ノート:川上未映子/過去ログ1

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未映子との統合[編集]

未映子があるのに、なぜ?

統合してください。 作家・川上未映子としてのほうが有名だと思いますし、歌手としての芸名もペンネームに包含されるので、ペンネームのほうを本記事タイトルにすべきかと思いますが、その場合でも、「移動」という方法があったのに・・・。Inuinuwanwan 2007年10月14日 (日) 16:16 (UTC)inuinuwanwan

慌てて動いてテンプレートを貼ったりはがしたりしてしまってごめんなさい。未映子川上未映子への統合を提案します。Wikipedia:ページの分割と統合中の「統合すべき場合」 - 「同一の概念や事物に関して、不注意などにより、別名でページが作られた場合」に該当するためです。Bluebell 2007年11月7日 (水) 15:22 (UTC)

ということは、川上未映子がメインページになるということですね。まあ、そちらのほうがいいでしょうね。「未映子」も「川上未映子」に含まれてますし。賛成。Meme Jellyfish 2007年11月11日 (日) 05:49 (UTC)

津原泰水作品の盗作疑惑について[編集]

2010年10月8日 (金) 14:04 の頭痛 氏の編集理由は、「情報源が論争の当事者のもののみであり中立性に欠ける。第三者情報源が必要。WP:LIVINGも参照。」とあるが、

該当記述は、Wikipedia:存命人物の伝記のうち検証可能性内項目[自主公表された情報源]にあたる。それゆえ、出典先の情報(津原泰水[1]の公式ブログ「ラヂオデパートと私 」2010年10月1日付記事「「比較検証[2]」)は双方らが「自主公表した情報源」であり、信頼性を満たしている。


そもそも「情報源が論争の当事者のもののみであり中立性に欠ける。」とは頭痛氏の独自判断であり、合意できない。


十分な社会的地位を持つ当事者の情報を、「中立性に欠ける」と判断することこそ、名誉毀損にあたるのではないか。


(津原泰水氏が公式に言及した津原作「黄昏抜歯」と川上未映子作「わたくし率 イン 歯ー、または世界」との類似性については、私は当事者ではないが、たしかに認めることができる。しかし、その旨をウィキペディアで記述することは、「独自判断」であるがゆえ、記載はできないと思われる。その意味で、津原氏の記述は、現実に訴訟に発展する可能性をはらむものであるが、情報源としてはたしかなものであり、また十分に記載する価値があると思われる。)


なお当該記述内容は、「存命人物の伝記の方針」のうち、「潜在的に論争となりうる(特に存命人物に対する名誉棄損や侮辱に該当する)記述」に抵触する可能性があるが、川上本人もこの件については公式に言及していることであり、一方的な名誉毀損にはあたらない。また当該記述は「盗作である」と断言したわけではなく、あくまで盗作の「疑惑」があがったと記しており、(繰り返しになるが)この疑惑は、十分に社会的な地位にある津原泰水によってなされたもので、有名な作家間同士の争点には違いなく、記載する価値がある。

いずれにせよ、本件すなわち盗作疑惑問題についての情報源は、かりに本件が将来的に社会化された場合(刊行物に本疑惑が記載された場合など)にでも、当事者らがどのような発言と応酬をなすかは記載されるに値する。

頭痛氏は、本ノートにおいて議論に応答してください。--222.4.3.143 2010年10月8日 (金) 14:59 (UTC)

追伸
「第三者情報源」とはなんでしょうか?念を押しますが、「中立性」または「客観性」とはWikipedia:中立的な観点を参照、本項目における記述の中立性である。--222.4.3.143 2010年10月8日 (金) 15:10 (UTC)
自分で書いた文章よく読んでくださいな。「盗作の可能性が強いという疑惑がもちあがっている」。どこで「疑惑がもちあがっている」んですか? 現段階では津原泰水がブログで述べているに過ぎません。書けるのはせいぜい「津原泰水が盗作ではないかという疑惑を述べている」くらいです。「問題になっている」も同様。どこで「問題になっている」んですか? 現段階では「津原泰水が問題にしている」が正確であり、(世間一般で)「問題になっている」と書くには当該情報を「問題」として取り上げた第三者情報源が必要です。また「双方らが「自主公表した情報源」」であるなどといわれていますが、川上側は盗作云々に関してはコメントをしていないでしょう。仮に津原の主張を川上はおろか誰も取り上げなかったとすればそれは世間に認知されていないという意味で「問題」にすらなりません。「盗作疑惑」という言葉も、仮に事実無根であったとしても読者に疑わしさを抱かせる可能性のある表現であり中立的ではありません。そして何より、存命人物の伝記における批判には信頼できる第三者によって公表された情報源が必要ですWikipedia:存命人物の伝記#悪意のある記述)。津原は論争の当事者であり「第三者」ではありません。--頭痛 2010年10月8日 (金) 15:26 (UTC)
あなたが私の編集に合意できない理由はわかりました。しかし、私は「悪意のある記述」をしたわけでもなく、履歴をよく読んでもらうとわかるかと思いますが、当該記述の大概は既存の記述で、私が書いたものではありません。わたしは、あなたの編集理由(およびその前の方によるリバート)に納得できなかったため、復旧し、リバートしたのです。また、盗作問題については、マイ・スウィート・ロード#盗作問題などを念頭において、記載される価値があるかと思います。しかしながら、本件については、たしかに十分に社会化されてはいないので、現時点では、了解しました。--222.4.3.143 2010年10月8日 (金) 15:36 (UTC)

盗作疑惑・アイデア盗用疑惑について[編集]

110.136.168.126へ 全国紙で文芸時評を担当している田中和生、プロ書評家の石堂藍から、川上未映子への盗用疑惑を指摘されているのです。十分に中立的で社会性のある内容であり、川上未映子情報を網羅するときに欠くことはできないでしょう。 田中和生、石堂藍は社会性が無いとおっしゃるのですか?

http://tanakasan.blog.so-net.ne.jp/archive/20101126 田中和生公式ブログ-郷土主義!川上未映子さんの作品について

http://isidora.sakura.ne.jp/isi/ran67.html 石堂藍のホームページ「Isidora’s Page」内-藍の細道2010年11月30日「歯と記憶/歯と自我-津原泰水「黄昏抜歯」と川上未映子の「わたくし率イン歯ー、または世界」をめぐって]

Sazankasaita 2010年12月3日 (金) 19:39 (UTC)

110.136.168.126氏へ 本案件は、すでに複数の社会的地位のある信頼できる第三者(文芸評論家・田中和生氏、幻想文学評論家,書評家・石堂藍氏)による社会的承認が公表されており、従って110.136.168.126氏の言う「告発」には当たりません。即ち、信頼できる第三者によって公表された情報源に基くものです。また記述は事実のみに基いた客観的なものです。ゆえに十分に社会化され、かつ中立的な項目、記載内容です。110.136.168.126氏はノートでの議論に応じて下さい。110.136.168.126氏または他の人物が議論に応じない間ならびに説得的な反証を示せない間は、項目の消去を「荒らし」行為とみなし、本項目は復元され、管理者によって保護されるべきと考えます。110.136.168.126氏または他の人物による一方的な消去は認められません。 --Akari-light

Akari-light氏へ

上記記載の石堂藍氏のブログを読みましたが、一連の出来事についての氏によるあくまで中立的な論評であり、 あなたが書かれているような「盗用疑惑を指摘されている」といったものではありませんでした。

ですがそれ以前に、そもそもあなたの記述に客観的な事実の記載を欠いていることが問題なのです。 以下その点を指摘します。

「2010年9月に一般読者から、川上未映子「尾崎翠 第九感界彷徨」(初出「月刊Songs」2003年10月号)が、 角秋勝治「映画 第七官界彷徨-尾崎翠を探して」(初出 日本海新聞 2001年5月13日)からの剽窃を含む ものであるとの指摘がなされた。 同月、一般読者から、『わたくし率 イン歯-、または世界』(初出「早稲田文学0 」 2007年4月)は、津原泰水『黄昏抜歯』(初出「小説現代」2002年3月)からのアイデア盗用を含む作ではないかとの 指摘がなされた。 こうした読者による指摘と比較検証を受けて、 作家の津原泰水は自身の掲示板に、偶然とは考えがたい類似があるとの見解を示した。」

上記の内容にある「一般読者による指摘」という部分は、正しくは津原氏のBBSに書き込まれたものです。 その事実を加筆すると以下の通りになります。

「2010年9月に、川上未映子「尾崎翠 第九感界彷徨」(初出「月刊Songs」2003年10月号)が、 角秋勝治「映画 第七官界彷徨-尾崎翠を探して」(初出 日本海新聞 2001年5月13日)からの剽窃を含む ものであるとの指摘が、以前より自身のBBSに於いて川上氏に言及し続けている津原泰水氏のBBSによって 読者と名乗る人物よりなされた。 同月、同じくその津原泰水氏のBBSに、読者と名乗る人物から、『わたくし率 イン歯-、または世界』(初出「早稲田文学0 」 2007年4月)は、津原泰水『黄昏抜歯』(初出「小説現代」2002年3月)からのアイデア盗用を含む作ではないかとの 指摘がなされた。 こうした自身のBBSによる指摘と比較検証を受けて、 作家の津原泰水は自身のBBSに、偶然とは考えがたい類似があるとの見解を示した。」

となります。 正しい事実を加筆することにより読む側に伝わる印象は全く変わります。 そして改めて上記を読むと、この内容は主として津原氏のBBSで起こった出来事であり、川上氏の項目に記載するのではなく 津原氏の項目に記載する方が自然であるように思われます。 津原氏の項目に記載するのであれば特に異論はありません。

またあなたが主張している 「文芸時評を担当している田中和生、プロ書評家の石堂藍から、川上未映子への盗用疑惑を指摘されているのです。十分に中立的で社会性のある内容であり、 川上未映子情報を網羅するときに欠くことはできないでしょう。」 ※最初に書いた通り、石堂氏はあくまで中立的な論評をしているだけであなたの言う「盗用疑惑を指摘されている」のではないですが。 は恣意的主張であり、川上氏に関して他の内容で言及し、論評している方が多数居り、そしてそれら全てが記載されているのではない以上、 特にこの情報を記載しなければならないという積極的根拠は、あなたが記載したいという個人的意図以外には無く、 それは百科事典であるウィキペディアを編集する意図として全くそぐわないものなのです。


以上の署名のないコメントは、110.136.168.126会話)さんが 2010年12月3日 (金) 14:14 に投稿したものです。

110.136.168.126へ まず、大前提としてウィキのルールを守ってからにしてください。 「公開あるいは匿名のプロクシ(オープンプロクシ)を使ってWikimediaプロジェクトを編集することは、禁止されています」 110.136.168.126はインドネシアのオープンプロクシです。ウィキの編集にプロクシを使ってはいけません。 それが守れないならウィキの編集はやめてください。110.136.168.126は文末に署名も無く、 ルール違反のオープンプロクシであり、アンフェアです。

石堂藍氏が「中立的な論評」を表明する必要があったのは、その段階でAkari-light氏が指摘される 「疑惑」が既に一定の社会性を帯びていたからです。

あなたはこの「疑惑」が持ち上がった経緯を問題にされていますが、その御指摘は「経緯」を省いて 「結果」だけ書き込めば解決されるものです。田中氏は「これは明白な盗作である」 「けれども現状では、アイデア盗用の可能性のある作品とそうでない作品の区別がつけられません。」 等と指摘し、「暫定的な措置」まで宣言されています。

また石堂氏にしても「中立的な論評」をした結果、「世間的には、川上未映子がモチーフと作品を決定 するような重要なアイディアを借用しているか否かは、作品の良し悪しの問題を離れ、純文学における 新人作家の姿勢・態度として、大きな問題になるということだ」と述べているのであり、こうした論評 は単なる作家作品論と同列に出来るものではありません。

新人賞の選考委員に抜擢されるほどの新人作家(「受賞歴」にあるような数々の文学賞を受賞 してきた作家)に「盗用疑惑・アイデア盗用疑惑」が持ち上がり、田中氏にいたってはその具体的な 処置まで講じられているのですから、本件を記載しない行為こそ恣意的であり、 それこそ百科事典としての意図に反します。 Sazankasaita 2010年12月3日 (金) 19:39 (UTC)


★管理者への要望(同内容は管理者伝言板荒らしに記載しています):110.136.168.126氏は公開プロキシを使用しています。ご確認のうえ、110.136.168.126氏の投稿制限をお願いいたします。公開プロキシを使用している110.136.168.126氏が原因の編集保護措置ですから、Sazankasaita氏の記述を差し戻しのうえ、編集保護を依頼いたします。Akari-light

・110.136.168.126氏へ反論します。まず、あなたはSazankasaita氏のご指摘の通り、Wikipediaルール違反の公開プロクシを使用しています。次に私Akari-lightとSazankasaita氏を混同しておられます。この段階で、本来あなたの議論は無効です。津原泰水氏のBBSは一般読者に開かれたものであり、客観性と記述の簡潔を旨とするWikipediaの百科事典的性質を考慮した場合、「一般読者からの指摘」で十分です。「読者と名乗る人物」という110.136.168.126氏の案は主観的で根拠がありません。次に、盗作/アイデア盗用疑惑の指摘は、元々一般読者からのものであり、石堂藍氏はそれを受けて「検証」しているのですから、当然本項目の関連事項です。そして、本来の記述は「石堂藍はさらなる検証を行っている」であり、これは客観的事実ですから、何ら問題はありません。石堂藍氏による検証の「解釈」は、リンク先で各人が行えばよいことであり、110.136.168.126氏の主観的解釈をWikipediaの記述に反映させる必要はありません。なお、本案件は、複数の社会的地位のある信頼できる第三者(文芸評論家・田中和生氏、幻想文学評論家,書評家・石堂藍氏)によって社会化されており、それらは川上未映子氏「による」盗作/アイデア盗用疑惑「に対して」の論評なのですから、川上未映子氏のページに記載されるのが妥当です。津原泰水氏のページに記載することは、妥当ではありません。 総じて、本来の記述は、慎重に「事実にもとづく客観的事項のみを簡潔に記載すること」を考慮して作成されたものです。 他方110.136.168.126氏の書き直し案は、いたずらに煩雑で主観的です。従って、本来のSazankasaita氏の記述で問題はないものと判断し、Sazankasaita氏の本来の記述の復元と保護を管理者に要望いたします。 Akari-light

110.136.168.126氏は公開プロキシを使った荒らし行為はやめてください。 荒らし行為はやめてください。荒らし行為はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。--Akari-light

少し落ち着いてください。オープンプロクシの使用が禁じられているのは確かですが、単にプライバシーの面を心配しただけかもしれません。110.136.168.126さんの編集と発言には荒らしと断ずるべき要素は特にないと思います。Wikipedia:安易に荒らしと呼ばないもお読みください。また110.136.168.126さんはできればアカウントを取ってログインしたうえで発言してください。どちらの方も署名はWikipedia:署名の説明を参考に日時入りの署名を使うようにお願いします。
さて、以前この件で「第三者情報源を」という主旨の発言をしたものですが、田中和夫も石堂藍も確かに第三者の発言です。ただWikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源を見てほしいのですが、自己公表された情報(発表に他の人物が立ち会っていない情報)は、一般の書籍や報道機関による報道などよりも慎重に扱われなければならず、「ほかの情報源が評価したりコメントしたりするまで待つのが望ましい」と考えられています。特にWikipedia:存命人物の伝記にあるように、存命人物の記事におけるネガティブな情報には強固な出典が必要です。
存命の作家にとって「盗作の疑い」などと書かれることはイメージの低下に直接つながる事柄ですので、慎重を期するに越したことはない、と私は考えます。一般の百科事典や文学事典などをイメージしてみて欲しいのですが、やりとりが作家・批評家間のブログだけに留まっているような「盗作論争」がこれらの事典に掲載されるなどということはまずありえません。Wikipediaはニュースサイトではないので、他の報道機関に先立って進行中の物事を記す必要は特にありません。何らかの報道機関による報道か、あるいは雑誌などの公刊された情報源にこの論題が出てくるまで様子を見る、というのが本来適切な方向でしょう。
とはいえ、ブログ上のやり取りからある程度知られている話題になっているでしょうから、仮に除去しておいたとしても同じ内容の投稿がほかの人から続けてなされる、ということはありそうです。他の人が現れるたびに編集合戦が起こっては記事にとってもよくありませんし、もうちょっとイメージに配慮して書き方を工夫した上で情報を載せる、ということも考えられると思います。特に「盗作疑惑・アイデア盗用疑惑」という扇情的な見出しはよくありません。「批判」という見出しにして、津原泰水の意見表明に触れつつ田中、石堂の見解を適度に引用してそちらをメインにする、という形ならば、「作家に対する評論家の見解」というような形で穏当な表現になりつつ、必要な情報は載せることができるのではないかと思います(なおノート:津原泰水のほうで「盗作疑惑」のほうが正確だという意見があったのですが、アイディアの無断借用に対する評論家の意見、というのは作家に対する「批判」に他なりません)。
必要なら文案を出しても構いませんが、どうしますか。私はどちらかと言えば見合わせて様子見とするほうが適当だと考えていますが。--頭痛 2010年12月4日 (土) 10:26 (UTC)

頭痛氏にお答えします。 結論から先に申し上げます。項目名は「盗作疑惑・アイデア盗用疑惑」から「川上未映子作品への疑惑」に変更し、文面(含リンク)は当初Sazankasaita氏が作成・投稿したものを差し戻す、というかたちで私は合意できます。ご懸念の今後の後続投稿を考慮に入れれば、上記の変更と差し戻しを行ったうえで、より強固な編集保護を依頼すればベストですね。これに合意できない場合のみ、頭痛氏の文案をお出し下さい。Sazankasaita氏はまた別の意見をお持ちかと存じますので、これは私個人の合意条件です。Sazankasaita氏の文面は恣意的な引用を含まず、事実のみを記述したもので、イメージに十分配慮したものであると考えます。田中和生氏、石堂藍氏はプロの文筆家であり、その署名入りの見解の発表は信頼できる第三者情報源と見なされるべきでしょう。つまり、両氏の公表した見解(原稿)は、今後の両氏の公刊物にこれらの原稿が収録される蓋然性のあるもの(商業出版物に準じるもの)と考えられます。川上未映子氏のブログ記事も同様だと言えばご理解頂けると思います。頭痛氏も川上未映子氏のブログ記事は自己発表であるから公刊物より信頼性が低いとは仰らないでしょう。従って例えば、無署名の雑誌記事などより、田中・石堂両氏の公表物は信頼性が遥かに高いのです。Wikipediaはネット時代の百科事典です。リンクを張ればユーザーが直接原典に当たれます。この点、既存の紙メディア・放送メディアよりも客観性が高くなります。なお、一般の百科・文学事典も、一次資料(この場合、田中、石堂両氏のネット上で公表された書名入り記事)に当たった記述が、より良いとされます。研究書も同断です。頭痛氏は、一次資料の価値の高さを否定はなさらないでしょう。ゆえに、報道云々は現段階では当該事項を記載する必要条件ではありません。以上、頭痛氏のご理解と合意を期待いたします。なお、頭痛氏の返答が無い場合、最初期の項目名・記述に合意を得られたものと解します。--Akari-light 2010年12月4日 (土) 11:46 (UTC)


頭痛さんにお答えします。 田中和生氏の「暫定的な措置」というのに注目して頂きたいのですが、この内容は「川上さんから適切 な表明がなされないかぎり、時評の対象としないことをここに宣言します。」というものです。 「時評」とは、「毎日新聞」の文芸時評を指します。なるほど田中氏の論評は自己公表された情報に該当 するのでしょうが、その内容は「一般的な報道機関」である全国新聞での文芸時評に反映されるものなの です。田中氏だけの表明だけでしたら慎重を期す必要もあるかもしれません。しかし石堂藍氏も実名で 「中立的な論評」を公表しているのですから、出典の強固さは充分に満たされています。

「盗作疑惑・アイデア盗用疑惑」というタイトルも、適切なものだと考えられます。というのも、あなた の提案を採用することになれば、それだけ「批判」の内容が長くなってしまいます。津原泰水の意見表明 に触れ、評論家二名の論評を引用するなら、川上氏本人の騒動に対する処置の仕方なども記載する必要が 出てくるでしょう。これは現在のところ「沈黙」であり、その根拠となる津原氏への「時系列批判」も破 綻が確認されているのです。こういった点を踏まえて、御意見を頂戴できればありがたく思います。 お手数ですが、文案を提示して頂ければ議論がスムーズになるかと思いますので、そちらの方もお願いしたいです。 Sazankasaita 2010年12月4日 (土) 12:48 (UTC)

110.136.168.126さんと頭痛さんに同意します。Akari-lightさんの「盗作疑惑・アイデア盗用疑惑について」の記述は主観的で、悪意ある憶測の域を出ないものであり、本文に記載されるべきではないと思います。Akari-lightさんは、Wikipedia:存命人物の伝記についてよく読んで下さい。「自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません。」とあります。川上氏に否定的である情報なら、なおさら信頼性が問われます。個別に見て行っても、津原氏のブログ、田中氏のブログによる川上氏への言及は、作家や評論家のものとはいえ、内容には2ちゃんねる情報の受け売りが見られます。これではちょっと・・・信頼できる第三者情報源とは言えないのではないでしょうか?また石堂藍氏のウェブサイトでの分析は、「客観的に見て、両作は似た作品とは言いがたいからである。」など、川上氏の表現は盗作にあたらないとの趣旨が明白に読み取れるにも関わらず、それを川上未映子の盗作の指摘と曲解し主張するなど、Akari-lightさんには川上氏への明らかな悪意が認められます。 盗作が立証された訳でもありません。どのメディアも「川上氏の盗作」などと報道してはいません。そんな状態で、悪意のある者によって事実と反する記述などはされるべきではありません。現段階で、盗作がなされたという事が事実であるかのように扇情的に記述されれば、川上氏への名誉毀損になるでしょう。Wikipedia:名誉毀損を御覧下さい。 盗作と憶測し問題にしているのが津原氏とその知り合いだけで、川上氏がこの件に何のコメントもしていないならば、この件は津原氏の問題であり、津原氏のページに記載するべきだとも思います。Akari-lightさんに伺いたいのですが、津原氏による川上氏への批判を、なぜ津原氏のページに記載するべきでないのでしょうか?                                                            ーー吹雪饅頭

頭痛氏へ

110.136.168.126です。 この度は適切なご助言有難うございました。 ご指導に従いアカウントをとりましたので宜しくお願い致します。

頭痛氏のご提案された、「「盗作疑惑・アイデア盗用疑惑」という扇情的な見出しはよくありません。「批判」という見出しにして、津原泰水の意見表明に触れつつ田中、石堂の見解を適度に引用してそちらをメインにする」 という形には合意致しますが、Akari-light氏がご提案されている「当初Sazankasaita氏が作成・投稿したものを差し戻す」という形には合意できません。 理由は前回私が指摘した通り、客観的な事実の記載を欠いている為です。 盗作に関する読者による指摘は、川上氏に対し批判的な発言を現在に至るまで行っている津原氏のブログ・BBSによってなされたものであり、 これは閲覧する第三者が情報を客観的に判断するうえで欠くことの出来ない事実であると考えるからです。 よってSazankasaita氏が作成・投稿した文章に、「読者による指摘は、川上氏に対し批判的な発言を続けている津原氏のブログ・BBSに於いてなされた」という一文を加えること提案致します。

ただ前回指摘した通り、「川上氏に関して他の内容で言及し、論評している方が多数居り、そしてそれらが記載されているのではない以上特にこの情報を記載しなければならないという積極的根拠は見当らない」 と私は考えておりますので、単に「批判」という見出しではなく「作品の評価と批判」という見出しにし、 その項目に評価を受けた文章と並列して記載するのが記事の中立性を保つという意味で適切な処置なのではないかと思います。カラひら 2010年12月4日 (土) 13:48 (UTC)

吹雪饅頭氏へ

吹雪饅頭氏が書かれた「盗作が立証された訳でもありません。どのメディアも「川上氏の盗作」などと報道してはいません。そんな状態で、悪意のある者によって事実と反する記述などはされるべきではありません。」という部分は、ウィキペディアの百科事典としての役割を踏まえた議論に於いて、非常に重要なご指摘だと思います。 頭痛氏もご指摘の通り、「存命の作家にとって「盗作の疑い」などと書かれることはイメージの低下に直接つながる事柄ですので、慎重を期するに越したことはない」と私も考えておりますので。カラひら 2010年12月4日 (土) 14:13 (UTC)

吹雪饅頭氏とカラひら氏へ。 吹雪饅頭氏は、110.136.168.126氏と同じく私Akari-lightとSazankasaita氏を混同しておられます。文脈と発言内容の把握をお願い申し上げます。ご質問への回答も既に書かせて頂いております。頭痛氏のアドバイス時刻の表示も遵守してください。なお、カラひら氏は「存命中の作家のイメージ」と仰いますが、それでは同じく存命中の文筆家である田中和生氏・石堂藍氏が公式の署名つきで表明した見解をないがしろにしてよいとお考えですか。事実は事実として記載すべきだと思われます。私は当初案か頭痛氏に向けて提示した折衷案をもって、合意をお待ちしています。よろしくご理解のほどお願い申し上げます。--Akari-light 2010年12月4日 (土) 14:33 (UTC)

えーと・・・とりあえずSazankasaitaさんとAkari-lightさんに返答しますが、まず「自己公表された情報源」というのは要するに執筆した本人以外の検証を得ていないということで、「今後本などに含まれることがありうる」という話は関係ないです。要は編集者や校閲者からのチェックや事実確認を経ていないものは(書き手が誰であれ)それ以外のものよりも重要視されませんよということですね。またWikipediaにおいては優先して扱われるべき資料は一次資料ではなく二次資料で、一次資料の扱いはそれよりも慎重でなくてはなりません(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源)。一般的な話としましても、作品そのものや作家自身の発言(一次資料)だけで批判的に検討した資料(二次資料)にあたっていない百科事典や文学事典などというものはありえません。
「出典の強固さ」については上に述べたとおり発表媒体の性質によるものなので、田中和生の時評に影響するとかいった話も無関係でしょう。どちらかと言えば時評で作品を取り上げないというようなことよりも、この話題が時評で取り上げられない、ということのほうを重視するべきところかもしれませんね。Sazankasaitaさんの二段落目の文章はなにを言っておられるのかよくわかりません。
それでまあ、とりあえず文案を作ってはみたんですが(リンクはまだ貼っていない状況です)
作家の津原泰水は、川上の処女小説「わたくし率 イン歯-、または世界」(2007年)について、自身の短編作品「黄昏抜歯」(初出「小説現代」2002年3月)と作品を構成するアイディアに関して複数の類似点があることを自身ブログにおいて指摘している。ここで津原は一般読者から寄せられた比較検証を提示しており、また川上の2005年のブログ記事「尾崎翠 第九感界彷徨」に関しても角秋勝治の記事「映画 第七官界彷徨-尾崎翠を探して」(『日本海新聞』2001年5月13日付)との間に「部分的酷似」があることを一般読者からの指摘をもとに提示した。

以上の経緯に対し文芸評論家の田中和生は、まず後者について「明白な盗作」と判断し、前者の内容についても「思考が脳ではなく歯に宿るという奇想だけでなく、物語展開としての構造も似てしまうというのは偶然とは言い難く、これでは川上さんが津原さんの作品からアイデアを盗用していると見なされても仕方ありません」と述べ、今後川上側からの意見表明がない限り自身の文芸時評から川上の作品をはずすと宣言した。

またファンタジー評論家の石堂藍もさらに比較検証を行っており、石堂は「「物語の流れが似ている」とはとても言えないだろう」「扱っているテーマも世界も違う。もちろん文体もまったく異なる」としつつ、「歯」に関する「モチーフとそれに関わる重要なアイディア」に類似点を認めているが、借用があったのかどうかという点については「ありきたりに過ぎるが、確かなことは何も言えない」と結論している。

リンク先にあった文章をちゃんと読んでみたところ石堂藍のほうは「何とも言えない」とはっきり言っていて別に「批判」にはなってないんですよね。こうするとどうしても「批判」という見出しはしっくりこないことになってしまうし、進行中・未決定の事柄について「ちょっと触れる」というには文章の量が多すぎます。もとの見出しをもうちょっとオブラートにくるんで「盗作疑惑に関して」みたいな感じにするということも考えたんですが、やっぱり公刊された情報源が出てくるまで様子見としたほうがいいような気がしますね。田中和生の措置も要するに「はっきりしたことがわかるまで様子見」ということですし、事典に書く価値があるほどの影響をこの件が及ぼしたかどうか、という点はまだ微妙なように思います。
あと別にここの意見は多数決で判断されるわけじゃないので、大挙して押し寄せてくるのはやめてもらえませんかね。--頭痛 2010年12月4日 (土) 16:03 (UTC)

頭痛氏へ。 ご回答ならびに文案のご提示ありがとうございました。また、ご指摘にも感謝します。「信頼できる情報源」をよく読んでみました。当初案は「事実」と「検証可能な意見」または、いわば「1.5次資料」から成ると考えます。田中・石堂両氏の見解は、少なくとも「検証可能な意見」に該当しますね。その存在があるということは「事実」、リンクにより「検証可能」ですから、Wikipediaに掲載するうえで問題はありません。同時に田中・石堂両氏の見解は、専門家(≒学者)の手になるもので、編集者などの手を経ていないとしても、川上氏の盗作・アイデア盗用問題を、信頼できる第三者として、一次元上の視点から考察したものですから、いわば「1.5次資料」と位置付けできます。いずれにせよ、Wikipediaで取り扱い可能なものですね。次にWikipediaに掲載するか否(様子見する)かですが、本件は既に十分社会化されており、記載されるべきと考えます。様子見はむしろ記載し(後続のより過激な投稿への懸念から)保護したうえで、今後の動向について行うのが適切でしょう。 最後に、項目名と文案についてですが、なるほど頭痛氏の仰る通り、項目名は「盗作疑惑に関して」または「盗作・アイデア盗用疑惑に関して」が適切かと存じます。文案については、3点修正案があります。1.冒頭を「2010年9月、一般読者からの指摘により作家の津原泰水は~公式ブログにおいて同意を示した」とすること。2.川上の処女小説「わたくし率 イン歯-、または世界」(2007年)→(初出2007年4月「早稲田文学0号」)とすること。3.田中・石堂両氏の見解からの引用は恣意的・主観的になりますから、除去すること。以上です。これをもって、私個人の合意条件とします。Sazankasaita氏のご見解はまた別かと存じますので、それを待って、合意形成へと進められればと希望します。宜しくご了承下さいませ。--Akari-light2010年12月5日 (日) 02:29 (UTC)


