ノート:南京事件/過去ログ5

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「南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている

「南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている

とありますが、「程度」は論議されていても、「真偽」は論議されていないと思います。南京大虐殺否定論が歴史学会で全く取り上げられていないからです。この部分は書き直すべきではないでしょうか。武蔵曙 2012年2月17日 (金) 18:25 (UTC)

賛成 私も前から気になっていた表現です。歴史学の分野では、虐殺の規模や性質に関して論争されているとしても、あったかなかったかに関する論争はないはずです。--Bugandhoney 2012年2月17日 (金) 18:33 (UTC)
反対 「南京大屠殺」の真偽(あったかなかったか)が現実に論点となっているのですから、正しく記述しておくべきでしょう。ここでいう「あった」とは「南京軍事法廷の結論である30万人虐殺=南京大屠殺があった」であり、「なかった」とは「多分にプロパガンダでありそのようなものはなかった」という論点です。これは東京裁判でパール判事が批判した「南京でなんらかの暴虐行為がなされたという点を弁護側は否定しているのではなく、その論じられていることの多くが誇大に表現されており実態を表していないと抗弁しているにすぎない(云々)」という意見に象徴される立場に立つものです。--大和屋敷 2012年2月20日 (月) 07:26 (UTC)
反対 南京事件があったかどうかの真偽はないものの、南京大虐殺の真偽は議論されてますよね。南京大虐殺論争でも記述されていますが。こんな人もいますよ。--TENDERAS 2012年2月20日 (月) 13:44 (UTC)
コメント「南京大虐殺はなかった」という論者はいます。TENDERASさんが挙げた河村たかし名古屋市長のように。だから、あるないの論争は事実としてあります。
武蔵曙さんの提案はそうではなくて、歴史学の分野ではあるなしは論争されていない、というふうに受け取りました。要するに、ウィキペディアの記事はまず歴史上の出来事として歴史資料に基づいて記述する、さらに南京大虐殺は歴史学にとどまらない政治的、外交的な問題なわけですから、そういう影響についても記述するというのがあるべき姿だと思います。両者をはっきりと区別するのは難しいですが。--Bugandhoney 2012年2月20日 (月) 15:30 (UTC)

「南京大虐殺」の別途立項

上の議論で「南京事件」と「南京大虐殺」には明確な違いがあることが明らかになったようです。

  • 「南京事件」=「南京でなんらかの暴虐行為がなされた」→真偽(あったかなかったか)は論点になっていない
  • 「南京大虐殺」=「南京軍事法廷の結論である30万人虐殺」→真偽(あったかなかったか)が現実に論点となっている

それゆえ、この「歴史上の出来事」の名前としての「南京事件」と並んで、「歴史学にとどまらない政治的、外交的な問題」であり「あったかなかったか」が論点となりうる「南京大虐殺」の記事を別途立項することが有用ではないでしょうか。 --miya 2012年2月26日 (日) 22:45 (UTC)

「南京事件」と「南京大虐殺」に明確な違いがあること自体論外と言わざるを得ない。「あったかなかったか」の論点は南京大虐殺論争にある。--hyolee2/H.L.LEE 2012年2月26日 (日) 22:51 (UTC)
miyaさんの主題を正面から記述しているのが南京大虐殺論争という記事だとおもいます。むしろ語統として「南京軍事法廷の結論であるところの30万人虐殺説」を記述する記事であるところの南京大屠殺を別途立項するのはどうか、という提案ならまだ理解できます。--大和屋敷 2012年2月27日 (月) 00:02 (UTC)

論点とすべき歴史的資料が十分に得られない研究実体を前提として特に中国側から見て単なる事実(史実)調査にとどまらない政治的要素が含まれる

大和屋敷さん。これはどうみても独自研究です。出典としているサーチナの記事には「論点とすべき歴史的資料が十分に得られない研究実体を前提として特に中国側から見て単なる事実(史実)調査にとどまらない政治的要素が含まれる」とは書いてないです。引用されている部分を前後を含めて書き出します。

  • また、南京虐殺について事件の性質において「判断が一致した」として、「注目すべきは単に被害者数の問題だけでなく、最も重要なのは大規模な残虐行為という認識を持つことである」という中国側の首席委員で中国社会科学院近代史研究所長の歩平氏のコメントを紹介するなど、成果があったことを伝えている。

南京虐殺について事件の性質において「判断が一致した」、とありますから、私にはこれが「特に中国側から見」た論点だということは伺えないです。発言からこのような論点を伺っているのは、大和屋敷さん自身です。記事に含められるのは、信頼できる情報源に基づいた、検証可能な内容に、解釈を加えていないものだけです。何度も書きますが、「歩平氏のコメントにそういう論点が含まれると伺える」とそのまま書いてある出典を挙げてください。--Bugandhoney 2012年2月20日 (月) 15:48 (UTC)

  • こちらはきわめて形式的な表記のみを推すか敲くかしているつもりですので、不都合があれば全部削除してください。内容については興味ないです。--大和屋敷 2012年2月20日 (月) 20:46 (UTC)
そういうことは要約欄に書いてもらえると助かります。独自研究かどうかは形式だけでは判断できないので、出典の内容を確認せずにタグをはがさないよう、お願いします。--Bugandhoney 2012年2月21日 (火) 13:54 (UTC)
  • いや、そこの一文は私が初稿段階で記述したものなのです。「教導的」という語句の選択は推したり敲いたりして勘案したもので特段の意図はないのです。教導的を削除し「中国側に特定の意図がある」という表現も文献から直接引用したものではなく引用元の主旨を翻案したものであり、厳格に検証可能性を満たした表現「ではない」とおっしゃればそのとおりなのです。ですので「不都合があれば全部削除してください」。出典はありませんので出典を要求されてもございません。独自研究のクレームを何度塗布されましてもその通りですので、あえて時間をお待ち頂く必要はありませんので即時改定してください。--大和屋敷 2012年2月22日 (水) 02:23 (UTC)
そういうことでしたら、日本人の論者でそういう趣旨のことを言ってる人がいると思いますが。産経新聞とかで。私のほうでもちょっと探してみます。中立的な観点でいうと、中国側の観点だけでなくて日本側の観点もあったほうがいいです。
この一文を取り除くと出典がほとんどなくなってしまうので、今考えているのは、秦氏のインタビューをもとに日本国内では大虐殺派、中間派、まぼろし派の争いがあり、日中間でも争いがあって、だから日中歴史共同研究というのがあって、その内容を手短に紹介して、日本側と中国側の評価(歩平氏)を紹介する、というふうに改定しようと思っています。--Bugandhoney 2012年2月22日 (水) 15:15 (UTC)

「事実存否」という表現

SFmaniac2641さんが「事実存否」という言葉を加え、Bugandhoneyさんが

今の表記で合意しています。変更を加える場合はノートで先に議論してください。

という要約で差し戻したものを大和屋敷さんが

そのような合意はありません。

という要約と共に「事実存否」を戻して編集合戦になりそうだったので、私は除去ではなく

事実存否を事実関係に。歴史学者は「存否」をもはや争っていない

との要約で「事実関係」に書き換えたところ、

個別の「事件」についてはそうではないでしょう。むしろ個別「事件」ではほとんど検証が進んでいない

という要約欄と共に「事実存否」に再び戻されました。しかし冒頭段落で「事実存否」と書けば、個別の「事件」ではなく南京事件そのものの「存否」を差しているような印象を与えるのではないでしょうか。よって、冒頭段に「存否」という言葉を入れることに反対します。--miya会話) 2012年8月20日 (月) 05:39 (UTC) 抜けていた自分の要約文追加--miya会話2012年8月20日 (月) 05:41 (UTC)

大和屋敷のリバート行為に対して

コメント現在の導入部に関して、『「南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている』での議論を受けて2月17日にMiyaさんが「真偽」という言葉を除去し[1]、その後、3月8日に武蔵曙さんが「とされる」という言葉を除去した後[2]、SFmaniac2641さんが「事実存否」という言葉を書き加えるまで、半年近くにわたり異議申し立ては行われていません。つまり、合意があったとみなせます。一方で、SFmaniac2641さんの加筆に関しては、その直後に私が異議申し立てを行っていますから、SFmaniac2641さんの加筆には合意があるとは言えません。編集合戦を避けるために、導入部をどのように変更するのか、ノートで提案して合意を得てから行ってください。--Bugandhoney会話2012年8月20日 (月) 15:26 (UTC)

  • 時間の経過は記事内容そのものの合意の結論とは関係ありませんよ。そのような乱暴な編集方針ですと、あとから参加するひとは従来の編集方針を修正することができなくなります。時間措置はあくまで編集手続きにおける過渡的な措置であるにすぎません。重要なのは「表現が」適切かどうかです。--大和屋敷会話2012年8月20日 (月) 19:35 (UTC)
    • あとから参加するひとはノートであらかじめどのような修正を行いたいのか提案を行い、合意を得ることによって望むような修正を行うことができます。大和屋敷さんのように、ノートで合意を得ないまま差し戻しを続けることに合理的な理由はないです。コメント依頼と大和屋敷さんに対する投稿ブロックを依頼しました[3]。--Bugandhoney会話2012年8月20日 (月) 21:15 (UTC)
  • ノートでの議論は下に指摘しておるように「南京大虐殺はなかった」という論者が現実に存在しているという指摘がだされています。ご自身の立場に都合よくノートでの議論の結果を改変しないよう。--大和屋敷会話2012年8月21日 (火) 03:50 (UTC)
  • そもそも「記事を編集するさいには事前にノートで合意をえなければならない」なるWikipedia編集ルールは存在しない。ノート冒頭箇所に塗布されているテンプレートもあくまで「呼びかけ」であり、①このテンプレートを塗布すること自体が合意されたものでもなんでもなく誰かが勝手に導入したものであり②またこのテンプレートの方針を信頼するにせよ「記事に重要な変更を加える際にはその前にまずここで議論してください」と記述してあり冒頭箇所のSFmaniac2641氏による修正[4]過去のノートでの議論を踏まえたものであり正当な修正である。以上の2点においてBugandhoney氏によるSFmaniac2641氏の編集に対するリバートは不当であり、それを戻した大和屋敷の再リバートをさらに差し戻す行為は不適切である。--大和屋敷会話2012年8月21日 (火) 05:02 (UTC)

冒頭箇所の表現について

編集合戦気味になっておりますが論点は「存否が論争になっているかどうか」ということです。これについては過去に議論があり「南京大虐殺はなかった」という論者が現実に存在するという指摘が出されているはずです。--大和屋敷会話2012年8月20日 (月) 19:30 (UTC)

導入部の書き換え方

論争的な記事の編集の仕方についてコメントをお願いします。上の節にあるとおり、6ヶ月近く維持された導入部の表現に関して、8月17日から差し戻しが続いています。いったん、8月17日より前の状態に戻した上で、どのような表現を改めるのかノートで提案を行い、合意を取ってから実際に編集するように何度も呼びかけているのにもかかわらず[5][6][7]、大和屋敷さんはこのような呼びかけを無視して3日間で三度の差し戻しを行っており[8][9][10]Wikipedia:合意形成を尊重した編集姿勢とはとても思えません。

私が提案した手続き(いったん編集合戦が始まる前の状態に戻してノートで合意を得てから編集する)がWikipedia:合意形成に適ったものであるかどうか、コメントをお願いします。--Bugandhoney会話2012年8月20日 (月) 20:48 (UTC)

