[166]
  64. ^ パーシーは、『ビーヴェス』につごう3つの手稿があることを(のちにACEの略号で呼ばれた手写本)記述している。まず『Reliques』(1765年版)の注で、『ビーヴェス』の手稿にはケンブリッジ大学の"Public Library"蔵の第690写本と、同大学キース(Caius)カレッジ本の2点がるとするが[167]、このうち前者は現今のCUL(ケンブリッジ大学付属図書館)蔵Ff.2.38 (旧名More 690写本)で[168] 、すなわちCである。後者はE本。そしてパーシーはのちに『Reliques』(1767年版)で、史上初、オーヒンレック写本について活字で言及したが、その写本に『ビーヴェス』も含まれる、とした[169]A本)
  65. ^ チョーサー作『カンタベリー物語』の1775年版刊行本において
  66. ^ 南方熊楠は、エリス著の『古英国稗史賦品彙スペシメンス・オヴ・アーリー・イングリッシュ・メトリカル・ローマンセズ』と呼んでいる[173]
  67. ^ 英語原文:"wrote with evident gusto"
  68. ^ 英語原文:"Bevis of Hampton is not a remarkable example of medieval romance. It is made up of stock motifs and episodes... the articulation of the episodes is loose and inexpert. What gives the romance its chief distinction is its exuberance, its racy, buoyant style, and the spirit of broad humor in which it is written".
  69. ^ 英語原文:"Beves of Hamtoun makes every possible concession to popular taste. The story is a heady brew of outrageous incident... the whole fantastic pot-pourri is carried off with irresistible panache and a marked sense of the comic. It is vivid, gross and ridiculous by turns, but never dull".
  70. ^ 英語原文:"extremely lively and entertaining, though on the whole rather artless".
  71. ^ 英語原文:"The English versions of Bevis and Guy are competent but somewhat vulgarized, given to the reduplication of striking effects, paying lip-service to the heroes' values while almost wholly preoccupied by their adventures"
  72. ^ 英語原文:"has a better effect than its component material would seem to warrant, for this almost formless story, with its miracles and marvels, ranting Saracens and dragons, is told without any polish or skill in a style generously padded and tagged, with little sense of poetic or narrative art, and still the romance is more than merely readable. As with Horn and Havelok we tolerate its artistic crudity for the sake of the company of the hero and heroine, Beues and Iosiane, who reflect the warm humanity of the imagination that created them".
  73. ^ 英語原文:"If the values of the hero are not particularly deep, they are nonetheless heartfelt, and expressed with admirable verve. And we should be reluctant to underestimate the value of a good adventure story or the difficulty of producing one. Its energy and its variety, perhaps more than anything, are what enable modern readers to understand its earlier popularity and also to respond to it in the present."

出典[編集]