カラひらです。 pswdを失念してしまい、再度「カラひらです」でアカウントを取り直しましたので宜しくお願い致します。 また後ほど改めて書き込みを致します。カラひらです 2010年12月5日 (日) 03:42 (UTC)

みなさんへ。そもそもの事の顛末というのは、こうなのしょうか?ちょっと振り返ってみましょう。主観もまじるでしょうが、津原氏の掲示板をまとめてみます。川上氏が新潮新人賞の選考委員に抜擢された事を受けて、津原氏が7月中旬に自身の掲示板で異議を唱えたのです。津原氏は、川上氏の尊敬する尾崎翠の存在を教えたのは自分だし、芥川賞の取り方を教えたのも自分だという趣旨の主張をしました。実は川上氏は自分ほど尾崎翠に詳しくないし、芥川賞をとるのに必死で自分を頼って来た、賞をとった今は自分を無視していて怪しからんと。つまり津原氏によると、川上氏はまだまだ実力のたりない新人で、自分の様なベテラン作家の実力にはほど遠いから、審査員としては不適格だということになるそうです。津原氏のBBSでなされたこれらの主張に対し、川上氏は「津原さんは勘違いされているのでしょう。困惑しています。」と述べ、津原氏との対話拒否の姿勢を固めました。この川上氏のコメントに対し津原氏は激昂し、川上氏への誹謗中傷やプライベート暴露、ゴシップなどを数ヶ月に渡って自身の掲示板に書きつづけているのです。そのゴシップの一つが、盗作疑惑という訳です。 しかし津原氏やファンの人たちが、どの出版社やマスコミに盗作の指摘を訴えても、どこからも無視された様です。それで津原氏は、「盗作については告訴しない」ということに決めました。出版社とマスコミに無視された津原氏とそのファンは、川上氏が新潮新人賞の席に座る前になんとか盗作疑惑の事を広めようと、未だに策を労しています。2ちゃんねるに噂を広めたり、ウィキペディアの記事に掲載しようとしたり。ウィキペディアでは一度「問題が社会化されていない」とシャットアウトされたので、津原氏は知り合いの田中氏に応援を頼みました。それが反映されたのが田中氏のブログです。また、津原氏の知り合いの石堂氏もこれを見て比較検証しました。 この事の顛末を眺めていた私は、こんな下らない茶番をウィキペディアに掲載するのは、ちょっとありえない話だと思っています。くりかえしますが、盗作は立証されていませんし、どのメディアも川上氏の盗作を報道していないんです。それに先行してウィキペディアに記事を掲載などというような軽薄な措置をとると、ウィキペディアの百科事典としての情報の信頼性が揺らいでくるのです。頭痛さんやカラひらですさんのおっしゃる通り、この件は見送った方がいいと思います。もし記事を掲載するなら、川上未映子のページだけでなく、津原泰水のページにも記事を分割して載せるべきでしょう。--吹雪饅頭 2010年12月5日 (日) 09:01 (UTC)


頭痛氏へ。 文案のご提示ありがとうございました。合意に向けて検討します。頭痛氏の提案とAkari-light氏の提案と、 この後のカラひら氏からの提案を待ち検討し総合した最終文案を提示したいと思いますので、 カラひら氏は、頭痛氏とAkari-light氏の提案に異論があれば、文案のご提示をお願いします。 吹雪饅頭氏にも異論があれば、同様に文案のご提示をお願いします。 Sazankasaita 2010年12月5日 (日) 09:27 (UTC)


カラひらです。

結論から申し上げます。 前回投稿致しました、「頭痛氏のご提案に条件付で合意」を撤回し、この話題を現段階で記事にすること自体に反対を致します。 理由は以下の通りです。 その後調べましたところ、今回の話題である盗作疑惑に関して当事者である津原氏自身が法的には問題が無いとの発言をしているのを確認しました。 また今回の話題について意見を表明している客観的第三者であるお二方のうちの一人である石堂氏は、両作を比較検証した上、頭痛氏や吹雪饅頭氏がおっしゃるように「ありきたりに過ぎるが、確かなことは何も言えない」と結論づけております。 一方の田中氏に至っては、自身の手による両作品の比較検証はしておらず、津原氏の主張にただ賛同し、それに対する川上氏の意見表明を求めているといった状況です。 さらに頭痛氏がおっしゃる通り、現時点に於いて上記お二方以外の大多数の著名な客観的第三者はこの話題を取り上げてすらいません。 にも関わらず、経緯のみとはいえ盗作疑惑としてその内容を記事にして掲載してしまうと、 ウィキペディアの公式な編集方針の一つである「ウィキペディアは百科事典であって、新聞ではありません。扇情的な速報を伝え、あるいは人々の生活について刺激的な主張を先頭に立って広めることはウィキペディアの果たすべき役割ではありません。」 に反するのでではと私には感じられるのです。 疑惑というだけでその話題を記載されたことにより、その当人の評判を傷つける可能性がある以上、新聞や週刊誌ではない、あくまで百科事典である ウィキペディアの本質とは懸け離れてしまいます。 存命中の人物に関する記事に関しては、その内容にやはり慎重を期すべきであると私は考えます。

また当該記事が名誉毀損の恐れがあると判断された場合、当然、記事の内容に合意した私自身がその責任の一端を担うこととなります。 私はそのような可能性のある記事の作成に加担したくはありません。

よって最初に申し上げた通り、この話題を現段階で記事にすること自体に私は反対を表明致します。

以上です。カラひらです 2010年12月5日 (日) 14:19 (UTC)


吹雪饅頭氏へ。 本ノートにおける「吹雪饅頭2010年12月5日 (日) 09:01 (UTC)」のあなたの記述は、津原泰水氏、津原泰水氏のファンの人たち、田中和生氏、石堂藍氏ならびに現在Wikipediaに本件を記載するにあたっての議論を進めている私たちに対する、不適切な内容を含みます。なぜなら、なんぴとも知りえない「個人の内面」に対する憶測を事実として断定し、事実を歪曲した表現を行っているからです。私はこのことを大変遺憾に思います。Sazankasaita氏のご要望の通り、吹雪饅頭氏の文案提示を希望いたします。上、宜しくご理解賜りますようお願いいたします。--Akari-light 2010年12月6日 (月) 06:22 (UTC)


吹雪饅頭さんへ。 さらさらっと嘘を多々混ぜるのはお止めください。 非常にわかりやすい嘘をまずは一点だけ指摘しましょう(他にも嘘は多々あります)。 「津原氏は知り合いの田中氏に応援を頼みました。それが反映されたのが田中氏のブログです。」 と吹雪饅頭さんは書いています。 しかし、津原氏と田中氏は一面識もありません。 津原氏と田中氏が知り合いである証拠、津原氏が田中氏に応援を頼んだ証拠を、 吹雪饅頭さんは必ず提示してください。議論に嘘を織りまぜる時点で、 吹雪饅頭さんの主張は信頼性が無い、無効ということです。--Sazankasaita 2010年12月6日 (月) 09:37 (UTC)


カラひらですさんへ。 カラひらですさんの合意に向けた「頭痛氏のご提案に条件付で合意」を撤回には 正直理解しかねます。その理由に、「現時点に於いて上記お二方以外の大多数の 著名な客観的第三者はこの話題を取り上げてすらいません」とのことですが、 前例を基に考えてみると、平野啓一郎の盗作疑惑に関しては、著作権者による 「自己公表された情報源」 しかないのにも関わらずウィキペディアに記載されています。 二方は著名な客観的第三者と言えます。 本件はこの前例に比べてみると、強固な情報源を備えています。 また平野の件は「盗作疑惑」のみの記載になりますが、今回は「盗作疑惑」と「盗用疑惑」 の二つが問題視されているわけですから、記載する価値は充分にあるといえます。

カラひらですさんの「当該記事が名誉毀損の恐れがあるから合意した私自身がそ の責任の一端を担うことになり、私はそのような可能性のある記事の作成に加担 したくはありません」とは、カラひらですさんの独断で、 これ以上の話し合いを拒否したものと思えます。 ウィキペディアが百科事典であるなら、片方に都合のいいことは載せ、 都合の悪いことは載せないなど、それこそ百科事典としての用がなく、 中立的なウィキペディアの規定にも反することと言えるでしょう。 --Sazankasaita 2010年12月6日 (月) 09:37 (UTC)


頭痛さん、Akari-lightさんへ

両氏の文案を検討した最終文案を提示して置きます。よろしいでしょうか?

項目「盗作と盗用の疑惑に関して」(仮題)

2010年9月、一般読者から寄せられた比較検証により、作家の津原泰水は、川上の処女小説「わたくし率 イン歯-、または世界」(初出「早稲田文学0」2007年4月)について、自身の短編作品「黄昏抜歯」(初出「小説現代」2002年3月)と作品を構成するアイディアに関して複数の類似点があることを自身ブログにおいて提示しており、また川上の2005年のブログ記事「尾崎翠第九感界彷徨」に関しても、角秋勝治の記事「映画 第七官界彷徨-尾崎翠を探して」(「日本海新聞」2001年5月13日付)との間に「部分的酷似」があることを一般読者からの指摘をもとに提示した。

以上の経緯に対し、文芸評論家の田中和生は、まず後者について「明白な盗作」と判断し、前者の内容についても「思考が脳ではなく歯に宿るという奇想だけでなく、物語展開としての構造も似てしまうというのは偶然とは言い難く、これでは川上さんが津原さんの作品からアイデアを盗用していると見なされても仕方ありません」と述べ、今後川上側からの意見表明がない限り自身の文芸時評から川上の作品をはずすと宣言した。

またファンタジー評論家の石堂藍もさらに比較検証を行っており、石堂は「「物語の流れが似ている」とはとても言えないだろう」「扱っているテーマも世界も違う。もちろん文体もまったく異なる」としつつ、「歯」に関する「モチーフとそれに関わる重要なアイディア」に類似点を認めているが、借用があったのかどうかという点については「ありきたりに過ぎるが、確かなことは何も言えない」と結論している。

2010年12月5日現在、早稲田文学と川上未映子本人からの釈明はない。 --Sazankasaita 2010年12月6日 (月) 09:44 (UTC)

2010年12月5日 (日) 09:01 (UTC)の私の書き込みについて指摘があるようなのでお答えします。


http://6020.teacup.com/tsuhara/bbs/1179


http://6020.teacup.com/tsuhara/bbs/1178他


出版社などに川上氏が盗作だと訴えて返事がない状況


http://6300.teacup.com/osamun/bbs/t9/l50


http://6020.teacup.com/tsuhara/bbs/1164


Akari-lightさんによる草の根不買運動、2ちゃんねる文学板との結託


http://6020.teacup.com/tsuhara/bbs/1182


津原氏による田中氏への依頼


http://isidora.sakura.ne.jp/isi/ran67.html


2ちゃんねるを見た石堂氏の反応


http://6020.teacup.com/tsuhara/bbs/964


津原氏が芥川賞の取り方を川上氏(今は没交渉)に指南したとコメント


私は掲示板の様子をかいつまんで並べ直しただけと思っていますし、主観のまじらない意見などないでしょう。しかし、問題があるという指摘を受けたので、断定を避けて疑問形にしておきましょう。Akari-lightさんは Wikipedia:法的な脅迫をしないをお読みください。

Akari-lightさんとSazankasaitaさんは絶対に載せたい文案のことで頭が一杯のようですが、記事を記述したいという気持ちを優先させすぎて、しっかり議論をするというよりは、強引に合意を迫り、他の利用者の意見をないがしろにしてはいませんか?頭痛さんは一応文案は出したものの、「事典に書く価値があるほどの影響をこの件が及ぼしたかどうか、という点はまだ微妙なように思います。」と付け加えているし、カラひらですさんも、「この話題を現段階で記事にすること自体に私は反対を表明致します。」とおっしゃっています。私も、果たしてこの、川上氏の業績にとってマイナスで、しかも大して話題にもされていない、第三者情報源として確かとは言えない所から発せられた「疑惑」は、Wikipedia:特筆性 Wikipedia:存命人物の伝記でお分かりのように、百科事典ウィキペディアに書かれる必要があるのかどうかと疑っています。話題が書籍化されてからなら載せる必要は出て来るとは思いますが。つまり、現段階では載せるべきでないでしょう。思うのですが、津原氏のページに「疑惑」のことが書かれていないのは、「疑惑」が書くに値しない瑣末事だからじゃないんですか?だったら、川上氏のページにはなおさら書く必然性がないんじゃないでしょうか?--吹雪饅頭 2010年12月6日 (月) 11:36 (UTC)

吹雪饅頭氏へ応答いたします。 まず、私は、吹雪饅頭氏からご指摘を受ける前に、法的用語の使用を自主的に撤回しております。ご確認下さい。しかし、ご不快であられたのなら、この点お詫び申し上げます。次に「草の根不買運動」は、消費者の自由でありますから、これを問題視される理由が分かりません。「2ちゃんねる文学板との結託」につきましては、「結託」とは大変にイメージの悪い言葉であり、こうした言葉を使用されるのは心外であり心痛であります。「コミュニケーション」と言い換えて頂くことを希望します。そして、「津原氏による田中氏への依頼」は事実誤認です。津原氏が田中氏に直接依頼をしたわけではないからです。津原氏が「文学愛好者の皆様」という不特定多数に対してメッセージの転記・URLの紹介を「お願い」した結果、田中和生氏が自主的に呼応されたというのが事実です。下記URLをご確認のうえ、訂正を希望します。 http://6020.teacup.com/tsuhara/bbs/1181 http://6020.teacup.com/tsuhara/bbs/1192 なお、本件につきまして私は、Sazankasaita氏の最終文案は「信頼できる情報源に基づいて(=真実性・相当性)百科事典の記事を(=公共性)誰でも利用できる百科事典を作る目的で(=公益性)記述した」ものと解することが出来ると考えております。以上、宜しくご理解の程お願い申し上げます。--Akari-light 2010年12月6日 (月) 12:10 (UTC)


Akari-lightさんにお答えします。 http://6020.teacup.com/tsuhara/bbs/1182

ここで田中氏本人が「転記の依頼」とはっきり書いてますよ?それをどう解釈するかはAkari-lightさんの主観によるでしょう。

それから、私は、編集合戦から保護にいたり、ノートで論争するというような事態をできれば避けたいのです。 http://6300.teacup.com/osamun/bbs/t9/l50

この烏賊娘という人を見て下さい。津原氏の掲示板にスレッドを立て、ウィキペディアの編集に関して熱弁を振るっています。 http://mimizun.com/log/2ch/book/1290806241/609

そして、おそらく同時進行で動いていたと思われる2ちゃんねるのスレッドでも、同じ文体同じ語彙同じ名前で津原氏の掲示板の烏賊娘と同一人物であろう烏賊娘がこう言っています。「よくあることなんでゲソね……(笑) 取り敢えず、津原BBSに載せた「烏賊娘案」をwikiに記載するということ でイイでゲソかね? 必ずといっていいほど編集合戦になるでゲソから、 灯さん(Akari-lightさん)の草案はその過程で参考にしたり、または補助的なテクストにしたり と有効活用すればイイんじゃなイカ? 私はwikiへの載せ方や編集合戦の作法 を知らないので、ここからはどなたか引き継いでみんなを引っ張っていって ほしいでゲソ。正義のう○こさん、どうでゲソか? 編集合戦(笑)」 編集合戦になるであろうことを予め予測し、それを楽しみにでもしているような口調です。そして、烏賊娘の予想通り、川上氏のページでは編集合戦が起き、保護されノートでの議論を余儀なくされるという事態が起こっています。 ここでWikipedia:論争の解決を見ていただきたいのですが、論争の回避ステップ1に、「注意すべきなのは荒らしと真摯な主張の対立を区別することです。荒らす人はあなたが怒って過激な行動をとることや、編集合戦が起きることを楽しみにして意図的に偏った編集を行う場合があります。」とあります。編集合戦が起きる事を楽しみにしていた人物というのは烏賊娘によくあてはまります。つまり、烏賊娘という明らかな荒らしの立てたスレッドで、Akari-lightさんは烏賊娘と何度もコンタクトをとり、協力関係にあったということになります。なので、2ちゃんねるの荒らしと協力し、偏った記事をウィキペディアに載せようと躍起になっている自分を、落ち着いて客観的に眺めてみることが、今のAkari-lightさんには必要であるように思います。安易に荒らしと呼ぶ事は避けなければなりませんが、Akari-lightさんは、この場に置いては潜在的に荒らしである可能性があります。--吹雪饅頭 2010年12月6日 (月) 14:00 (UTC)

本人確認の容易でないBBSの話などを持ち出されても対応しかねますので、やめてください。論点も拡散するので。
ちょっと前のところまで戻りますが、Akari-lightさんへの説明はちょっと言葉が足りなかったかもしれません。「津原による川上作品に対する指摘」が今ここで問題となっている事柄ですから、この場合一次資料は「両者の作品自体」「読者の指摘」「当人である津原のブログ」などであり、第三者の立場からコメントしている石堂、田中のブログは二次資料になります。なお田中と津原の仲がいいのか悪いのか知りませんが、田中和生も津原とは独立した著名性を持って活動している人物ですから、何か資本提携でもしていない限りは津原とは無関係な第三者として扱われます。
その上で現在問題となっているのは、「津原による川上作品に対する指摘」が事典に掲載するに足るような社会的影響を及ぼしているかどうかです。津原のBBSで何が書かれたとか津原が公開質問状を送ったというのは、問題の当事者である津原とその関係者の行動に留まっていますから、細かい説明は省きますがWikipedia:検証可能性の方針上Wikipediaでは「社会的影響」に加味されません。で、一応の社会的影響と言えるような事態は今のところ石堂と田中のブログ上のコメントなのですが、以前説明したようにブログ(自己公表された情報源)の扱いが微妙なので、「ブログのコメント」だけではなんとも言えないわけなんですね。だから今のところ社会的影響としてはっきり言えるものは「田中和生が新聞の文芸時評での川上作品への言及を見合わせた」という、これ一点だけということになる。
まあ田中の文章を見ると川上の「盗用」をほぼ断定していますので、一評論家の一作家に対する見解としては記載する価値は十分あると考えていいかもしれません。ただ一方の石堂の検証では「はっきりしたことは言えない」という見解もでているわけで、例えばもしかしたら、田中が別の評論家から即断をたしなめられて意見を撤回したりすることがあるかもしれないし、あるいは川上側の説明を受けて納得し早々に意見変更したりするかもしれない。そういう可能性がどれほどあるかわかりませんが、万が一そうなると田中の見解を重視して記載したこちらのほうも早とちりだったということになってしまいます。田中のブログの日付が11月26日、石堂のが11月30日でまだ一週間から10日経ったというにすぎませんから、要するにそうした状況の変化を見極めるには十分な時間が経っていないと思われるわけです。
なのでまあ、これから1ヶ月ほど記事に触らずに様子を見る、ということにしてはどうですか。その間にもしかしたら上に書いたようなことが起こるかもしれないし、逆に記載するに足るような決定的な第三者情報源が出てきたりするかもしれない。どっちにしろ近いうちにそういった状況の変化が起これば、、今のような微妙な状況で細かいことをあれこれ議論しているのはまったくの無駄な苦労だったということになりかねません。1ヶ月のあいだにそうした変化がおこればその変化した状況をもとに議論を始められますし、もし何の変化もなければまた一ヶ月後に「この状態で記載するかどうか」の議論を再開すればよいでしょうから。繰り返すように急いで記載する理由は事典の側としてはまったくありませんので。--頭痛 2010年12月6日 (月) 14:37 (UTC)

頭痛氏へ応答します。まず、一次資料、二次資料に関する丁寧なご教示に感謝申し上げます。頭痛氏の仰る通り、田中和生氏、石堂藍氏の見解は二次資料ということで了解いたしました。次に、現段階で田中和生氏は「今後発表される〔川上〕作品でアイデア盗用の可能性がないということが明白になれば〔時評の対象から外す処置は〕すぐに撤回いたします」と述べておられます。つまり、今後アイデア盗用の可能性がないことが明白にならなければ、処置は撤回されないということです。今後アイデア盗用の可能性がないことが明白になるためには、未来にわたる確たる保証が必要ですから、川上未映子氏から公に以後アイデア盗用の可能性はないことを証明して頂く必要があります。この証明は非常に困難なものです。従って、田中氏の処置の撤回までには相当の時間がかかる可能性の方が高いのです。早とちりを懸念して記載を先延ばしにすることに違和感を感じるゆえんです。そして、これとは別に「尾崎翠 第九感界彷徨」問題があります。これは津原氏(この問題については第三者)からは「法的に盗作」、田中氏からは「明白な盗作」と断じられています。この問題をどう取り扱うか、少し考えさせて頂きたく存じます。可能であれば、頭痛氏のご見解もお伺いしたいところです。宜しくお願いいたします。最後に、1ヶ月という期限に特に根拠はありませんから、記載を待つとしても、例えば「1ヶ月後但し状況が変化し次第」とするのが妥当かと存じます。この「わたくし率」問題の記載を待つか否かについても、少し考えさせて頂きたく存じます。以上、取り急ぎお返事まで。--Akari-light 2010年12月6日 (月) 16:26 (UTC)


必ず証拠を出せというから、事の顛末について裏付けとなるリンク先を示し説明したのですが・・・。それに対してAkari-lightさんからの具体的な反論がないということは、2010年12月5日 (日) 09:01 (UTC)で示した、事の顛末については記述に誤りがないということでいいのでしょうね。単なる観察者の私の記述と、熱狂的な津原ファンで思い入れがあるAkari-lightさんの主観との間に差があっただけということでしょうか。まあこれは話の本筋ではありませんから以後言及を控えますが。 それから、 Wikipedia:信頼できる情報源についてですが、編集者の監視を受けていない田中氏や石堂氏のブログは、一次資料になるのではないですか?「独立した二次資料とは?」の欄に、「編集者の監視をうけている・合作していない・利用できる一次資料を彼ら自身で見ており、評価するに当たっては彼ら自身の判断を使っている」とありますから、田中氏と石堂氏のブログはこの基準を満たしていないということになります。二次資料未満、ということはつまり一次資料です。もし、将来、信頼できる出版元から彼らの比較検証ブログが書籍化されれば、それらは二次資料になりウィキペディアに掲載できる可能性はありますが、今の所は、材料は一次資料だけなので掲載できないでしょう。これはルールなので、Akari-lightさんとSazankasaitaさんにもご理解いただきたい所ではあります。今、個人のブログで発せられている「疑惑」の細かい点について我々がどう感じるか、ああでもないこうでもないといつまでも議論するのは、あまり意味がないと言えます。ウィキペディアの川上ページで盗作疑惑のことを議論するのは、専門家による作品の比較検証が信頼できる出版社から書籍化されてからにしてもらえないでしょうか。もしくは、盗作疑惑をめぐって訴訟がおきる可能性もあります。それまで議論は待って下さい。頭痛さんから一ヶ月の待機期間が提案されましたが、一ヶ月と言わず半年でも待って、事態が変わるのを見つめてみましょう。--吹雪饅頭 2010年12月7日 (火) 05:54 (UTC)


頭痛氏へ 中立的なご意見による議論の整理、ありがとうございます。 二点ほど、Akari-light氏の主張を補足しつつ確認しておきたいのですが。 まず、石堂氏は本件に関する結論として「ありきたりに過ぎるが、確かなことは何も言えない」と述べているのではありません。 それはあくまでも、比較検証した結果です。以前引用させていただいたので恐縮ですが、石堂氏は本件に関し「世間的には、 川上未映子がモチーフ と作品を決定するような重要なアイディアを借用しているか否かは、作品の良し悪しの問題を離れ、 純文学における新人作家の姿勢・態度として、大きな問題になるということだ」と結論されています。 これは本件を記載する価値があることを裏付ける論評といえるのではないでしょうか。

次に。津原氏は角秋勝治氏の記事「映画 第七官界彷徨- 尾崎翠を探して」からの「盗作疑惑」に関しては第三者です。 津原氏は「盗作疑惑」に関して「検証の必要さえない。誰が見ても角秋記述のコピペがベースであり、筆者[川上]は それが映画に特化した評であることに気付いておらず」と述べています。 盗作疑惑のかかっている作品は事実それほど元ネタと酷似しており、だからこそ田中氏も「明白な盗作」と判断されている のではないでしょうか。この点に関して、「田中が別の評論家から即断をたしなめられて云々」という展開になる可能性は現状 から判断しても極めて低いといって問題ないでしょう。であれば、頭痛氏も田中氏の論評には一定の客観的価値を認められて いるように「盗作疑惑」を現段階で記載しても我々の「早とちり」となることはないと考えられます。この件をウィキペディアに 記載するか否か議論し始めて既に二ヶ月近く経っていることを鑑みても、時期尚早ということはないでしょう。 よって現状では、「盗作疑惑」に関しては記載するのが妥当だと考えます。とはいえ田中氏のブログの日付が11月26日、 石堂氏のが11月30日でまだ一週間から十日経ったというにすぎないというのも確かですね。 そうしましたら、頭痛氏のご提案どおり一ヶ月ほど様子見をして、現状のまま、つまり田中氏が意見を撤回するようなこと がなければ、以前提示した最終文案で記載するという方向で合意に向かいたいのですが、いかがでしょうか。 --Sazankasaita 2010年12月7日 (火) 13:23 (UTC)

「第三者」と言っていたのは単に「当事者以外の誰か」ということではなく、情報源として中立性が望めるような、当事者と明白な利害関係のない第三者ということです。津原が自作からの盗用を主張している時点ですでに川上との間に利害関係が生じていますし、そもそもこの件は現時点では「津原による川上の(複数の)盗用の指摘」という一件であって、「津原の件」と「角秋の件」で別々に起こっているわけではないので、「後者に関しては津原は第三者」ということは不可能です。
石堂が「世間的には~大きな問題となる」と書いているいうのも事典の側から見ればやはりあくまで「そのような一評論家の見解」ということになるので、事典に載せるか載せないかという判断はそれとは話が別です。そのような見解をまったく吟味しなくてよいということではないでしょうが、原則的には「大きな問題なのであればそれにふさわしい情報源が見つかるはず」というのがWikipediaの立場だと思います。「角秋の件」に関する田中の見解も同様です。
期間を1ヶ月としたのは、12月10日に保護が解除されるものですから、それ以降に別の人からの投稿があった場合に差し戻したりというようなことがあると予想されるので、解除後+3週間程度ならまあ持つかなという判断です。あまり編集合戦→保護が繰り返されると記事のほかの部分の加筆が滞るので、私としては一ヶ月間進展がない場合、文案のような中立的な内容の経緯を記しておいて編集合戦を防止しておく、という方向で調整を図ることになると思います(あまり確たることは言えませんが)。文案については修正内容に二、三意見があるのですが、これはまた1ヶ月経ってからにしませんか。これでまた細かい議論が始まるかもしれないし、前述したようにそうした細かい議論に時間を使っても状況が変わって文案を変えざるを得なくなったりすれば無意味になります。
あと少し検索してみたところ、豊崎由美の多分自費出版の本にこの件の言及があったらしく、佐々木敦が関心を示しているツイート[3]がありましたので、世間の耳目を集めつつあるのは確かなようです。--頭痛 2010年12月7日 (火) 16:19 (UTC)

Wikipedia:存命人物の伝記を読んでみて下さい。 「自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません。」とあるとおり、例え批評家や著名ライターの物であれ、個人的ウェブサイトやブログ、自費出版本などは、百科事典に載せるべき資料にはなりえません。

それに、今回のこの川上氏と津原氏のやりとりが、特筆に値するほど重大な事件だったと言えるでしょうか?津原氏はふざけ半分に川上氏をからかって話題を集め、新作やら何やらの宣伝をしていただけのようにも見えます。それならば、思わせぶりにあれこれとゴシップネタを匂わせるだけの津原氏よりももっと過激に川上氏を叱咤激励している批評家の権威、東浩紀の記事を川上ページに加えないかと提案する人が現れても不思議ではありません。文壇の重鎮石原慎太郎も川上氏を痛烈にこき下ろしましたから、それを書こうという人が出て来てもいいはずです。それなのになぜか、ことさらに津原氏ばかり取り上げて「津原川上を記事にする必要がある!ぜひ合意を!」と切羽詰まったようにワーワー騒ぐ人が数人いるようで、これはちょっとおかしな状況です。ウィキペディアは公平中立であるべき、百科事典的であるべきです・・・とりあえずは、「盗作」などという見苦しい見出しの記事をでかでかと載せて無闇に外部リンクを貼りまくるのはウィキペディア編纂の基本方針と異なりますし、バランス的にもおかしいですからやめてもうらうことにして、冷却期間を十分に置き、その後で、川上未映子のページ右側の枠内にある「影響を受けたもの」のリストに今永井均の名がありますが、そこに太宰治、尾崎翠、笙野頼子、町田康、椎名林檎の名と共にさりげなく津原泰水の名前を加えるなどして様子を見、それと同時に津原泰水のページで、本人の公式サイトで川上氏への批評がなされたことをニ〜三行程度の文章で記載すること、としてみるのはどうでしょう?それとも、アンサイクロペディアで新しく川上未映子の項目を作り、自由気ままに思いつく限りの事を派手派手しく書くというなら、特に異論はありません。--吹雪饅頭 2010年12月8日 (水) 05:56 (UTC)