  • くりかえしになりますが時間の経過は記事内容そのものの合意の結論とは関係ありません。また3リバートルールは24時間以内に4回目のリバートに対して言及されるものですWikipedia:Three-revert rule。ウィキペディアの合意ルールについて発言なさりたいのなら正確に引用下さいます様お願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2012年8月21日 (火) 03:48 (UTC)当方について提出された投稿ブロック依頼は御自身で撤回いただきますようお願い申し上げますね。--大和屋敷会話2012年8月21日 (火) 03:51 (UTC)
    • 導入部を差し戻しの繰り返しが起きる前の8月17日以前の状態に戻して、ノートでの議論を経てから修正を反映するということに同意してもらえるのなら、喜んで撤回します。--Bugandhoney会話2012年8月21日 (火) 17:06 (UTC)

ブロック依頼の理由はWikipedia:Three-revert ruleではありませんよ。細かいことで揚げ足を取る前に理由をしっかり読みましょう。--こうこうやん会話2012年8月21日 (火) 04:38 (UTC)

  • じゃあ投稿ブロック提出依頼の理由は何ですか?「私(Bugandhoney氏)にとって大和屋敷は議論拒否を取っているように見えるので投稿ブロックしてください」ということでしょうか。これはひどい言いがかりだ。なおすでに繰り返しておるように、南京大虐殺の存否についてはそれ自体が論争になっておるという事実をもって冒頭箇所についての2012年8月17日(金)23:27におけるSFmaniac2641氏の編集[11]は不適切ではないと理由を述べています。逆に「今の表記で合意しています」なるBugandhoney氏による2012年8月17日(金)23:36時点でのリバート[12]には根拠がなく、①ノートのどこで「今の表記で合意しているのか」指摘せよ②南京大虐殺の存否について議論になっていないという理由を開示せよ。--大和屋敷会話2012年8月21日 (火) 04:55 (UTC)
  • コメントコメント依頼・ブロック依頼からきました。必ずしも定説になっているとは言いきれない事柄だけに断言調はまずい。半年維持されていようとも変えるべきときは変えるべきです。私は大和屋敷さんの編集を支持します。--ぱたごん会話) 2012年8月21日 (火) 09:05 (UTC) 追記、私が支持するのは「・・とされる事件」のほうです。存否については書く必要ないでしょう。なぜなら、規模についてあまりにも意見がかけ離れている。量の変化が質の変化に結びつくことはあることです。--ぱたごん会話2012年8月21日 (火) 09:27 (UTC)
  • コメント ブロック依頼から来ました(順番がおかしいような)。大和屋敷様の見解(「時間の経過は記事内容そのものの合意の結論とは関係ありません」「冒頭箇所のSFmaniac2641氏による修正は過去のノートでの議論を踏まえたものであり正当な修正である」)を支持します。議論を行う前に、まず「どの版に戻すのか?」の合意ができれば、両者編集する事なく議論でき、もちろん編集合戦もブロックもありえないと思います。--JapaneseA会話2012年8月21日 (火) 12:02 (UTC)
    • どういう記述がふさわしいのかというのと論争的な記事でそれをどうやって実現するのかを分けて議論していただければと。論争的な記事では、最初の差し戻しが起きた時点でノートでの議論に速やかに移って、差し戻された記述に関して合意を得ることを目指すべきではないでしょうか。大和屋敷さんは三度同じ編集を繰り返すまで、自分の編集意図をノートで説明しようとはしていません。自分の望むような編集を相手が差し戻しを諦めるまで繰り返して、そのあとでノートに自分の編集意図を説明しておけばよい、というのでは単なるごね得です。--Bugandhoney会話2012年8月21日 (火) 14:24 (UTC)
  • コメント 当該記事は、日本語ウィキの中でも極めて論争的です。故に、記事内容に先立って形式的に「現在の記事の存在(既成事実)」がまず優先され、記事を変更する側が(非常にめんどうではありますが)ノートでの提案→議論を詰めてから行うべきだと考えます。大和屋敷さんの書き込み内容は支持しますが、非常にまどろっこしくても、今回のケースだと提案→議論→編集の間に隠れている時間をとる。待つ。というプロセスをしっかり取るべきだったのかな、と思います。それはいわば、慎重に、しっかりと合意形成の努力をしたという「アリバイ」にもなるのかな、と。--Shinya1739会話2012年8月21日 (火) 14:42 (UTC)
  • コメント2 時系列を確認しました。Bugandhoney様の仰る事が理解できました。大和屋敷様の見解を支持する事に変わりありませんが、大和屋敷様の行動がベストだとは言い切れないものがありますね(勿論悪いとは言いません)。「ノートでの議論に速やかに移って、差し戻された記述に関して合意を得ることを目指す」がベストだと思いますし、それに強く賛同します。一方、だからと言ってベストでない行動→ブロック依頼はどうかと思います。と思ったらブロック依頼に情報が追加されていますね。--JapaneseA会話2012年8月21日 (火) 15:20 (UTC)
  • 冒頭部分からよけいな解説を除去しシンプルに表現してみました。記事本体で「論争が存在している」ことは十分に記述されており問題ないと考えます。問題があれば差し戻してください。--大和屋敷会話2012年8月21日 (火) 15:29 (UTC)
    • コメント「問題があって差し戻す」ようなことがないようにノートで議論すべきではないですか? 「合意形成」の努力はおろか、「合意形成」が何を意味するかも分かっておられないように見受けられます。--Shinya1739会話2012年8月21日 (火) 15:36 (UTC)
    • コメント「事実存否」という言葉を追加することへの折衷案としてよいと思います。個人的には同意します。ただ、そういうことは本文を編集し続けるのではなくて、ノートで提案して合意を得てから本文に反映させてください。「とされる」という語句の挿入に関しては合意はありませんから、本文を元に戻した上で、ノートで別途合意を得てください。--Bugandhoney会話2012年8月21日 (火) 21:33 (UTC)
  • 2012年8月17日(金)23:27におけるSFmaniac2641氏の編集[13]を最初にさしもどしたのはBugandhoney氏ですよ[14]。その理由は「今の表記で合意しています」という理由です。ところがそんな合意などノートのどこでもおこなわれていない。よって「そのような合意は存在しません」として大和屋敷が差し戻した[15]。ところがBugandhoney氏は「合意なき編集を差し戻し」としてリバートをしかけてきた[16]。おいおいちょっと待ってくれよ。ノートのどこでもえられていない合意を盾に「今の表記で合意しています」なる理由でリバートしてきたのはBugandhoney氏ではないか。どこで「今の表記で合意している」のかまず説明する義務があるだろう。大和屋敷としては適切に編集されている記述を「根拠不明」な理由でリバートしたBugandhoney氏の編集を差し戻しただけで、しかもSFmaniac2641氏の編集は別におかしなことを記述しているわけではない。さらに言えば、そもそも「記事を編集するさいには事前にノートで合意をえなければならない」なるWikipedia編集ルールは存在しない。ノート冒頭箇所に塗布されているテンプレートもあくまで「呼びかけ」であり、①このテンプレートを塗布すること自体が合意されたものでもなんでもなく誰かが勝手に導入したものであり②またこのテンプレートの方針を信頼するにせよ「記事に重要な変更を加える際にはその前にまずここで議論してください」と記述してありSFmaniac2641氏による修正[17]のほうこそ過去のノートでの議論を踏まえたものであり正当な修正である。それをリバートしたのがBugandhoney氏である。以上の2点においてBugandhoney氏によるSFmaniac2641氏の編集に対するリバートは不当であり、それを戻した大和屋敷の再リバートをさらに差し戻す行為は不適切である。こちらは不当にも根拠不明な理由により投稿ブロック依頼まで出されているのだから笑っては済ましませんよ。--大和屋敷会話2012年8月21日 (火) 15:54 (UTC)
    • まず、投稿ブロックの理由は依頼に書いてありますから、そちらでご確認ください。もちろん3RR違反ではないです。次に、Wikipedia:合意形成#編集作業の結果としての合意を今一度ご確認ください。誰かがページを編集するとそのページの閲覧者には3つの選択肢があります。つまり、その編集を承認するか、変更するか、あるいはリバートするかということです。Miyaさんと武蔵曙さんの編集はその後一定期間変更もリバートもされてなく、承認されたとみなせます。つまり、新たな合意となっています。一方で、SFmaniac2641さんの編集はその直後に私がリバートしてますから、承認されておらず、新たな合意とはなっていません。この場合は、同じことを加筆し続けるのではなくてノートを利用して合意を得るのが標準的な解決法だと思います。自分の編集のほうが正しいからと加筆し続けないでください。相手も同じようにしか考えてませんので。その代わりにノートであらかじめ合意を得てから本文に反映させてください。私はこのような合意形成のプロセスは、特に論争的な記事ではクリティカルだと考えるので、二度目の差し戻しの直後にノートでその理由を説明して、その後は導入部の編集は行っていません。一方で、大和屋敷さんはノートで合意を得ようとせずに記事の編集を続けています。大和屋敷さんがノートでの合意形成を軽視していることは、「記事を編集するさいには事前にノートで合意をえなければならない」なるWikipedia編集ルールは存在しない。ノート冒頭箇所に塗布されているテンプレートもあくまで「呼びかけ」でしかないという言葉に端的に表れています。差し戻しが行われて意見が対立しているときにノートでの合意形成など必要ないなどというルールはウィキペディアにはありません。ウィキペディアの記事の編集にとって合意形成は欠かすことができないので、大和屋敷さんのノートにおける合意形成の軽視が止まない限り、ブロック依頼を取り下げることはないです。--Bugandhoney会話2012年8月21日 (火) 21:33 (UTC)
  • Bugandhoney氏は「時間の経過により、Wikipedia記事の記述内容には編集者間で合意が得られたものと仮定でき、それを変更するさいには「ノートでの合意」が必要となる」と主張するが、そのようなウィキペディアルールがどこに定義されているのか明示せよ。--大和屋敷会話2012年8月21日 (火) 22:17 (UTC)
  • またBugandhoney氏は大和屋敷に対する投稿ブロック依頼[18]において【(大和屋敷は)対話を軽視する姿勢が顕著で毎回苦労しています】と主張しているが、大和屋敷はBugandhoneyなる利用者を知らない。いつどのような記事で【対話を軽視する姿勢が顕著で毎回苦労】おかけしていたのか明示せよ[19]。--大和屋敷会話2012年8月21日 (火) 22:22 (UTC)
    • 提示したガイドラインは読まれましたでしょうか。「大胆な編集→リバート→議論」というサイクルは理解されましたでしょうか(BRDサイクルに関しては英語版のほうが詳しいです)。私のリバートの後に大和屋敷さんが速やかに次の段階(ノートでの議論)に移らなかったことを私が問題視しているということは理解されてますでしょうか。「時間が経過すると合意とみなせる」というのは、たとえば、Wikipedia:ページの編集は大胆に#ただし、配慮を忘れないなどが参考になります。そこにはノートでの提案を経て本文に反映するケースに関して、ノートに提示したあと、1週間程度待っても反応がなければ、その編集を実行してください。しかし、質問や反論が出た場合には、一定の合意が得られた後に本文を編集してくださいとあります。ノートでの提案を経ずに直接本文を編集する場合でもこれに準じればよいのでは。すなわち、ノートであらかじめ提案する場合でさえ1週間異論がなければ本文に反映できるわけですから、本文を直接編集した場合1週間程度待っても反応がなければ合意された記述が本文に反映されたとみなせるでしょう。SFmaniac2641さんの編集は、Miyaさんと武蔵曙さんの編集から6ヶ月近く経過している点、二人の別の編集者による別の時点での編集に対するものである点、「真偽」という言葉の代わりに「事実存否」という言葉を用いている点などから、二人の編集に対する差し戻しとはみなせないでしょう。二点目に関しては投稿ブロック依頼で回答しました。--Bugandhoney会話2012年8月22日 (水) 00:56 (UTC)
  • こちらは初稿であるSFmaniac2641氏の編集[20]を「今の表記で合意しています」[21]なるウソの理由でリバートしたBugandhoney氏の「さいしょの」編集行為を問題にしておるわけですが。当方の意見はちゃんとお読みいただいているのでしょうか。Bugandhoney氏の編集検討に参加する態度はハナハダ不安です。--大和屋敷会話2012年8月22日 (水) 11:11 (UTC)
  • 「今の表記で合意しています」は紛らわしいですが「南京事件」については間違ってはいないでしょう。「#南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている」の個所を巡る議論で、「南京事件があったかどうかの真偽はない」「歴史学の分野ではあるなしは論争されていない」については大和屋敷さんも反論しておられないですよね?これは議論離脱による緩やかな合意とウィキペディアではみなされていると思います。SFmaniac2641さんが戻した表現は、南京事件の存否と大虐殺否定論とが切り分けられていない、中途半端な表現でした。だからこそ、Bugandhoneyさんは「今の表記で合意しています」として差し戻したのだし、私もSFmaniac2641さんの版よりはBugandhoneyさんの版の方が良いと判断したのです。大和屋敷さんには、単純な差し戻しを繰り返すのではなく、ノートで議論提起をするか、もし本文を直接触るならより明確で争いの無い表現をお考えいただきたかったです。--miya会話2012年8月25日 (土) 03:51 (UTC)
  • miya氏の直上のご発言に「南京事件の存否と大虐殺否定論とが切り分けられていない」という一節がありますが、それは、現行の冒頭部で「南京事件」という呼称があたかも「南京大虐殺」という呼称と等置されるかのごとき文面になっているのも問題なのでは?「大虐殺」については、存否から問題にしている人々が実在するわけですが、現行の文面のままで、それを指摘しようとすると、同時に「事件」の存否のほうまで問題にしたことになってしまう。これは、SFmaniac2641さんの「戻した表現」が「中途半端」であるというよりは、現行の冒頭部に問題があるかと。
1937年の南京において「事件があったかどうかの真偽はない」としても、「大虐殺があったかどうかの真偽」は「存否」そのものから議論になっているかと思います。たとえば「10万人の遺体を処理したと称する崇善堂」なる団体の処理能力に関して、歴史学を専門とする史学科所属の大学教授が考証した文献を読んだ記憶がある(北村稔,2001)のですが、これは【「歴史学の分野」における「大虐殺」の「あるなしの論争」】にはあたりませんか?崇善堂をめぐる問題提起が歴史学の分野でどのように決着したのかどうか、この分野の議論を継続的にフォローしておりませんので存じませんが、「捕虜・民間人に対する大虐殺の規模」を10万人規模で増減させるテーマです。さらにこの著作は「南京攻略戦において日本軍が中国の捕虜・民間人を数十万の単位で虐殺したとする言説は、中国における戦意高揚のためのプロパガンダとして生成されたもの」とも結論しています。「大虐殺」が「歴史学の分野ではあるなしは論争されていない」どころか、あるなしの議論そのものです。miya氏は歴史学者は「存否」をもはや争っていない2012年8月20日 (月) 05:39 (UTC)と述べておられますが、北村氏の上記著作はまぎれもなくmiya氏のこの断言に対する反証にあたります。
いまこのノートで発言している諸氏は、「大虐殺」について「歴史学の分野ではあるなしは論争されていない」との見解に「合意」しておられるのでしょうかね?もしそんな「合意」をなさっておられたとしても、その合意は「事実誤認」にはあたりませんか?
以上のような次第で、miyaさんのいう「切り分け」「明確で争いのない表現」のためには、呼称「南京事件」と呼称「南京大虐殺」の「切り分け」も必要かと。「南京大虐殺」のほうには、「捕虜や投降兵、一般市民に対する日本軍による組織的な大量殺害を認定する人々からは、」というまくらことばが必要かと思います(提案)。--Dalaibaatur会話2012年8月25日 (土) 06:08 (UTC)
  • Miyaさんへ。Miyaさんの理解によれば南京事件=南京大虐殺、ということなのでしょうが、それをそのまま記事に敷衍してしまうので独自研究となるわけです。大和屋敷の理解するところによれば、「南京事件」の存否については議論がなくても「南京大虐殺と呼ばれるものの存否」については議論が存在しているのは事実なのだから、議論を混同させてはいけない。「南京大虐殺はなかった」というのは現実にWikipediaの外部に存在する有力な主張です。--大和屋敷会話2012年8月25日 (土) 20:58 (UTC)
北村稔,2001は『南京事件の探求』というタイトルで、幕府山の投降兵1万数千人の殺害を事実と認定し、国際法上問題のある行為だと糾弾しています。この文献では【南京事件=南京大虐殺】ではないので、ひとりの著者が南京事件についての「中間派」であると同時に「大虐殺」については、これ以上ないといっていいほどの徹底的な否定論者となっています。
この節の元来のテーマについていえば、現行の文面もBugandhoneyさんが「差し戻し」を求めておられる版の文面も、「南京事件=南京大虐殺」と定義自体が誤っているので、Bugandhoneyさんが提案しておられる手続きは、もうしわけないですがまったく無意味・無価値と考えます。--Dalaibaatur会話2012年8月26日 (日) 03:47 (UTC)
SFmaniac2641さんと大和屋敷さんが関わった導入部の編集のうち、この事件についてはさまざまな論争が存在しているについてはもう特に問題視しません。おそらく反対する人もいないでしょう。
「とされる」という言葉の追加に関してはこの限りではないです。差し戻した上で、ノートで合意を得てから記事本文に反映してください。「とされる」という言葉を追加すべきと考える人は、まずその理由を説明してください。この部分が崇善堂という団体が遺体を処理した、という記述にかかっているのであれば、北村氏の研究を根拠に「崇善堂という団体が遺体を処理したとされる」と書くことは合理的だと思います。しかし、「とされる」がかかっているのは、「南京で日本軍が投降兵と市民を殺した」という部分です。北村氏が投降兵の殺害を事実と認定しているのであれば、北村氏の研究を根拠に「とされる」などと保留する必要はありません。導入部には、30万人の大虐殺があった、などという、いわゆる大虐殺派の主張にそった定義はありません。大虐殺派の主張が含まれていないのにもかかららず、それを否定する文言が必要だ、というのでは変な話です。ちなみに、私の理解では、いわゆる大虐殺派、中間派、まぼろし派はお互いの主張を否定しあっています。大虐殺派の主張を否定している中間派は北村氏に限ったことではないでしょう。この際、中間派の主張はまぼろし派の主張とも相容れないという点に目を向けて、中間派が認めている投降兵・市民の殺害という事実に対して「とされる」と留保することが妥当であるかどうかも検討していただければと。
Dalaibaaturさんは大和屋敷さんによる編集後の文面もSFmaniac2641さんが編集する前の文面も定義が誤っているとのことですが、具体的にどういうふうに修正すればよいのか提案してもらえると助かります。--Bugandhoney会話2012年8月26日 (日) 04:52 (UTC)
 北村,2001は、後世の(現在の)ナントカ派、カントカ派を相手にしているのではありません。「南京裁判の判決のいう10万規模、同裁判の検察が主張した20万規模」の根拠を、歴史学の手法に基づいて分析したものです。「大虐殺派の主張を否定」しているのではなく、「大虐殺」そのものを「戦意高揚のためのプロパガンダとして生成された」といっています。
 北村,2001では【南京事件において実際に発生した個別の事象】と【中国において戦意高揚のプロパガンダとして生成された言説】とが区分されます。幕府山の捕虜殺害事件などは、「実際に発生した事件」として個別に認定されていますが、「南京裁判の判決のいう10万規模、同裁判の検察が主張した20万規模の殺害の言説」は「中国における戦意高揚のためのプロパガンダとして生成されたもの」だと認定されています。
 以上、「大虐殺」について、「歴史学の分野ではあるなしは論争されていない」「歴史学者は「存否」をもはや争っていない」という主張への反証を上げました。これは、下記の回答の前置きでもあります。
 以下Bugandhoneyさんの【「とされる」という言葉を追加すべきと考える人は、まずその理由を説明してください。】というお尋ねへの回答。
導入部には、30万人の大虐殺があった、などという、いわゆる大虐殺派の主張にそった定義はありません】とのことですが、導入部の文面を続けて読むと、その殺害は、「南京大虐殺とも呼ばれる」ものとして定義されているでしょう?そして事象の発生期間も「2週間から2ヶ月」となっていますね。
 すべての立場の論者が認定している事実・史実については「とされる」は不要ですが、そうでないものについては必要だと考えます。
 現行の文面もBugandhoneyさんが「差し戻し」を求めておられる版の文面も、文章の構造として、【「南京大虐殺」ともよばれ、南京陥落から「2週間から2ヶ月」の間に発生した殺害】を指すのですから、「とされる」は必要でしょう。
 「具体的な改定案」ですが、2012年8月25日 (土) 06:08 (UTC)の投稿で(部分的にですが)行っています。まずは「南京事件」と「南京大虐殺」が等置しうる呼称のようになっている部分を改めるのが必須かと。--Dalaibaatur会話2012年8月26日 (日) 07:28 (UTC)

