バグラトゥニ朝アルメニア

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バグラトゥニ朝アルメニア
Բագրատունիների թագավորություն
王国
885年–1045年
1000年頃のバグラトゥニ朝アルメニア
首都 バガラン英語版シラカヴァン英語版カルスアニ
言語 アルメニア語
宗教 アルメニア教会
政府 王政
歴史・時代 中世
 •  創立 885年
 •  解体 1045年
面積
 •  1000年 140,000 km² (54,054 sq mi)
現在 アルメニアの旗 アルメニア
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
ジョージア (国)の旗 ジョージア
イランの旗 イラン
トルコの旗 トルコ

バグラトゥニ朝アルメニアアルメニア語: Բագրատունիների թագավորություն, Bagratunineri t’agavorut’yunまたはアルメニア語: Բագրատունյաց Հայաստան Bagratunyats Hayastan, 英語: Bagratid Kingdom of Armeniaまたは英語: Bagratid Armenia)は、885年バグラトゥニ家英語版アショト1世英語版によって建設された国家[1]

歴史[編集]

7世紀にはサーサーン朝が弱体化し、イスラーム教徒のアラブ人が台頭した。ウマイヤ朝は中東の広範な領域を征服し、640年にはアルメニアの領域に対して定期的な攻撃を開始した。アルメニア公テオドル・ルシュトゥニ英語版はカリフと和平条約を締結したが、長引くアラブ人や東ローマ帝国との戦争でアルメニアは荒廃した。661年にはアルメニアの指導者たちがイスラーム教徒の支配下に入ることで合意した[2]。このアルメニア首長国英語版の首都はドヴィン英語版に置かれた。

バグラトゥニ朝の統治期間は、ヨーロッパでイングランドフランスドイツが形成されつつある時期とほぼ同時期であった[3]。アラブのウマイヤ朝アッバース朝大アルメニア英語版を支配した約200年間の後、バグラトゥニ朝はアッバース朝と東ローマ帝国という2つの強大国に挟まれていたこの地域を支配した。

アショト1世

9世紀後半のアルメニアは権力の空白地帯にあり、スムバトの子アショト・バグラトゥニは支配領域を拡大させていった[3]。884年にはカリフのムータミドがアショトに王冠を贈り、アショトはアショト1世英語版(在位884年-890年)として戴冠[3]。東ローマ帝国のバシレイオス1世もまたアショトに王冠を贈っている[3]。これによってバグラトゥニ朝アルメニアが開始された[3]。アショト1世はバガランを拠点とした。890年にはアショト1世が死去してスムバト1世英語版(在位890年-914年)が即位したが、スムバト1世時代にはモハンマドによってドヴィンやナヒチェヴァンを奪われ、南部に自治王国が設立されてアルメニアは分裂しかかった[3]

カルス大聖堂
アニ主教座大聖堂

928年に即位したアバス1世英語版カルスを首都とした。この時代のカルスには後に聖使徒教会としても知られるカルス大聖堂英語版が建設されている[4][5]。953年以降のアショト3世英語版の統治下ではアニが王国の首都となり、アニは経済的・文化的な中心地に成長した[6]。アニは「千と一の教会がある都」と表現され[7][8]、最盛期には約100,000の人口を有したとされている[9][10]。2016年には「アニの考古遺跡」がユネスコ世界遺産文化遺産)に登録されている[11]

11世紀前半にはバグラトゥニ朝アルメニアは衰退して崩壊した。東ローマ皇帝バシレイオス2世が勝利してアルメニア南西部を東ローマ帝国に併合し、1022年にはホヴァネス・スムバト英語版が死後に東ローマ帝国に対して王国を譲ることを約束した。しかし1041年にホヴァネス・スムバトが死去すると、後継者のガギク2世英語版はアニを引き渡すことを拒否し、王国内外の脅威に対して1045年まで抵抗をつづけたが、最終的には東ローマ軍によって占領された[12]

バグラトゥニ家[編集]

アショト3世

バグラトゥニ家英語版は以下のように続いた。

首都[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Grigoryan, M. (2012). “Բագրատունյաց թագավորության սկզբնավորման թվագրության շուրջ” (アルメニア語). Lraber Hasarakakan Gitutyunneri (2-3): 114–125. http://lraber.asj-oa.am/5980/. 
  2. ^ Ter-Ghevondyan, Aram N. (アルメニア語). Արաբական Ամիրայությունները Բագրատունյաց Հայաստանում. Yerevan, Armenian SSRyear = 1965: Armenian Academy of Sciences. pp. 42–43 
  3. ^ a b c d e f ブルヌティアン 2016, p. 129.
  4. ^ (アルメニア語) Harutyunyan, Varazdat M. "Ճարտարապետություն" in Հայ Ժողովրդի ՊատմությունHistory of the Armenian Peopl, eds. Tsatur Aghayan et al. Yerevan: Armenian Academy of Sciences, 1976, vol. 3, pp. 374–375.
  5. ^ ブルヌティアン 2016, p. 142.
  6. ^ Ghafadaryan, Karo (1974). “Անի” (アルメニア語). Soviet Armenian Encyclopedia. 1. Yerevan: Armenian Academy of Sciences 
  7. ^ Chisholm, Hugh; Phillips, Walter Alison, eds. (1911), “Ani”, Encyclopædia Britannica, 11th ed., Vol. II, Cambridge: Cambridge University Press .
  8. ^ (アルメニア語) Hakobyan, Tadevos. (1980). Անիի Պատմություն, Հնագույն Ժամանակներից մինչև 1045 թ., vol. I. Yerevan: Yerevan State University Press, pp. 214–217.
  9. ^ Ghafadaryan, Karo (1974). “Անի” (アルメニア語). Armenian Soviet Encyclopedia Volume I. Armenian Academy of Sciences 
  10. ^ Panossian 2006, p. 60.
  11. ^ Five sites inscribed on UNESCO’s World Heritage List”. UNESCOPRESS. UNESCO (2016年7月15日). 2016年9月15日閲覧。
  12. ^ Bournoutian. Concise History, p. 87.
  13. ^ The Grove Encyclopedia of Islamic Art and Architecture, Volume 3. Oxford: オックスフォード大学出版会. (2009). p. 371. ISBN 9780195309911 

関連文献[編集]

  • Hovannisian, Richard G. (ed.) The Armenian People from Ancient to Modern Times, Volume I, The Dynastic Periods: From Antiquity to the Fourteenth Century. New York: Palgrave Macmillan, 1997. ISBN 978-0-312-10169-5.
  • Grousset, René. Histoire de l'Arménie: des origines à 1071. Paris: Payot, 1947. (フランス語)
  • Ter-Ghevondyan, Aram N. Արաբական Ամիրայությունները Բագրատունյաց Հայաստանում. Yerevan, Armenian SSR: Armenian Academy of Sciences, 1965. (アルメニア語)
  • Toumanoff, Cyril. "Armenia and Georgia." Cambridge Medieval History. vol. vi: part 1. Cambridge: Cambridge University Press, 1966.
  • Yuzbashyan, Karen. N. Армянские государства эпохи Багратндов и Византийa, IX-XI вв (The Armenian State in the Bagratuni and Byzantine Period, 9th-11th centuries). Moscow, 1988. (ロシア語)

外部リンク[編集]