頭痛氏へ。まず、期間を1ヶ月に設定された根拠をご説明頂いたことにお礼を申し上げます。そして、合意形成へ向けて建設的な議論がなされたこと、ならびに頭痛氏が本件の重要性を認識しておられることを確認いたしました。それでは、1.状況変化が無ければ一ヶ月後に、2.Sazankasaita氏の文案を基本にして、3.本件を記載し、4.編集保護措置をもって編集合戦を防止する。5.但し、1ヶ月以内でも状況変化によっては記載を行い、6.細かい修正点については必要最小限の調整を行う、という条件にて私は現時点で合意をいたします。なお、吹雪饅頭氏におかれましては、いまだ私Akari-lightとSazankasaita氏を混同した記述をしておられること(2010年12月7日 (火) 05:54 (UTC)の吹雪饅頭氏の発言)を遺憾に思います。文脈と発言者、発言内容の把握を重ねてお願い申し上げます。私からは以上です。皆様、宜しくご了承下さいませ。--Akari-light 2010年12月8日 (水) 10:04 (UTC)


Akari-light氏のまとめに同意いたします。ありがとうございました。 編集合戦防止のための調整のことを視野に入れていただき、頭痛氏に感謝します。 「文案についての修正内容二、三の意見」についてのみ、今、議論はしませんが、 差し支えなければ参考に伺っておいてもよいでしょうか? --Sazankasaita 2010年12月8日 (水) 14:16 (UTC)

(吹雪饅頭さんへ)存命人物の伝記における情報源については基本的にその通りなのですが、現在取り扱おうとしている情報というのは形式的には「存命の作家・作品に対する他の作家、評論家の批判や見解」で、情報源の不確かな伝記的情報とは少し違うものです。これが例えば川上の生い立ちや学歴などに関する(ゴシップ的な)情報のようなものであれば、発言者が誰であれ記事本人以外の自己公表の情報源に留まっている限り、記載すべきでないということに議論の余地はありません。しかし「田中和生が川上に対してこう述べた」「石堂藍が作品にたいしてこう述べた」という、「評論家の意見」の存在を示す情報源である限りは「そのブログそのもの」は「信頼できる」と見なして差し支えありません(Wikipedia:信頼できる情報源#意見)。従って問題はやはり、それぞれの意見を記載する価値があるか、ならびにその意見を惹起するもとになった出来事が現時点で事典に記載するに足るほどの社会的影響力を持っているかどうか、ということに集約されることになると思います。
(Akari-lightさん、Sazankasaitaさんへ)私は「一ヶ月後に載せるということで合意しよう」と言っているのではなくて、近いうちに状況の変化が起こりうる状態であれこれ議論しても仕方ないから様子を見るためのブランクを設けようと提案しているのです。カラひらさんも吹雪饅頭さんも現時点では「一ヶ月後に掲載」ということに賛成しておられないと思いますから、「一ヶ月経ったら載せるかどうか」でまた議論が始まっては私の提案は何の意味もありません。前述のように提示した文案のような内容であれば記載は可能であると私自身は考えています。ただ一ヶ月の間に私よりも係争問題に詳しいウィキペディアンが現れてストップをかけたりするかもしれませんし、そのような事態が起こった場合に意見を変えないということまで確約することはできません。
修正された文案については、「「アイディア盗用」というのも「盗作」に他ならないのだから見出しは「盗作疑惑に関して」で必要十分」「最後の文は不要と考えるが、入れるにしても「釈明」は嫌疑側に立った言い方であるので「意見表明」が妥当」「「2010年9月に」というように記事内に日付を入れると「○月に~が起こり、○日に~が・・・」というような逐次的な書き込みを惹起するので、裁判にでも発展しない限りは日付は出典情報の形で記すのがよい」などです。
なお方針上予防的な保護を依頼することはできません。--頭痛 2010年12月8日 (水) 15:19 (UTC)

頭痛氏へ。修正案ならびに予防的な保護の件につき、了解しました。ご教示をありがとうございます。私も頭痛氏と同じく、記載は可能であると考えます。確かに将来の予測はできませんが、かと言って延々と様子見ということもまた意味がありませんから、来月には記載の方向で合意形成すべきだと考えます。むしろこちらが主な理由なのですが、極めて蓋然性が高いと懸念される、より過激な内容の投稿を回避するためにもです。もちろん、私にそれを阻止することは出来ないのですが、今の穏当な内容で早めに記載をした方が、抑止力にはなるでしょう。カラひら氏にも吹雪饅頭氏にも、この点をよくご考量頂きたく存じます。しかし、現時点では頭痛氏の提案に合意いたします。--Akari-light 2010年12月8日 (水) 16:01 (UTC)


頭痛さん、親切な解答ありがとうございます。作家本人や評論家の意見なら記事に含めてもいいんですね。了解しました。では私も文案を提示します。盗作疑惑といってもそれは突然ふって沸いて来た訳ではなく、そもそもは津原の掲示板での発言が発端ですから、ここ数ヶ月の間に起きた出来事全体の経緯を追って、川上のコメントは必ず入れて、それぞれの発言を並べて書いた方がわかりやすくていいと思います。平野啓一郎と佐藤亜紀の記事を参考にしました。ご検討ください。

「川上未映子と津原泰水の間の齟齬は以下のように生じた。ホラー作家の津原泰水は2010年7月5日、自身のaquapolis掲示板で、「新人作家に他ならない川上未映子さんが新潮新人賞の審査員になっていると知り、さすがにこれには、違和感をおぼえた。」と語り、「「どうしたら芥川賞をとれますか」という川上さんの質問に、「一頁めに『ちんこ』か『まんこ』という言葉を入れたら」と僕は答えた。その通りにして、彼女は受賞なさった。虚しい。」などと批判した。これに対し、川上は2010年7月22日、自身のブログ純粋悲性批判で「津原さんも記憶違いをされているだけなのでしょう。」と反論し、以後、津原との対話を拒否した。津原はこれを受け、自身の掲示板で約4ヶ月に渡り川上を非難し続け、次に川上の小説「わたくし率イン歯—または世界」が津原の小説「黄昏奥歯」の盗作であると示唆した。評論家の石堂藍は2010年11月30日、自身のウィブサイトIsidora’s Pageの中で両作品について「モチーフが同じで、それに関わる重要なアイディアが似ていても、文章も物語もテーマも違う」と分析し、よって「両作は似た作品とは言いがたい」と結論づけた。この件に関しメディアでは話題にならず、現在の所裁判なども起こっていない。」

一応提示はしてみましたが、実はこの件の社会的影響は、殆どないんですよね。この件の一部始終を記すのは、津原の浅さとネームバリューのなさを如実に著すようで明らかにマイナスだし、特筆性がないと思います。例え記事にするとして、あまり焦って今すぐ速報的な内容を記載しても、百科辞典としての質を損ねるだけでしょう。例えば川上のケースより問題の波及が大きかった平野啓一郎のケースの記事を参考にしてみても、頭痛さんの文案も私の文案もちょっとボリュームがありすぎるから削る必要があるし、見出しで「盗作」という直接的な表現をするのは避けるべきだし、津原のページにも併記される必要が出て来ます。また平野は佐藤に盗作を示唆されてしばらく無視していたものの、後で反応したし対談でも語ったとあるようですから、今はまだまだ先は読めない状況です。川上も今は沈黙していますが、そのうち何か語り出すかも知れません。そうなるとまた記事の書き直しになるでしょう。だから繰り返す様ですがやはり、状況がこれ以上進展しなくなるまで待って、それから改めて記事にするか、記事にするとしたらどう推敲するか慎重に検討したほうがいいですよね。--吹雪饅頭 2010年12月9日 (木) 07:50 (UTC)


頭痛氏へ。修正点、参考になりました。私は記載は可能であると考え、頭痛氏のご提案に同意いたします。 吹雪饅頭氏はAkari-light氏が12月8日 (水) 16:01の投稿で懸念していることをお考えになってみてはいかがでしょうか。 それでは、いろいろとありがとうございました。来月にまた。 --Sazankasaita 2010年12月9日 (木) 09:48 (UTC)

以前提示しましたように(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源)、当事者である作家間のやりとり(一次情報源)をそのまま情報源として使うことは(特に今回のように論争的な題材については)するべきではありません。例えば津原が「掲示板で約4ヶ月に渡り川上を非難し続けた」と書くには、その掲示板の書き込みが本当に「非難」と言うべきものであることを信頼できる第三者の目で検証した出典がなければいけません。またコメントし忘れていたのですが、「一次情報源」「二次情報源」というのは第三者のチェックを経ているかどうかということではなく、対象と情報源との近さで決められるものです。例えば「作家のインタビュー」(一次情報源)が出版社から刊行されても二次情報源になるわけではありません。
私が見解の異なる二人の評論家の言を引用しているのは、そうしないと第三者の検証と中立性を満たせないからです。その点でどうしても文が長くなってしまうのは止むを得ないと思います。また誰でも書き込みができるという性質上、Wikipedia上のほかの記事が常に最善の状態に保たれているという保証はありませんので、「他の記事ではこうなっている」ということはあまり根拠にはなりません。ただ記事内でのバランスが悪くなることや、文面が中立的に書かれていてもその記事自体が書かれていることで盗作の疑いが濃いのだという風に読者が思ってしまうかもしれない、といった点については私も懸念しています。
ともあれ吹雪饅頭さんもカラひらさんも期間はともかく「今は載せないでおく」ということに異論はないかと思いますので、以降はまた一ヵ月後の議論ということにしましょう。なお「状況が変化した場合」ということですが、ブログや同人誌、自費出版本などでの新たな情報が現れたとしても形式的には現在の状態と問題となるところは変わらないと思いますので、具体的には新聞、雑誌、ニュースなどに類する第三者情報源に取り上げられた場合か、あるいは川上、津原どちらかのこの件に対する見解がそのような公刊された情報源に掲載された場合、ということになるかと思います。以上特に問題がなければ一旦終了としましょう。--頭痛 2010年12月9日 (木) 12:44 (UTC)

「他の記事ではこうなっている」ということはあまり根拠にはなりませんというのは頭痛さん個人の意見でしょう。Wikipedia:秀逸な記事は、ウィキペディアの編纂者たちが参考にするためにあるんでしょう?記事が完成した他のページはどんどん参考にすべきです。また、参考例は平野啓一郎佐藤亜紀だけにとどまりません。例えば論争をした小説家で言えば笙野頼子のした論争は本人のページとは別に独立して立てられています。本人のページに記事を記載する際にどうしても文章が長くなるなら新しく独立した項目を作ってもいいでしょう。あくまで記事にするとしたらの話です・・・盗作がたんなる疑惑にとどまらず発覚に至りそれについての著作まで刊行されて大騒ぎになった澁澤龍彦寺山修司のページには、盗作の二文字はありません。ですからやはり、Wikipedia:特筆性にもある通り、一部で小規模に話題になっているだけの問題を速報的に記事にするのは適切ではないと強調しておきます。一ヶ月後に議論再開というのには賛成します。 それでは、よいお年を。--吹雪饅頭 2010年12月10日 (金) 09:41 (UTC)

私の意見は個人の意見であなたの意見は個人の意見ではないのでしょうか? 第一平野や笙野の記事の例はどちらかと言えば「十分な第三者情報源がない状態で書かれている」例だと思うのですが・・・。またWikipediaに「完成した」という概念はありません。澁澤や寺山の件は私はよく知りませんが、これらも「単にまだ書かれていない」だけかもしれません。いずれにしろこれらは秀逸な記事や良質な記事ではないです。なおWikipedia:特筆性は単独記事を作るときの基準であって、記事内になにを書くかということを定めたものではありません。速報的な内容についてはWikipedia:最新情報の反映にあるように、問題は速報的か否かではなく、あくまで検証可能な情報源の質ということになると思います。
もっとも、他の記事がどう書かれているかを参照して(書く場合には)前述した懸念をなるべく抑えられるような書き方を模索する、という努力を行なうことは望ましいと思います。私が言っているのは「他の記事がこうなっている」ということは今回の件を「記載する」根拠にも「記載しない」根拠にもならない、ということです。--頭痛 2010年12月10日 (金) 16:19 (UTC)

基本的には頭痛さんは、この件の記載には慎重であるべきという姿勢なのでしょう?だとしたら頭痛さんと私とではあまり意見の相違はないはずです。本来ならこの件は見送るべきであるけれども、記事にするとしたらどうするかで割れているのです。まずWikipedia:最新情報の反映は草案であって特に拘束力はないでしょう。やはり公的な方針となったWikipedia:存命人物の伝記などを遵守して検討すべきです。また、他のページも参考にすべきです。盗作が発覚しても記載されない作家も多い中、川上の盗作疑惑はまだ著作権の専門家によって立証されたわけではないので、載せるに値しないし、盗作疑惑などとスキャンダラスな見出しをつけると名誉毀損になりかねません。カラひらですさんもおっしゃっていた通り、扇情的な、あるいは刺激的な記載はされるべきではありません。また、評論家の意見の扱いについても微妙です。ある作家について評論家が何か言ったとして、その意見が記載されるのはほとんどはその評論家のページです。そして、頭痛さんも問題にしているこの件の社会的影響ですが、これは殆ど皆無なんですよね。それなのに記事が大きく載ると、過剰な内容となりかねません(Wikipedia:過剰な内容の整理)。まあこれらをよく吟味して、また今度相談することとしましょう。ありがとうございました。--吹雪饅頭 2010年12月11日 (土) 09:20 (UTC)

Wikipedia:最新情報の反映は拘束力のある文書として挙げたわけではありません。「速報的な情報を書いてはならない」ということに一致した意見はないという例証として挙げています。「あまり意見の相違はない」とお考えならなぜ私に対して細かな反論を後から後から付け加えようとするのでしょうか?
私の意見はまとめるなら「方針間の兼ね合いを考えると微妙な案件なので」「本来なら待ったほうがいい」が、「諸事情を照らし合わせて考えると」「中立的な文面を考えて載せたほうがいいのかもしれない」ということです。ご自分の都合のいいところでだけ抜き出さないで頂きたい。--頭痛 2010年12月11日 (土) 18:27 (UTC)
それから、Wikipedia上の各方針や法律を持ち出すのはこれらを熟知してからにしていただけないでしょうか。いちいち間違いを指摘させられるのは苦痛です。Wikipedia:過剰な内容の整理に相当するような案件でないことは左の方針を通読すればわかるでしょう。また吹雪饅頭さんはこの件で「名誉毀損」を持ち出しながら一方で町田康に名誉毀損となりかねないAV出演歴を記載するなど、方針や法令を熟知したうえで行動なさっているとはとても思えません。--頭痛 2010年12月11日 (土) 18:38 (UTC)


私が頭痛さんに意見を述べるのは、議論に納得がいかず疑問点が残るからです。議論は尽くされるべきです。苦痛だというなら謝りますが、ウィキペディアのルールに沿いながら議論を進めるのは編纂者の義務だと思います。なぜそこを批判されるのか分かりかねます。また、速報的で扇情的な記事を書かないようにと最初に警告したのはカラひらですさんで、私はこれに同意し、名誉毀損Wikipedia:存命人物の伝記を挙げて指摘したものです。 町田康のAV出演ですが、出演したのは事実ですし、少なくとも山本政志監督は作品について

http://twitter.com/ma345to5/status/24076753300

「懐かしい」と語っていますから、山本と朋友の町田にとって名誉毀損にあたるかどうかは疑問です。映画監督というものは若手の間はAVやピンク映画で経験をつむものです。それに参加することがなぜ本人の名誉を傷つけるのでしょう。町田のAV出演が名誉毀損なのだとしたら、まだ事実だとも断定されていない川上の盗作疑惑などはますます載せるべきではないのでは。--吹雪饅頭 2010年12月12日 (日) 07:14 (UTC)

頭痛氏へ

「以降はまた一ヵ月後の議論」というご提案に同意します。 また、頭痛氏がご紹介された佐々木敦氏のツイートから、「書評王の島 vol.4」においてこの件が触れられていることを知り、 早速書店にて内容を確認致しました。大森望氏と豊崎由美氏のお二人が、様々なトピックについて対談で論ずるなかでこの件についても中立的な立場から論じています。 豊崎氏は両作品についてのコメントはしていませんでしたが、大森氏は両作品について、「全然似ていない」「問題になるような話じゃない」とコメントしていました。 また議論が再開された際には、これらを踏まえて考えたいと思いますので宜しくお願い致します。カラひらです 2010年12月12日 (日) 13:51 (UTC)

吹雪饅頭さんへ
そのビデオの件については本人のHPにも記載がありません。現時点で本人が積極的に公開したくないと考えていると解するべきです。そのAV出演が本人の著名性(俳優活動や作家活動)に大きな影響を及ぼしたとは思えませんから記述すべきではありません。まあさすがに作家や芸能人が過去のAV出演情報を名誉毀損で訴えたりはしないでしょうが、例えば対象が一般人であれば名誉毀損罪で裁判を起こすようなケースになりえます(「なりかねない」と言ったのはそういう意味です)。名誉毀損でなくともプライバシーに配慮するという観点から記載すべきではありません。また単なる経歴情報と「評論家の意見」が違うこと、川上の件で問題になっているのは後者の情報が存在するためなのだということはすでに説明したはずです。私はあなたが理解するまで同じ説明を繰り返さなければならないのでしょうか。
「ルールに沿わなければならない」ことが分かっているのであればまず「ルール」がどういうものかを理解したうえで発言・行動をなさってください。あっちではこう書かれている、こっちではこうなっているとそれぞれを深く吟味せず思いつくままに挙げられては議論の撹乱をしているようにしか見えません。
カラひらさんへ
情報提供ありがとうございます。議論再開後の判断材料の一つになるかと思いますので、再開後にできれば詳しい説明をお願いしたいと思います。--頭痛 2010年12月12日 (日) 17:34 (UTC)

他のページで私が何を書いたかについていつまでも追求するのはやめて下さい。頭痛さんだって過去に投稿ブロックされたり他の利用者に暴言を吐いて厳重注意されたことがあるでしょう。私はそれについて追求するつもりはありません。こんなことを無駄に暴露しあって潰しあいが始まれば記事のためになりません。もっとタイトな議論をすべきです。重要な論点である「この件の社会的影響」について私は「殆どない」と答えましたが、それについて返答を頂いておりません。また、盗作が事実でなければ、記事をのせるのは名誉毀損にあたります。カラひらさんも早々と「書評王の島」を見た様ですが、私も今日注文してみました。--吹雪饅頭 2010年12月14日 (火) 05:01 (UTC)

「いつまでも追求」ってあなたが抗弁するからそれに反論しただけでしょうが。まったく話に関係ないのに突然私のブロック歴を「暴露」しはじめたあなたと一緒にしないでいただきたいですね。「川上は盗作をした」と書けば名誉毀損のおそれがありますが何度も言うように今記載するかどうかと言っているのは「川上が盗作をしているのではないかという評論家などの指摘」です。あなたは根本的な問題点を理解していない。「社会的な影響の有無」については私は過去に見解を述べています。繰り返す必要性を感じません。--頭痛 2010年12月14日 (火) 05:33 (UTC)

心外です。最初に町田の記事の件を言い出したのは頭痛さんでしょう。人のせいにしないでくださいよ。頭痛さんが私の編集履歴を追跡するから私も同じ事をしただけですし。それに逆ギレされても困ります。私が何度も言っているのは、この件が記事にするほどの重要なものなのかという点です。たかだかネットで話題になっているだけで、盗作したかどうかも評論家によって言っている事がまちまちです。評論家の大森望によれば、「まったく問題になるような話じゃない。」とまで言ってるようですし、現在、ツイッターでも川上の読者でこの件をつぶやく人はほんの数人、本当に限られている状況です。ネットをしない人に至ってはこの件を知っている人はいないのではないでしょうか。ほとんどネットの一部だけで話題にされているだけの中でこの件を大げさに扱うのは軽薄に過ぎ、中立性に欠けちっとも百科事典的じゃないし、読者の役にも立たないでしょう。--吹雪饅頭 2010年12月14日 (火) 09:29 (UTC)

私の提示した論点をひとつも理解していないんですね。いくら説明しても無駄なようなので現在これ以上のお相手はいたしません。
この短期間に方針を理解しない書き込みをあちこちで行なって人の手を煩わせておいて「人のせい」とは。正直あきれています。--頭痛 2010年12月14日 (火) 09:37 (UTC)

言われてみれば、頭痛さんは私の他所での編集の訂正をしてくれたのですよね。感謝、感謝。ただしこの話題は私のノートページでする方がふさわしいでしょう。川上未映子のノートページにおいてこの話をするのは、明らかな脱線です。なので話をもどしますが、現在大森望が津原を批判しています。これに対し田中や石堂が反応する可能性があります。論争にでもなれば記事にする価値がでてくるかも知れません。やはりしばらく様子見をした方がいいですね。何となく話が長引いてしまいましたが、また一ヶ月後ということで。--吹雪饅頭 2010年12月15日 (水) 06:59 (UTC)

「盗作問題」の議題に首を突っ込んでおいて自分で著作権侵害を行なう、名誉毀損のおそれがあるだの社会的影響力がないだのと言いながら一般に知られてもいなければ公式サイトにも記載されていない町田康のAV出演歴をブログを根拠にして執拗に記載しようとする、「方針を理解していない」根拠として上の件を持ち出しているのに「関係ないのに暴露しないでください」などと言って話をはぐらかし、こちらが示している方針文書には一向に理解を示そうとしない。あなたのように主張に何ら一貫性がない人間の意見に配慮する意義を私は感じません。一ヶ月後の議論で同様の振る舞いが原因で場が揉めるようならまずブロックを視野に入れたあなた個人に対するコメント依頼で対処します。そのつもりで。--頭痛 2010年12月15日 (水) 09:36 (UTC)

やれやれ、川上に関する建設的な議論を無視して、場違いで過激な個人攻撃が続いている様ですね。私の言動に関する議論をするなら私のノートページに移動していただくように言ったんですけど。頭痛さんはWikipedia:個人攻撃はしないを読んでみて下さい。個人攻撃を継続することは荒らし行為と同義なのではないですか?また私は新規参加者です。まったく悪意はなくても編集ミスをすることはあります。しかしそれをことさらにあげつらって高圧的に批判するのは間違っていませんか。(Wikipedia:新規参加者を苛めないでください)あなたは今いくつかガイドライン違反をしています。頭痛さんは安易に合意形成にもっていくために、意見の違う私のあら探しをして議論から締め出そうとしているのではないですか?論争の解決とはそのようなものではないと思います。--吹雪饅頭 2010年12月15日 (水) 12:32 (UTC)

方針文書を提示するのであれば内容をよく読んでからにしなさい。初心者だという自覚があるなら初心者らしく振舞いなさい。あなたの言動をフォローする期間はすでに過ぎました。自分を初心者と称して開き直る態度にはもはや言葉が出ません。--頭痛 2010年12月15日 (水) 19:37 (UTC)

Wikipedia:コメント依頼/頭痛及びFuji 3)を読みましたが、頭痛さんは以前にも今回とまったく同じ様な問題をおこしているようですね。常習的です。頭痛さんはこの記事の編集長ではないのだから、自分の編集方法を強制するのはやめて下さい。私の他所での言動に関してはここにズラズラ並べるのではなく、整理して私のノートに書いて下さい、意見の一貫性についてですが、私は一貫して記事の掲載には懐疑的な立場をとっています。しかし頭痛さんは「やりとりが作家・批評家間のブログだけに留まっているような「盗作論争」がこれらの事典に掲載されるなどということはまずありえません。」「私はどちらかと言えば見合わせて様子見とするほうが適当だと考えていますが。」と冒頭で述べており私はそれに賛同したものですが、しかし一方で文案の推敲をするなど一貫性が見られないように思われます。私はこのような態度に疑問を感じます。--吹雪饅頭 2010年12月16日 (木) 05:48 (UTC)

再開後の議論[編集]

各位

先月はお世話になりました。合意の1ヵ月後となりましたので、川上未映子さんの 盗作疑惑・アイデア盗用疑惑に関する編集議論を再開しましょう。 その前に、Wikipedia編集にお詳しい頭痛氏にご教示頂きたいのですが、Sazankasaita氏がご使用のPCでは、ノートが広がり過ぎていて、閲覧にご不便があるそうです。僕も確かに現ノートは、分量が多くなり過ぎていて、今後の議論に不便かと思います。新しくノート・スペースを取ることはできますか。可能であればご教示を宜しくお願い致します。 タイトルは本ノートの続きですから「盗作疑惑・アイデア盗用疑惑についてⅡ」でいかがでしょう。--Akari-light 2011年1月8日 (土) 11:34 (UTC)

Akari-lightさん。アウトです。その文章は2ちゃんねるからのコピー&ペーストでしょう。 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1293299187/372

372:灯 ◆fzYrv3Qn2OGl :sage:2011/01/08(土) 16:26:03

さて、Wikipediaの編集再開に向けてのコメントを準備しましょうか。 
「各位 
先月はお世話になりました。合意の1ヵ月後となりましたので、川上未映子さんの 
盗作疑惑・アイデア盗用疑惑に関する編集議論を再開しましょう。 
まず、Wikipedia編集にお詳しい頭痛氏にご教示頂きたいのですが、Sazankasaita氏が 
ご使用のPCでは、ノートが広がり過ぎていて、閲覧にご不便があるそうです。 
僕も確かに現ノートは、分量が多くなり過ぎて、今後の議論に不便かと思います。 
新しくノート・スペースを取ることはできますか。可能であれば宜しくお願い致します。 
タイトルは本ノートの「パートⅡ」でいかがでしょう」 

添削よろしく。

これはガイドライン違反になります。 Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないことのリストに文章を丸写しすることが挙げられています。コピペに返事をさせられる身にもなってください。Sazankasaitaさんも以前に2ちゃんねるの同じスレッドのコピーを投稿していました。あなたがたはウィキペディアを便所の落書きの延長と考えているのでしょうか?いいかげんにしてください。--吹雪饅頭 2011年1月8日 (土) 12:00 (UTC)


現ノートは確かに容量が大きくなりすぎていると思います。一ヶ月経過し、キリもよいので、 「part2」で議論再開に賛同します。吹雪饅頭さんは本人確認が容易でない外部掲示板をあいかわらず 持ち出していますが、今年はもうそういうことはいいかげんお止めくださいね。 丸写しというのは、メッタ斬りから「乳と卵」のあらすじを丸写しされた吹雪饅頭さんのような行為 を指すのです。 --Sazankasaita 2011年1月8日 (土) 13:38 (UTC)

Sazankasaitaさんの言っている事が理解しかねるのですが。都合の悪い指摘をされたらオウム返しで「お前もだろ」とやりかえすのが2ちゃんねる流の「議論」なんですか?Sazankasaitaさん。Akari-lightさんが上記リンクからのコピペをしているのは明白な事実でしょう?比較してみてもほとんどの語彙が一致しています。あなたもまったく同じ事をしておきながら、まったく無反省で棚に上げるのですか?どういう環境で生活していたらそういう反応ができるんでしょうか?