(インデント戻し)「大虐殺」の「存否」をめぐる議論については、まずはじめに「なお、この問題は事実存否や規模などを巡って現在でも議論が続けられている」という表現で、2006年3月19日 (日) 19:02の版に出現し、2010年6月14日 (月) 19:24まで記事の冒頭に存在し続けた。

ついでこの表現と期間が重複するかたちで【南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている】という記述がNakata88 2010年6月14日 (月) 14:43があらわれ、miya氏によって[2012年2月18日 (土) 07:24の編集で削除]されるまで、存在していた。

このノートの冒頭、武蔵曙氏が削除を提案(2012年2月17日 (金) 18:25 (UTC)、その翌日には上述のmiya氏による削除が実行されているが、この提案・削除は

  • 「南京大虐殺否定論が歴史学会で全く取り上げられていない」(武蔵曙 2012年2月17日 (金) 18:25 (UTC)
  • 「歴史学の分野ではあるなしは論争されていない」(Bugandhoney 2012年2月20日 (月) 15:30 (UTC)
  • 「歴史学者は「存否」をもはや争っていない」(miya 2012年8月20日 (月) 05:39 (UTC) 

なる事実誤認に基づいて拙速に行われている。

8月18日にいたり、1世代前の【 「南京大虐殺」とも呼ばれ、その期間や規模、事実存否などが論議されている】という表現が、SFmaniac2641氏 による 2012年8月18日 (土) 08:27の投稿で復活したが、その9分後、Bugandhoney氏による2012年8月18日 (土) 08:36の編集で、この記述は削除された。 その後、大和屋敷氏とBugandhoneyの間で編集合戦が繰り広げられたのち、Bugandhoney氏が本節を設置して、現在にいたっている。

一連の議論と編集履歴をみてみると、6年間にわたりこの記事の定義部に存在していた、「大虐殺の存否」に関する記述を、反対論があるにも関わらず事実誤認に基づいて削除したのはmiya氏であり、Bugandhoney氏である。

Bugandhoney氏が「巻き戻し」を主張するのは結構であるが、その場合は、miya氏が問題の記述を削除する前の版までさかのぼるべきである。 --Dalaibaatur会話2012年8月26日 (日) 08:39 (UTC)