脚注
  1. ^ a b Turnbull (1838).
  2. ^ 高宮利行 (2016年11月6日). “書物史講座『ロクスバラ・クラブ後編』” [The Roxburghe Club 2/2 ]. 高宮利行 公式サイト. 2023年8月23日閲覧。
  3. ^ a b Sir Beues of Hamtoun”. The Auchinleck Manuscript. National Library of Scotland. 2012年5月13日閲覧。
  4. ^ a b c 酒見 (2006), p. 1.
  5. ^ a b 酒見紀成 (2016年11月6日). “ハンプトンのビーヴェス卿”. 酒見研究室. 2016年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月23日閲覧。 後半 (2251-4444行)[リンク切れ]
  6. ^ Rouse (2008), pp. 111–112.
  7. ^ a b 南方, 熊楠「十二支考 蛇に関する民俗と伝説」『十二支考』 1巻、岩波書店、1994年(原著1916年)。 青空文庫版
  8. ^ a b チヤアルズ・ラムエリア隨筆集』 上、国民文庫刊行会、1927年https://books.google.com/books?id=7_iuhh3mgMsC&q=身の丈三餘。"アスカパルト。身の丈三餘とへられてゐる大巨人。サウザムプトンの聖ベヴイスに征服さる。"。 
  9. ^ Djordjević (2000), p. 19, n41 citing Fellows (1980), 1: 52: "(translation) only to a limited extent", and n41 citing Baugh (1974), p. 21: "paraphrase"
  10. ^ a b Cohen, Jeffrey Jerome. Of Giants: Sex, Monsters, and the Middle Ages. U of Minnesota Press. pp. 172. ISBN 978-1-4529-0366-8. https://books.google.com/books?id=7LlrQLbsHGYC&q=%22Welsh,+Irish,+Dutch,+Italian,+Yiddish,+Romanian,+and+Russian%22&pg=PA172 
  11. ^ 浦井康男、堀越しげ子「プーシキン『ピョートル大帝の黒奴』『ベールキン物語』『スペードの女王』コンコーダンス」『スラヴ学論叢: 北海道大学文学部ロシア語ロシア文学研究室年報』第5-2号、2001–2003、200頁。 
  12. ^ 『ボヴァ王子物語』への言及がプーシキン『エヴゲーニイ・オネーギン』にあり[11]
  13. ^ 清沢紫織『ベラルーシ共和国における言語状況及び言語政策に関する総合的研究』筑波大学、2017年、p. 13, n27。 
  14. ^ Kölbing (1885), Intro. §4. The Contents of the Romance, pp. xxi–xxxiii
  15. ^ a b Kölbing (1885)の序、pp. vii–xにおいて、原典稿本(ASNMEC写本とO版本)の略称を列挙しており、, p. xxxviiiにおいて仮説上の祖本 x y を含めた分類と系譜図を挙げている。
  16. ^ a b Temporary Notice, pp. v-viii には稿本(ASNMEC写本とO版本)の略号リストを再掲したうえで、本文テキストは上が上が A 本、下がM本かO本(版本)と対比させたものだと説明する。
  17. ^ Kölbing (1885), pp. xxi.
  18. ^ a b c d 酒見 (2014), p. 40.
  19. ^ 1–54行、Kölbing (1885), p. xxii
  20. ^ |1–54行、Kölbing (1885), p. xxii。
  21. ^ 55–294行、Kölbing (1885), pp. xxi–xxii。
  22. ^ a b Broyles, Paul A. (2022). “9. Foreign Guardianship and the Networked Child in Medieval English Romance”. In Preston-Matto, Lahney; Valante, Mary A.. Kids Those Days: Children in Medieval Culture. BRILL. p. 171. ISBN 9789004458260. https://books.google.com/books?id=ofVgEAAAQBAJ&pg=PA171 
  23. ^ Stimming ed. (1911). Der festländische Bueve de Hantone 3, v. 525
  24. ^ Rouse (2008), p. 119.
  25. ^ Burge (2017), p. 48.
  26. ^ Burge (2017), p. 48引きMetlitzki, Dorothee (1977) The Matter of Araby
  27. ^ Burge (2017), p. 50.
  28. ^ 295–584行、 Kölbing (1885), pp. xxiI–xxiii。
  29. ^ 585–734行、Kölbing (1885), p. xxiii
  30. ^ 763–864行: "him be-held,/Al hire loue to him [s]he feld(あの乙女のジョシアンは彼の姿を見て、/彼に対する愛情を自覚しました)".
  31. ^ [909]–988行、Kölbing (1885), p. xxiii
  32. ^ Kölbing (1885), p. xxxiii では要約本文に"..twelve foresters"と異本の筋書きを述べ、その脚注でA本の展開を付記している。当初は"モルゲライ..を勝ち取った"(860–861行)とだけあるが、執事から得たと(955行)と後述される(Notes, p. 259も参照)。
  33. ^ 837–908行、Kölbing (1885), pp. xxiii–xxiv
  34. ^ Ellis (1805), p. 248.
  35. ^ 909行、"三年後 þre ȝer after";または"からまもなくThenne sone" SN. 下半テキスト705行では"Sone after this tyme"、(参照:"Soon after this".[34])。
  36. ^ 909–988行、Kölbing (1885), pp. xxi–xxiii
  37. ^ 989–1218行、Kölbing (1885), pp. xxiv–xxv
  38. ^ 1219–1262行、 Kölbing (1885), pp. xxiv–xxv
  39. ^ Kölbing (1885), p. xxv.
  40. ^ Ellis (1805), pp. 253–254.
  41. ^ 1345–1432行、 Kölbing (1885), p. xxv
  42. ^ O版本 1379–1446業、およびEllis (1805), p. 256
  43. ^ a b c Saunders (2008), p. 173.
  44. ^ 1433–1534行、Kölbing (1885), p. xxv Cf. Ellis (1805), pp. 256–257.
  45. ^ Ashton (1890), p. 151.
  46. ^ Ashton (1890), p. 121.
  47. ^ Fellows (2008), p. 111.
  48. ^ 1535–1574行、Kölbing (1885), p. xxv
  49. ^ 看守たちを倒したので(1575–1634行)、食糧の補給が絶えるが、祈りが通じ、足かせがはずれ、胴回りに繋がれた石も割れて自由を得る(1635–1649行)。Kölbing (1885), p. xxv Cf. Ellis (1805), pp. 257–258
  50. ^ 戦い(1650–1744行)、トランシュフィス(Trenchefis)に乗り去る(1745–1786行)、 Kölbing (1885), p. xxv。Cf. Trenchefys, Ellis (1805), p. 258、およびTrencheffys、1786(E本・下半部)行、Kölbing (1885), p. 90。
  51. ^ 海を越えた城で、キリスト教徒嫌いの巨人の妻に会い、食料を要求(1745–1880行)、巨人を倒す (1881–1958行)。 Kölbing (1885), pp. xxv–xxvi Cf. Ellis (1805), pp. 258–259。
  52. ^ 1959–2146; 2147–2208行、 Kölbing (1885), pp. xxvi–xxvii。Cf. Ellis (1805), pp. 259–261。
  53. ^ Kölbing (1885), Index, p. 408
  54. ^ Metlitzki (1977), p. 132.
  55. ^ ケルビンクはDabilentを正表記とし、異綴りにはDiablent[53]。Dabilent はイスラーム教圏大アルメニアのダビルのことであると解説されており[54]、このダビルとは古都ドゥヴィン/ドゥインのアラビア名である。
  56. ^ 2209–2250行; 2251–2280行; 2281–2349行, Kölbing (1885), p. xxvii。 Cf. "Boniface", "Sir Grassy", Ellis (1805), pp. 261–262。
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参照文献
  • Baugh, Albert C. (1974). “The Making of Beves of Hampton”. In Miller, William Eldridge; Waldeman, Thomas G.. Bibliographical Studies in Honour of Rudolf Hirsch. Philadelphia: U. of Pennsylvania. pp. 15–37 
  • Matthews, David (2000). The Invention of Middle English: An Anthology of Primary Sources. Penn State Press. ISBN 9780271020822 
  • Santini, Monica (2010). The Impetus of Amateur Scholarship: Discussing and Editing Medieval Romances in Late-Eighteenth and Nineteenth-Century Britain. Bern: Peter Lang. ISBN 978-3-0343-0328-6 

外部リンク[編集]