今回の件に「書評王の島」で大森望がコメントしています。ブログ記事について「好きだと言いながら、筋の要約を映画の紹介記事から持って来ちゃったんだとしたら、たしかにちょっと体裁が悪い。でもまあ、作家デビュー前の原稿だし、内容的にも盗作云々という問題では全然ないんですよ。」次にイン歯−について「『わたくし率‥‥』は「黄昏奥歯」には全然似ていないし、仮に歯をモチーフにするという点でインスパイアされたとしても、そんなのは、ほとんどすべての小説についてなにかしら言えることで、まったく問題になるような話じゃない」と盗作を否定しています。 また小谷野敦も自身のブログの中で

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/searchdiary?word=%CC%B5%CD%D1%A4%CE%A4%B3%A4%C8%A4%CA%A4%AC%A4%E9

「断わっておきますが津原泰水の作品からの盗用というのは成り立ちません。せいぜいインスパイアされた程度か。」と、イン歯−の盗作疑惑を否定しています。大森、石堂、小谷野が盗作否定で、田中も「僕は「盗用があった」とは書いていませんし、法的な「盗作」を問題にしているのでもありません。」と述べている様です。報告しておきます。--吹雪饅頭 2011年1月8日 (土) 14:27 (UTC)

とりあえず、小見出しをつけた上で目次を表示させておきました。コメントの際には「再開後の議論」の右側にある[編集]のリンクを使えば書き込みやすくなります。この状態でまだ問題が生じるようであれば言ってください。一記事に対するノートの量を増やすことは基本的にはできないので、その場合は前の議論を過去ログ化する方法を取ることになります。
Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないことで外部サイトから転載をしてはならないと言っているのは、そこに書いてあるとおり著作権侵害となるためです。著作権侵害というのは親告罪なので、明らかにここでの議論で特定の人物に使ってもらうために書かれている文章をその特定の人物が転載しても問題は起こらないでしょう。そのような議論方法が望ましいかどうかはともかくとして。
正直に言いまして私はこの件が中立的な動機から発しているとは思っていなかったのですが、吹雪饅頭さんの議論態度を見る限り、その点は記載に反対している側も同じだと言わざるをえません。どのような考えから書き込まれたものであろうと情報自体は中立的な形に直すことができると考えます。--頭痛 2011年1月8日 (土) 20:38 (UTC)


まず、見出し付きの目次を作成して下さった頭痛氏に感謝申し上げます。現在の議論に大変アクセスしやすくなりました。ありがとうございます。また、的確な状況へのご理解に御礼申し上げます。 さて、議論は合意形成を目指して行われるものです。合意形成には、相互の意見の尊重と歩みよりが大切です。その為に、まず私から、吹雪饅頭氏に折衷案を提示させて頂きます。

『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の『黄昏抜歯』からのアイデア盗用疑惑ですが、吹雪饅頭氏のご主張を勘案するに、田中氏、石堂氏、大森氏、小谷野氏らの相互に異なる見解から最低限共通している要素を抜き出せば、「『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の主要なアイデアは、『黄昏抜歯』からインスパイヤされたものである」となろうかと思います。従って、この件に関しては「津原泰水作品からのインスパイヤ」という項目を立て、文案を作成し、田中氏、石堂氏、小谷野氏の当該問題を扱ったページにリンクを貼る、ということでいかがでしょうか。「第九感界彷徨 尾崎翠」の件については、同項目内で言及し、同じくリンクを貼れば簡潔で良いと考えます。もちろん、別立てで「盗作疑惑について」としても構いません。 吹雪饅頭氏、頭痛氏、Sazankasaita氏のご意見をお待ちしています。--Akari-light 2011年1月9日 (日) 05:25 (UTC)


調べてみたら、Sazankasaitaさんのオウム返しは2ちゃんねるで言う「オマエモナー」というものなんですか。こういう態度は思考停止、議論拒否と同等ですね。2ちゃんねるからのコピペがどうにも目障りで不快で、削除してほしいものですが、そればかりにこだわっていても肝心の議論がすすまないので目をつぶりましょう。

Akari-lightさんの折衷案にいくつか意見があります。歩み寄ってもらえたのはとてもいいことなんですけど、「『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の主要なアイデアは、『黄昏抜歯』からインスパイヤされたものである」というのはあくまで仮定なんですよね。黄昏奥歯を読んだかどうかは川上だけが知りうる事です。大森も「全然似ていない。“仮に”インスパイアされたとしても‥‥」インスパイアが仮定であるという文脈で語っていますし、小谷野は「“せいぜいが”インスパイアされた程度」とこれも仮定の話をしているだけです。石堂は仮定をせずに「確かな事はなにも言えない」と述べています。田中が問題ですが、「法的な問題ではない」「でもアイデア盗用の可能性がある」「これは暫定的な判断である」と、曖昧な態度ですから注意が必要です。だから、もし文章にするとしたら、見出しは「津原泰水による川上未映子への批判」として、文相は「津原泰水が川上未映子のブログ記事と「わたくし率イン歯−または世界」の盗作を示唆して、それを大森望、小谷野敦、石堂藍などの評論家が否定した。マスコミでも特に話題になっていない。川上は沈黙している」という趣旨にするのが適当と思います。頭痛さんの案ではそれぞれの評論家の意見を比較するのがいいとのことでしたが、みなさんはどうでしょう?私としては、一番権威のある評論家(大森か小谷野)の意見を要点だけ引用すれば十分だと思っています。

それから他の方(110.136.168.126さんと頭痛さん)もおっしゃっていましたが、この問題は主に津原にとっての問題なんですよ。ほとんど津原BBSと2ちゃんねる文学板だけが問題にしているだけで、問題が小規模であるため川上側はこの件を知らない可能性があります。ですから、この記事を川上の項目に書くのはどうも不自然であるように思われます。津原の項目に記載したらどうでしょうか?津原も、自分の項目にこの問題を記載されることに合意しているようですし。--吹雪饅頭 2011年1月9日 (日) 08:31 (UTC)


頭痛氏へ。 まずは目次の整理に感謝致します。閲覧とアクセスがたいへんしやすくなりました。 本題ですが、一ヶ月経過してみて、田中和生氏は意見を撤回することもなく、 また、他の文芸評論家も言及するほどこの問題が世間に浸透してきた、 というふうに私は解釈しております。よって、頭痛氏より一ヶ月前に御提示いただいた文案で 掲載すべきという立場を私は取らせていただきたく存じます。 御意見をうかがわせてください。よろしくお願いします。

Akari-light氏へ。 項目を分ける案もよかろうと思います。ただ、一ヶ月経過してみてあらためて考えると、 私は去年の頭痛氏作案の文章が現時点ではベストと思います。

吹雪饅頭さんへ。 2ちゃんねるがどうしたとかオマエモナーがどうしたとか、 こんなところで2ちゃんねるの話題を出さないでください。 2ちゃんねるの話がしたいなら2ちゃんねるでどうぞ。 読んでいて恥ずかしいですよ。 --Sazankasaita 2011年1月9日 (日) 12:41 (UTC)


えー、Akari-light氏から折衷案をご提示頂いたんですが、そもそもAkari-light氏の「相互に異なる見解から最低限共通している要素を抜き出せば、 「『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の主要なアイデアは、『黄昏抜歯』からインスパイヤされたものである」という 認識が誤読によるものであるので、それをもとに作成された案に同意するのは困難です。 大森、小谷野の両氏は「『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の主要なアイデアは、『黄昏抜歯』からインスパイアされたものである」などとは全く言っていません。 吹雪饅頭氏も指摘されていますが、盗作ではないといことを強調する為の仮定の話として、「仮に歯をモチーフにするという点でインスパイアされたとしても、」 「せいぜいがインスパイアされた程度」という表現を用いているのです。 つまり、盗作などと言えるものではなく、「仮に」言えたとしてもインスパイア程度迄ということを言っているわけです。 元の文章をよくお読み下さい。

大森、小谷野の両氏のコメントを参照すれば容易にお分かりになると思いますが、盗作疑惑と呼べる類の話題ですらないことが 前回の議論より一ヶ月程経過した現在明らかになりつつあります。 よって当初私が主張したとおり、この話題は津原氏の項目に記載することが適切であると改めて主張します。 ありもしない盗作疑惑を言い募る人間が居るからといって、それを本人の問題として直接接続してしまうのは常識的に考えて無茶でしょう。 ですので、吹雪饅頭氏のご提示された文案にも同意は出来ません。 そもそも、この話題は津原氏のBBSを主な舞台としており、現在も津原氏のBBSとその周辺にて継続中ですし、津原氏本人も継続して川上氏に言及しています。 そして川上氏はこの件についてなんらコメントを出していません。 吹雪饅頭氏も指摘していますが、やはり津原氏の項目に記載する方が妥当であると考えます。 逆にお聞きしたいのですが、何故津原氏の項目に記載することに反対なのでしょうか? 川上氏の項目に記載しようと固執する理由をお聞かせ下さい。カラひらです 2011年1月9日 (日) 15:02 (UTC)

端的にお返事、お答えします。まず吹雪饅頭氏へ。僕は合意形成に向けて歩み寄りを致しました。しかし、誠に残念なことに吹雪饅頭しのお返事は、当初のご主張から一歩も歩み寄って下さっていません。ご再考をお願い申し上げます。次にカラひらです氏へ。問題は、当該疑惑が存在しているということが、客観的事実である、ということです。つまり評論家各氏が言及をしているという事実は掲載すべきだということです。内容については、リンク先をお読みになった人たちが検討すればよいことです。川上未映子氏がコメントを出していなくても、疑惑を知らずとも、事実が存在することに変わりはありません。川上氏はコメントを出していないと注釈すればいいことです。疑惑の主体は川上氏です。よって、津原氏のページに載せることは不条理です。読解については、人様々です。吹雪饅頭氏の読解もカラひらです氏の読解も牽強付会です。僕が読解してもそう思われるでしょう。ですから、リンクを貼ればそれでよいのです。あなた方が合意形成に積極的でないのなら、「わたくし率」の件は、無しでも結構です。「第九感界 尾崎翠」の件だけを掲載しましょう。この件を掲載しない理由はありません。大森氏のコメントと田中氏のコメントを引用して、田中氏のブログへリンクを貼れば十分でしょう。しかし今は頭痛氏のご意見を待ちましょう。--Akari-light 2011年1月10日 (月) 01:33 (UTC)


Akari-light氏へ

えーとえすね。大森、小谷野の両氏のコメントに関してなんですが、これはごくごく初歩的な読解力の問題なんですよ。 率直に申し上げて牽強付会云々というのはかなり無茶だと思います。 恐らく誰が読んでも大森、小谷野の両氏のコメントをAkari-light氏のように「「『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の主要なアイデアは、『黄昏抜歯』からインスパイヤされたものである」」 と理解するのは困難でしょう。

で、前回の議論より一ヶ月程経過した現在、これらのコメントが出揃ったことによって盗作疑惑と呼べる類の話題ですらないことが明白になりつつあり、 よって、ありもしない盗作疑惑を言い募る人間が居るからといって、それを本人の問題として直接接続してしまうのは常識的に考えて無茶でしょう。と申し上げているのです。 ですので、どうしても記載したいならば、それを言い募っているBBSの当事者であり、この話題についてもコメントしている津原氏の項目に記載するほうが妥当であると申し上げているのです。 色々な方々のコメントも、あくまで津原氏のBBSで巻き起こった話題についてコメントしているワケですからね。 とにかく前提として大森、小谷野の両氏のコメントを文意に沿ってきちんと理解して頂かないことには議論を進めることが困難になってしまいます。 Akari-light氏の「当該疑惑が存在しているということが、客観的事実である」という主張も、大森、小谷野の両氏のコメントを誤読した状態での主張なんですから。 もう一度元の文書をよくお読み下さいませ。カラひらです 2011年1月10日 (月) 02:50 (UTC)


カラひらです氏へ。 読解提示の前に、質問です。「第九感界 尾崎翠」の件は、「第七官界彷徨」の「あらすじ要約部分」が角秋記述からの盗作(丸写し・表現の一致・映画評からの剽窃)ですが、この件は、川上未映子氏のページに記載しない理由はありません。同意頂けますか?

さて、読解とはこういう風にするのです。つまり、複数の論者間のテキストにおける重要な用語が定義されていない場合は、文脈に沿って内包を定めること、何が書かれていて何が書かれていないかを分析することです。〔〕内が僕の読解です。 1.田中和生氏:思考が脳ではなく歯に宿るという奇想だけでなく、物語展開としての構造も似てしまうというのは偶然とは言い難く〔偶然ではなく意図的。すなわちアイデア盗用としか言い様がなく〕、これでは川上さんが津原さんの作品からアイデアを盗用していると見なされても仕方ありません〔アイデア盗用であると見なされて当然である〕。 2.大森望氏:「わたくし率……」は「黄昏抜歯」には〔全体の印象は〕全然似てないし、仮に歯をモチーフにするという点でインスパイアされたとしても〔インスパイヤと仮定すれば〕、そんなのは、〔インスパイヤというのは〕ほとんどすべての小説についてなにかしら言えることで、〔インスパイヤであれば〕まったく問題になるような話じゃない。〔つまり、アイデア盗用についての言及なし〕 3.小谷野敦氏:断っておきますが〔わたくし率が〕津原泰水の作品〔黄昏抜歯〕からの盗用〔表現の丸写し、つまり剽窃〕というのは成り立ちません。せいぜいインスパイアされた〔アイデアを盗用した〕程度か。--Akari-light 2011年1月10日 (月) 03:33 (UTC)

Akari-light氏へ

えーと、何をなさりたいのかよくわからないんですけれども。引用されている文章を読めば、大森、小谷野の両氏はAkari-lightの言うように「『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の主要なアイデアは、『黄昏抜歯』からインスパイヤされたものである」などとは言っていないことが改めてよくわかるだけなんですが。 一応、小谷野氏のコメントの「せいぜいインスパイアされた程度か。」の部分に関してですが、「せいぜいインスパイアされた〔アイデアを盗用した〕程度か。」と、「インスパイア」を「アイデアを盗用した」と読解するのはとてつもなく無理があるでしょう。

また第七官界彷徨については別立てで議論して頂けますでしょうか? 同時に議論すると、議論が拡散し、散漫になる恐れがありますので。カラひらです 2011年1月10日 (月) 04:09 (UTC)


Akari-lightさんとSazankasaitaさんがした2ちゃんねるからのコピーなんですけど、やっぱりアウトなんですね。法律事務所に聞いてみたら、引用の要点(引用符をつける、主従の関係をつけるなど)を満たさない無断転載は違法との答えをもらいました。両氏は該当箇所を削除し、今後いっさい同じ行為をしないよう厳重に注意してください。

本題にもどりますが、カラヒラですさんの2011年1月9日 (日)のコメントはとても良識にあふれた、偏りのない正論だと思います。これはとても納得のいくものです。ですから私もこれに賛成します。問題は盗作かそうでないか、シロかクロかなんですけど、評論家の意見を簡略化すると、大森、小谷野、石堂はシロ、田中はグレーであると言っているわけです。そしてこれらの意見は、盗作の示唆をした当事者の津原との対話であり、この問題すら知らない可能性がある、また全然問題にしていない川上には直接関係のないことでしょう。第七官界彷徨も、黄昏奥歯も、すべて津原が発した津原自身の問題なのです。くりかえし強調しますが、津原が問題を提起し、しばらく津原BBSや2ちゃんねる文学板で意見を交換し、それに評論家が反論をしたという流れは、本来なら、事件として扱うには問題が瑣末過ぎてウィキペディアに書かれるべきではないですが、もしどうしても書かれるべきという人がいるならば、津原の項目に書かれるべきでしょう。その要点をAkari-lightさんにも理解していただきたく思います。--吹雪饅頭 2011年1月10日 (月) 07:45 (UTC)


吹雪饅頭氏、カラひらです氏へ。仰っているのは、例えばメッタ斬り芥川賞編から大森氏らが作成した「乳と卵」のサマリーを「無断」でコピー&ペーストする行為を指します。なぜなら著作権侵害だからです。討議をした結果を、討議者「合意」の上で記載することは、著作権侵害に当たりません。ご理解よろしく。本題に入ります。問題は「盗作か否か」ではありません。私達は、プロの著述家ではなく、評論家でもないのです。だから私達が勝手に盗作盗用か否かをここで判断することはできないのです。「盗作盗用疑惑が存在し、複数の社会的地位のある第三者が顕名で見解を表明している」という客観的事実は、記載することができ、また記載に値します。田中氏も石堂氏も本格的な意見表明と検証を行った文筆家お二人は、見解をこの1ヵ月後でも全く変えていません。なお、私見では大森、小谷野両氏の見解は短かすぎ、疑惑の検証ではないため、言及するに値わず、というのが妥当な判断と考えます。また、川上氏が疑惑の存在をご存知か否か、問題と思われているか否かは、私達が勝手に推測・判断していいことではありません。「川上氏は公式な意見表明を行っていない」なら事実ですから記載できます。なお、「第九感界 尾崎翠」問題はこのノートで議論されてきた問題であり、ノートタイトルは、「盗作疑惑・アイデア盗用疑惑について」ですから、別立てで議論する必要はありません。また、疑惑の対象は、津原氏ではなく川上氏ですから、川上氏のページ以外に記載することはできません。疑惑の発見元のページに疑惑を記載するなど、聞いたことがありません。「疑惑が向けられている人」のページに記載するものです。また誰が疑惑を発見したかは問題ではなく、「疑惑が第三者によって検証されていること」この事実が記載に値するのです。

上を踏まえて、カラひらです氏と吹雪饅頭氏に質問します。「第九感界 尾崎翠」の件は、「第七官界彷徨」の「あらすじ要約部分」が角秋記述からの盗作(丸写し・表現の一致・映画評からの剽窃)ですが、この件は、川上未映子氏のページに記載しない理由はありません。同意頂けますか?同意頂けない場合はその理由を述べて下さい。宜しくお願い致します。--Akari-light 2011年1月10日 (月) 08:28 (UTC)

Akari-light氏へ

まず「例えばメッタ斬り芥川賞編から大森氏らが作成した「乳と卵」~」の部分は吹雪饅頭氏に対しての応答ですかね? 何のことについて仰ってるのかよくわからないので。で、「私達は、プロの著述家ではなく、評論家でもないのです。だから私達が勝手に盗作盗用か否かをここで判断することはできないのです。」 の部分なんですが、まあ当然ですよね。私もそんなことはしていませんし。で、そのプロのお二人である大森、小谷野両氏が「全然似ていない」「盗用というのは成り立ちません。」と明言しちゃってるんですね。 両作品を比較した上でのプロであるお二人の明確な意見表明であるワケです。Akari-light氏の言うようなコメントが長い短いといった問題などでは全くないんですよ。 疑惑という場合、あくまでその疑いがある状態ですが、繰り返しますが、前回の議論より一ヶ月程経過した現在、この大森、小谷野両氏の発言により疑惑と呼べる類の話題ですらないことが明白になりつつあるんですね。 よって、これも繰り返しになりますが、ありもしない盗作疑惑を言い募る人間が居るからといって、それを本人の問題として直接接続してしまうのは常識的に考えて無茶でしょうと申し上げているのです。 ましてや盗作などという本人の名誉に関わる非常にデリケートな話題なんですから。 また田中氏に関してですが、田中氏はこの話題の発信地である津原氏のBBSに何度か書き込みをされ、津原氏本人とやりとりされてるんですよね。 よって客観的第三者として考えるのはちょっと難しい気はしますね。それと「川上氏が疑惑の存在をご存知か否か、」云々ですが、これは吹雪饅頭氏に対するご意見ですかね。 最後の「疑惑の対象は、津原氏ではなく川上氏ですから、」云々なんですが、もう一度いいますが、疑惑という場合、あくまでその疑いがある状態ですが、前回の議論より一ヶ月程経過した現在、 大森、小谷野両氏の発言により疑惑と呼べる類の話題ですらないことが明白になりつつあるんですね。 Akari-light氏は大森、小谷野両氏のコメントを「『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の主要なアイデアは、『黄昏抜歯』からインスパイヤされたものである」と誤読したままの可能性があるので、 もう一度よくお読み下さい。

また第七官界彷徨についてなんですが、別立てで他の方たちで議論して頂けますでしょうか? 同時に議論すると議論が拡散し、何について議論しているのか それぞれが誤解したまま進む恐れがあります。現状でも議論の把握がなかなか大変になってきていますから。カラひらです 2011年1月10日 (月) 10:01 (UTC)


ちょっと覗いてみたら、議論が進行していたのですね。カラひらですさんの「田中は客観的第三者ではない」という意見に賛同します。なるほど、彼は津原と癒着しているから中立的立場ではないですよね。田中は津原川上の問題に首を突っ込む前に笙野頼子との論争を片付けるべきです。田中を省くと、議論が整理しやすくなります。カラひらさんの意見は理路整然としてとても読みやすいので、議論もスムーズに行きますね。一方、Akari-lightさんは言ってる事がちょっと支離滅裂のような印象です。ヒートアップしすぎているのでは?なんだか心配です。Akari-lightさんは自分は著作権法に関して素人であると言いながら、一方で自分の2ちゃんねるからのコピペは著作権的に問題ないと独断したり、何ヶ月も盗作疑惑のことが議論されてきたのにいきなり今になって「問題は盗作であるか否かではない」と言い出したり、なんか変なんですよね。大森や小谷野は評論家としてはベテランですから、彼らのコメントを議論から外す訳にはいきませんよ。それから、カラひらさんも指摘してますが、一部で噂された小さな盗作疑惑というものはもう評論家達がはっきり否定し、消滅しかけているのです。ブログ記事についてもイン歯ーについても「無用の事ながら」「盗作と言う問題では全然ない」「問題になるような話じゃない」と断言されているでしょう。これはとるにたらない話なのです。それを「インスパイア=盗作」とご都合主義的な脳内変換をして、川上に盗作の二文字をこじつけようとしたりするのは、いくら何でも無理がありすぎます。もう少し中立的な観点を意識して投稿してください。有名人というものはよく噂の対象になります。○○疑惑なんていうのを嬉々としてでっち上げるミーハーな人も中にはいるでしょう。しかし、疑惑というものが一部の妄想好きな暇人の間で捏造されるたびにウィキペディアにそのまま掲載されていったら、ウィキペディアはゴミ情報であふれかえってしまいますよ。川上は純文学作家なのだから、記事は文学的主題のものをメインに厳選して選ぶべきです。--吹雪饅頭 2011年1月10日 (月) 14:24 (UTC)

ちょっと前に調べ物をしていて偶然見つけたのですが、『<盗作>の文学史』の著書がある栗原裕一郎のブログに、Wikipediaにおける平野啓一郎の「盗作疑惑」記載についてのエントリがあって[4]そこにこう書かれています。「たとえ佐藤自身による問題提起がきっかけだったにせよ、さらには仮にそれが佐藤の被害妄想によるものだったにせよ、盗作疑惑自体は現実に起こった「事実」である。」現在平野啓一郎などの項目に盗作疑惑の件が記されていることについてこのブログの影響があったのかどうかはよくわかりませんが、考え方としてはこの通りになります。今回の件にあわせるなら「たとえ津原自身による問題提起がきっかけだったにせよ、さらには仮にそれが津原の被害妄想によるものだったにせよ、盗作疑惑自体は現実に起こった「事実」である。」ということです。評論家の多勢がいくら事実無根として否定していようと、津原が問題提起しそのことを他の評論家が(どういう形であれ)取り上げた、という点は事実としてありますし、各々のブログなどによって検証可能性も満たしているということができます。
問題点の一つは平野の件と違いマスコミの報道がないということですが、以前説明したように「専門家のブログ」や「評論家の意見」は方針上、情報源として必ずしも否定されてはいません。言い換えれば今回のような件を「載せることはできない」と明確に示しているような方針は存在しないので、例えば仮に今回「載せない」ということでこの場は合意できたとしても、この件に興味を持ったほかの人物が現れて同じ書き込みをしようとしたら、極端に言えばそのたびにまた一から協議を始めなければならなくなってしまう。Wikipediaの編集方針の一つとして「書き込まれた情報はなるべく保存する」というものもありますし、そのような形で読者が情報を得る機会を奪ってしまうのもよろしくありません。また私も新規の議論が始まるたびに引っ張り出されるのはごめんです。要は「津原によって<盗作疑惑>が提起され、そのことに対して評論家がこのようなことを言った」ということを中立的な情報として、当人のイメージを不当に損なわない形で書くことができれば落ち着くだろう、ということです。
再開前にも少し述べましたが、Wikipedia:存命人物の伝記#評論家の意見にあるように、評論家の見解は例え項目本人に不利なあろうと書くことができますが、しかしそれは記事を損なわないような形でなければなりません。それでためしに以前書き込まれたのと同じ位置に文案のものを入れてみたのですが[5](利用者ページを使っていますが、これは履歴継承という手続きが必要なのでよくわからなければ真似しないでください)、やはりはじめのほうに「盗作疑惑」というような見出しが出てくるとショッキングな感じがしますし、大森、小谷野らのコメントも入れた場合、分量的にも他の部分とのバランスが取れなくなるという感じがします。今後も追記する必要が出てくるかもしれませんし、分量の問題をおいても、マスコミにも文芸誌にも出ていない未決の事柄にしては記事内での扱いが大きすぎるという印象が否めません。なので、記載位置を作品リストより下の最下段に置く、ということにしてはどうでしょうか。具体的にはこういう形になるのですが[6]。見出しの数が多いのでやや目立たなくはなりますが、目次にははっきりと表示されるので誰も気付かないということはありませんし、また項目の後ろのほうに回されていることで、まだそれほど重大な影響が及んでいない未決の事柄なのだという印象を読者に自然と与えることができるでしょう。むろん今後の展開次第で上のほうに戻すことを議論してもよいでしょうし、また記事がもっと加筆されて充実してくれば「作風」などのサブセクションとして扱ったほうがよいということになる可能性もあるでしょうが、現段階での落としどころとしてはこのあたりではないかと思います。
なお、この件は川上の著作に関する議論ですので「川上ではなく津原の項目に載せるべき」という意見は理解できません。津原の項目にも載せるということは妥当だと思いますが、その場合は当然問題に対する視点が変わりますから、たとえば「川上未映子に対する批判」のような感じで別の書き方をする必要があるでしょう。ただ同じような内容が複数の記事に記載されているという状態は本来はふさわしくないので、津原の項目では主に津原の言動を示し、評論家の反応などのくわしいことについてはこちらの項目の「盗作疑惑に関して」に内部リンクを貼ってそちらを参照させる形にするのがよいと思われます。田中和生が第三者でないということはできないということは既に述べました。BBSに書き込んだくらいで関係者になるのであれば狭い文壇のなかではほとんどの人物が関係者になってしまいます。ここで言っている「第三者」というのは「面識がない」という意味ではありません。
それからいかに短かろうと見解は見解ですので小谷野や大森によるコメントを排除する理由はありません。「評論家がなんと言ったか」ということをだけが中立的に記されるべきであり、「評論家が言ったことの意味」を勘案してはなりません。長くなるのを厭わずに評論家のコメントをそのまま引用しているのは引用者の解釈が入るのを極力避けるためであるということをご理解ください。「津原からの影響」ということについては評論家ないし川上本人が「影響を受けている」と明言していない限り書くべきではありません。また「角秋の記事」については、問題提起の出所も評論家(田中、大森)のコメントも「黄昏抜歯」の件とともに言及されていますから単独で記載するのは難しいというか、わざわざ分けて記載する意味ないと思います。--頭痛 2011年1月10日 (月) 22:43 (UTC)


記載位置への配慮の仕方に納得致しました。見本の御提示、ありがとうございます。 記載位置を作品リストより下の最下段に置くという頭痛氏案に私は同意致します。 --Sazankasaita 2011年1月11日 (火) 09:46 (UTC)


ちょっと待って下さい。手間をかけて作られたのだとは思いますが、頭痛さんの案は津原に肩入れしすぎたものだと思います。もう少し中立性を考えてください。文案を見ましたが、川上の盗作疑惑などたいして問題になっていないのに、どうしてそんなに記事を大容量にする必要があるのですか?非常識でしょう?頭痛さんは「本来なら事件性が乏しいため記事にするまでもないが、津原シンパが盗作疑惑を次々に記事にしに来るから応急的措置として記事を載せる」という主張をしているように見受けられますが、とりあえずの措置として記事にするというのでは、理由としては消極的ですしいいかげん過ぎるのではないでしょうか?項目内の上に書くか下に書くかなど、まるで意味のない議論の様に思えますし。ウィキペディアの種々のルールというものは、要するにまとめると「常識の範囲内で明晰性を保った記事を書いて下さいよ」といったものでしょう?今回の津原と川上の件は、常識も明晰性も兼ね備えたベテランの評論家に「問題にするような話じゃない」「無用のこと(必要ないこと)」という指摘をされたものなのです。結局盗作疑惑など津原の妄想に過ぎなかったのだし、マスコミも無視しています。あたかも大問題の様に騒いでいるのは津原シンパだけ。限られた人たちだけです。また、津原がまだこの問題を引きずっていて、話題自体が現在進行中なんですよね。これらの事情を鑑みて、「記事にするべきではない」と慎重な対応をすることで合意がなされているのですが、おわかりいただけないのでしょうか?--吹雪饅頭 2011年1月11日 (火) 12:16 (UTC)


頭痛氏へ。 公正中立な状況把握と指針のご提示に感謝します。また、評論家の見解に解釈を加えてはならないこと、理解・納得いたしました。ご教示に感謝申し上げます。私も事実を事実として記載するにあたって、繰り返し議論が起こることを望む者ではありません。記載の位置(最下段に置くこと)ならびに頭痛氏の現文案にて、頭痛氏に合意致します。--Akari-light 2011年1月11日 (火) 12:36 (UTC)

「掲載位置」を示したかっただけなので「文案」自体は昨年12月4日に私が示したものを直さずそのままつかっているのですが、吹雪饅頭さんは今まで読んでおられなかったのですか? 常識・非常識に対する感覚というものは個々人によって差がありますから、不特定多数の人間が集まる場で「それは非常識」というのは判断基準としては通らないでしょう。私が言っているのは、著名な評論家のブログやミニコミ誌にも載った情報なのだからこの場にいる人間以外にも興味を持って加筆しにくる人間がいる可能性が高いだろうということであって「津原シンパが記事にしにくる」「応急措置として載せる」などということではありません。個々人の常識的判断だけでは議論が解決できないから方針文書があるのであって、その方針に鑑みても「書いてはならない」と明白に判断することはできないということです。
自己公表の情報源に留まっている件で不当に作家的イメージを損なってはならないという意見なら理解できますし、だから掲載位置を工夫することでできるだけその可能性(読者が「盗作の可能性が高いのだ」と思い込んでしまう可能性)を減らそうという提案をしているのですが、田中和生のように明白に問題視している人物がいるにも関わらず評論家は問題視していないだとか、「盗作疑惑など津原の妄想に過ぎなかった」「騒いでいるのは津原シンパ」「「記事にするべきではない」と慎重な対応をすることで合意がなされている」というような意見は、事実性においても中立性においても理解できるものではありません。--頭痛 2011年1月11日 (火) 22:15 (UTC)