編集の経緯に関しては投降ブロック依頼で回答しました。
文面の補足に関してはありがとうございました。とりあえず、私の趣旨としては南京占領中に日本軍が市民や投降兵を殺害したことが歴史的事実なのであれば、そうだと分かるように書く、ということです。導入部に大虐殺派による定義が含まれているように読めるというのであれば、そう読めないように修正するのではだめでしょうか。期間に関して、それが論争の焦点の一つである、というのであれば、単に除去して「さまざまな論争」に吸収させればよいのでは。「さまざまな論争」のうち、期間に関する論争だけを取り出して別途言及する必然性はないでしょう。
『「南京大虐殺」とも呼ばれる。』に関しては、「さまざまな論争」で南京大虐殺論争に内部リンクして「南京大虐殺」という言葉が出てこないようにした上で、最後に移動させればよいのでは。導入部では記事主題の別名は最後に列記するのが一般的だと思いますし。--Bugandhoney会話2012年8月27日 (月) 16:25 (UTC)
時系列を確認しました。
北村稔による『南京事件の探求』の発行は2001年のことです。
●武蔵曙氏の「南京大虐殺否定論が歴史学会で全く取り上げられていない」を理由とした提案(2012年2月17日 (金) 18:25 (UTC)
●Bugandhoneyさんの「歴史学の分野ではあるなしは論争されていない」を理由とした賛成( 2012年2月20日 (月) 15:30 (UTC)
●miyaさんの 「歴史学者は「存否」をもはや争っていない」ことを理由とした削除の実行(2012年8月20日 (月) 05:39 (UTC) 
がいずれも事実誤認で、拙速な削除でした。削除が実行されてすぐ反対論が提出されており、ノートの議論では反対者が繰り返し反対論を述べ続けています。
(1)Bugandhoneyさんは、編集合戦が発生した原因・理由・責任を大和屋敷さんだけの責任だと主張していますが、私のみるところ、武蔵曙さんが提案し、Bugandhoneyさんが賛成し、miyaさんが提案の翌日、提案期間わずか一日で実行してしまった編集にも、非常におおきな原因があると思います。存否に言及する記述が6年間維持されてきたことにはそれだけの理由があるのであって、miya氏の編集はそれを改めるにしては、議論を尽くしたとはとてもいえない拙速なものです。
(2)私が8月25日からこのノートに文章を寄せようとおもった理由は、編集合戦の発生には一方だけでなく、両当事者に責任があることをご理解いただき、「(反対者からみれば)改悪された版への復帰への同意という、到底うけいれることのできない要求」や「反対者へのブロック依頼」などの無駄なことにエネルギーを費やすのはやめて、【合意可能な表現】にむけての話し合いに時間と労力を注いでいただきたいと思ったからです。
(3)2012年8月28日02:15に確認したところ、BugandhoneyさんによるWikipedia:投稿ブロック依頼/大和屋敷 20120820は、現在でも取り下げられていません。残念なことです。--Dalaibaatur会話2012年8月27日 (月) 17:41 (UTC)
この投稿への返答がWikipedia:投稿ブロック依頼/大和屋敷 20120820に行われたので、上記投稿をそちらにも転記します。--Dalaibaatur会話2012年8月28日 (火) 03:11 (UTC)

Bugandhoneyさんの主張する8月17日の版に「合意」があったかどうかという問題
について、この節の「2012年8月21日 (火) 21:33 (UTC)」の投稿で、Bugandhonyiさんは、誰かがページを編集するとそのページの閲覧者には3つの選択肢があります。つまり、その編集を承認するか、変更するか、あるいはリバートするかということです。Miyaさんと武蔵曙さんの編集はその後一定期間変更もリバートもされてなく、承認されたとみなせます。つまり、新たな合意となっています。 と主張していますが、まず「選択肢」の部分で、「ノートにおいて反対の意思表示をする」という4つめの選択肢が抜けています。大和屋敷さんは、miyaさんの編集に対してただちにノートで「否定論は実在する」と反対論をのべています。そしてそれ以来、武蔵曙・miya・Bugandhoney氏のお三方は、一度たりとも、「否定論が実在すること」に反証を上げることができていません。したがって、たとえ半年以上、「一定期間変更もリバートもされてな」かったとしても、「承認されたとみな」すことはできず、「新たな合意となっている」という主張は成り立っていません。 miya氏も、「2012年8月25日 (土) 03:51 (UTC)」の投稿で#南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている」の個所を巡る議論で、「南京事件があったかどうかの真偽はない」「歴史学の分野ではあるなしは論争されていない」については大和屋敷さんも反論しておられないですよね?これは議論離脱による緩やかな合意とウィキペディアではみなされていると思いますと述べていますが、この一節をmiya氏が書き換えてすぐ(2月17日)、大和屋敷氏とTENDERASが「反対論は存在する」とこの編集に異議をとなえているでしょう?そして武蔵曙氏・Bugandhoney氏・miya氏のお三方は、その後、この「反対論が実在すること」に一度たりとも反証を上げることができていないでしょう?お三方のほうが「反論に窮している」状態であるのに、どうして大和屋敷氏のほうが「議論離脱」したことになるのでしょうか。理解できません。ですからmiya氏のいう「緩やかな合意」は成立などしていないとかんがえられます。--Dalaibaatur会話2012年8月28日 (火) 17:15 (UTC)