頭痛さんへ。なんでそんなに大々的に載せたいのか理解に苦しむのですが。例えば、田口ランディのように盗作が完全に「発覚」してそれに関する著作が出され、マスコミも大きく扱った、問題の本が絶版になった、本人も意見表明し、「発覚」が本人の作家生活に大きく影を落としたとか、それぐらいの規模のある話題だったら辞典に載せてもいいでしょう。それは客観的に見て事件性がありますから。しかしあれだけ騒がれた田口ランディの項目で盗作の字を探しても、文献資料として一冊本が紹介されているだけです。今回の件に照らし合わせるなら、参考文献は「書評王の島」になるでしょう。盗作が発覚してもその事実が記載されていない作家の項目も複数あります。作家の業績に対して盗作がそれほどの大事でもないからでしょう。それに比べて今回の件ですが、「発覚」ではなく「疑惑」が一部で起こっているだけでしょう?この件によって訴訟が起こったりして川上の仕事に支障がでたりしたんですか?イン歯−が絶版にされたり、ブログ記事が削除されたんですか?著名な評論家が言及はしていますが、それは、この件がとるにたらない問題だと強調するために言及しているのです。問題にしているという田中でさえ「法的な問題ではない」つまり盗作ではないと曖昧にほのめかしていますし。大森も「2ちゃんねるとかだと、モチーフが同じというだけで盗作だ!と盛大に叩き始めるし。」と批判しています。実際その通りなんですよね。モチーフが被っただけで2ちゃんねるの人が盗作だと喚いている。その程度のつまらない話なんです。疑わしきはなんとやらという言葉もありますよね。とにかく、多数の熱心な利用者が紡いで来た川上の項目のクオリティを下げないでもらいたいんですよ。記事は文学的主題のものをメインに書いて下さい。それ以外は不要です。過剰な記事を事細かに書いて、本人とあまり関係のないサイトにリンクをべたべた貼ったりするのは、方針に即していません。不必要で過剰な記事の「掲載位置」が上か下かなんて、そんなに重要な話ですか?今回の件は、悪意のある者がその気になればいつでも安易に捏造できる類いの根も葉もない「疑惑」でしかなく、ネットや自費出版本ぐらいでしか話題にならなかった「疑惑」ですから、それが果たして辞典にとって有用な情報なのかと問えば、常識的に考えて首をかしげずにいられません。津原のBBSもログが流れてしまいますからこの件はすぐに風化すると思いますが、後からこの件を記事にしに来た人には、以上の説明を読んでいただければ十分かと思います。--吹雪饅頭 2011年1月12日 (水) 12:59 (UTC)

事典の記事にどういった事柄が書かれるべきか、ということはそれほど自明ではありません。訴訟が起こったとか該当の著書が絶版になったというのは判断基準のひとつでしかありません。過度の恣意的な判断を防ぐためにWikipedia:検証可能性などの方針があるので、本当に「2ちゃんねるで騒いでいるだけ」ならこれらの方針を元に「載せるべきでない」ということがある程度明確に判断できます。それ以外の点は個々人に判断の差があるので、「訴訟が起こってない」とか「絶版にもなっていない」というような判断基準は方針にない限りはあなたが恣意的に設定した基準にしかなりません。
「多数の熱心な利用者」には定義上この議論の場にいるものも含まれるのだという点も理解してください。重要だと思って掲載しようとしているものがいるわけで、それに対して「いや重要でない」と「恣意的に設定した基準」に基づいて反論しても堂々巡りになるだけですし、頭ごなしに「不要です」と主張されても誰も説得されないでしょう。なお「盗作」というトピックも、それをテーマにした文芸書があるように明らかに文学に関する主題です。--頭痛 2011年1月12日 (水) 23:17 (UTC)


議論が堂々巡りの様に思えるのは、歩み寄るつもりがないからでしょう。合意のためには歩み寄りが必要です。もし中立的な提案が誰かからなされたら、私は賛成するつもりです。今の頭痛さんは中立的ではないから私は反論するのです。

盗作疑惑の前例である田口ランディの件を持ち出す事がなぜ恣意的なんですか?この前例は方針に沿ってよく練られて書かれたものであり、参考にする理由があると思いますけど?田口ランディの項目と[7]を見比べてみましょう。実際盗作問題が社会問題化した田口ランディの記事に対して、今回の件はたんなる「疑惑」どまりで社会的影響がほとんどなかった訳ですが、その点で見ると頭痛さんの案がいかにも過剰な内容であるということに気づかれると思います(Wikipedia:過剰な内容の整理)。とても中立的な内容とはいえません。頭痛さんは津原に肩入れし過ぎだし、世間一般に対して小数派でしかない2ちゃんねらーで「インスパイア」=「盗作」などと脳内変換するAkari-lightさんやSazankasaitaさんの意向に添い過ぎで、方針に沿って意見を述べて来たカラひらですさんと私との間の合意を意図的に排除して切り捨てようとしていますよね?それは恣意的な判断じゃないんですか?Wikipedia:中立的な観点からしてもおかしいと思います。「少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。それは論争の形について誤解を与えかねません。」と書かれているでしょう?この件で騒いでいるのは2ちゃんねらーの一部と津原BBSの人がほとんどなのですよ?彼らは捏造した疑惑をさも事実かの様にまくしたてています。鬼の首をとった様に騒いでいると大森ものべています。その少数の人たちでの噂、疑惑を評論家が「とるにたらない問題だ」と指摘した訳です。存命の人物についての記事として見ても「疑惑」などと書くのは扇情的で、中立性に欠け、読む人に誤解を与える可能性が高いです。Wikipedia:存命人物の伝記の評論家の意見の欄にも「少数派の意見が一般的であるかのように不釣合いな量の加筆はしないように注意してください。」とあるように、頭痛さんの案は川上の項目の記事全体に対して不釣り合いな量なんですよ。以上の観点から掲載に合意できません。

以上の観点は、もし仮にカラひらですさんや私の意見が軽視、無視され強引に記事が掲載された場合に記事を削除する正当な理由にもなります。頭痛さんはプルーストやボルヘスについて素晴らしい記事を書いた優秀な利用者でしょう?それなのになんでこの件でそんなに偏った意見を述べてしまうのか不思議ですよ。もう少し冷静な対応をお願いします。--吹雪饅頭 2011年1月13日 (木) 12:35 (UTC)

どうもこちらの反論に答えずに同じことを繰り返しているという印象を受けるのですが、しかしWikipediaでは合議による決定が原則ですので、「歩み寄りの余地」がそちらにないというのであればしかたありません。先に個人へのコメント依頼を行なうと予告しましたが、議論が周知されていない段階で利用者に対する依頼を行なってもあまりコメントは期待できないので、まずこの議論自体に対するコメント依頼を募ることにしましょう。既に掲載賛成の側は私の文案をベースにした掲載方法で合意が取れていると思うので、コメントを依頼する点はこの方法で記載することは方針上妥当かどうか、ということになるでしょう。
先に記載位置だけを示しましたが、Sazankasaitaさんが提示した変更点と、大森、小谷野のコメントの追加および出典、外部リンクを追加した文案を新たに作りました[8]。コメント依頼ではこれを提示することになりますので確認しておいてください。また議論の性質上、新規アカウントおよびIPでのコメントは不可ということにしたいと思います。以上問題なければ明日あたりに依頼を行ないます。--頭痛 2011年1月13日 (木) 13:17 (UTC)

頭痛氏へ。あらためて表明いたします。頭痛氏の文案と記載場所への配慮(最下段)に合意いたします。また、コメント依頼につきましても異議ありません。同意いたします。先月以来の大変なご苦労とwikipedia方針のご教示、そしてルールに沿った公正な議事進行に御礼申し上げます。--Akari-light 2011年1月13日 (木) 13:45 (UTC)


記載位置、文面、それとコメント依頼の件、最終的に合意致します。 中立的に交通整理をしてくださった頭痛氏に感謝します。 --Sazankasaita 2011年1月13日 (木) 18:36 (UTC)

頭痛さんはこちらの意見を汲むつもりはないんですね。さまざまな前例を上げ、方針に付いてもていねいに説明した私の意見などまったく読んでいないかの様な発言をされてしまいました。とても残念です。私は、中立的な提案だったら同意すると言っているのです。歩み寄るつもりがないとは言っていません。ですが頭痛さんは私やカラひらですさんの意見をとるにたらないものとあしらい自分の文案をゴリ押しするんですね。ちょっとどうかしていると思います。私はこの議論が難航するだろうと予測して、先月のはじめにに議論へのコメント依頼をだしていたのですが、未だに反応がありません。今は議論が膠着していますから頭痛さんの方からコメント依頼を出していただいてかまいませんが、議論がふくらんでいるため、コメントしてくれる人はなかなか現れないと思います。気長に待つ必要があるでしょう。あまり合意をあせらないことです。--吹雪饅頭 2011年1月14日 (金) 03:15 (UTC)

コメント依頼を行いました。もし1週間~10日ほど待っても意見がつかないようであればそのときにまた別の方法を考えましょう。--頭痛 2011年1月14日 (金) 10:08 (UTC)

遅ればせながら、頭痛氏のコメント依頼のご提案に同意します。 正直申しまして議論に参加することに徒労感を感じておりましたので、ここで第三者の方のご意見を導入するというご提案は非常に助かりました。 ただ、告知期間が一日というのは正直短かすぎると感じます。告知期間、さらにそれを検討する期間を考えますともう数日頂きたかったというのが正直なところです。 私事で恐縮なんですが、実は多忙の為こちらの議論を頻繁に覗くことが困難になっております。今回のように短期間に議論のボリュームが大きくなってしまうとそれを把握するだけで時間がかかってしまい、返答もままならないといった状況です。 ですので今後はその点(告知期間の設定に関して)をご考慮頂ければ有難いです。カラひらです 2011年1月18日 (火) 15:16 (UTC)

各位
現在に至るまでの議論の流れを把握していただければ有りがたいです。この議論は昨年10月8日から始まっております。 約4ヶ月のうちで大抵の問題点は話し合われ、頭痛氏が【これまでのまとめ】で要約してくださったところまで論点が 集約している状況です。これまでの経緯を踏まえて状況把握していただかない限り、同じ問題を繰り返し話し合う堂々 巡りになりかねません。以下、終始一貫して中立的な立場から仲裁を担ってくださった頭痛氏のコメントをもとに議論 を整理させていただきたいと存じます。 まず現在取り扱おうとしている情報というのは形式的には「存命の作家・作品に対する他の作家、評論家の批判や見解」 で、 情報源の不確かな伝記的情報とは少し違うものです。これが例えば川上の生い立ちや学歴などに関する(ゴシップ 的な)情報のようなものであれば、発言者が誰であれ記事本人以外の自己公表の情報源に留まっている限り、記載すべき でない ということに議論の余地はありません。しかし「田中和生が川上に対してこう述べた」「石堂藍が作品にたいし てこう述 べた」という、「評論家の意見」の存在を示す情報源である限りは「そのブログそのもの」は「信頼できる」 と見なして 差し支えありません(Wikipedia:信頼できる情報源#意見)。従って問題はやはり、それぞれの意見を記載 する価値があるか、ならびにその意見を惹起するもとになった出来事が現時点で事典に記載するに足るほどの社会的影 響力を持っているかどうか、といった点に集約されると考えられます。
烏賊娘 ◆42euzUlXSM :2011/02/12(土) 01:38:49 現在のところマスコミでの報道がないこと等を踏まえたうえで、頭痛氏よりイメージやバランスに考慮した文案が提示 されています。中立的な内容はもとより、記述の掲載位置を下のほうに置くという提案が為されておりますので改めて 御確認ください。報道があってから掲載すべきという御意見が根強くありますが、この御指摘に関しましてはいささか疑問を抱いております。マスコミ報道からの転載の寄せ集めがウィキペディアであるならば、そんなものは必要ないばかりか著作権に触れる 問題になってきます。ネットユーザーがウェブ事典に期待するのは、まずウェブに特化した情報であって、その記載がな されないとすれば、ウィキペディアはマスコミに都合がよいばかりの辞典と化してしまわないでしょうか。 また掲載すべきという立場の動機を、川上未映子氏に対するネガティブ・キャンペーンに置くのはやめていただけないで しょうか。数々の文藝評論家、書評家が本件に就いて言及しているのはそれだけ世間の耳目を集めているということの 証左であり、ひいては現代文学というジャンルにおいて本件が看過できない問題になっていることを示す充分な判断材料 に成り得ていると考えられます。よって載せないという方向で合意された場合、編集合戦→保護が繰り返される結果にな りかねません。頭痛氏が例の文案を提示してくださったのは、保護の繰り返しによって記事の加筆が滞ることを憂慮され たうえでのことでした。本件の掲載は、充分に配慮された内容の記事を記しておくことで編集合戦を防止しておくという 意味合いもあるわけです。こういった点を考慮したうえで、掲載に反対されている方の御意見をいただければ幸甚です。 最後に。再三に渡ってやり取りされてきたことなのですが、本人確認の容易でないBBSの話などを持ち出されても対応しか ねます。論点も拡散してしまいますから、今後はやめてください。

--カシス 2011年2月11日 (金) 16:53 (UTC)


コメント依頼[編集]

これまでのまとめ[編集]

ではコメント依頼を行います。コメントをいただける方はこの節を参考のうえ、下の「コメント」の節にコメントをお願いします。

議論の争点は、作家の津原泰水の指摘に端を発する、川上未映子の「盗作疑惑」に関する記述を掲載するかどうか、また掲載するのであればどのような形にするべきかということです。この「盗作疑惑」の経緯(の主な点のみを)を簡単に言いますと、

  • 作家の津原泰水が、自分のブログで、川上未映子の「わたくし率 イン歯-、または世界」という作品が自分の「黄昏抜歯」という作品と酷似しているというエントリを載せた[9]
  • それに対して4人の文芸評論家が反応しており、そのうち二人が「盗用とは言えない」旨の発言をし、一人が「よく似ているがはっきりしたことは言えない」とし、もう一人は「盗用と言われてもしかたない」としている。
  • このうち「はっきりしたことは言えない」と言っている人物(石堂藍)はかなり本格的な比較検証をおこなっており[10]、また「盗用といわれても仕方ない」と言っている人物(田中和生)は、川上側から明確な意見表明がない限り、今後自分が担当している毎日新聞での文芸時評で川上の作品を取り上げないことにすると宣言している[11]
  • 今のところマスコミなどでの報道はされていない。上記の評論家の見解も各人の(本人による)ブログと、「文学フリマ」および通販で販売されたミニコミ誌で掲載されたもの。

議論参加者のうち、Akari-lightさん、Sazankasaitaさんが掲載を主張されており、カラひらですさん、吹雪饅頭さんが掲載に反対されています。私(頭痛)は一応仲裁のつもりで参加していたのですが、一連の議論の結果、現在では中立的な文面を考えて載せるのがよいだろうという考えに至り、中立的と思われる文案を提示しました(これの下段)。またマスコミでの報道がないこと等から、イメージやバランスに考慮し、左のように記述の掲載位置を下のほうに置くという提案をしました。掲載賛成側は左の文面および掲載位置で合意が取れているのですが、掲載反対側は依然掲載自体に反対しているという状況になっています。

コメントを頂きたい点は、主に上記の文案は中立性に問題がないかどうか、また掲載することが妥当であるかどうかです。他の掲載方法の案などももしあればコメントしていただきたいと思います。ただ私以外の議論参加者が全員、この件について編集するために新規に作られたアカウントであるという、あまり健全とは言いにくい状況にあるため、コメント資格はこの問題が発生する以前(2010年10月以前)に編集記録のあるアカウントユーザーに限らせてください。--頭痛 2011年1月14日 (金) 10:04 (UTC)

なおノート:津原泰水にも関連する議論があります。--頭痛 2011年1月14日 (金) 10:09 (UTC)

コメント[編集]

(依頼継続中です。--頭痛 2011年1月21日 (金) 09:33 (UTC)

  • 広く出版されている文学誌や、マスコミなどで取り上げられていないというあたり、果たしてこの出来事がWikipediaに載せるほど重要なことなのか疑問に感じます。「こういう出来事があった」ことは当人のブログや評論家のブログ・同人誌などで証明されていますし、容易なことだと思います。しかし「こういう出来事があって、世間の注目を浴びた(=特筆すべきことである)」を証明するに至っていないでしょう。下でパタゴニアさんがおっしゃっているように、商業誌とかそれなりの査読を経たものでもないと、「世間の注目」の根拠としては薄いのではないでしょうか。記事に書くべきで出来事であれば、本来はまず「世間の注目を浴びた」という根拠を先に示して、それを補強する意味で当人や評論家のブログ等を取り上げるという手順を取るべきです。順番があべこべになっているのでは。内容がネガティブな性質だということを考慮すれば、今の段階で掲載するのはまずいと思います。…余談ですが、吹雪饅頭さんの「まともな評論家ならブログや自費出版で放言をしない」というのは論理が飛躍しすぎでしょう。--Bellcricket 2011年1月15日 (土) 01:48 (UTC)
  • 評価について書かれているブログといったものが匿名個人では問題がありますが、津原泰水といった著名人のものである以上はソースの信頼性として問題ありません。複数のソースとして採用可能な評価が存在するということは捏造であるか否かが注目されていることの証左でもあります。芸術家にとって自身の作品が捏造であるかどうかを疑われる事態は特筆性がないとは全く言えません(それが出所不明なデマであるなら話は別ですが)。以上によりWikipediaは両論併記が基本ですから、双方の意見を載せる分には問題ないでしょう。「~によれば」のような文体を使用する必要はあるかもしれません。そもそも、吹雪饅頭氏の2流評論家などと断じる姿勢はそれこそ独自研究です。--肉欲獣 2011年1月17日 (月) 03:14 (UTC)
  • 上の超長文議論をほとんど読まず、頭痛氏の文案だけを見てのコメントですので、軽視していただいても構いませんが一言。今のところ一方当事者とその周辺のごく一部でしか言及されていないという段階ならば、記載自体避けた方がよいように思います。作品の批評と異なり、盗用の有無については、fatalな問題なので厳格に・慎重に取り扱うべき。B'z#パクリ問題のように第三者出典が豊富にあるとか、イキガミ#騒動のように嫌疑をかけられた側がアクションを起こしたとかであればともかく。--fromm 2011年1月18日 (火) 05:32 (UTC)






Wikipedia:利用案内で意見を頂きました。

ある作家の作品について、評論家が自分のブログや自費出版本で述べた批評は、作家の項目に「評論家の意見」として加えてもいいのですか?信頼できる情報源なのか疑問です。回答お待ちしております。--吹雪饅頭 2011年1月14日 (金) 05:45 (UTC)

私見ですし、ケースバイケースだと思いますが、まともな評論家なら自分のブログや自費出版などではなく、商業誌やきちんとした書籍にするはずです(なんたって評論家という以上、評論でメシを食っているプロなのだから自分でお金を出して評論するなんてどうなのでしょう?)。それと商業出版ならば出版社の編集者をいう存在があるのであまり無茶なことは言えないはずですが、そう言った歯止めの無い評論は如何なものでしょう。Wikipedia:信頼できる情報源をご覧ください。ただ、その分野で一流と誰もが認める評論家のブログなら問題は無いと思うし、つまり実際には個別に考えていかないと一概には言えないと思います。--パタゴニア 2011年1月14日 (金) 10:48 (UTC)

そうですよね。まともな評論家ならブログや自費出版で放言をしたりしないはずですよね。名の通った出版社から書籍を出して意見を述べるはずなのです。やはり、編集者の査読の入らない評論は情報源としては怪しいですよね。参考になりました。ありがとうございます。--吹雪饅頭 2011年1月14日 (金) 11:01 (UTC)

文芸評論家として誰もが認める一流と言えば、小林秀雄 蓮實重彦 柄谷行人 吉本隆明などでしょう。それ以外の、きちんとした書籍以外の所で歯止めのない発言をする二流以下の評論家の意見は、Wikipedia:信頼できる情報源の要件を満たしていないということになります。ですから記載には値しません。--吹雪饅頭 2011年1月14日 (金) 11:29 (UTC)

今は第三者のコメントを募っているところです。パタゴニアさんは見ればわかるように「一概には言えない」と言っておられます。都合のよいところだけ抜き出して結論を出さないでください。「一流の評論家」と「二流の評論家」を分ける客観的な基準はありません。--頭痛 2011年1月14日 (金) 11:39 (UTC)
勝手ながら引用であることがわかるようにQuoteをつけました。履歴継承等を行なっていないのでひょっとしたら削除依頼が必要かもしれません。Wikipediaでは2ちゃんねるやBBSのような感覚でコピーアンドペーストを行なわないでください。--頭痛 2011年1月14日 (金) 11:45 (UTC)


引用の仕方が分からずコピーをしたことはお詫びします。頭痛さんは恣意的に意見の一部だけ取り上げるのではなく、パタゴニアさんの論旨である「まともな評論家なら自分のブログや自費出版本などではなく、〜」を熟読してください。パタゴニアさんは客観的第三者です。--吹雪饅頭 2011年1月14日 (金) 12:09 (UTC)

意見の一部だけを抜き出して読まないでくださいと言っています。評論家のブログであっても信頼できる情報源にならない、とパタゴニアさんが考えているのであれば「実際には個別に考えていかないと一概には言えないと思います」と書いたりはしません。--頭痛 2011年1月14日 (金) 23:25 (UTC)

吹雪饅頭氏へ。コメント応募状況でありますから、私とSazankasaita氏は、何もせず大人しくコメント結果を待っています。しかしあなたは、ウィキペディアンである「海獺」氏に相談を持ちかけたりしています。コメント状況になれば、議論の当事者はこうした動きはするべきではないのではありませんか。フェアネスが大事です。この点、頭痛氏にも簡単にご教示頂ければ幸いです。--Akari-light 2011年1月15日 (土) 09:39 (UTC)

他の利用者への呼びかけは(度を越さない限りでは)別に構わないと思います。上のように発言の一部だけ切り取って我田引水されるようでは困りますが。現在一件のコメントを頂いてますが、前述のように一週間程度コメントが出揃うのを待ってその上で議論を再開しましょう。--頭痛 2011年1月15日 (土) 14:31 (UTC)

ウィキ管理者の海獺さんからアドバイスをいただきました。リンクの仕方がわかりませんが、海獺さんの利用者ページを御覧下さい。「今の騒ぎでは載せる必要はない」とのことでした。管理者の発言ですから強制力があるでしょう。もう議論する余地はないんじゃないですか。--吹雪饅頭 2011年1月15日 (土) 15:05 (UTC)

Wikipedia:管理者をお読みください。「管理者」というのは一定の権限を任されている利用者のことで、議論の場では一般の利用者との違いがあるわけではありません。記事内容についての議論が管理者の一言で決定されるようなことはありません。--頭痛 2011年1月15日 (土) 15:31 (UTC)

コメントを頂いた中立的立場の経験豊かな、また責任ある立場のユーザーさんから、盗作疑惑の記事掲載に難色が示されている事が確認できると思います。問題点をまとめます。「世間の注目を浴びた(=特筆すべきことである)」を証明するに至っていない」「商業誌とかそれなりの査読を経たものでもないと、「世間の注目」の根拠としては薄い」「内容がネガティブな性質だということを考慮すれば、今の段階で掲載するのはまずい」「まともな評論家なら自分のブログや自費出版などではなく、商業誌やきちんとした書籍にするはず」「現在の騒ぎでは取り立てて載せる必要はない」という点が指摘されています。私はこれらの意見に賛成します。指摘された問題をすべてクリアするのは、現段階では無理という事になります。今新たに他のユーザーさんにアドバイスを頼んでいる所です。--吹雪饅頭 2011年1月16日 (日) 09:37 (UTC)

1週間じっと待っているという程度のことができませんか。そうしてあなたが信を置いている海獺氏に編集態度を注意されているような人物に(私と今回の件とはまったく関係のない事柄で対立したことがあるからと言って)コメントを頼みにいく、というようななりふり構わない態度が議論相手の不信感を生み、問題解決を難しくしているのだということにもまだ気付きませんか。--頭痛 2011年1月16日 (日) 10:31 (UTC)

私は私で自主的に行動しコメントを募っているのです。なにか問題ですか?それに頭痛さんはUhockさんを差別していますが、あなたは海獺さんにたびたび問題行動を指摘されブロック依頼やコメント依頼、チェックユーザー依頼までされていますよね?あなたの方が問題のあるユーザーです。それに比べればUhockさんを不当に差別するいわれはないんじゃないですか?私はUhockさんは信頼できる第三者だと思い、コメントを依頼したのです。まだ答えを頂けるかはわかりませんが。それから、さまざまな中立的な立場の方が述べた問題提起をよく読んでください。現状では掲載するには問題があると誰もが言っているでしょう。--吹雪饅頭 2011年1月16日 (日) 17:00 (UTC)

利用者‐会話:吹雪饅頭に返信しました。--頭痛 2011年1月17日 (月) 04:00 (UTC)

利用者‐会話:吹雪饅頭にて利用者頭痛より「自分の首を絞め続けなさい。」との威圧的な発言がなされたのを確認しました。命令形で相手を威圧するのは控えて下さい。また、利用者頭痛より、基本的な方針に沿って「中立性などの観点」を精査するというよりは、「他のユーザーへの個人的感情」から記事を掲載しようとしているという意志があることが告げられました。編集に対する姿勢が間違っていると思います。他の方のコメント依頼[12]を読みましたが、利用者頭痛は暴言と編集のゴリ押しが他のユーザーさんに問題視されているのに今回の議論でも同じことをしています。他の中立な方から指摘された、記事掲載に関する問題点をすべてクリアすることは現状では不可能です。ですから記事掲載は無理です。--吹雪饅頭 2011年1月17日 (月) 08:38 (UTC)

コメント依頼後の議論[編集]

そろそろ1週間になるので議論場所だけ作っておきます。もう少し意見がつくかもしれないのでコメント依頼も並行で継続とします。突然すいませんが、私は今後はこのノートで発言しないことにしました。議論当事者のみでは合意形成は難しいかと思われるので、どなたか仲裁を引き継いでいただけると助かります。私の手になる文案は自由に使っていただいてかまいません。下手な仲裁でかえって場を混乱させたことをお詫びします--頭痛 2011年1月21日 (金) 09:33 (UTC)


著しく混乱した議論を理知的に進行させるよう努力して下さった頭痛氏にお礼申し上げます。 --Sazankasaita 2011年1月21日 (金) 12:47 (UTC)

頭痛氏へ。議論場所の作成をありがとうございました。私もSazankasaita氏と同じく頭痛氏のご努力に敬意と感謝の念を抱いています。ありがとうございました。--Akari-light 2011年1月21日 (金) 13:02 (UTC)

頭痛氏へ この度は新規の編集参加者ばかりの議論に於いて、ただお一人経験豊富なユーザーとしてウィキペディアの編集ルールに則った 議論進行をして下さり有難うございました。カラひらです 2011年1月23日 (日) 16:39 (UTC)


コメント依頼についてですが、終了は合意形成が確認されてからにしてください。もともと「1週間から10日」と述べたのは議論再開の目途の話で、その時点で依頼を切るということではありません。もしまだ議論が続くのであれば意見が集まるのに越したことはありませんので。なおコメント依頼は1ヶ月ノートに意見がつかなければ除去されることになっています。--頭痛 2011年1月23日 (日) 17:12 (UTC)

頭痛氏へ なるほど。お手数お掛けして申し訳ありませんでした。また編集ルールのご教示有難うございました。--カラひらです 2011年1月23日 (日) 17:52 (UTC)

各位 お世話になります。コメントを下さった方々にまずお礼申し上げます。懸案事項の議論を再開したいと思います。宜しくお願いします。4名の方がコメントを下さっていますが、最後のお一人はサインが無いため、現状無効とさせて頂きます。Bellcricketさんは、「世間の注目を浴びた」後で記載すべしというご見解。肉欲獣さんは、検証可能でかつ信頼できる第三者情報源が複数あるので、疑惑があるという事実を掲載することは問題がない、というご見解だと存じます。Frommさんは、議論の流れは追っておられませんが、一般論として、川上氏側の意見表明がない段階では慎重な姿勢がよい、というご見解ですね。私の意見は、最終的な頭痛氏のご見解、肉欲獣氏のご見解とほぼ同じで、記載するための条件は揃っているので、記載した方が良い、というものです。皆さまのご意見をお待ちしております。--Akari-light 2011年1月31日 (月) 11:51 (UTC)


まず始めに、海獺さんのご尽力には感謝を通り越して感動すら覚えました。本当にどうもありがとうございます!

議論に移ります。くりかえしになりますが、コメントを頂いた中立的立場の経験豊かな、また責任ある立場の多くのユーザーさんから、記事掲載に難色が示されている事が確認できると思います。 問題点をまとめます。「世間の注目を浴びた(=特筆すべきことである)」を証明するに至っていない」「商業誌とかそれなりの査読を経たものでもないと、「世間の注目」の根拠としては薄い」「内容がネガティブな性質だということを考慮すれば、今の段階で掲載するのはまずい」「まともな評論家なら自分のブログや自費出版などではなく、商業誌やきちんとした書籍にするはず」「現在の騒ぎでは取り立てて載せる必要はない」「第三者出典が少なく、嫌疑を書けられた側のアクションがない場合掲載は避けた方がよい」「報道がなされてから後追いするのが無難」という点が指摘されています。指摘された問題をすべてクリアするのは、現段階ではほぼ無理という事になります。また上の方でタグが貼られているのを見ても分かる通り、この件は名誉毀損の恐れがあり、存命人物の伝記の条項を厳守していないため、今の段階で掲載しても削除対象になるのは必至でしょうね。裁判が起き、マスコミ報道がなされ、商業誌でこの件が扱われた後で掲載を検討するというのなら合意できますが、今の状態では掲載に合意できません。Akari-lightさんは落ち着いてこの点をよくお考えください。--吹雪饅頭 2011年2月1日 (火) 08:06 (UTC)


吹雪饅頭氏へ。頂いたコメントは合意形成に向けて十分に参考にさせて頂くべきですが、コメント自体はルールでもクリアすべき問題でもありません。重要な箇所を引用します。Bellcricket氏「内容がネガティブな性質だということを考慮すれば、今の段階で掲載するのはまずいと思います」、肉欲獣氏「複数のソースとして採用可能な評価が存在するということは捏造であるか否かが注目されていることの証左でもあります。芸術家にとって自身の作品が捏造であるかどうかを疑われる事態は特筆性がないとは全く言えません」、Fromm氏「上の超長文議論をほとんど読まず、頭痛氏の文案だけを見てのコメントですので、軽視していただいても構いませんが一言。今のところ一方当事者とその周辺のごく一部でしか言及されていないという段階ならば、記載自体避けた方がよいように思います」以上です。懸念は表明されていますが、「記載することは方針(ルール)に照らして不可能である」という断定はありません。またまさにWikipedia:存命人物の伝記#評論家の意見をご参照頂ければお分かりのように、本件について、評論家各氏の検証可能性を満たした見解があるという「事実」を記載することは何ら問題がないのです。「要出典」と注記する必要はないのですから。従って、私は、吹雪饅頭氏のご見解には説得されませんでした。記載の方向での合意案をお出し頂ければ幸甚に存じます。--Akari-light 2011年2月1日 (火) 12:27 (UTC)

否定的な見解を述べられている方もいる中で、「ルールに照らして不可能という断定は無い」という認識をされるのは、いかがなものかと…。どうしてもルールを提示しなければならないのであれば、Akari-lightさんもご覧になっている「Wikipedia:存命人物の伝記」が該当するでしょう。私のコメントはこの方針に基づいたものです。「存命人物の伝記」の「評論家の意見」項には、『それが項目本人の著名性に釣り合う重要なものでなおかつ百科事典的で、記事に有益で、信頼できる情報源に基づくものならば』ということも書かれているはずです。そして私は、この記事に記載されようとしている文章は未だ「項目本人の著名性に釣り合う重要なもの」だとする証明が為されていないし、「信頼できる情報源」にも基づいていない、と前のコメントで申し上げたつもりです。重要なのは事実かどうか、ではなく「その事実が書くに値するかどうか」「それを、信頼できる誰かが証明しているか」です。そして、まだこの議論の中ではそれが証明されていません。--Bellcricket 2011年2月1日 (火) 12:53 (UTC)


Bellcricket氏へ。ご忠告とご教示をありがとうございました。ご指摘の「認識」につきましては、否定的なご見解をないがしろにする意図によるものではなく、事実確認の意図によるものであることをご理解頂ければ幸甚に存じます。但し、表現上不適切であり、Bellcricket氏がご不快を感じられたのなら、その点お詫び申し上げます。田中和生氏、石堂藍氏、小谷野敦氏は、それぞれ単著をお持ちであり、文芸評論の専門家でもあります。従って、各氏の見解は「項目本人の著名性に釣り合う重要なもの」であると私は考えます。確かに「項目本人の著名性に釣り合う重要なもの」であるという証明はなされていませんが、「項目本人の著名性に釣り合う重要なもの」ではないという証明もなされていません。これは、そうした証明(論証)が不可能であることを示しているように思えます。Bellcricket氏は、「項目本人の著名性に釣り合う重要なもの」ではないという証明がお出来になるとお考えですか。「その事実が書くに値するかどうか」「それを、信頼できる誰かが証明しているか」については、田中和生氏、石堂藍氏、小谷野敦氏らの言及自体がその証明にあたると私は考えます。--Akari-light 2011年2月1日 (火) 13:18 (UTC)

えー、なぜそこまでこだわられるのかちょっと理解しかねます。akari-lightさんは本件しか関心を持っていないいわゆる捨てアカウントのようですが、Wikipedia:名誉毀損のような素材を投稿するのであればそれは寄稿者自身の責任でして、仮に川上氏が発信者情報の開示を求めればプロバイダ責任制限法に基づいてウィキペディアやISPは速やかに身元を相手方に開示するので、捨てアカウントを利用しようとたいした意味はないですよ。またウィキペディアは百科事典であってゴシップの収集サイトではないので、そのような目的には使えません。もしおっしゃるように川上氏に問題があって十分な証拠があるとお考えであれば、ご自身のサイトかブログで行ってはいかがですか。その説が他人から見て確かだと思えるならば、きっとネットの話題となって、取り上げる報道機関も現れることでしょう。--Kurz 2011年2月1日 (火) 13:37 (UTC)

今回、この議論では、議論の中での意見対立が数ヶ月に渡り生じていたため、頭痛氏のご提案によりウィキペディアの 編集ルールに則ったコメント依頼を行なっています。 現在、四名もの経験豊富なユーザーの方々からご協力を頂いています。ご協力感謝いたします。 Bellcricket氏、fromm氏、Kurz氏の三名の方々が現状では掲載は妥当でないだろうとご判断され、肉欲獣氏のお一人が(双方の意見を載せる分には)掲載は問題ないだろうとご判断されています。 (Akari-light氏が、Kurz氏のコメントを署名が無いことを理由に現状では無効であると何故か勝手に宣言されていますが、 合意形成に向け第三者にご協力を依頼しているという趣旨を考えれば、 折角の合意形成の主材料となるコメントをそのことを理由に無効にするという発想が何故出てくるのか理解に苦しみます。) これにより、この議論に於いて、この件の掲載は妥当ではないだろうとの結論に至るのではと考えます。 以下理由を説明します。 今回合意したコメント依頼は「合意形成のためのコメント依頼」です。これは「議論の中で意見対立が生じている場合や、記事の大幅な改稿等で合意形成が必要が生じた等の理由により、合意形成に向けて第三者による客観的な視点からの議論のリードを要請したい場合」に依頼するものです。 つまり、お寄せ頂いたコメントに、膠着した議論のリードを託すことに皆が合意したということになります。 よって、この議論では、お寄せ頂いたコメントにリードを託すことが、形式的にも、また(お忙しい中合意形成の為にわざわざご意見をお寄せ下さった方々に対しての)礼儀としても、前提条件となります。 さらに、この議論の参加者は、(当初の動機や意図はどうであれ)編集に参加したことにより、ウィキペディアの目的である「信頼されるフリーな百科事典を――それも、質も量も史上最大の百科事典を創り上げること」 に(結果的にではあれ)賛同していると考えて差し支えないでしょう。 コメント依頼をする以前でしたら、それぞれが自身の考えを軸にその目的にふさわしい記事の主張をしてもそれはそれで 良かったのでしょうが、コメント依頼を出した後は、前提条件により、お寄せ頂いたコメントを軸にその目的にふさわしい記事を作成しなければなりません。 さて、改めてお寄せ意頂いたコメントを見てみます。現状では掲載は妥当でないだろうというコメントが三名の方、掲載は妥当だろうというコメントが一名の方となっています。 そして妥当ではないだとうとご判断された理由も、三名の方ともほぼ一致しています。 この結果は、(客観的な視点から見た場合)掲載しないほうがウィキペディアの目的に適う可能性がとても高いということを指し示すものです。 (吹雪饅頭氏が独自にコメント依頼を出された海獺氏も「取り立てて載せる必要はない状況」とのご意見ですので、仮にそのご意見も参考にさせて頂くと可能性はさらに高まります)ウィキペディアの目的に賛同しているこの議論に於いて、その目的に適う可能性の高い選択をすべきなのは言うまでもありません。 よって、この件の掲載は妥当ではないだろうとの結論に至ると私は考えます。--カラひらです 2011年2月1日 (火) 14:13 (UTC)

コメント Akari-light氏、Sazankasaita氏、カラひらです氏、吹雪饅頭氏、カシス氏はすべてアカウント作成がごく最近で、捨てアカウントの疑いがあることを警告しておきたいと思います。必要なら編集傾向を精査の上チェックユーザーしたほうがいいかもしれません。--Kurz 2011年2月1日 (火) 14:26 (UTC)

Kurz氏へ。私は真面目な意図から本件の議論に参加しており、いかなる意味でも不正な行為はしていませんから、私を含めて、Sazankasaita氏、カラひらです氏、吹雪饅頭氏を編集傾向を精査の上チェックユーザーして頂くことに異論はありません。不審なIPや公開プロキシの使用者がいれば、その履歴や同一性を個人情報保護の方針に反しない範囲でご指摘頂ければ、なお有難く存じます。以上、取り急ぎお返事まで。--Akari-light 2011年2月1日 (火) 14:45 (UTC)

チェックユーザーの件ですが、ルールに則り必要があればということでしたら特に異論はありません。--カラひらです 2011年2月1日 (火) 15:22 (UTC)

なんか変な書き込みがあるなぁと思ったのでちょいと調べたら、こんなん見つけました[13](魚拓)。あのー、そういうことはそちらだけでやってもらえますかね。WP:NOT#JOURNALISMWP:NOT#ORWP:NOTFORUMもご一読いただければ。--Kurz 2011年2月2日 (水) 11:44 (UTC)

Kurzさんへ。チェックユーザーの件、おまかせ致します。私もあちこちでウィキペディアの方針に沿わない編集をして直されたりしているので、私の偏った編集傾向を洗い出して指摘して頂ければ今後の参考になります。それから、Akari-lightさんはKurzさんが挙げられたサイトからコピー&ペーストをしています。ご報告までに。--吹雪饅頭 2011年2月2日 (水) 12:45 (UTC)


遅れて申し訳ありません。チェックユーザーしてもらってなんら問題ありません。取り急ぎお伝えします。 --Sazankasaita 2011年2月11日 (金) 09:52 (UTC)

いつもお世話になります。まず、Bellcricket氏、肉欲獣氏、Fromm氏、Kurz氏ならびに本件の編集議論に関わって下さった/ご関心のあるウィキペディアン諸氏へ、作家の津原泰水氏からの公式メッセージをお伝えします。 http://6300.teacup.com/osamun/bbs/t10/356 「『吹雪饅頭』氏を、議論から外すよう提案してください。渦中の一人である津原泰水の頁に、ごく最近、中途半端な知識にもとづく編集を加えており、それは中立性を演出するための『ダミー編集』としか考えられない。書かれている当人が、他に目的を想像しにくい、中途半端かつ不正確な記述であると、ここに証言致します。Wikipediaにとっても記載されている人間にとっても、迷惑な人物に他ならないと判断するものです。これまでに見られる『まともな評論家ならブログや自費出版で放言をしたりしないはずですよね。名の通った出版社から書籍を出して意見を述べるはずなのです』といった異常な記述も、とうてい知的とは云いがたく目に余ります。完全に議論から外すことはできないにせよ、せめてその発言を、あるていどフィルタリングしてくださるよう、お願いするものです」 津原泰水氏からのメッセージは以上です。 次に、これを踏まえて、私Akari-lightより、上述の各氏に、吹雪饅頭氏を本件の議論から外して頂くことを依頼いたします。宜しくご検討下さいませ。--Akari-light 2011年2月11日 (金) 15:27 (UTC)


http://6300.teacup.com/osamun/bbs/t10/358 は、ブログや掲示板で川上の盗作を主張している当事者の津原泰水の書き込みですが、 「これは「吹雪饅頭」氏本人の変名一覧に、Kurz氏を加えた列挙ですよね?」と、Kurzさんが私のソックパペットだと言いがかりをつけています。 http://6300.teacup.com/osamun/bbs/t10/360 のレスでは、津原は「「(吹雪饅頭は)カラひらです」とはふつう区別がつかないでしょう。同じことしか云っていない。社会的には同一の存在としか云いようがない。」と、上と同様に、カラひらですさんが私と同一人物だと主張しています。これはKurzさん、カラひらですさん、そして私を不当に荒し扱いするものであり、悪質な暴言だと思います。津原はこのところずっと、自身の掲示板において2ちゃんねるの書き込みに言及しており、匿名のどの書き込みとどの書き込みが同一人物によるものかと推定することにかなり熱心になってもいて、かなり混乱しているようです。--吹雪饅頭 2011年2月11日 (金) 19:06 (UTC)

ウィキペディアのノートは論争するための場ではないので、そういう話はそちらでお願いします。いずれにせよ、私の意見(=報道があるまで掲載不可)に変わりはありません。なお念のため申し上げますが、これは別に疑惑の真偽には全く関係なく、ただウィキペディアの掲載基準にそぐわないというだけなので、その点お間違えなきよう。--Kurz 2011年2月12日 (土) 04:35 (UTC)

Kurz氏へ。仰っているのは、1.本件の関係者であり、Wikipediaに専用のページもある津原泰水氏からの実名による公式な要請を、Kurz氏は個人的責任を引き受けたうえで、一切考慮に入れず、無視する 2.頭痛氏の慎重なWikipedia方針文書間のすり合わせによる、Wikipedia掲載基準に関する結論、「掲載可能である」を否定する 3.Wikipediaノートは議論による合意形成を目指す場であるにも関わらず、Kurz氏は「報道があるまで掲載不可」という個人的なご意見を変えるおつもりは無く、従って合意形成に向けて相互に歩み寄るご意思が無い、という理解でよろしいでしょうか。なお、4.Kurz氏は2011年2月1日 (火) 13:37 (UTC)の私Akari-lightに向けたご発言で、本件の掲載者には責任が伴うという趣旨のことを仰っていますが、既に複数の社会的立場のある著名人の方々が実名で見解を示し、従って各人の「名誉」という意味でステイクホルダーとなっている本件のような事例では、「掲載しない」というご判断にも同程度の責任が伴います。誤認がありましたら、1.2.3.4.の各項についてご指摘下さい。--Akari-light 2011年2月12日 (土) 07:44 (UTC)

1.はそうですね。というか、文芸雑誌がそこの編集部の判断において評論を掲載するかしないか決めるように、ウィキペディアはそのルールに従って記事を掲載するかしないか決める、それだけです。2はそうですね。そしてウィキペディアはWikipedia:存命人物の伝記について厳しい基準を課し、また全会一致主義を取る以上、中間的な結論としては掲載不可ということになります。3.は歩み寄る意思がないということはありませんが、現状で方針から判断する限りではその可能性は低いと思います。4.はもちろんそんなことはありません。ウィキペディアは公的機関でもなんでもなく、そのような法的義務ないし責任は課されていません。--Kurz 2011年2月12日 (土) 10:17 (UTC)

Kurz氏へ。率直なご回答ありがとうございました。1.2.については了解いたしました。3.については、文芸評論家の田中和生氏、石堂藍氏、小谷野敦氏のご見解は、リンクにより検証可能であり、出典の強固さは担保されていますから、Wikipedia:存命人物の伝記#信頼できる情報源Wikipedia: 信頼できる情報源#意見ならびに Wikipedia:存命人物の伝記#評論家の意見に照らして、Wikipediaに記載可能であると私は考えます。記載不可である、というご判断の理由が分かりません。少なくとも、記載可能であるとも記載不可であるとも方針文書からは断定することはできず、従って、積極的に合意形成を目指して議論を進めていくべきであろうと思えます。極論すれば、本件の項目とリンクだけであっても良いというところまで、私は歩み寄る意志があります。4.については、誤解があります。Kurz氏は、2011年2月1日 (火) 13:37 (UTC)の私Akari-lightに向けたご発言の中で、Wikipediaの外部における責任について言及していらっしゃいます。即ち、本件の記載者は、名誉毀損の問題があった場合、捨てアカウントであっても逃げられませんよ、というご発言です。上述の4.において私は「記載しない」という判断を下した場合にも、同様の責任が生じる可能性がある、と申し上げているのです。Kurz氏は、著名な文芸評論家諸氏が実名で見解を公表している本件について、「ゴシップ」というレッテルを貼り、ゆえに「記載しない」と仰っていたのですから、特に田中和生氏、石堂藍氏が名誉感情を毀損されたとお感じになる可能性は十分にあります。Wikipediaの方針文書から「記載不可」と断定できないことは上述しましたから、「記載しない」というご判断を方針文書の責にはできないことに特にご留意下さい。付言すれば、確かに私は本件からWikipediaの編集議論に参加した者ですが、文学・人文科学一般に高い関心を持つ者ですから、今後Wikipediaの他の項目についても、貢献できることがあれば、是非記事を投稿したいとモチベーションを高く持っていました。この点、Kurz氏から一方的に「捨てアカウント」と断定されたことを大変遺憾に思っています。--Akari-light 2011年2月12日 (土) 11:15 (UTC)

あのー。Akari-lightさん。あなたのやり方は非常にアンフェアではないでしょうか。Kurzさんに質問に答えなさいと言っておいて、答えが来てから全力で反論するとかいうやり方は詭弁術としては素晴らしく有効であるかもしれませんが、仮にもこういう場所で後生大事におっしゃるようなことではない、とわたくしめは愚考します。それでは、あなたの理論を崩していきましょうか。まずあなたは各氏の発言を引用するのですが、これはあくまでインターネット上の発言だということ、これまでの発言でもうすっかり解決は付いたことをまた蒸し返そうとなされている。なぜ、どういう理由であなたは「強固」だと仰るのです。彼等が、インターネット上で書いた文章を削除する可能性がないと、あなたは言い切れるのですか? もし言い切れたとして、それは保証できるのでしょうか? 事ほど左様に、彼ら評論家が文章を削除する可能性は十分想定されるのですから、これを「強固」であると言い切ることはできません。これは彼らに対する批判ではない。あなた自身の発言の曖昧性を指摘しているのですから、ご勘違いをなさらないように。以上で「本件の項目とリンク」を加えても、それが「強固」なものとはなりえない、ということが証明されたのですから、あなたの主張の根底は揺らぐことになりました。である以上、あなたはその「強固」さを補強する発言を行わなければならない。質問を投げかける前に、あなた個人の意見を伺いたいところですね。--カシス 2011年2月12日 (土) 13:31 (UTC)


カシスさん、こんにちは。あなたも中々鋭い指摘をしますね。また、Kurzさんの粘り強く真摯な議論態度と親切な説明には、見ていて敬服させられます。なるほど、読めば読む程正論なんですよ。勉強になりますよ。一方のAkari-lightさんですが、Akari-lightさんは数日前にBellcricketさんから、Akari-lightさんが記載なさろうとしている内容について「Wikipedia:存命人物の伝記#信頼できる情報源」も満たしていないし、「Wikipedia:存命人物の伝記#評論家の意見」として見ても、作家の著名性に釣り合うほど重要なものではないと指摘されましたよね?もう忘れてしまわれたのですか?また名誉毀損的な内容の記事掲載にはリスクが伴うと、Kurzさんからも噛んで含める様に丁寧な説明がなされましたよね?それでもまだ執拗に強弁なさるつもりなんでしょうか?あまりにも議論が堂々巡りになると、コミュニティが疲弊してきてしまいますよ。カラひらさんなどはすでに、「議論に徒労感を覚える」とおっしゃっていますし。それから、他のユーザーに対して何度も個人攻撃して排除しようとすると投稿ブロックの対象になりますよ。--吹雪饅頭 2011年2月12日 (土) 14:48 (UTC)

Akari-lightです。私は自身の力の及ぶかぎり、冷静でディーセントな議論姿勢を保持してきましたし、今後もその姿勢を変えるつもりはありません。このことは、私の過去の発言、そして今後の発言それ自体をもって例証にかえさせて頂きます。本題に入ります。■まずカシス氏へ応答します。私の2011年2月12日 (土) 07:44 (UTC)のKurz氏宛ての発言の1.2.3.は、2011年2月12日 (土) 04:35 (UTC)のKurz氏のご発言内容についての私の理解の確認です。もし誤認があれば、議論が進まないので、正して下さいとお願いしたものです。4.はWikipediaの外部の問題に関する状況説明です。「各氏の発言を引用」の「各氏」とは、本件に言及している文芸評論家の方々のことでしょうか。そうであれば、「コメント依頼後の議論」において、私は一度も引用をしていません。ご確認下さい。リンク先が削除される可能性があることと、記載に値する評論家の意見であることは、全く次元の違う話です。私は、現時点で、評論家諸氏のご見解は、検証可能性と出典の強固さを満たしている、と述べているのです。未来にわたる絶対的な保証はなんぴとにも出来ません。そうした保証が必要条件であれば、Wikipediaにおけるリンク自体が不可能になります。仮にリンク先が削除されていたり移動していたりすれば、その時点で記述を修正すればよいのです。Wikipediaに完成という概念がなく、常に最適な状態に修正(改善、アップデート)が出来るし、そうしたメンテナンスをしなければならないとは、そうした意味だと解しています。「項目名とリンクのみ」であれば、そうした修正は尚更容易でしょう。■次に吹雪饅頭氏へ応答します。2011年2月1日 (火) 12:53 (UTC) にBellcricket氏から頂いたご発言に対して、私Akari-light は2011年2月1日 (火) 13:18 (UTC)に反証を伴った応答をしており、いまだお返事を頂いておりません。即ち意見交換中であり、相互の納得による合意形成の途上なのです。また、私は合意形成に向けて議論を前進させようと真摯に努力しており、従って歩み寄りの案も提出しています。以上、ご理解のほど宜しくお願いいたします。--Akari-light 2011年2月13日 (日) 00:45 (UTC)

では掲載不可である理由をできるだけ丁寧に説明させていただきます。
Wikipedia:存命人物の伝記においては、名誉毀損を避けるために非常に厳格な基準が課されています。

「存命人物の伝記」の執筆時には特段の注意を払わなければなりません。「存命人物の伝記」には一定の配慮が必要であり、また下記の基本方針を厳守しなければなりません。 * Wikipedia:検証可能性 * Wikipedia:中立的な観点 * Wikipedia:独自研究は載せない 記事は「正確な」ものでなければいけません。特に、その人物の生涯の細部については、信頼性の高い参考資料だけを用いるべきです。存命中の人物に関する否定的な情報で出典の無い、あるいは貧弱なソース(情報源)しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです。

つまり否定的な情報で出典の無いものは即刻除去されます。なおこの厳しいルールができた経緯については、ジョン・シーゲンソーラー ウィキペディア経歴論争wiredの記事Wikipedia:存命人物の伝記#方針の位置づけをお読みください。
次に、Wikipedia:存命人物の伝記#信頼できる情報源にあるように、

存命人物の伝記において、もし間違っていたら中傷となりうる断定はソースの裏づけが必要です。信頼できる情報源のない伝記は、独自研究で検証不可能なため、名誉毀損につながりかねません。

党派的ウェブサイトや読者の限られたあまり知られていない新聞にしかない情報は取り扱いに注意すべきであり、もし名誉毀損の恐れがあれば、そもそも用いるべきではありません。自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません

つまり存命人物の伝記においては、ウェブサイトやブログを出典としては決して使えません(これはWikipedia:信頼できる情報源の通常の基準より厳しいものです)。
以上を今回の事例にあてはめると、この件ではウェブサイトやブログを出典として用いているが、それは存命人物の伝記の基準により出典としては使えず、となると出典がないので掲載不可、ということになります。とりあえずは以上です。--Kurz 2011年2月13日 (日) 03:14 (UTC)

Akari-lightさん。私の言いたいことが分かっていただけなかったようです。ここで問題にされている「引用」は、もう少しばかり範囲を広げたことです。あなたの以前からの発言が彼らの発言の強固性に依拠している、とは一目瞭然のことでしょう。「捨てアカウント」と断定されたことが「大変遺憾」とおっしゃいますが、そういったことはこの際問題ではなく、あなたが人文科学系に関心を持っていたとしても、それはあくまで無関係なこととなります。Kurzの発言に対する反論にはなりえないと思われますが。「記載に値する評論家の意見」ですか? ちょっとお待ちください。消えたサイトでもインターネットアーカイブによって掘り起こすことができるから安泰だと言われるのかもしれませんが、ネット上で存在していない情報はもうそれ自体信用できないものになっています。インターネットのサイトが書籍化される時、元の情報は削除される場合があります。それはなぜだか分かりますか。見れないように、という理由はもちろんあるでしょうが、魚拓やアーカイヴなどで掘り起こされたとしても、それは信用できる情報ではない、今出版されている情報よりも、完全ではない情報であると明言するためでもあるでしょう。さらに言えば、Kurzのおっしゃられるとおり、たとえ実名の評価されている人物であっても、校閲を経ていない文章は二次資料に属する、「貧弱なソース」であると結論付けられてしまうのは仕方がありません。あくまでネット上で発表された文章は、素人の書いたものとものと同等にみなすべきであると思われますが、納得いただけませんか。きちんとした校閲を経た(少なくともそういう信用が前提の)出版媒体においての彼らの発言のみ有効力がある、と見たほうが合理的であると思われますが、いかがでしょうか。 ”Wikipediaにおけるリンク”に関しても、まだ完全にはいたりませんが、精査されたものが適応されるのは当然のことです。特に出版媒体に関する記事においては安易なリンクは慎んだほうがいい、個人のブログやHPにリンクするのは避けた方がいいというのが、妥当な意見でありましょう。それにこれまでも盗作の話題に関するサイトへのリンクは、出版媒体や報道によって、その正当性が保証されたものしか取り上げられなかったはずです。まだ社会的に盗作の報道がされていない現状においては、サイトへのリンクは慎んだほうが良いでしょうね。彼らのネット上の発言を逐一取り上げることが、Wikipediaの役割ではありません。そういうことは他のサイトでおやりなさい、という話になると思われます。--カシス 2011年2月13日 (日) 04:32 (UTC)


私は2011年2月11日 (金) 16:53 (UTC)で、これまでの議論を整理するコメントを載せました。コメント依頼直前の位置に投稿したコメントです。この件につき、皆様から寄せられると想定するところの要点は以下の四つにまとめられると考えられます。
その一、本件で取り扱われている情報が所謂ゴシップに当たらないこと。
その二、マスコミでの報道がない状態でも掲載が可能なこと。
その三、本件の掲載は編集合戦→保護の繰り返しを予防する意図が含まれていること。
その四、本人確認の容易でないBBSの話などを持ち出すべきではないこと。
私は以下の疑問点に付き、あらかじめ正しておこうと思う次第です。各位へ発したメッセージを本人である私自身が踏襲できてない印象受けるどころか、立場が完全に逆転しているようにお見受けされるのでしたら、それは大きな読み間違いでしょう。想定されうるこの四点は全て合理的に説明可能です。例えば私は、ゴシップとそうではない記事の峻別を行いましたが、この件自体に関してはゴシップともなんとも言っていないし、今回はただ灯さんの発言に関して反論させていただいただけなのですから、何をかいわんやです。マスコミの報道とおっしゃいますが、確かにWikipediaはマスコミに使役されるものではありませんが、かといって独自研究を載せる場所でもないのは事実。そこは考えを改めていただきたいですね。本件の掲載は編集合戦回避云々は確かに一面においてはそうだとは思われますが、あれはあくまで頭痛さんの発言を補足するものであったことをお忘れにならないように願いたいです。それから「本人確認の容易でないBBS」というのは「他のサイトでおやりなさい」という発言を受けて出てくるコメントと想定しました。被害妄想とお笑いください。しかし私は「他のサイト」といっただけであって、「本人確認の容易でないBBS」とかいう反論は全て無効であると思われます。
また、Kurzさんに質問があるのですが、私の2011年2月11日(金) 16:53(UTC)におけるコメントに関してどうお考えでしょうか。また、この発言以降の私の議論姿勢に関してどうお考えでしょうか。御意見を頂けましたら幸甚です。--カシス 2011年2月13日 (日) 10:13 (UTC)

Kurz氏へ。大変丁寧なご教示をありがとうございました。ご示唆の内容ならびに方針文書を全て熟読いたしました。結論から申し上げます。本件は「存命人物のプライバシーなどに関わる伝記的事項」ではなく、「存命人物で著名人である作家の作品に対する他の評論家の意見」に該当します。従って、掲載可能です。理由を順序立ててご説明します。1.川上未映子氏が存命人物であること、これは申し上げるまでもありません。2.川上未映子氏が著名人であること、これも議論の余地がありません。3.本件は川上未映子氏のプライバシーに関わることではありません。作家・川上未映子氏が公表した「作品」に対する「評論家の意見」なのです。これも明白です。 以上3点から、本件は記載可能である、という結論が導き出されます。Wikipedia:存命人物の伝記#公人・著名人Wikipedia:存命人物の伝記#評論家の意見を併せてご確認下さい。「作家」という「著名人」が発表した「作品」に限定された「評論家の意見」とは、即ち「作品の評価」ですから、それが賞賛であれ、批判であれ、Wikipediaに掲載できないということは、考えられません。以上の方針文書に関する論点に限定して合意形成ができてから、ネクストステップとしてカシス氏が2011年2月13日 (日) 04:32 (UTC)で提起しておられる論点に移るのが順当かと存じます。宜しくご検討のうえ、ご理解賜りますようお願いいたします。--Akari-light 2011年2月13日 (日) 10:22 (UTC)


カシスさんに質問します。 何故最初からここで議論の整理をされなかったのか些か疑問ではありますが、 私もちょうどその点に就いて質問させて頂きたかったので、手間が省けました。 ありがとうございます。 「各位へ発したメッセージを本人である私自身が踏襲 できてない印象を受けるどころか、立場が完全に逆転しているようにお見受けさ れるのでしたら」と仰っていますが、誰もそんな指摘はされてないと思います。 私はあなたが改めて要約された四点に全面的に同意し、本件を掲載すべきという 立場を取るものです。何か問題があるのでしょうか。貴方の立場を明確にされた うえで御説明ください。よろしくお願い申し上げます。--Sazankasaita 2011年2月13日 (日) 12:23 (UTC)

ジョン・シーゲンソーラー ウィキペディア経歴論争を読みました。ほほう、無責任な記事を書くと仕事を解雇させられることもあるんですか。Akari-lightさんとSazankasaitaさんが掲載を主張している記事も否定的な内容で、出典といえばブログと自費出版本だけで非常に弱い、言ってみればいい加減な記事ですよね。これでは載せられるはずがありません。それを無理に載せようとすると、プロバイダから開示要求が来て責任を負わされるということになるんですね。お二人はそこをよく考えた方が良いですよ?とりあえず私はKurzさんとカシスさんに同意し、チェックユーザーの結果を待つとしましょう。--吹雪饅頭 2011年2月13日 (日) 14:27 (UTC)

チェックユーザー後の議論[編集]