依然として話がかみ合ってないと思いますが...。「反対論は存在する」などという当たり前の事柄で対立したりしないですよ。私と武蔵曙さんが問題にしているのは「南京大虐殺否定論(いわゆるまぼろし派の学説)が歴史学会で全く取り上げられていない」ということです。メインストリームの近現代史学会から顧みられないような学説をウィキペディアの歴史記事導入部で取り上げる必要があるのか、ということです。これに対して川村たかし氏の主張をもってきても仕方ないです。歴史学者じゃなくて政治家ですから。
大和屋敷さんがMiyaさんの編集を承認しているのかどうかは確かに微妙なところがありますけど、その理屈は武蔵曙さんによる「とされる」という語句の除去には当てはまらないです。記事本文の差し戻しもノートでの異論も出されてませんので。大和屋敷さんはこれらの編集前後でも差し戻しを行っているにも関わらず、このMiyaさんの編集とそれに関連していると思われる武蔵曙さんの編集に限っては差し戻しを使わなかったので、てっきり承認されたものとばかり思ってました。ですから、半年も経ってからなぜ執拗に同じ編集を繰り返すのか理解できなかったです。--Bugandhoney会話2012年8月28日 (火) 18:18 (UTC)
  1. 確認ですが、【南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている】や【事実存否が論議されている】という記述の解釈に際して【「偽」や「否」の論議は「いわゆるまぼろし派の学説」に限定される】という合意は存在しているのですか?この記事のノートは、現行のこのノートだけ、最近精読し終えたところなのですが、もし過去の議論でそんな合意が実在しているということでしたら、ぜひご紹介ください。8月25日にこのノートに登場して以来いろいろ発言したことのうち、かなりの部分を撤回する必要がでてくるので。
  2. これも確認ですが、歴史関係の記事の記述に関する特筆性の有無が【メインストリームの近現代史学会から顧みられる学説】であるかどうかによって判別される、というルールがどこかにあるでしょうか?私は記述の特筆性の有無は、記事の分野に関係なく、検証可能性を満たす典拠の有無によって判別されるものとばかり理解していました。ご指摘のようなルールの記載個所をご教示いただけると幸甚です。
(1)の合意や(2)のようなルールが実在しない場合、大和屋敷さんからすれば、「否定論が実在する」ことを示すだけで反対の意思表示となること、お三方が「否定論が実在する」ことについて反証(否定論は実在しないことまたは否定論は実在するが、検証可能性を満たす典拠を有するものはないことのいずれか)を示さないかぎり「反論に窮している」ようにみえ、miya氏のいう「緩やかな合意」、Bugandhoney氏の主張する「8月17日の版」への同意・合意など成立していないものと認識される、という点についてはご理解いただけますか?このノートやWikipedia:投稿ブロック依頼/大和屋敷 20120820でBugandhoneyさんが大和屋敷さんだけに一方的に編集合戦の責任があるかのように主張している点に違和感を感じたり、「8月26日 (日) 03:47 (UTC)」の投稿で、「Bugandhoneyさんが提案しておられる手続きは、もうしわけないですがまったく無意味・無価値と考えます」と述べたのは、このような理解に基づいています。
(2)のルールの存否については、この節と次節での私の主張・発言をおおきく修正や撤回する必要がでてくる可能性があるルールであるにとどまらず、私のWikipediaへの認識や投稿姿勢を根本から大きくかえねばならない可能性があるルールなので、ぜひ知りたく思います。よろしくお願いします。--Dalaibaatur会話2012年8月28日 (火) 22:16 (UTC)
ノート:南京事件 (1937年)/関連文献を見ると、大和屋敷さんが次節で「いわゆる「まぼろし派」」として上げている田中正明阿羅研一渡辺昇一東中野修道らの諸氏にはISBNの附された著作が多数あります。これらは「事実存否」や「真偽」における「否」や「偽」の「論議」が実在することを示すものです。また私は北村,2001が一冊で「事実存否」や「真偽を論議」する書物であることを指摘しています。
「事実存否や規模などを巡って現在でも議論が続けられている」または「その真偽や程度などが論議されている」という記述には、検証可能性を満たす典拠が実在しています。
(1)「歴史学会で取り上げられるかどうか」(武蔵曙氏)、あるいは「歴史学の分野であるなしが論争されるかどうか」(Bugandhoney)で、「歴史学者が存否を争っているかどうか」(miya)で、【検証可能性を満たす典拠を有する記述】の記載を拒否したり、削除したりすることを可能とするWikipediaのルールはあるのですか?
(2)北村稔氏は歴史学を専門とする研究者ですので、それだけでも武蔵曙・Bugandhoney・miyaの3氏が提案翌日に削除を実行した正当性は、なくなります。
以上より、Bugandhoneyさんが復帰を主張する版には、合意などない、そもそもmiya氏が書き換えたことが誤りである、ゆえに「8月17日より前の状態に戻した上で、」というBugandhoneyさんの主張は、新たな改定案をゼロベースから提案する妨げにしかなっていない、とりさげていただきたい、という点を指摘して、この節での発言を閉じます。--Dalaibaatur会話2012年8月30日 (木) 17:41 (UTC)
あのですね、誰かの編集は誤りだからいつどんなときでも差し戻されて当然、というのは共同作業ではないですから避けていただけたらと。相手も同じようにその記述が誤りだと考えているから編集するわけであって。ですから、編集を強行するのではなくて、ノートでまず議論しましょうよ、ということです。「ノートでの議論に速やかに移って、差し戻された記述に関して合意を得ることを目指す」がベストだと思いますし、それに強く賛同します(JapaneseAさん)というような意見にも配慮していただければと。
WP:VWP:Nはいわばウィキペディアに執筆してよいという最低限のことであって、この二つを満たせばなんでもかんでも好きなように書いてよい、ということではないのです。ウィキペディアの執筆ルールはこれ以外にもいろいろとありますよ。この件で特に関係してくるのはWikipedia:中立的な観点でしょう。WP:NPOVはあちこちに散らばっているのですが、たとえば
  • 対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す。そのトピックについて異なる観点を記載する際には、その相対的な勢力差が適切なレベルで反映されるよう記述してください。同等であるとの誤った印象を与えたり、特定の視点を不適切に重点的に記述することを避けてください。例えば「地球の形状について、フェルディナンド・マゼランの調査では球体だとされ、ジョン・ハンプテンはわん曲した平面体だとしている」といった記述は、ある領域についての大多数の観点と極少数の観点を同等に伝えてしまっています。(Wikipedia:中立的な観点
  • ある観点を記事で言及する際には、その観点を位置づけておくことが肝要です。つまり、その観点がいかに顕著なものであるか、多数派に支持されているのか少数派に支持されているのかなど、その観点の背景に関する情報を提供してください。(Wikipedia:独自研究は載せない#Wikipedia:中立的な観点
  • 誠実さと、Wikipedia:中立的な観点およびWikipedia:独自研究は載せないの方針は、私たちが支配的な「科学におけるコンセンサス」を記述することを求めています。その分野の専門家集団の世論を調査することは、多くの編集者にとって実際的ではありませんが、幸いにももっと簡単な方法があります。科学におけるコンセンサスは、最近の、権威ある総説論文や、教科書およびある種のモノグラフにおいて記述されています。(Wikipedia:信頼できる情報源#査読された科学出版物を参照し、学会のコンセンサスをチェックする
中立性はよく各論併記することだと勘違いされていすのですが、それだけでは不十分でそれぞれの説がどういう位置を占めているのか、背景を提供する必要があるわけです。最後のは自然科学の話であって、歴史学では複数の研究者で総説論文を書くということはあまり一般的ではないと思うのですが、たとえば、南京事件でそれに類するものだと最近だと日中歴史共同研究の報告書が挙げられるのではないでしょうか。この中では犠牲者数に関してはすりあわせが行われてなくて、ウィキペディア風の各論併記になっていて、特にどの説が有力とも言ってないのですが、秦氏の著作を引用しながら、「20万人を上限として(下方修正された大虐殺派の説)、4万人、2万人(中間派の説)など様々な推計がなされている」(註は引用者)とあるだけで、まぼろし派の主張は取り上げられていないです。当の秦氏は産経新聞のインタビューの中で日本の歴史教科書は大虐殺派以外の見解も取り上げるべきだというくだりで、
  • 諸説を書けというなら「犠牲者は限りなくゼロに近い」とする「まぼろし」派はともかく、十万(台湾の公式戦史)、五万−六万(ラーベ日記)、四万(秦、べーツ証言、朝日新聞)、三万(偕行社の『南京戦史』)などの中間派も尊重して、せめて「数万」と「十数万」の併記に修正してもらいたいものである。(産経新聞、2006年5月11日付、『【正論】現代史家・秦郁彦 教科書検定は国際情報戦の最前線』)
と発言しています。まぼろし派の説は「ともかく」という一段低い扱いを受けています。メインストリームの歴史学会であまり相手にされていない、というのははっきりしていると思うのですが。そうだとすると、ウィキペディアの中立性の方針に従って、そのような特定の観点の背景を記事に盛り込むべきでは。--Bugandhoney会話2012年8月30日 (木) 21:00 (UTC)
  1. 『【 「南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている】や【事実存否が論議されている】という文字列には、「真偽」の「偽」の論議、「存否」の「否」の論議が、あなたのういう「まぼろし派」の学説に限定されるという文字情報は含まれておりません。さらには、過去の編集者たちの合意に、この文字列の解釈をあなたのいう「まぼろし派」の学説に限定するものがあることも、あなたは示す事ができなかった。つまりあなたの独自解釈です。そんなものを私におしつけないでください。あなたはこちらでもあなたの独自解釈のおしつけをなさろうとしていますが、つつしんでご辞退申し上げます。
  2. 歴史関係のある記事で何かを言及しようという場合に、『「歴史学会で取り上げられるかどうか」(武蔵曙氏)、あるいは「歴史学の分野であるなしが論争されるかどうか」(Bugandhoney)、「歴史学者が存否を争っているかどうか」(miya)で、【検証可能性を満たす典拠を有する記述】の記載を拒否したり、削除したりすることを可能とするWikipediaのルールを示よう』お願いしたわけですが、そのご提示をいただいていません。そのうえ、私が【「真偽」や「事実存否」が「論議」されている】典拠として示しているのは、北村,2001です。ですから、あなたが、あなたのかんがえるまぼろし派について長い長い考察の文章をくださいましたが、私にとってはまったく無価値です。私の典拠は、あなたの考えるその学派とは違うようなので。--Dalaibaatur会話2012年8月31日 (金) 01:35 (UTC)
これだけではあまりに愛想がないので補足を。
この記事における今年2月以来のもめごとは、「~とされる」「事実存否や真偽が論議」という記述のが焦点となり、「はずせ派」と「残せ派」で編集合戦になっています。両派が合意できる文面のためには、「はずせ派」が納得できる解釈を付加して残すか、「残せ派」が納得できる代替表現を提示して削除するか、どちらかあるいは両方が必要です。Bugandhoneyさんは、ただご自分の考える正しい文面を主張するのではなく、「残せ派」が納得できるなんらかの表現を提示する必要があるのですよ?そしていまこのノートで活動しているもっともアクティブな「残せ派」は大和屋敷さんです。Bugandhoneyさんがこのノートで発言している目的はなんですか?ご自身の信じる正義を主張すること?
ご承知のように、私は8月25日以来、【北村,2001を典拠とする「残せ派」】として、このノートでの議論に参加しています。もうひとりの「はずせ派」miyaさんは北村,2001をご自身でご覧になった上で、この典拠について【「事象ごとに「事実存否」や「真偽」を「論議」しているはもちろん否定しません】という評価を寄せてくださいました。私はこのコメントを拝見して、miyaさんが「納得できる解釈を付加して残す」冒頭定義文は可能と考え、自分のノートページにこんな文面をまとめてmiyaさんに提案したところ賛成をいただきました。「残せ派」の大和屋敷さんからも賛成をいただいたので、次々節で正式に提案させていただいています。
miyaさんはBugandhoneyさんのこの投稿も踏まえて、いまこんな改訂案を提案なさっていますが、「残せ派」に配慮してくださった文案となっていますし、大和屋敷さんとの間で、「より良き文面」のための建設的な話し合いがおこなわれています。
Bugandhoneyさんも、私の案やmiyaさんの改訂案に対する改善案でも、まったく独自にあらたな文案を提示するのでもどちらでも構いませんが、「よりよき文面」のための建設的で前向きな議論に、ぜひご参加を。--Dalaibaatur会話2012年8月31日 (金) 16:56 (UTC)
コメントどうもです。だいぶ話がかみ合ってきたような気がします。Dalaibaaturさんと私は多分似たような問題意識を持っていると思うのですが...。場合分けすると分かりやすいかも知れないです。
  • 1.私が主張しているように「真偽」という言葉がいわゆるまぼろし派の見解を意図している場合
  • 1a.まぼろし派の説も導入部で取り上げるべきだから「真偽」という言葉を含めるべき。
  • 1b.まぼろし派の説も導入部で取り上げるのは不適切なのだから「真偽」という言葉を削除するべき。
  • 2.Dalaibaaturさんが主張しているように「真偽」という言葉は虐殺の証拠とされる個々の史料に対する判断を意図している場合
  • 2a.そのような意図が伝わりにくいので意図がよく伝わるように書き直すべき。
  • 2b.そのような意図が今でも伝わっているので今のままでよい。
という風になるかと。私が求めているのは1bなのであって、1aと2bは容認しがたいです。2aは反対する理由はないですし、むしろ歓迎します。Dalaibaaturさんは今のところ2aにそった書き直しを試みられていると理解しています。導入部が何を意図しているかはノートで合意できますけど、読者がどういう読解をするかまではノートでの合意で縛れないです。曖昧な書き方をしているときに、これ以外の読解は認めない、というのではナンセンスでしょう。前に書きましたとおり、意図は何なのか、ということをはっきりとさせればその意図がもっとも確実に伝わる表現はおのずと決まってくるのではないでしょうか。--Bugandhoney会話2012年8月31日 (金) 20:40 (UTC)

導入部の文章の一部復帰の提案

復帰を提案する文面と注釈の草稿
【 とされる事件。「南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている[1]。】

  1. ^ たとえば北村稔,2001南京裁判の判決の10万人認定(および検察主張の20万人認定)の根拠とされる事象を考証し、幕府山捕虜殺害事件などいくつかの事象を事実と認定する一方、大量の殺害が生じたとする事象(複数)を「中国側の戦意高揚のためのプロパガンダとして生成された言説」と結論している

前節で、Bugandhoneyさんは「どのような表現を改めるのかノートで提案を行い、合意を取ってから実際に編集するように」と述べておられるので、冒頭部の一部記述に対する「提案」を行います。

2006年3月19日 (日) 19:02の版に登場していらい、6年間にわたり維持されてきた「南京大虐殺」の「存否」に関する表現(「なお、この問題は事実存否や規模などを巡って現在でも議論が続けられている」が記事名の変更にともない「南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている」と変更)が、

  • 武蔵曙氏の「南京大虐殺否定論が歴史学会で全く取り上げられていない」を理由とした提案(2012年2月17日 (金) 18:25 (UTC)
  • Bugandhoneyさんの「歴史学の分野ではあるなしは論争されていない」を理由とした賛成( 2012年2月20日 (月) 15:30 (UTC)

という事実誤認に基づく提案・賛成だけを根拠に、わずか一日の提案期間のみで、

  • miyaさんにより、 「歴史学者は「存否」をもはや争っていない」ことを理由として

書き換えが実行されました(2012年8月20日 (月) 05:39 (UTC)  前節では「大虐殺」の「存否」を「争ってい」る「歴史学者」とその著作を紹介しましたように、この提案・賛成・編集は事実誤認に基づいています。前節では、この編集に合意が成立していたかどうかが議論されていますが、どちらが「正しい」かはともかく、「編集合戦の発生原因」になっていることは確かです。 そこで、miya氏が上記編集を行うまでこの記事の冒頭部に存在した【「南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている」】という記述をあらためて記事の定義部に復帰させるよう提案します。--Dalaibaatur会話2012年8月27日 (月) 17:41 (UTC)