一部繰り返しになりますが、現時点での私の結論を述べます。本件は「存命人物のプライバシーなどに関わる伝記的事項」ではなく、「存命人物で著名人である作家の作品に対する他の評論家の意見」に該当します。従って、掲載可能です。再度理由を順序立てて説明します。1.川上未映子氏は存命人物です。これは申し上げるまでもありません。2.川上未映子氏は著名人です。これも議論の余地がありません。3.本件は川上未映子氏のプライバシーに関わることではありません。作家・川上未映子氏が公表した「作品」に対する「評論家の意見」です。これも明白です。 以上3点から、本件は記載可能である、という結論が導き出されます。Wikipedia:存命人物の伝記#公人・著名人Wikipedia:存命人物の伝記#評論家の意見を併せてご確認下さい。「作家」という「著名人」が発表した「作品」に限定された「評論家の意見」とは、即ち「作品の評価」ですから、それが賞賛であれ、批判であれ、Wikipediaに掲載できないということは、考えられません。以上の根拠に基き、且つ過度にセンセーショナルにならない為の配慮もして、私は頭痛氏が最後に作成された文案と掲載位置(最下段)にて、本件を掲載してよいと考えます。これに対して異論のある方は、Wikipediaの諸ルール(方針)の範囲内で合理的な意見をご提出下さい。宜しくお願いします。--Akari-light 2011年3月28日 (月) 12:37 (UTC)

「評論家の意見」とおっしゃいますが、それはまず「評論家がブログで発表した意見」といいかえねばなりますまい。そこを忘れては話が始まるはずもありません。Wikipedia:存命人物の伝記#信頼できる情報源をご参照ください。

自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して(引用者強調)使うべきではありません。

と書かれているではありませんか。現在出ている各意見は「ウェブサイトやブログによる情報」です。この事実はどう考えても揺るがされようがないと思われます。念のためにAkari-lightさんが掲載の正当性を主張されているWikipedia:存命人物の伝記#評論家の意見Wikipedia:存命人物の伝記#公人・著名人も確認して見ることにしましょうか。
まず前者からいきましょう。長くなりますが、
「それが項目本人の著名性に釣り合う重要なものでなおかつ百科事典的で、記事に有益で、信頼できる情報源に基づくものならば、記事を損なったり評論家に肩入れするような書き方でない限り明言すべきです」
とあり、さらには、

少数派の意見が一般的であるかのように不釣合いな量の加筆はしないように注意してください。

という断り書きがあった後、

評価は確かな出典がなくてはなりません

と記されております。「確かな出典」というのは「ウェブサイトやブログによる情報」によるものではないでしょう。
続いて後者の方を確認するとしましょうか。ここでネックとなっているワードは「文書化」でありましょう。何を持って「文書」となるのか。Wikipedia:存命人物の伝記#信頼できる情報源から再度引用しましょう。
自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、””決して””(引用者強調)使うべきではありません。
というルールが存在する以上「文書」というのは「確かな出典」と同義であり「ウェブサイトやブログによる情報」ではありえません。「過度にセンセーショナルにならない為の配慮」を行ったとしても、そのソース元となっているのはあくまでも「確かな出典」ではない「ウェブサイトやブログによる情報」です。Akari-lightさんが証拠として提示されているものはすべて「自主公表された情報」でしかありません。このことは前の議論でも何度も繰り返されてきたことですが、理解されていなかったようです。
以上、あなたのおっしゃるWikipediaに掲載する出来る可能性は現状のところ全くないといっても過言ではありません。


追記:『評論家の意見」とは、即ち「作品の評価」』であるとakari-lightさんは仰いますが、田中和生さんのブログ「郷士主義!」の「川上未映子さんの作品について」[14]において田中さんは過去に川上未映子の作品に言及された時評を引用しただけで、

したがってわたしがアイデア盗用の可能性のある作品を読んでそこにアイデア盗用があるかないかを検証し、ないという意味でわたしの文学観に適うものであることを確認しなくてはなりません。残念ながらこの作業は、毎月ぎりぎりの日程で対象作品を読んでいるわたしの能力を越えています。

とされ、

くり返しますがこれは暫定的な措置であり、今後発表される作品でアイデア盗用の可能性がないということが明白になればすぐに撤回いたします。

と明言しておられます。これは「盗作疑惑」というakari-lightさんのおっしゃる「作品への評価」が行われていないことを示すものであり、この記事が確固たる出典になる、という可能性が低いことを田中さん自身が示されています。
また石堂氏についても既刊の二冊はブックガイド的なものであり、その評論家としての業績を計るにたる単著がないことは指摘しておかねばなりません。その評論家としての業績は雑誌などに掲載されたものや解説が殆どです。
大森さんと小谷野さんの発言は非常に「盗作疑惑」に懐疑的なものであり、載せなくてよいと考えられるでしょう。--カシス 2011年3月28日 (月) 16:17 (UTC)


カシス氏へお返事します。結論から申し上げれば、カシス氏のご見解「Wikipediaに掲載する出来る可能性は現状のところ全くないといっても過言ではありません」は、誤っています。以下において私は、カシス氏のこのご見解が誤りであることを論理的に証明しましょう。

Wikipediaの指針には階層性があります。記事を書く際に従うべき指針を上位のものから順に列挙すれば、Wikipedia:五本の柱>Wikipediaの内容に関する相互補完的な三大方針、即ちWikipedia:中立的な観点×Wikipedia:検証可能性×Wikipedia:独自研究は載せない>諸方針>ガイドラインとなります。三大方針は「記事に書くことができる情報の種類と質を決定」するものであり、「この三方針は議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」と強い拘束力を持っています。従って、諸方針間の規定で迷ったり議論になった場合は、三大方針に立ち返り、三大方針に明記されている規定や定義を演繹すればよいのです。以上の事柄に異を唱えるWikipedianは存在し得ません。

さて、三大方針のひとつ、Wikipedia:検証可能性では、「自主公表された情報源」が定義されています(Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源)。カシス氏との係争点に関わるので、全文を引用しポイントを太文字にします。「ウェブサイトを作ったり本を自費出版したりした上で、自分がある分野の専門家だと主張することは誰にでもできます。そのため、自費出版物、個人のウェブサイトやブログは、原則として適切な情報源としては認められません。ブログや電子掲示板の発言を一意見として紹介するのも同様です。例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます。しかし、注意してください。もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです」  

カシス氏は、私の言う「評論家の意見」を「評論家がブログで発表した意見」と換言し、さらに「ウェブサイトやブログによる情報」と等値しておられます。そしてこれを「自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報」即ち「自主公表された情報源」は「伝記本人のものでない限り決して使うべきではありません」という規定と結びつけ、ゆえに掲載不可であると結論づけておられます。  

しかし、このカシス氏の論述は「自主公表された情報源」の最も強い定義を見落としているがゆえに誤っています。三大方針のひとつWikipedia:検証可能性において、「自主公表された情報源」は上述のように定義されていますから、私の言う「評論家の意見」は、正しく換言するならば、「関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合であり、その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるがゆえに、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得る情報」に他ならないのです。田中和生氏、石堂藍氏、大森望氏、小谷野敦氏が、この私の換言に正当に該当することは、議論の余地がありません。

以上によって、私は冒頭でお約束した事柄、すなわちカシス氏のご見解「Wikipediaに掲載する出来る可能性は現状のところ全くないといっても過言ではありません」が誤りであることの論理的な証明を果たしました。

付言すれば、Wikipedia:検証可能性における「自主公表された情報源」の定義の残余の部分「しかし、注意してください。もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです」は、無限遡行を強要する趣旨のものではあり得ませんから(なぜなら、それではいかなる記事も書かれないでしょうから)、私たちは最初の執筆者である田中和生氏に続いてさらに三名の専門家による意見表明が存在することで十分であると解するべきでしょう。なお、本件はSazankasaita氏によって既に記載されており、現カラひらです氏がミスによって無断消去をなさったのであれば、それを復元なさるべきであろうと申し添えておきます。

ここまでの私の論述に対して、Wikipediaの指針に従った有効な反証がなされなければ、文案の作成へと歩みを進めましょう。--Akari-light 2011年3月29日 (火) 13:42 (UTC)

さて、akari-lightさんは三大方針のWikipedia:検証可能性を重視されているようですが、私はさらにその上位に存在するWikipedia:五本の柱へと視線を向けることにいたしましょうか。akari-lightさんの論述によれば、三大方針のWikipedia:検証可能性Wikipedia:五本の柱を超越することはできない。すなわち、たとえ三大方針を無視しててもWikipedia:五本の柱は死守しなければいけない。これは皆さんも合意していただけると思います。
例えば三大方針の一つWikipedia:中立的な観点は第二の柱ウィキペディアは中立的な観点に基づきますを補強するものであって、Wikipedia:五本の柱を越えうるものではありません。Wikipedia:検証可能性にしてもWikipedia:五本の柱に準じるものであることは納得いただけるでしょう。
Wikipedia:五本の柱には以下の原則も含めた五つ以外にはウィキペディアには、確固としたルールはありませんとも明示されております。この言葉には三大方針ですら従わなければならない威力があると見てよろしいでしょう。
ついでにWikipedia:井戸端/subj/「三大方針」は絶対不可侵か?という議論が存在していることも紹介しておきましょう。ここでは、akari-lightさんが黒抜きで「拘束力がある」と強調しておられる、

この三方針は議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません

という言葉自体に対する違和感が表明されております。繰り返しましょう。Wikipedia:五本の柱の名の元において、三大方針が否定されるということは当然ありえます。そして上記の議論で提示されている通り、三大方針の名において上記引用の言葉が否定されることもありえるでしょう。akari-lightさんが強調しておられない三大方針のWikipedia:検証可能性における、

しかし、注意してください。もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです。

という部分を私が強調すれば、それは前記の言葉に対する反論ともなりえるでしょう。ここでウィキペディアは中立的な観点に基づきますと照らし合わせて考察してみましょう。私が強調したいのは以下の二つです。

どの観点も「真実」や「最良の観点」と紹介しないようにします。

中立的な観点に基づくということはまた、可能な限り検証可能で信頼できる出典を明記するということをも意味します。とりわけ論争となりがちな話題では出典の明示が求められます。

akari-lightさんのおっしゃる川上未映子への「評論家の意見」を掲載するか否かということは「論争になりがちな話題」になるでしょう。そしてその場合は「検証可能で信頼できる出典を明記する」必要が出てきます。である以上「評論家がブログで発表した意見」は「検証可能で信頼できる出典を明記する」とは言いがたいと思います。仮にakari-lightさんが引用された「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます(引用者強調)」が有効であったとしても、私が先程強調したその以下に続く部分、「しかし、注意してください。もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです」およびそれによって補強されるWikipedia:五本の柱よりも優越を主張することはできないはずです。
ブログやウェブサイトの場合本人の投稿を検証するには本人および限られた人しかできないので、「検証可能で信頼できる出典を明記する」というWikipedia:五本の柱に違反する可能性が生じます。
情報が本当に書く価値のあるものあるものならば他の誰かが既に執筆していたはずです」は『「真実」や「最良の観点」と紹介しないように』するということと照応するでしょう。「執筆」されていないものは『「真実」や「最良の観点」』と同等のものであって、ウェブサイトやブログで公表された意見を載せることは『「最良の観点」と紹介する』とみなすことも可能であり、Wikipediaに載せる必要性は主張できないのです。最良の観点が「他の誰かが既に執筆していた」のならば、それを出すべきでしょう。そしてこの場合の「執筆」とは先に述べたとおり「検証可能で信頼できる出典を明記する」ことができないブログやウェブサイトでは決してありません。akari-lightさんやSazankasaitaの既述が「執筆」と見なされることはないでしょう。
またWikipedia:井戸端/subj/新聞の情報源を引用した個人ブログは「検証可能な情報源」と判断してよいか?という論争も行われており、akari-lightさんが引用された箇所全てに疑義が差し挟まれたこともあったということを主張しておきたいと思います。
さて、他のWikipedia:五本の柱に立ち戻りましょう。まずは第一の柱ウィキペディアは百科事典ですこれは先程の問題とも重なりますが、

ウィキペディアは、個人の意見・経験・議論を書き込み、自説を披露する演説台ではありません。

単なる情報やデータを無差別に収集する場所でも、雑学集やトリビアコレクションでもありません。

この二つは先の問題とも重なることです。ブログやウェブサイトで公表された意見を(例えそれが評論家の意見であっても)Wikipediaに「盗作疑惑」を記載することはWikipediaが演説台と無差別に情報を収集する場所や雑学集、トリビアコレクションと見なされてしまう可能性もあります。さらに否定的な意見を載せた場合、吊り合いを保つために肯定的な意見も載せねばならず、この評論家の意見を載せたら次はあの評論家、次はこの評論家という風に載せていかなければならなくなり、すでに百科事典の目的から離れてしまう可能性が高いです。これは例えそれが商業媒体で公表された情報であっても、逐一載せていくことはWikipediaの使命ではない、と思います。
第五の柱にウィキペディアには行動規範がありますとあります。そこには「無益な編集合戦に陥らないようにしてください」、「編集・議論の対象となる項目が741,143もあることを忘れないでください」、「あるひとつの点を例証するためだけにウィキペディアを混乱させることのないようにしてください」などがあり、中でも一番重要な言葉があります。

他の人の言動を善意にとってください。寛大になって、受け入れるよう心がけてください。

川上未映子のノートにおける論争だけで既に随分と肥大化し、akari-lightさんはそれだけを例証することに躍起になっておられ、「編集・議論の対象となる」他の項目のことを忘れておられるようです。そして、川上未映子に対する「評論家の意見」を記載すれば「無益な編集合戦」が再発する可能性があります。そういうことが行わないためにも、川上未映子に対する「評論家の意見」はWikipediaには載せないほうがいい、という意見は認められると思います。編集合戦が勃発するに到る因子は取り除かねばならないというのが私の結論です。さらにはこれは自分も当然違反している意識があるのですが、「他の人の言動を善意」ととり、「相手を寛大になって受け入れる」ことがこのノートでの議論では行われていないように思います。つまりこのノート全体がWikipedia:五本の柱への違反を犯している可能性があります。--カシス 2011年3月29日 (火) 18:37 (UTC)


灯さんの御意見に同意いたします。カシスさんは過去に提示された四点の要約に関し、こちらから指摘させて頂いた質問に応えてください。そこから議論を再開しないことには、論点がまとまりません。何卒、御理解のほどよろしくお願い申し上げます。Tiyoringoさんや頭痛さん、森藍亭さん、ウィキペディアン諸氏の皆様も議論にご参加いただければうれしいです。--Sazankasaita 2011年3月30日 (水) 04:41 (UTC)


カシス氏へ。「チェックユーザー後の議論」において私が先に示した2件の論述を前提にしたうえで、補足すべきと思われる点のみご回答申し上げます。

1.Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源のご指摘の箇所「しかし、注意してください。もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです」は、無限遡行を強要する趣旨のものではあり得ませんから(なぜなら、それではいかなる記事も書かれないでしょうから)、私たちは最初の執筆者である田中和生氏に続いてさらに三名の専門家による意見表明が存在することで十分であると解するべきです。

2.Wikipedia:中立的な観点#はじめに:中立性の基本的な概念と、なぜウィキペディアが中立的であるべきかについての規定「偏りのない(中立的な観点から)記事を執筆するということは、特定の観点からの意見を主張するかわりに、論争における様々な立場を公正に説明することです」、およびWikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?の規定「ウィキペディアの方針としての「偏りのない記述」が意味するところは「論争の種になるような立場を主張することなく、単に記述する」というものです」より、私たちは本件に関する専門家四氏の見解のどれかを主張してはなりませんし、否定してもいけません。排除してもいけません。専門家四氏の見解を全て公平に記述しなければなりません。換言すれば、私たちは専門家四氏の見解を全て公平に指し示せばよいのです。なぜなら、専門家四氏の見解は、相互に異なる立場からのものであるからです。

3.以上をもって、私はカシス氏に本件が掲載可能であること、ならびにいかに掲載すべきかということを示しました。しかしながら、「掲載可能であること」はただちに「掲載すること」には結びつきません。今後は「掲載可能であること」を踏まえたうえで、「掲載するか否か」について合意形成を進めていきましょう。議論参加者各位の善意に基く積極的な合意形成を期待します。--Akari-light 2011年4月3日 (日) 06:22 (UTC)

Akari-light氏へ

「「掲載可能であること」はただちに「掲載すること」には結びつきません。今後は「掲載可能であること」を踏まえたうえで、」とのことですが、そうですね、恐らく皆さんも当初よりその認識で議論されていると思いますよ。(まあより正確には「掲載可能である可能性がある」でしょうが)  そもそも掲載可否の絶対的な根拠が提示されているならそれが結論となり、議論は終了しているでしょうし、そして絶対的な根拠がない以上、可否それぞれの可能性は常に残りますから。 で、それを踏まえて「「掲載するか否か」について合意形成を進めていきましょう。」ということなのですが、Akari-light氏はご理解されてなかったようなのですが、まさにそれを踏まえて「掲載が妥当かどうか」についてのコメント依頼を行ったんですね。(頭痛氏によるコメント依頼文をお読みください) 結果、四名もの経験豊富なユーザーの方々からご協力を頂き、Bellcricket氏、fromm氏、Kurz氏の三名の方々が現状では掲載は妥当でないだろうとご判断され、肉欲獣氏のお一人が(双方の意見を載せる分には)掲載は問題ないだろうとご判断されたんです。 2011年2月1日 (火) 14:13 の私のコメントで既に書いてはいますが、改めて書きます。今回合意したコメント依頼は「合意形成のためのコメント依頼」です。これは「議論の中で意見対立が生じている場合や、記事の大幅な改稿等で合意形成が必要が生じた等の理由により、合意形成に向けて第三者による客観的な視点からの議論のリードを要請したい場合」に依頼するものです。 つまり、お寄せ頂いたコメントに、膠着した議論のリードを託すことに皆が合意したということになります。 よって、この議論では、お寄せ頂いたコメントにリードを託すことが、形式的にも、また(お忙しい中合意形成の為にわざわざご意見をお寄せ下さった方々に対しての)礼儀としても、前提条件となります。ですので、Akari-light氏にはご自身が合意したコメント依頼によってお寄せいただいた、経験豊富なユーザーの方々の客観的なご意見をよくお考え頂き、その上で議論にご参加されることを強く要望致します。--カラひらです 2011年4月3日 (日) 08:24 (UTC)

ところでakari-lightさんは私の文章の都合のいいところだけを読み、都合のいい答えの仕方をされているのではないでしょうか。

しかし、注意してください。もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです。

という文章に対して私はいったいいつ、この箇所に基いた「無限遡行」が可能であるといいましたか? 引用箇所をどう読んでも「無限遡行」をしろ、といっているようには見えません。それはあなたの以前の発言の中で作られた言葉にしか過ぎませんよ。「それではいかなる記事もかかれません」というのはあなたが作成した「無限遡行」という言葉を彩るものでしかないでしょう。
検証可能性における「他の誰かが」と「執筆していたはず」というのはあなたの捉え方とは少し違うように思います。検証可能性#自主公表された情報源が属する検証可能性#情報源/ソースの下には、

この件について詳しくは、Wikipedia:信頼できる情報源 (en:Wikipedia:Reliable sources) をご覧ください。

という記述があることを確認していただけるでしょうか。Wikipedia:信頼できる情報源 の記事は確かに、

現時点ではまだ拘束力はありません。

と断られています。しかし上述のような引用が検証可能性#情報源/ソースに示されている、ということは検証可能性#自主公表された情報源に書かれた記事を検証するに当たってWikipedia:信頼できる情報源 を参照してもいい、ということになるでしょう。
そしてその参考にすべき記述は当然Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源ということになるでしょう。ここでは以下のようなことがかかれております。

しかし、編集者は次の2点に用心すべきです。ひとつは、その著名な専門研究者のブログ(あるいは自己公表相当物)は本当に報告する価値があるのか、ほかの人だったらそうしただろうか、という点です。ふたつめは、その情報は自己公表されており、独立した事実の確認を受けていない、という点です。

一般的に自己公表された情報源については、ほかの情報源が評価したりコメントしたりするまで待つのが望ましいです。

これを検証可能性における、冒頭に引用した文章と重ねて見ましょう。

しかし、注意してください。もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです。

「他の誰か」「既に執筆していたはずです」という発言は「ほかの情報源が評価したりコメントしたりするまで」と共通点を見つけ出すことができます。そしてそれによって「待つのが望ましいです」と補説することができます。
以上をもって冒頭に引用した検証可能性#自主公表された情報源の文章が「無限遡行」を行えるものでもなければ、akari-lightさんのおっしゃったように田中和生さんを「最初の執筆者」と見なして記載できるというものでもないことが分かりました。なぜならそれはブログにおける記事であり、「独立した事実の確認を受けていない」情報であって「ほかの情報源」とは明確に峻別されうるべきものであるからです。
akari-lightさんの提示した第二項目、そして第三項目に関しましても、私は非常に独断的な判断であると感じました。評論家がそれぞれ意見が異なるとおっしゃいましたが、そんなことは当たり前でしょう。私はそれぞれの評論家の意見を並べてみて、「検証可能で信頼できる出典」となりえないことを主張しました。そうなりえないものを幾ら重ねられても、有効性は発揮しないのです。つまり記事としての「中立性」を主張する以前の問題で、記載は出来ないということです。田中さんの発言は本人が消す可能性もあると主張されている。それゆえ「検証可能で信頼できる出典」にはなりません。石堂さんの場合は「専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)」と呼ぶにたる実績が少ない。小谷野さんもブログの発言を書籍化などの理由で消すことはよく知られています。もちろん書籍化された場合は、その出典を確認しなければ掲載は出来ません。三大方針には出典が消滅したときの場合のことが記載されていません。そういう問題が起こったとき、記事が存在しているということだけで載せていた記述は存在価値がなくなります。ネット上に発表された情報は消える可能性が残っており、そういった類の「他の誰かが」「執筆した」「ほかの情報源」により補強できない情報は掲載が不可となります。「他の情報源」によって提示されて始めて、ブログやウェブサイトにリンクを張った上で言及してもいいようになる、という訳でしょう。
残った大森さんは自費出版の本の中で言及されていますが、それを川上未映子の記事に掲載するかどうか、というのは別でしょう。当然のことながら、これも「自己公表された情報源」ですし、特筆するほどの分量もないものです。またこれだけを掲載することはそれこそ「中立性」を欠いてしまう可能性もあります。
以上の私の論証でakari-lightさんの「本件が掲載可能であること、ならびにいかに掲載すべきかということ」が間違っていると指摘しました。である以上、『「掲載可能であること」はただちに「掲載すること」』というakari-lightさんの道具立てで議論を進める必要性を一切感じません。また『「掲載するか否か」について合意形成を進めていきましょう』というのは勝手な仕切りであって、あなたではない他者にとっては、そうではない方向を選ぶ、という道も残されている訳です。そうした方が有用でしょう。--カシス 2011年4月3日 (日) 18:00 (UTC)

カラひらです氏と「掲載可能であることを踏まえたうえで、掲載するか否かについて合意形成を進めるべきである」という点において、大枠で認識の一致をみたことを嬉しく思います。カシス氏がご反論をお書きのようですが、正直に申し上げて、何を仰っているのか意味不明です。ともあれ、現状では、以前頭痛氏が仰っていたように「微妙な案件」ですから、合意形成は困難だと思います。そこで、事態がさらに変化するまで、一旦議論を保留としたいと思います。今後の状況の変化によって、「掲載しないでよかった案件」になるかも知れませんし、「確実に掲載すべき特筆性を備えた案件」になるかも知れません。しばらく様子を見ましょう。ここで一旦各位に御礼を申し上げます。ありがとうございました。--Akari-light 2011年4月9日 (土) 15:57 (UTC)


akari-light氏へ

えー、ちょっと私の言葉が足らなかったため、私のコメントに対し一部誤ったご理解をされている可能性がありますので、もうちょっと正確に書きます。 私が申し上げたかったのは、可否の判断が絶対的な根拠(例えば著作権侵害など)に拠らないケースに於いて、合議による「可・否」それぞれの決定は、 その決定によって否定された「可・否」それぞれの妥当性を0パーセントとするものではないという、ごく単純な原則に関するお話をしたつもりでした。 それに基づき、Akari-light氏のコメントである「「掲載可能であること」はただちに「掲載すること」には結びつきません。」について、「より正しくは「掲載可能である可能性」」という但し書きを加え、「「掲載可能である(可能性がある)こと」はただちに「掲載すること」には結びつきません。今後は「掲載可能である(可能性がある)こと」を踏まえたうえで」」というのは原理上は当然の認識であって、まさにそれ故にこれ程の長い期間議論してきているのであり、その結果、(Akari-light氏が「これから始めましょう」とおっしゃっている)「掲載が妥当かどうか」について、既に3ヶ月程も以前にコメント依頼を行っていますよという事実をご認識頂きたかったのです。 そして、(参加者全員の合意を経て行われた)コメント依頼によってお寄せいただいた、経験豊富なユーザーの方々の客観的なご意見をよくお考え頂き、 その上で議論にご参加されることをAkari-light氏に要望したのです。この要望は合意形成に向け非常に重要であると考えます。--カラひらです 2011年4月10日 (日) 11:09 (UTC)


akari-light氏、並びにこの議論にご参加されている方々へ 合意形成に向けての提案です

上記コメントの続きとなりますが、akari-light氏は「事態がさらに変化するまで、一旦議論を保留としたいと思います。」と勝手に結論をだされていますが、 全く理解に苦しみます。仮に今後この件を取り巻く状況が変化した場合は、それに基づきその時にまた新たに議論をすればいいのであって いつになるかわからない、そもそも起こる保障の全くない変化をこの議論が待ち続ける理由はありません。 また「現状では、以前頭痛氏が仰っていたように「微妙な案件」ですから、合意形成は困難だと思います。」ともおっしゃっていますが、 何度も申し上げますが、「合意形成は困難」であったからこそ議論参加者全員の同意によってコメント依頼を行い、他の方々のお力をお借りしたのです。 結果、四名もの経験豊富なユーザーの方々からご協力を頂いてしまっている以上、ご協力を要請した立場としては頂いたコメントを謙虚に受け止め、合意形成に向け議論を進めるのは当然の責務でしょう。繰り返しますが、Bellcricket氏、fromm氏、Kurz氏の三名の方々が、この件は存命中の人物に関するネガティブな内容の為、 個人ブログと自費出版本でしか触れられていない現状では掲載は妥当でないだろうとご判断され、肉欲獣氏のお一人が(双方の意見を載せる分には)掲載は問題ないだろうとご判断でした。さらに、Kurz氏は2011年2月13日 (日) 03:14 のコメントで掲載不可の理由を非常に丁寧にご説明されています。 それに対しakari-light氏が「本件は「存命人物のプライバシーなどに関わる伝記的事項」ではなく、「存命人物で著名人である作家の作品に対する他の評論家の意見」に該当します。従って、掲載可能です。」との反論をされてはいるんですが、その反論は「存命人物の伝記」の方針をよくご理解されていないことによるものと思われます。 なぜなら「存命人物の伝記」の方針は「存命人物の伝記」のカテゴリが付与されたページ内の記載される記事全てに適用されるものだからです。 ただまあそれ以前に、akari-light氏の「本件は「存命人物のプライバシーなどに関わる伝記的事項ではなく」 とのご主張に仮に従うならば、伝記的事項ではないというこの件は、そもそも「存命人物の伝記」のカテゴリが付与されたページには掲載は出来ないということになってしまいますけれど。

以上、お寄せ頂いたコメントや、Kurz氏の2011年2月13日 (日) 03:14の丁寧な説明を軸に考えますと、 この件は存命中の人物に関するネガティヴな要素の記述である為、存命人物の伝記の方針に従い「保守的な判断」が必要となり、 よって出版社や新聞社などの公的な媒体、または当人による言及がなされていない現段階に於いては掲載は妥当ではないと 結論づけるのが適切であると私は考え、これをこの議論の結論とすることを提案致します。 念の為付け加えますが、 仮に今後この件を取り巻く状況が変化し、それに起因して新たに議論が生じた場合、 今回の議論で出された結論や、コメント依頼に寄せられたコメントは、 何らかの意見を主張するうえでの論拠として有効性を持つことでしょう。 (ちなみにこの議論が終了した後、もし何らかの変化があり新たな議論が生じた場合、私はその議論に参加するつもりはありません。 今回だけでもう十分です。) このことも踏まえて頂き、私の合意形成に向けた提案に対して、反対意見のある方は反対理由を添えて返答くださいますようお願いします。--カラひらです 2011年4月10日 (日) 11:09 (UTC)


カラひらです氏へお返事します。1.私もWikipediaでは合意形成が重要であると思いますから、議論をクロージングするにあたっても合意形成が不可欠である、というご指摘には同意いたします。従って2011年4月9日 (土) 15:57 (UTC)の私の発言を「議論を一旦保留にしたいと思いますが如何でしょうか」「しばらく様子をみることにしませんか」というかたちに訂正します。2.私はWikipediaの指針、方針を熟読した結果、頭痛氏が「再開後の議論」で2011年1月10日 (月) 22:43 (UTC)に述べておられたことが最も妥当であるという結論に至りました。そのことを私の理解のプロセスを再現するかたちで説明=論証したものが「チェックユーザー後の議論」の2011年3月29日 (火) 13:42 (UTC)の私の記述です。従って、カラひらです氏はKurz氏の2011年2月13日 (日) 03:14の記述を軸に考えておられますが、私の判断では頭痛氏の2011年1月10日 (月) 22:43 (UTC)の記述の方が「より」妥当です。3.当然カラひらです氏もご存知のことでしょうが、コメント依頼が行われた理由は「Wikipediaでは合議による決定が原則ですので、「歩み寄りの余地」がそちらにないというのであればしかたありません」(2011年1月13日 (木) 13:17 (UTC)の頭痛氏の発言)ということでした。即ち、合意形成を困難にしているのは、掲載反対意見の方々の「歩み寄りの姿勢の欠如」に他ならないのです。この意味で、カラひらです氏にも、議論において「歩み寄り」を重視して頂くよう要望します。4.カラひらです氏は、私が既に発していたシンプルな問い「本件はSazankasaita氏によって既に記載されており、現カラひらです氏がミスによって無断消去をなさったのであれば、それを復元なさるべきであろうと申し添えておきます」にまずお答え下さい。ミスではなく意図的な消去だったのであれば、その理由を説明して下さい。それを受けてから、本議論のクロージングについて話し合いをしたいと存じます。宜しくお願い申し上げます。--Akari-light 2011年4月11日 (月) 14:12 (UTC)


Akari-light氏へ

まず1に関してですが、 2011年4月10日 (日) 11:09にお答えしている通り、仮に今後この件を取り巻く状況が変化した場合は、その時にまた新たに議論をすればいいのであっていつになるかわからない、そもそも起こる保障の全くない変化をこの議論が待ち続ける理由はありません。またコメント依頼によって合意形成に向けた貴重なご意見を頂いていますので、ご意見を反映させた結論をきちんと出す責務がこの議論にはあります。

また2に関してですが、 前回の私の書き込みをよくお読み頂きたいのですが、私はKurz氏のコメントだけではなく、当然、コメント依頼によってお寄せ頂いたコメントも軸に意見を述べていますしそのように記載をしてます。それをご理解頂いた上で、これも 2011年4月10日 (日) 11:09で書いている内容通りの返答となります。以下繰り返しを含みますが記載します。頭痛氏の2011年1月10日 (月) 22:43 (UTC)の記述を基にしたというakari-light氏の、「本件は「存命人物のプライバシーなどに関わる伝記的事項」ではなく、「存命人物で著名人である作家の作品に対する他の評論家の意見」に該当します。従って、掲載可能です。」とのご主張は「存命人物の伝記」の方針をよくご理解されていないことによるものと思われます。 なぜなら「存命人物の伝記」の方針は「存命人物の伝記」のカテゴリが付与されたページ内の記載される記事全てに適用されるものだからです。 ただまあそれ以前に、akari-light氏の「本件は「存命人物のプライバシーなどに関わる伝記的事項ではなく」 とのご主張に仮に従うならば、伝記的事項ではないというこの件は、そもそも「存命人物の伝記」のカテゴリが付与されたページには掲載は出来ないということになってしまいますけれど。

3に関してですが、まず頭痛氏の提案理由は頭痛氏個人によるものであって、頭痛氏以外、そのことを理由にコメント依頼に同意したと明言している人間はいません。それぞれが、それぞれの理由で合意形成が困難と判断し、コメント依頼に同意したのです。少なくとも私は違う理由で同意していることを明言しています。頭痛氏個人による理由を、議論全体に適用して語るのは非常に問題があると言わざるを得ません。さらに申し上げますが、頭痛氏ははっきりと掲載に賛成という立場を明言しています。その立場の人間がそれに反対する立場の相手に対し、主観的印象として「「歩み寄りの余地」がそちらにない」と感ずるのはなんら不思議ではありません。議論の当事者であるということはそういうことです。つまり客観的視点での評価が困難になってしまうということです。であるからこそ、ウィキペディアにふさわしい記事作成を目的として、第三者の客観的視点の導入を要請したのです。「コメント依頼」にはそういう要素もあるということをご理解下さい。(一応申しますと、頭痛氏の「歩み寄り」云々の発言は、2011年1月13日 (木) 12:35 の吹雪饅頭氏による「議論が堂々巡りの様に思えるのは、歩み寄るつもりがないからでしょう。合意のためには歩み寄りが必要です。もし中立的な提案が誰かからなされたら、私は賛成するつもりです。今の頭痛さんは中立的ではないから私は反論するのです。」という発言を受けてのことだとは思います)よってAkari-light氏の言う、「即ち、合意形成を困難にしているのは、掲載反対意見の方々の「歩み寄りの姿勢の欠如」に他ならないのです。」は、即ち当事者であるが為に、客観的視点を保つことが困難になっているが故の印象である可能性をご認識下さい。コメント依頼の結果を受けて尚、そのような、他に責を求めるAkari-light氏の姿勢には疑問を感じずにはいられません。

4に関してはミスではありませんが、何故ミスと思われたのかがそもそも理解できません。またそのご質問が合意形成にどういう意味を持つのかもわかりません。お聞かせください。


追記です。以前にも書きましたが、今回合意したコメント依頼は「合意形成のためのコメント依頼」です。これは「議論の中で意見対立が生じている場合や、記事の大幅な改稿等で合意形成が必要が生じた等の理由により、合意形成に向けて第三者による客観的な視点からの議論のリードを要請したい場合」に依頼するものです。 つまり、お寄せ頂いたコメントに、膠着した議論のリードを託すことに皆が合意したということになります。よって、この議論では、お寄せ頂いたコメントにリードを託すことが、形式的にも、また(お忙しい中合意形成の為にわざわざご意見をお寄せ下さった方々に対しての)礼儀としても、前提条件となります。 ですので、Akari-light氏は、自身が合意したコメント依頼でお寄せ頂いたご意見を軸にお考え頂き、また存命人物の伝記では、方針上「保守的」な判断がまず求められることも念頭に置いて頂き、私の合意形成に関する提案をご覧ください。そもそもAkari-light氏はこの件を取り巻く状況が変化するまで保留とういうご提案ですので、私の提案に同意されても結果としては同じことになります。つまり、状況が変化するまでページに変化はありませんし、状況が変化すれば、その変化を基に新たに議論が始まるのですから。変化の内容によっては今回のコメント依頼でお寄せいただいたご意見や、議論の結果を根拠に逆に掲載を主張することも可能かもしれません。そういったこともお考きご返答をお願いします。--カラひらです 2011年4月11日 (月) 17:35 (UTC)


議論合意のお知らせ


2011年4月10日 (日) 11:09の私の合意案提出より、既に168時間以上が経過しております。 ご承知のように、合意形成に関するガイドラインでは「合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間・約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。」とありますので、異論を出されなかった方に関しては、私の提案に同意して頂けたということになろうかと思います。有難うございました。またお一人異論を出されたAkari-light氏に関してですが、その異論に対する私の返答(2011年4月11日 (月) 17:47)から168時間以上お待ちしてもご返答がありませんでしたので、ガイドラインに基づき、こちらもまた同意して頂けたものと認識させて頂きます。 よってこの議論は、2011年4月10日 (日) 11:09に提出した私の合意案「この件は存命中の人物に関するネガティヴな要素の記述である為、存命人物の伝記の方針に従い「保守的な判断」が必要となり、 よって出版社や新聞社などの公的な媒体、または当人による言及がなされていない現段階に於いては掲載は妥当ではない」で合意が形成されましたことをここにご報告します。 膠着した議論の合意形成に向け、コメント依頼でご協力頂いたユーザーの皆さん、本当に有難うございました。 皆さんから頂いたコメントを軸に合意が形成されたことを喜ばしく思います。 またチェックユーザーの進行にご協力頂いたTiyoringo氏にも感謝致します。ありがとうございました。--カラひらです 2011年4月18日 (月) 18:39 (UTC)

乳と卵の文案[編集]

小説の乳と卵についてノートページに文案を載せてみました。ご意見下さい。--吹雪饅頭 2011年1月15日 (土) 15:05 (UTC)

記事のノートは主に記事内容について議論するためのスペースですので、下書きに使わないでください。記事の下書きは利用者ページを使ってください。例えば利用者:吹雪饅頭/下書きなどのページを作成すると自分の利用者ページのサブページとして使用することができます。
とりあえず、「乳と卵」はデビュー作ではないし、芥川賞の候補になっただけでなく受賞していたと思います。作風や評価についての記述は出典がなければ独自研究と見なされ除去されるかもしれません。--頭痛 2011年1月15日 (土) 15:46 (UTC)

頭痛さん御指南ありがとうございます。頭痛さんからの指摘を補強して利用者:吹雪饅頭/下書きに内容を移しました。どなたか共同で執筆して下さる方を募集しています。--吹雪饅頭 2011年1月16日 (日) 09:37 (UTC)

ノートページの発言の除去に関して[編集]

場所がノートであっても、どのような書き方にしても、ウィキペディアにおいては存命人物への不適切な(中傷レベルの)批判表現をそのままにしておかないほうが良いだろうという判断で、一部の発言を除去しました。

ああいった内容の文章を、記述、復帰させることの影響については、「Wikipedia:井戸端/subj/情報開示の対象について」にて、以前、広く注意していただきたい事例が起きたときにお知らせしました。併せてごらんいただければ幸いです。--海獺 2011年1月20日 (木) 01:40 (UTC)

チェックユーザーについて[編集]

提案 利用者‐会話:Kurz#ノート:川上未映子についてにて提案がありましたので、#盗作疑惑・アイデア盗用疑惑についての参加者について、Wikipedia:チェックユーザーを実行しようかと思います。確認のため申し上げますが、今回問題になるのはWikipedia:多重アカウント#偽装となりすましに基づき、複数のアカウントを使用して議論の誘導ないし撹乱を図っていないかどうかです。仮にウィキペディア内において多重アカウントを利用していたとしても、この議論において複数のアカウントを利用していない場合は問題にはなりません。
さて、Wikipedia:チェックユーザーの方針#日本語版でのチェックユーザー情報公開規定によれば、「その他、特にコミュニティがチェックユーザーの必要があるとの合意に達したとき、かつ提案から24時間以内に反対がない、またはほぼ賛成で合意が取れているとき。(ほぼ賛成で合意が取れている、とは、有効票のうち有効賛成票が75%以上を占めている場合とする)」となっております。したがいまして、上記の議論においてある程度賛成意見が出てはいますが、この議論に参加されている方は改めてチェックユーザーの可否について賛成ないし反対を明らかにしていただきたいと思います。
なおチェックユーザーの対象となるのは、Akari-light氏、Sazankasaita氏、カラひらです氏、吹雪饅頭氏、カシス氏、そして私Kurzです。--Kurz 2011年2月13日 (日) 11:46 (UTC)
(追記)また多重アカウントの利用が判明した場合には、その利用者は信頼を失い、その意見は尊重されなくなるでしょう。またそれらのアカウントは議論を撹乱したとしてWikipedia:投稿ブロック依頼に提出されます。--Kurz 2011年2月14日 (月) 03:51 (UTC)
(一時投票停止)まず上記の内容に異存がある方は48時間以内に意見をお願いします。異存がなければ提案どおり投票に移ります。--Kurz 2011年2月13日 (日) 11:54 (UTC)

チェックユーザーについてKurz氏に質問があります。率直な疑問です。1.本ノート「盗作疑惑・アイデア疑惑について」の最初期に「110.136.168.126」氏が発言しています。Sazankasaita氏の記述を無断で消去した人であり、公開プロキシの使用者です。「110.136.168.126」氏は2010年12月3日 (金) 14:14の発言でSazankasaita氏の発言「盗用疑惑を指摘されている」「文芸時評を担当している田中和生、プロ書評家の石堂藍から、川上未映子への盗用疑惑を指摘されているのです。十分に中立的で社会性のある内容であり、 川上未映子情報を網羅するときに欠くことはできないでしょう。」を、私Akari-lightの発言と取り違えています。そして消去されたSazankasaita氏の記述を私Akari-lightが投稿したものと勘違いしています。「そもそもあなた〔引用者注:Akari-lightのこと〕の記述に客観的な事実の記載を欠いている[後略]」と。2. この取り違えと勘違いは日付のない「吹雪饅頭」氏の発言に引き継がれます。即ち「Akari-lightさんの「盗作疑惑・アイデア盗用疑惑について」の記述は主観的で、悪意ある憶測の域を出ないものであり〔後略〕」です。3.そして2010年12月4日 (土) 13:48 (UTC)に、「カラひら」氏が、公開プロキシ「110.136.168.126」は自分だとアカウントを取得して名乗り出ておられます。この時とそれ以降のカラひら氏の発言には上述の取り違えと勘違いはありません。しかし「吹雪饅頭」氏は同様の取り違えと勘違いを続けます。即ち2010年12月7日 (火) 05:54 (UTC)のご発言「必ず証拠を出せというから、事の顛末について裏付けとなるリンク先を示し説明したのですが・・・。それに対してAkari-lightさんからの具体的な反論がないということは、2010年12月5日 (日) 09:01 (UTC)で示した、事の顛末については記述に誤りがないということでいいのでしょうね」です。証拠提示を求めたのは、2010年12月6日 (月) 09:37 (UTC)のSazankasaita氏です、即ち「津原氏と田中氏が知り合いである証拠、津原氏が田中氏に応援を頼んだ証拠を、 吹雪饅頭さんは必ず提示してください」です。

以上1.2.3.から、私は「110.136.168.126」氏は「カラひら」氏ではなく、「吹雪饅頭」氏ではなかったか、という疑問を持っています。チェックユーザーでは、この疑問にも十分に説得的な回答を頂けるのでしょうか?

4.ちなみに、「カラひら」氏は2010年12月5日 (日) 03:42 (UTC)に「pswdを失念してしまい、再度「カラひらです」でアカウントを取り直しました」と仰っています。パスワードを失念しても、本人確認ができればWikipediaから再確認または再発行ができるのではないでしょうか?この時点での同一性に関する不可解さについてもご回答頂けるのでしょうか?

5.最後に、「ノート:川上未映子」の変更履歴によれば、「カシス」氏は、平成23年1月20日(木)01:31に「海獺」氏に「文章中に対象人物に対する不適切な批判表現が含まれており、ウィキペディアに対する著しい理解不足があるため」その発言を削除されています。このようなことがありますから、変更履歴についても、同一性の調査がなされることが望ましいのですが、これは実施されるのでしょうか?

具体的に引用したため、質問が長くなりましたが、1.~5.の疑問を総じて言えば、チェックユーザーでは、議論参加者各々の同一性の確認が徹底的になされるのでしょうか?という問いになります。Kurz氏にご教示をお願い申し上げます。--Akari-light 2011年2月14日 (月) 11:15 (UTC)


Kurzさんへ 私はチェックユーザーの件に就いて許諾いたしましたが、しかし議論が熟さぬまま「投票」に踏み切られるのは承諾しかねます。頭痛氏は議論から降りられる際、仲裁役を「誰かが引き継いでくれるでしょう。」とのコメントを残されました。Kurzさんはその役をお引き受けになっているようにお見受けいたしますが、掲載反対との御意志を優先するあまり、失礼ながら中立的な立場に身を置いていらっしゃるようには見做せません。仲裁役を自認しておられるのなら、まず御自身に向けられた幾つかの質問に応えてからにしていただけないでしょうか。各々いま自身に向けられている質問に回答し、立場を明確にしてからという条件でしたら「投票」に移ることに異論はありません。各位、何卒御了承くださいますようお願い申し上げます。--Sazankasaita 2011年2月14日 (月) 13:00 (UTC)

即決行でよろしいと思いますよ。対象には頭痛さんを加えてもよろしいと思いますが。以下Akari-lightさんに対しての意見です。少しは冷静になりましょう。Kurzさんの言葉を借りると、あくまでこのチェックユーザーで問題にされていることは「Wikipedia:多重アカウント#偽装となりすましに基づき、複数のアカウントを使用して議論の誘導ないし撹乱を図っていないか」ということなのですが。一時的に公開プロキシの使用者であっても、Wikipedia:多重アカウント#偽装となりすましを行っていないのであればこの問題では重要視されかねると思います。必要上使わなければならない場合も生じるでしょうし。「カラひら」と「カラひらです」では同一性が保証されているでしょう。パスワードを忘れたから取り直した、というのは初心者にありがちなことで責めるべきではないと思われますが。仮にミスでSazankasaitaの書き込みを消してしまったということであっても、問題行為であるとあなたは指摘できるのですか? あと、それだけの証拠で容易な決めつけは抑えた方がよろしいですよ。もし、110.136.168.126さんが吹雪饅頭さんではなかったらどうなさるというのでしょうか。--カシス 2011年2月14日 (月) 15:00 (UTC)

コメント 対象アカウントにカラひら氏を追加することを提案します。Kurz氏がご自身を何故対象に加えたのかよくわかりませんが意思を尊重いたします。さて「110.136.168.126」での編集者についてですが同IPからの編集をログインした上で行った方がいなければ完全な同一性はチェックユーザーではわかりません。パスワードを忘れた場合についてですが、ログイン時にメールアドレスを登録していない場合は二度とログインができなくなります。チェックユーザーでわかるのは接続時のIPアドレスなどです。不特定多数が利用可能な場所や可変IPアドレスであれば赤の他人でも一致することもありますし、同一人物でも対策を講じていれば何ら証拠が見つからないこともあります。--Tiyoringo 2011年2月14日 (月) 15:41 (UTC)

Akari-lightです。私はチェックユーザーについてKurz氏に質問をしたのです。ご回答によっては「異存」につながる疑問だからです。カシス氏に質問をしたのではありません。Kurz氏のご回答をお待ちしています。しかし、カシス氏にも応答しましょう。1)カシス氏は、公開プロキシを「必要上使わなければならない場合も生じる」と仰っていますが、公開プロキシの使用はWikipediaでは禁止されており、投稿ブロックの対象です。必要があっても使ってはいけませんし、使う必要があるのならWikipediaには参加できません。カシス氏はWikipediaで公開プロキシを使ってよいとお考えなのですか?2) カシス氏は、「「カラひら」と「カラひらです」では同一性が保証されている」と仰っていますが、カラひら氏、カラひらです氏とは別人であり、その意味で第三者であるあなたに何故それが分かるのですか?理由を具体的に述べて下さい。3)カシス氏は「仮にミスでSazankasaitaの書き込みを消してしまったということであっても」と仰っていますが、http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%9C%AA%E6%98%A0%E5%AD%90&diff=35241969&oldid=35241950 をご確認頂ければお分かりのように、公開プロキシ使用者「110.136.168.126」氏はSazankasaita氏のご投稿「盗作疑惑・アイデア盗用疑惑について」を丸ごと無断消去しておられるのです。これが意図的ではなく、ミスだったのであれば、当然、現カラひらです氏が今から一旦は復元するべきですが同意頂けますか?この問いはカシス氏とカラひらです氏へ向けて申し上げます。4)カシス氏は「もし、110.136.168.126さんが吹雪饅頭さんではなかったらどうなさるというのでしょうか」と仰っていますが、同一性に関する疑問が払拭されるのであれば、議論参加者全員にとって喜ばしいことだと思います。ここまでがカシス氏への応答です。5)Tiyoringo氏のご教示によれば(Tiyoringo様、ありがとうございます)、カラひら氏は、メールアドレスを登録せずにログインしていた可能性があります。それは置いても、Tiyoringo氏のご提案に賛成し、「カラひらです」氏のみならず、「カラひら」氏もチェックユーザーの対象に加えて頂くよう私からもKurz氏へ要請します。6)チェックユーザーを実施する際には「ある利用者がウィキメールを他の利用者に送信したかどうかとその日時」についても調査を行い、結果を公表して頂くよう要請します。7)最後に、私はSazankasaita氏のご提案に賛成し、少なくとも今の私の投稿までを含めて、相互に質問に回答してから、チェックユーザー可否の投票へ移るようにしたいと思います--Akari-light 2011年2月14日 (月) 20:17 (UTC)

チェックユーザーである利用者がウィキメールを送信したかどうかについては確認できるようですが誰に向けて送ったものかは確認ができないとありますが、Akari-lightさんがその情報を開示してほしいという理由は次のいずれでしょうか。(1)自身がウィキメールを送信したことを証明したい。(2)自身が受け取ったメールがなりすましではなく当人からのメールであるか確認したい(この場合は送信者と見られる利用者の同意が必要と思います。)(3)利用者同士で談合がなされているか確認したい(こうした理由では開示されないものと思います。)。Wikipedia‐ノート:チェックユーザーの方針に質問をしてみましたので後はそちらでの回答、議論がなされるのを確認してください。カラひら氏とカラひらです氏についてはご当人の発言や議論を不正に有利に導こうとした場合、他人であるかのようになりすますケースがあることを考えれば信用してよいとは思います。活動の止まったアカウントを他人が自称して、その後活動再開があった場合、完全に信用を失いますので別人によるなりすましは今回の場合ほぼないものと思います。チェックユーザー対象とした方が望ましいのは複数のアクセスポイントから編集されているケースなどで多重アカウントによる不正が行われているかどうか確認する同意がなされる場合には、適切と思えるからです。--Tiyoringo 2011年2月14日 (月) 23:37 (UTC)

Tiyoringo氏へお返事します。私が「ある利用者がウィキメールを他の利用者に送信したかどうかとその日時」についての調査と結果の開示を要望した理由は、コメント募集時に、吹雪饅頭氏が大勢のウィキペディアンの方々にコメントを依頼して回っておられたからです。これ自体は「度を越さない限りでは」問題ではないのですが(2011年1月15日 (土) 14:31 (UTC)の頭痛氏の発言)、私見では過度であり、実際頭痛氏も注意を喚起しておられました(2011年1月16日 (日) 10:31 (UTC)の頭痛氏の発言)。この為、議論参加者全員について、Wikipedia内での本件に関わるメール送信状況も透明化した方が、今後の議論を円滑に進めていくにあたって良い効果を発揮するのではないか、と考え、要請をした次第です。Tiyoringo氏には、Wikipedia‐ノート:チェックユーザーの方針に質問を提起するという労を取って頂いたことに感謝申し上げます。この件について、私は同ノートでの回答に従います。また「カラひら」氏をチェックユーザーに加えた方が良い理由についても、理解・納得いたしました。ご教示に重ねて御礼申し上げます。そして、Kurz氏とカシス氏、カラひらです氏からの応答をお待ちしています。--Akari-light 2011年2月15日 (火) 11:13 (UTC)

Akari-lightさんはちょっとやりすぎじゃないですか。カシスさんやKurzさんには質問攻めして説明を引き出してはあら探しみたいな真似はするし、私に対してはプロクシ扱いして締め出そうとしてるでしょう?それにカラひらさんに対してだって酷い攻撃をしてると思います。一方でAkari-lightさんは、本ノートページに記載する文案を2ちゃんねるで人と相談して、そこからコピーしたりしてるでしょう。2011年1月8日 (土) 11:34の書き込みがそうですよね?こういうのはフェアじゃないと思いますよ。見ていて眉をひそめたくなります。--吹雪饅頭 2011年2月15日 (火) 12:58 (UTC)

Akari-lightさんの発言には違和感を覚えますね。頭痛さんから忠告されたことをもうお忘れですか。「オープンプロクシの使用が禁じられているのは確かですが、単にプライバシーの面を心配した」と言われましたよね。この発言に関しては私は支持します。「カラひら」と「カラひらです」は本人の発言も考え合わせると同一性を否定できません。少なくとも第三者であるあなたの指摘できるようなことではないでしょう。無断消去の件に関してAkari-lightさんは食い下がられますが、それに関してもこのチェックユーザーで問題にするべきことではないと思われます。--カシス 2011年2月16日 (水) 03:14 (UTC)

Kurzさんがウィキブレイクを宣言されたので代わりに私が進行を務めさせていただきますが下にチェックユーザーについての賛否の欄を設けましたので投票していただけますでしょうか。以前賛成意見を述べられた方もおりますが詳しい説明を受けて意見を変更されている可能性もあるので改めて意見表明していただければと思います。仮に不正がなされる場合、通常は類似する主張を複数アカウントで行い多数派工作するケースが多いのですがそれぞれの意見に与して議論かく乱するケースもあり得るので依頼を実施するとした場合には全ユーザーが対象の方が良いかもしれません。コメントについてはチェックユーザーの方法、条件などについて意見がある場合に簡潔に記してください。私自身はこのノートでは投票しないことをあらかじめ宣言します。対象としては2月13日11:46 (UTC) におけるKurzさんの発言、カラひらです氏がカラひら氏がパスワード紛失を理由として同一人物であると発言されておられるので

  1. 利用者:Akari-light会話 / 投稿記録
  2. 利用者:Sazankasaita会話 / 投稿記録
  3. 利用者:カラひらです会話 / 投稿記録
  4. 利用者:吹雪饅頭会話 / 投稿記録
  5. 利用者:カシス会話 / 投稿記録
  6. 利用者:Kurz会話 / 投稿記録
  7. 利用者:カラひら会話 / 投稿記録

の全アカウント、または一部アカウントになると思います。IPアドレスの一致、同一ISP内の狭いレンジによる編集の有無、オープンプロキシからの接続をしている利用者がいるかどうかあたりになると思います。ウィキメールの発信については発信している事実が確認できたとしても誰に送っているかはわからないため全然無関係のメールを送っている場合も考えられますので含めない方が良いと思います。チェックユーザー依頼は絶対のものではなく不特定多数が編集可能な場所からの編集の場合やたまたま同一マンションのケーブルテレビネットワークなどをそれぞれの利用者が利用している場合などは狭いレンジ内に複数アカウントからの編集が見つかる場合もあります。また巧妙に対策をすれば同一人物による編集でも証拠が見つからないこともあります。そうしたことも踏まえて意見表明していただければと思います。--Tiyoringo 2011年2月19日 (土) 12:54 (UTC)

手続きの代行ありがとうございます。先週は体調不良でして、今現在もちょっと議論するだけの根気が続くような万全の状態ではないので、申し訳ありませんがそのまま手続きをお願いします。--Kurz 2011年2月20日 (日) 10:48 (UTC)
賛成
  1. 私はプロキシというのも知りませんしアカウントは一つしか持っていません。ウィキメールというのも使った事がありません。チェックユーザーに異論はありません。--吹雪饅頭 2011年2月19日 (土) 13:42 (UTC)
  2. 賛成いたします。私はこのノートではこのアカウントしか使っていないと宣誓いたします。--カシス 2011年2月19日 (土) 15:13 (UTC)
  3. まず進行役を申し出て下さったTiyoringo氏に感謝申し上げます。チェックユーザーの内容についてのご説明にも納得致しました。チェックユーザーをして頂くことに賛成致します。--Akari-light 2011年2月19日 (土) 15:10 (UTC)
  4. Akari-light氏と同じく、Tiyoringo氏に感謝致します。チェックユーザー賛成です。--Sazankasaita 2011年2月20日 (日) 09:30 (UTC)
  5. 賛成 賛成票。--Kurz 2011年2月20日 (日) 10:48 (UTC)
反対
コメント

一部の方に対する敬称が抜けていたので追加しました。実際のチェックユーザー依頼では省略させていただきますが。一部の方にだけ氏がついていたのは単なる付け忘れです。申し訳ありませんでした。投票について賛成票が5票であることがわかりやすいように修正いたしました。カラひらですさんからの投票がありませんが2月1日以降編集がないこと、「チェックユーザーの件ですが、ルールに則り必要があればということでしたら特に異論はありません。--カラひらです 2011年2月1日 (火) 15:22 (UTC)」からそう大きく意見を変えることはないのではないかという判断をしてWikipedia:チェックユーザー依頼/川上未映子関連として提出したいと思います。対象アカウントである皆様から同意が得られているのでおそらく依頼提出後チェックユーザーは実施されるものと思いますが多少日数を待つことになろうかと思います。依頼の際には同一利用者である可能性がどの程度あると見られるか(編集傾向を除いた条件)について公開できる範囲に従い報告していただこうと思っています。--Tiyoringo 2011年2月20日 (日) 17:51 (UTC)

チェックユーザー結果が公表されましたが同一人物と疑われるアカウントはありませんでした。--Tiyoringo 2011年3月25日 (金) 13:42 (UTC)

みなさん災害に遭われてはいないでしょうか?ご無事をお祈りします。・・・Tiyoringoさんお久しぶりです。チェックユーザーお疲れさまでした。Akari-lightさんが110.136.168.126さんと私を混同し、津原泰水が掲示板でkurzさんとカラひらですさんを私のソックパペットだと言ってた様です[15]が別人であることが明確になりました。時期が時期ですので私も議論にまめに顔を出す事が難しい時もありますが今後ともよろしくおねがいします。--吹雪饅頭 2011年3月26日 (土) 04:19 (UTC)

Tiyoringo氏へ チェックユーザーのお手続きお疲れ様でした。今後ともよろしくお願いいたします。--カラひらです 2011年3月26日 (土) 06:40 (UTC)

吹雪饅頭氏へ ご自宅が震災の被害に遭われたとのこと、心からお見舞い申し上げます。 まだまだ落ち着ける状態ではないでしょうから、余り無理はなさらないで下さい。--カラひらです 2011年3月26日 (土) 06:40 (UTC)

いつもお世話になります。まずチェックユーザー実施において労をとって下さったTiyoringo氏ならびにWikipedianの皆さまに御礼申し上げます。また情報の取得できる範囲において、IPアドレスの一致、同一ISP内の狭いレンジによる編集の有無という観点では問題が無かったことを喜ばしく思います。一方で、オープンプロキシからの接続をしている利用者がおられたことを残念に思います。議論の再開に向けて、目次内に小見出し「3.4チェックユーザー後の議論」を作成致しました。以後の議論はこちらのスペースをご利用下さい。それでは宜しくお願い致します。--Akari-light 2011年3月28日 (月) 12:21 (UTC)


Tiyoringoさん並びに、本件に携わっていただいているウィキペディアン諸氏に、私からもお礼を申し上げます。ありがとうございました。チェックユーザーの結果に関してですが、オープンプロクシを使用していることが判明した議論参加者の意見は無効にすべきだと個人的には考えます。投稿をブロックされている最中の議論参加者に関しても、同様です。--Sazankasaita 2011年3月29日 (火) 18:51 (UTC)

投稿ブロック中の参加者というのが吹雪饅頭さんのことを指すのだと思いますが1日から1週間の短期ブロックではなく1ヶ月のブロックがなされていますので吹雪饅頭さんのブロック明けまで結論を先延ばしする必要はまずないと思います。ただこの議論や他の場所で多重アカウントを使ったことによるものではないので意見を排除すべきとまでは言えないように思います。オープンプロキシについては自宅からの意図した接続なのか不特定多数が接続可能なネットカフェなどでそうした設定のところからアクセスされたのかわかりませんので何とも言えません。少なくとも当該オープンプロキシ自体はブロックされたようです。--Tiyoringo 2011年4月10日 (日) 12:14 (UTC)