意見が対立している相手に対して、意事実誤認だ、などとしても議論は進まないと思うのですが。「南京大虐殺否定論」といえば、普通、犠牲者数は限りなくゼロに近いという、いわゆるまぼろし派の主張を指すのでは。中間派の研究のことではなくて。私はそういうつもりで応答しているのですが。秦氏のような中間派の主張が歴史学の分野で取り上げられることがない、などという大それたことを主張したりはしないですよ。提案に関しては反対します。--Bugandhoney会話2012年8月27日 (月) 18:18 (UTC)
  • 「虐殺」「大虐殺」なかった論=「まぼろし派」は存在しており、勝手に「もはや存在しない」「学術として成立しない」と断定してはいけない(仮に論争の一方が明示的にそのように論じていても)。いわゆる「まぼろし派」には田中正明、阿羅研一、渡辺昇一、東中野修道などがいます[22]。--大和屋敷会話) 2012年8月28日 (火) 00:59 (UTC)むしろBugandhoneyさんにご指摘したいのは、「まぼろし派」を批判したい読者の便宜のためにも、このような情報は百科事典に採録しておくべきだということです。編集者の信念や倫理に反するからといって検証可能な情報まで排除しては読者の便益に反します。--大和屋敷会話2012年8月28日 (火) 01:05 (UTC)
武蔵曙氏とBugandhoney氏、miya氏が【南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている】という文面の書き換えを提案し、賛成し、実行したときは、「中間派の主張が歴史学の分野で取り上げられることがない」なんて言っていないでしょう?皆さん自身のことばは、
  • 武蔵曙「南京大虐殺否定論が歴史学会で全く取り上げられていない」(2012年2月17日 (金) 18:25 (UTC)
  • Bugandhoney「歴史学の分野ではあるなしは論争されていない」( 2012年2月20日 (月) 15:30 (UTC)
  • miya「歴史学者は「存否」をもはや争っていない」(2012年8月20日 (月) 05:39 (UTC) 
です。Bugandhoneyさんの考える「普通」の「南京大虐殺否定論」がどんなものかはともかく、北村,2001は南京裁判の判決の10万人認定(および検察主張の20万人認定)の根拠を考証して「中国側の戦意高揚のためのプロパガンダとして生成された言説」と結論していますから、この部分は、まぎれもなく、歴史学者による、徹底的な、根底からの「大虐殺」の否定論、「あるなしの論」です。北村稔氏は歴史学者ですから、【「南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている」】という一句は、すでに歴史学者による検証可能性を満たす典拠を有していることになります。
大和屋敷さんの投稿を拝見しまして、提案理由を変更します。
【「南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている」】という一文には検証可能性をみたす典拠が複数存在します。この一文を、あらたにrefタグで典拠を列挙提示する形で定義部に復帰させることを提案します。--Dalaibaatur会話2012年8月28日 (火) 01:50 (UTC)
(Dalaibaaturさんへ)単に私とDalaibaaturが「南京大虐殺否定論」という言葉を違う意味で使っているというだけだと思うのですが。ノートでの私の意見は、「中間派の主張が歴史学の分野で取り上げられることがない」などということを意味していないということはすでに補足しました。これ以上、説明しようがないです。--Bugandhoney会話2012年8月28日 (火) 12:05 (UTC)いわゆる中間派と大虐殺派の主要な違いは犠牲者数をせいぜい数万人と見積もるのか、最大で30万人と見積もるのかという、虐殺の程度や規模の違いです。このような違いは真偽や事実存否などとは言わないでしょう。南京占領中に市民や投降兵の殺害があったという点では両者は一致しています。(提案に関して)具体的になんという文献を出典にすることを考えていますか?
(大和屋敷さんへ)補足どうもです。「真偽・事実存否」や「とされる」という言葉の追加は、大虐殺派と中間派の違いを示すためにあるのではなくて、まぼろし派とそれ以外の違いを示すためにあるということですよね。まぼろし派は事件そのものが「偽」だとしているわけですから。そのように読み取っていたのですが、念のために編集意図を確認しました。それで、武蔵曙さんの提案は歴史学会で学説として取り上げられることのないまぼろし派の主張を歴史学会の主流な見解である中間派などの学説と同列に取り上げることの是非を問うていると理解しています。ウィキペディアでは両論併記することが中立的ではない場合もあります。WP:NPOVには、複数の観点を比較する記事では、少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありませんとあります。メインストリームの近現代史学会でほとんど顧られることのないまぼろし派の学説を、それよりも広範に受け入れられている学説と同列に扱うのは問題ではないでしょうか。--Bugandhoney会話2012年8月28日 (火) 12:34 (UTC)
復帰を提案する文面と注釈を本節の冒頭に提示。
北村稔,2001には、幕府山捕虜殺害事件のように「虐殺の程度や規模」を論じた部分もありますが、南京裁判の判決の10万人認定(および検察主張の20万人認定)の根拠を考証して「中国側の戦意高揚のためのプロパガンダとして生成された言説」と結論するなど、「真偽・事実存否」を「偽」「否」とする立場から論じている部分もあります。これ一冊だけで、まさに「歴史学者」が「真偽や程度を論議する」著作となっております。--Dalaibaatur会話2012年8月29日 (水) 05:57 (UTC)
記事冒頭部の全面的改訂案を自分のサブページに試作して、このノートの当事者の方なんにんかに感想をあおいだところ、ふたりの方から肯定的な評価をいただけたので、本節冒頭の提案を取り下げさせていただきます。ご意見ありがとうございました。--Dalaibaatur会話2012年8月30日 (木) 17:39 (UTC)

記事冒頭部の全面的改定案の草稿(Dalaibaatur案)

以下のような文面で、記事冒頭部を全面的に改訂することを提案します。--Dalaibaatur会話2012年8月30日 (木) 17:53 (UTC)


南京事件(なんきんじけん)とは、日中戦争支那事変)初期の1937年(昭和12年)、日本軍による中華民国の首都南京の攻略戦から南京の陥落、占領体制の確立にいたるまでの一定期間[1]に継続して発生したとされる、日本軍が中国の捕虜・敗残兵・便衣兵・一般市民等に対して行ったとされる一連の事象[2]をまとめて指す場合の呼称。論者により、個別の事象ごとに、真偽や事実存否、規模、国際法上の合法・不法、日本軍の組織的関与の有無、この事件に含める事象の範囲、事象発生の地理的範囲や発生期間などの認定などに相違があり、さまざまな論争がある(南京大虐殺論争)。日本軍による殺害が大規模なものであったと認定する人々を中心に南京大虐殺という呼称も使用されている。

  1. ^ 論者により約6週間から2ヶ月間とされる
  2. ^ 殺害・暴行・放火・略奪等が上げられている

自分の個人ページに記載して、何人かの方にご意見をお願いしたところ、おふた方からコメントをいただきました(コメントをいただいた順)。

「よりよき表現」のためのたたき台として、すこしでも役にたてれば、うれしいです。みなさんのご意見をよろしくお願いします。

    • miyaさんからのコメントの抜粋:少なくとも、SFmaniac2641さんや大和屋敷さんが差し戻した版よりはるかに正確であろうと思います。(2012年8月30日 (木) 04:09 (UTC))(北村,2001が(←引用者の補足))事象ごとに「事実存否」や「真偽」を「論議」しているはもちろん否定しません。ただ、南京事件冒頭でざっくりと「存否を議論」としてしまうのは容認できないという事です。ですから、Dalaibaaturさんの版への改訂なら今すぐでも賛成できます。 (2012年8月30日 (木) 04:25 (UTC)
    • 大和屋敷さんのコメントの重要ポイント:「事象」という表記にclaimが発生すると思いますので、「事象→事件」「この事件に含める事象の範囲→(いわゆる)南京事件に含める個々の事件・事象の範囲」とでも置き換えたほうが無難な印象があります。

おふた方のコメントの要点を抜粋。お二人には、あらためてこちらで正式に提案したことをお知らせしてあります。--Dalaibaatur会話2012年8月30日 (木) 17:53 (UTC)--2012年8月31日 (金) 02:32 (UTC)(増補)

確認しました。これだけ用意するのは大変だったのではないでしょうか。これは導入部ですから、まずWP:LEADを参考にされるとよいと思います。他の記事と比べると第一文(定義)が長すぎて複雑な印象を受けました。脚注を読むまでは「一連の事象」が何なのか分からないというのは読者にとって不親切なのでは。あと、続く文で「発生期間などの認定などに相違」とあるので、一番目の脚注もあまり意義が感じられないです。すっきりとさせるのでしたら、たとえば、日中歴史共同研究日本側報告書を参考にして
  • 南京事件(なんきんじけん)とは、1937年、日中戦争南京陥落後に発生した日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対する集団的、個別的な虐殺事件。強姦、略奪や放火も発生した。
とすればよいかなと。「とされる」という語句はWikipedia:言葉を濁さないの「曖昧な言い方の典型例」に当てはまっているので、避けてください。代わりに、発生したと論じているのは誰なのか(というか発生しなかったとしているのは誰なのか)を説明します。
二文目の「論者により...さまざまな論争がある」は表現は格段に改善していると思います。が、これを含めるかどうかは結構微妙なところがあります。というのは、南京大虐殺論争に内部リンクしてますけど、これ、この記事からの分割記事なんですよね。つまり、史実としての南京事件に関する記述はこの記事に、様々な論争に関する記述は南京大虐殺論争に、というすみわけが意図されているわけです(二つを明確に区別するのは難しいですが。詳しくはノート:南京大虐殺/ログ2011#南京大虐殺論争への移行を参照)。実際、この記事では論争の類はごく手短に触れられているだけです。導入部は記事のスコープを定義する、という役目も担っているのですが、記事のスコープから外れていることを詳しく書くのはちょっとどうかなと思います。
最後の一文はあまりお勧めできないです。というのは、南京大虐殺を南京事件とほぼ置き換え可能な言葉としての使用する例もたくさんありますので。「南京事件(南京大虐殺)」とか「南京大虐殺(南京事件)」といった表現はしょっちゅうあります。特に説明はなくてもよいかなと。他の別名(南京虐殺、南京暴虐事件など)も含めるかどうかは検討の価値はあるかなと。
WP:RSには三次資料、つまり他の百科事典も含まれるので、導入部の表現についてはそられの書き方も参考にされるとよいと思います。コトバンク 南京事件コトバンク 南京大虐殺など。--Bugandhoney会話2012年8月30日 (木) 19:21 (UTC)
  • Bugandhoney氏の文案は、日中歴史共同研究日本側報告書]該当箇所の後半部分を意図的に無視しており問題があります。Dalaibaatur氏の2012年8月30日(木)17:53文案はこの後半部分の文脈まで記述しており、より適切である。なお、一般論として申し述べれば、当方大和屋敷に対するウソの投稿ブロック依頼をいまだ詭弁により撤回しておらず自己正当化するばかりであり、このような不誠実な編集参加者が当記事のような難航するであろう記事の編集活動に参加していることに疑義を感じております。--大和屋敷会話) 2012年8月31日 (金) 01:55 (UTC)大和屋敷に対する投稿ブロック依頼は当初から根拠がない主張であり、自身の錯誤から出た粗忽なものなのであるから、さっさと撤回せよ。--大和屋敷会話2012年8月31日 (金) 02:06 (UTC)
Bugandhoneyさん、長文のご意見ありがとうございました。ただし、私の草稿の改善案というよりは、まったく別の文案のご提案ですね。私の草稿のほうは、せっかくのご意見ですが、対立する両派のどちらにもうけいれられるために外せない単語や、(この改定案では明示していませんが)「歴史学者」による典拠がある表現については、そのままにさせていただきたいとおもいます。その他のご意見については、参考にさせていただきます。--Dalaibaatur会話2012年8月31日 (金) 02:29 (UTC)
大和屋敷さん、「個々の事象」云々の部分で「事象」という用語を使用したのは、「事件」という用語だと、「なにかが起きたこと自体は認定しまう用語」であると考えた一方、「事象」という用語なら「実際に生じたかどうかの認定は保留できる」用語かな、と思ったためです。文献上の根拠があるわけではなく、ご提案のとおりに書き換えたとしても大意はかわりません。miyaさんが(たぶんいいたいことはおありでしたろうに)私の草稿を全文まるごと賛成してくださったことの意味も、いろいろな意味で大きい。大和屋敷さんからもDalaibaatur氏の2012年8月30日(木)17:53文案はこの後半部分の文脈まで記述しており、より適切であるという評価を頂戴したので、自分としては、この草稿を単語レベル以上ではいじりたくないと思っています。【3人からのコメントがあり賛成2・反対1】と理解し、Bugandhoney氏には、いっそ別途ご自分の改定案をご提案していただけたらと。--Dalaibaatur会話2012年8月31日 (金) 02:29 (UTC)--2012年8月31日 (金) 04:11 (UTC)(増補)

◆Dalaibaaturさん、新案をありがとうございました。前の節との続き具合が明確になるようインデントを加減しました。無条件で賛成した者として責任を感じるので言いますが、Bugandhoneyさんのご指摘も否めません。Dalaibaaturさんは「単語レベル以上ではいじりたくない」とのことですが、冒頭文としては長すぎるのはたしかなので分割、一つ目の「とされる」を解消(少なくとも何らかの暴虐事件があったことは確認されている)、「殺害・暴行・放火・略奪等」をrefから復活して2文目へ、「大規模」を「10-30万人規模」と明確化、などしてはどうでしょうか。具体的には以下のようになります。--miya会話2012年8月31日 (金) 08:21 (UTC)

(修正案/miya)南京事件(なんきんじけん)とは、日中戦争(支那事変)初期の1937年(昭和12年)、日本軍による中華民国の首都南京の攻略戦から南京の陥落、占領体制の確立にいたるまでの一定期間[1]に、日本軍が中国の捕虜、敗残兵、便衣兵、一般市民等に対して行った一連の暴虐事件をまとめて指す場合の呼称。日本軍は中国軍民に対して集団的、個別的に殺害・暴行・放火・略奪等を行ったとされるが、個別の事象ごとに、真偽や事実存否、規模、国際法上の合法・不法、日本軍の組織的関与の有無、この事件に含める事象の範囲、事象発生の地理的範囲や発生期間などの認定などについては論者により相違があり、さまざまな論争がある(南京大虐殺論争)。南京大虐殺という呼称も使用されているが、この言葉の使われ方には「南京事件」と同義の場合と、10-30万人規模の殺害があったことを示唆する場合がある。
  • Miyaさんの表記は東京裁判の判決の記述には忠実なのですが、こんどは歴史家の表現からはclaimがつきそうです。うーん。むつかしいですね。--大和屋敷会話) 2012年8月31日 (金) 14:42 (UTC)というか、今現在の版[23]でも良かないですか?むつかしい重要な論点については当初から言及していないわけですし(あえて無視するわけではなく)。「~とされる」がかなり効果的に含意して【効いてる】印象がありますが。--大和屋敷会話2012年8月31日 (金) 14:47 (UTC)
miyaさんの改定案については、「行った一連の」→「行ったとされる一連の」、「行ったとされるが」→「行ったと指摘されているが」として欲しいところですが、miyaさんが大和屋敷さんの提案に合意可能であれば、私も、「個別の事象ごとに、真偽や事実存否…の認定などについては論者により相違があ」るという記述が明示されることを求めるという自分の主張が、大和屋敷さん提案の版[24]およびmiyaさんが2語を補った版における「〜とされる」という語によって満たされていると見なし、賛成することが可能です。--Dalaibaatur会話2012年8月31日 (金) 22:22 (UTC)
この記事における今年2月以来のもめごとは、「~とされる」「事実存否」や「真偽」を「論議」という記述が焦点となり、「はずせ派」と「残せ派」で編集合戦になりました。両派が合意できる文面のためには、「はずせ派」が納得できる解釈を付加して残すか、「残せ派」が納得できる代替表現を提示して削除するか、どちらかあるいは両方が必要だと考え、こちらの文面を提案させていただいています。一方、8月31日 (金) 20:40 (UTC)にBugandhonyeさんが提案なさった文面は問題の語句を一切はずすことを主張なさったものであり、両派の妥協をさぐるために提案したこちらの文案とは質的に全く異質なものであるので、別に節を分けさせていただきました。
両節で、実りある議論が展開されることを期待いたします。--Dalaibaatur会話2012年8月31日 (金) 21:35 (UTC)

記事冒頭部の全面的改定案の草稿(Bugandhoney案)

  • 「~とされる」「事実存否」「真偽」等、今回の編集合戦の焦点となった単語が記事中にあることを一切みとめないBugandhoneyさんの提案
「とされる」はだめです。中間派の研究によれば数万人規模の虐殺があったのは事実なのであって、歴史学の権威が二次史料をまとめた報告書や他の百科事典には「とされる」というような保留はないです。逆にいうと、なぜウィキペディアの編集者がそのような保留を付け足すのか、ということです。
報告書の後半が抜け落ちているのが問題なのでれば、単に足せばよいだけなのでは。それでは、Dalaibaaturさんの提案に従って完全な形で文案を提案します。
  • 南京事件(なんきんじけん)とは、1937年、日中戦争南京陥落後に発生した日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対する集団的、個別的な虐殺事件である。強姦、略奪や放火も発生した。犠牲者数には諸説あり、不法殺害の定義、対象とする地域や期間、埋葬記録や人口統計といった史料の評価において研究者の間で見解が一致していないために、日本では20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がある一方、中国側の見解は戦後の戦犯裁判における判決を根拠とした30万人となっている[1]南京大虐殺南京虐殺南京暴虐事件とも。事件にまつわる論争の詳細は「南京大虐殺論争」を参照すること。
  1. ^ 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦” (PDF). 第1期「日中歴史共同研究」報告書 <近現代史>第2部 戦争の時代. 外務省. p. 7. 2012年9月6日閲覧。
自分自身の案に特にこだわりはないのですが、私のポイントが伝わりやすくなるかも知れないので、書いてみました。--Bugandhoney会話) 2012年8月31日 (金) 20:40 (UTC)推敲、出典追加--Bugandhoney会話2012年9月6日 (木) 18:33 (UTC)
「特にこだわりはない」とのことですが、対立の焦点となっているいくつかの語を、ひとつたりとも文面に残さないという点では、たいへんに「こだわり」のあるご提案とお見受けします。miyaさんが「暫定編集)抜けていた情報を追加 >敗残兵、捕虜」という要約をつけて投稿された2012年8月31日 (金) 16:58時点における最新版ですが、「残せ派」への配慮により「~とされる」ということばが残されており、ゆえに大和屋敷さんが提案していた版とくらべて2語追加されていますが、(たぶん)大和屋敷さんがこれをリバートすることはなさそう。私も、前節で提案している草稿とはかなり違っていますが、これに反対しません。
さて、Bugandhoneyさんがあらたに全面的に書き下ろして提案なさった「冒頭文」の草稿ですが、【「事実存否」や「真偽」が論議されている】という記述が明示されておらず、またこの記述を包含しているという解釈を可能にする「〜とされる」ということばを、「だめです」と拒否なさっているので、私にはとうてい賛成できません。もうしわけありませんが。-Dalaibaatur会話2012年9月1日 (土) 02:49 (UTC)
私がこだわっているのはあいまいで多義的な書き方をしないということなのですよ。スペースを節約しなければならないということはないのであって、「真偽」という言葉が具体的に何を指しているのか書けばいいだけなのです。この言葉が何を指しているのかですでにもめたのであれば、なおさらです。「個別の事象ごとの真偽」というのは抽象的すぎて意味が全然分かりません。それで、それは具体的には、たとえば北村氏が指摘している中国側の遺体処理能力のことなんでしょう?そうだったら、そのまま書けばよいのです。「中国側の遺体処理能力をめぐって研究者の見解は一致していない」と。それから、まともな研究者であれば、ある史料が100%信頼できるとか、別の史料は100%信頼できない、などといった断言は決してしないです。「真偽」「存否」というのは二者択一なのであって、実際にはその中間の立場が必ずあるはずなのであって、そういう立場を排除する言葉という点でも不適切だと思います。--Bugandhoney会話2012年9月6日 (木) 18:33 (UTC)
南京事件を構成する諸事象について「真偽や事実存否を論議」する検証可能性を満たす典拠は実在しております。とある「事象」について、これを「偽」「否」とする立場からすれば、その事象は「〜とされる」と描写されることになります。以上の点から、前節で提案した私の文案や、miya氏の改定案では、いずれも「〜とされる」や、「真偽や事実存否を論議」と明記されており、私としてはまったく満足できる文面です。これにたいする大和屋敷氏の「今現在の版でも良かないですか?(中略)「~とされる」がかなり効果的に含意して【効いてる】印象があります」という提案について、Bugandhoneyさんは「ノートで今現在の版でも良かないですか?などと応答しておけば、(中略)このようなやり方で押し通す人とノートで議論することには意味が見出せないです」とただ腹を立てているだけのご様子ですが、miyaさんにむけては「【〜とされる】さえあれば【真偽や事実存否が論議されている】という言及はなくてもよい」という妥協案であり、私にむけては、「【〜とされる】という用語に【真偽や事実存否が論議されている】が包摂されているという解釈で妥協してはもらえまいか」と、miyaさんには譲歩を示し、私には妥協をもとめる、きわめて高度な交渉術を使用しての意見表明をなさっています。私としては、お二人がいったんは賛成した私の改定案が跡形もなくなるのに、不満を感じないわけではありませんでしたが、お二人が立場をこえて、妥協可能な表現をもとめて真剣に討論なさっていることに敬意を評し、大和屋敷さんの提案およびmiyaさんが2語を加えた現行の版に反対しないことにいたしました。
それに対し、本節でご提案のBugandhonryさんの文案ですが、
(1)前々節で論破済みの破綻した根拠を前提とした主張を一方的に繰り返しているだけ
(2)検証可能性を満たす典拠に基づく記述をBugandhoney氏の主張するような理由で審査し、記事上に表記することを許可したり拒否したりすることを可能とするようなWikipediaのルールの実在を、Bugandhoney氏は提示することができなかった。
(3)自身の信ずる「正しい表現」を一方的に主張するだけで、対立する意見の持ち主との間で、妥協可能な表現について智慧を出し合うという姿勢が絶無。
とりあえず、この3点を理由に、あらためて反対させていただきます。そして将来、Bugandhoney氏またはその他のかたによる「〜とされる」の削除が提案された場合に、あらかじめ反対の意思を表明しておきます。--Dalaibaatur会話2012年9月12日 (水) 06:01 (UTC)
意味がわかんないです。文案は基本的に日中歴史共同研究の日本側報告書にのっとっています。この報告書では「される」などというあいまいな言葉は使われてないです。採用するかどうかは編集者の好みや意向によりますが、単純に言って正しくないということはないです。逆に言うと「真偽や事実存否(などの)さまざまな論争がある」という言葉はDalaibaaturさんのオリジナルですよね(要するに北村氏の研究を読んでDalaibaaturさんがそう思ったということですよね)。北村氏の研究をそのように概括している三次資料はありますか。あと、ただ腹を立てているだけのご様子などと私の感情を勝手に推測するのは避けていただければと。単に、他の百科事典や三次資料を参考にしながら、百科事典の記事にもっとも適切な表現を提案しているだけです。--Bugandhoney会話2012年9月12日 (水) 14:02 (UTC)

自分の会話ページにも書きましたが、簡略な案を冒頭に、詳しい案を概要(新設)に置けば、正確で読者にも分かり易い文面になるんじゃないでしょうか。現在は下に「事件の概要と経緯」という節がありますが、この見出しに「概要」という言葉を使う必然性もないですし。のちほど#「概要」について改めて提案します。--miya会話) 2012年9月1日 (土) 16:33 (UTC) #併記の提案という節を設けて提案しました。--miya会話2012年9月1日 (土) 16:38 (UTC)

併記の提案

導入部の諸案を見て、簡潔な案を冒頭に、正確を期した詳しい案を「概要」に置いてはどうでしょうか。簡略な案だけだと、本文の残り全部を読まないと全体像が分かりません。かといって、詳しい案だと、南京事件の概略を知らない人には、一読では呑み込めない可能性があります。どちらも捨てがたいので、「冒頭」と「概要」で併記したいです。--miya会話2012年9月1日 (土) 16:38 (UTC)

「概要」節は英語版にない習慣なのですが、不親切だと感じたことはあってもその必要性を感じたことはないです。記事の要約は一つでいいかなと。導入部一文目で記事主題が何であるのかは分かるので、そのあとに記事主題にとってクリティカルな情報を続ければいいだけかなと。導入部は二行しかだめというわけではないでしょうし。--Bugandhoney会話2012年9月6日 (木) 18:13 (UTC)
  • 同じことを二度記述する必要はないでしょう。それこそ冗長です。--大和屋敷会話) 2012年9月12日 (水) 09:55 (UTC)また、すでに申し述べましたが[25]Bugandhoney氏の文案は、日中歴史共同研究日本側報告書]該当箇所の後半部分を意図的に無視しており問題があります。Dalaibaatur氏の2012年8月30日(木)17:53文案[26]はこの後半部分の文脈まで記述しており、より適切である。よってBugandhoney氏の記述には意図的な作為がおこなわれており、これを採用するのは不適切なだけではなく読者に無用の誤読を誘うことを意図した悪意あるものである。Bugandhoney氏のウィキペディアへの参加態度は偏見にみちており、他の編集者との編集検討や調整が不可能であることがすでに証明されており、議論の余地なく却下されるべきです。--大和屋敷会話2012年9月12日 (水) 10:01 (UTC)
後半部分がないことが問題なのだったら、単に足せばよいだけなのでは。私が2012年8月31日 (金) 20:40の版で示したように(この文案はその後さらに推敲されています)。--Bugandhoney会話2012年9月12日 (水) 14:08 (UTC)

構成再考

時系列順がばらばらだったので、構成を入れ替えてみました。異論があればお願いします。--miya会話2012年9月1日 (土) 16:45 (UTC)

「名称の種類と変遷」
  • 名称の揺れから起筆するのは定義を重視する百科事典としてはむしろ正統派のような気がするのですがどうでしょうか。たしかに当記事のばあいはそれ自体でボリュームが大きすぎるのが特徴ではあるのですが。--大和屋敷会話2012年9月1日 (土) 18:02 (UTC)
    • はい、おっしゃるとおりで、スクロールなしで読める分量だったら冒頭直下から動かさなかったと思います。冒頭直下には「概要」節(上で提案中)を置いて、名称の揺れにも言及し、詳しくは[[#名称の種類と変遷]]参照とするのが、この事件についてほとんど知らない読者にも親切ではないかと考えます。--miya会話2012年9月6日 (木) 15:00 (UTC)

「作品」について

今は二つに分かれていますが、「ゴーマニズム宣言」が「ノンフィクション」でジョン・ラーベ (映画)は「フィクション」なのか?という疑問を感じました。「フィクション」「ノンフィクション」と2分割するのは難しいのではないでしょうか。「南京事件に関連する作品」として二つの節を統合した方が中立的な気がします。

6 南京事件を扱ったノンフィクション作品
7 南京事件を描いたフィクション作品

すべての作品の内容を承知しているわけではないので、皆さんのご意見をお聞かせください。--miya会話2012年9月1日 (土) 16:45 (UTC)

  • ノンフィクションもフィクションも「文芸作品」であり学術研究ではない、という観点が適切だと考えます。仮にノンフィクションを自称するものであっても、それは完成された「一箇の作品」であり、修正されたり反証をうけ破棄されたりすることがない点が学術研究と異なります。--大和屋敷会話) 2012年9月4日 (火) 22:36 (UTC)該当箇所は「南京事件を扱った文芸作品」とでもすればどうでしょうか。--大和屋敷会話2012年9月4日 (火) 22:43 (UTC)
  • はい、統一すればよいと思います。英語版を参考にして、大見出しは「南京事件を描いた作品」か「大衆文化の中の南京事件」として、「小説」、「ノンフィクション」、「映画」、「漫画」と続ければよいかなと。『ゴーマニズム宣言』は「ノンフィクション」か「漫画」に分類されると思います。今ドキュメンタリー映画と分類されているものに関しては、手短な解説を付け加えておけばよいかなと。--Bugandhoney会話2012年9月5日 (水) 15:52 (UTC)
    • 「文芸作品」「大衆文化」の定義に自信が無かったので、ひとまず「南京事件を扱った作品」として統合しました。「南京事件を描いた作品」とどちらがいいか、自信はないです。『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』は「ノンフィクション漫画」としてみました(ずいぶん前に見たきりなので、内容はあまり覚えていません)。もっと良い節名や編成があればお願いします。--miya会話2012年9月6日 (木) 15:17 (UTC)

写真について2

Ekobassan氏により写真の全削除やキャプションに疑問のある写真の挿入などがおこなわれていますが、ノートですでにくりかえし議論になっているテーマですので「こっちがいいならこっちもいいだろ」的な投げやりな編集ではなく、逐一キャプションや出典の適否について確認してください。原則として出所履歴のあやしい写真画像についての百科事典への採録は問題があります。またその写真の解説(キャプション)について【外部で解釈が分かれているもの】については慎重に取り扱うべきで、南京大虐殺論争のほうで取り扱うほうが適切なばあいがあります。--大和屋敷会話) 2012年11月6日 (火) 22:41 (UTC)Ekobassan氏により現在掲載中の写真がいちど全削除されていますが、この写真について問題点があり削除すべきだとする理由があれば述べてみてください。すでに「この写真は日本軍側(に同調的な報道機関)により撮影され、日本軍により検閲を受けたものでありプロパガンダである」との指摘が出ています(だたし「そのような指摘がある外部の情報源」が開示されているわけではありません)。--大和屋敷会話2012年11月6日 (火) 22:42 (UTC)

信頼できる情報源間の矛盾について

信頼できる情報源の記述の相互において矛盾している内容は、ともに適切に引用されているかぎりWikipediaでの併記は許容されます(Wikipedia:信頼できる情報源)。片方の記述がもう一方に矛盾しているからと「編集者の判断により」一方を削除しないようご注意ください。結論を出すのは外部の信頼できる研究・検証機関の仕事であり、我々の仕事ではありません。--大和屋敷会話2012年11月9日 (金) 06:34 (UTC)

  • 逐一指摘するのはどうかと思うのでご自身でいちどしっかりお読みいただき検討して頂きたいのですが、Wikipedia:信頼できる情報源には【権威ある情報源の間での不一致は、それが信頼できる情報源に基づくかぎり許容されます。しかしその不一致については明白な形で記事中で示されるべきです。】とあります。不一致については明白な形で記事中で示すよう執筆してください。ここで言う明白というのはウィキペディア読者にとってと言うことだと考えます。たんに物理的に両論が脈絡なく引用されているだけですと本文が混乱しているだけになります。--大和屋敷会話2012年11月10日 (土) 23:17 (UTC)

合意内容について

表に貼付されていた合意内容をノートに移しました。--伏儀会話2014年1月20日 (月) 03:06 (UTC)

冒頭の文章の修正提案

冒頭の説明文

南京事件(なんきんじけん)は、日中戦争(支那事変)初期の1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際(南京攻略戦)、約6週間から2ヶ月にわたって中国軍の便衣兵、敗残兵、捕虜、一般市民などを殺したとされる事件。この事件については、事件の規模、存否を含めさまざまな論争が存在している(南京大虐殺論争)。南京大虐殺、南京大虐殺事件、南京虐殺事件、The rape of Nankingなど多様な呼称がある(後述)。

について、

  1. 「支那事変」は戦前の呼び方で現代では一般的ではない。また日中戦争の記事の中にそういう呼び方もしていた、という説明があるのでカッコ書き不要
  2. 「中華民国の首都南京市」とあるが、事件当時の南京は中華民国の首都ではなかった
  3. 「1937年(昭和12年)」12月に起きた
  4. 「約6週間から2ヶ月にわたって」は対応関係の不明確な範囲の限定になっている
  5. 捕虜などを殺した、ことにしか触れていないが、「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。」ことが「事件」に含まれる。引用は日中歴史共同研究報告書から。
  6. 「~とされる事件」は意味もなく曖昧な表現。
  7. 「この事件については、事件の規模、存否を含めさまざまな論争が存在している(南京大虐殺論争)。」としているが、「事件の存否」については論争になっていない。「事件の規模(犠牲者数)など(およびそれが誇大に表現されている場合があること)」が問題になっている。この点については、ノート:南京大虐殺論争#事件の存否については議論になっていませんよね?で議論しましたので、そちらを参照
  8. 「多様な呼称がある」の「多様な」という説明は、(どういう意図があるか不明確だが)主観的
  9. 「(後述)」とわざわざ書かなくても、詳しいことは後で述べることは自明

という問題があると思いますので、下記のとおり修正したいと思います。上記の各点および修正内容について、何かご意見ありましたらお願いします。特段ご意見なければ、2014年3月26日17:00をめどに記事を修正したいと思います。Aburakass会話2014年3月24日 (月) 14:43 (UTC)

南京事件(なんきんじけん)は、日中戦争初期の1937年(昭和12年)12月に、南京攻略戦により南京を占領した日本軍が、多数の捕虜、投降兵および住民を殺害し、また南京に駐留した日本軍の兵士が多数の住民を殺傷・強姦し、略奪・放火を行った事件。南京大虐殺、南京大虐殺事件、南京虐殺事件、The rape of Nankingなどの呼称がある。事件の規模(犠牲者数)など(およびそれが誇大に表現されている場合があること)に関して論争がある(南京大虐殺論争)。

ご参考までに、日中歴史共同研究の報告書の該当箇所につき下記に転載します。

中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では 20 万人以上(松井司令官に対する判決文では 10 万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では 30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では 20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている 24 。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している 25 。

日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、南京国際安全区委員会の日本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ 26 、さらに陸軍中央部にも伝えられていた。その結果、38 年 1 月 4 日には、閑院宮参謀総長名で、松井司令官宛に「軍紀・風紀ノ振作ニ関シテ切ニ要望ス」との異例の要望が発せられたのであった 27 。

--以上の署名のないコメントは、Aburakass会話投稿記録)さんが 2014年3月24日 (月) 14:43 (UTC) に投稿したものです(はぬまん会話)による付記)。

過去の議論に参加された方、とのことでしたので、コメント依頼から。
  1. 発生当時の呼称を併記しておくことはなんら問題ないことと思います。
  2. すいません不勉強にて知りません、判断不能です。
  3. 問題ないと思います。
  4. 何を元に期間が書かれているかは知りませんが、消してしまう理由にはならないと思います。
  5. そういったことの事実関係も論争になっている点だと思われ、本記事では避けるべきと思います。
  6. 同じく、論争があるためにこのような表現になっているものと考えられます。
  7. 参照しましたが合意が得られているようには見えませんでした。
  8. 表現の範疇であり問題とも問題なしとも思いません。
  9. 特に問題とも問題なしとも思いません。
最後に、異論がなかった場合の期間が短すぎます、最低一週間は待たねば合意とみなされません。--はぬまん会話2014年3月24日 (月) 16:26 (UTC)
  • 反対 Aburakass氏の主張には非論理的な点が多く、その一部は、はぬまん氏が指摘してくださっている通りです。しかし、その前に、Aburakass氏には、まず、Wikipediaのルールを熟読していただき、多くの方針無理解を解消していただかなくては申し訳ありませんが議論になりません。主張が非論理的である等の内容の議論をするのは、Aburakass氏がWikipediaの方針を熟読され理解された後の話になります。まずは、大和屋敷氏が案内してくださっている、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:信頼できる情報源を熟読してください。Wikipediaは、方針を理解しそれを守って編集を行う限りにおいては歓迎されますが、長期間にわたって方針無理解の強硬編集を続けられる場合は、ブロックの対象となる場合もありますのでご注意ください。--Husa会話2014年3月27日 (木) 04:13 (UTC)