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ノート:九州大学生体解剖事件

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「人肉試食事件」

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チェック  下記「火国男児」は利用者:How I Learned to Stop Worrying and Hate the Bomb会話 / 投稿記録 / 記録の多重アカウントとして無期限ブロックされました。--2024年5月15日 (水) 12:06 (UTC)[返信]


これはGHQ捜査官による全による全くのでっち上げ事件と言うことが現在判明しており、当時においても死刑求刑後11日目に被疑者全員がGHQによって無罪放免されています。--火国男児 2008年10月13日 (月) 07:17 (UTC)[返信]

出典をお願いします。johncapistrano 2008年10月13日 (月) 07:28 (UTC)[返信]

上坂冬子『生体解剖 九州大学医学部事件』(中公文庫)
第二部「食肉事件」第一章「しくまれた陥穽」第二章「一人の勇気」をご確認下さい。--火国男児 2008年10月13日 (月) 07:33 (UTC)[返信]

了解しましたが、もう少し生体解剖と人肉食の嫌疑と裁判経過を整理して記述して下さい。johncapistrano 2008年10月13日 (月) 08:13 (UTC)[返信]
私も同意見です。Kurz 2008年10月13日 (月) 08:50 (UTC)[返信]

記入者が意図してかは分かりませんが、生体解剖と人肉試食を混同して記入しているようです。笹川が調査官マクナイト、テイトに強制的に自白させられた供述書(これは裁判で却下されています)が引用されている点が不可解です。ここまでの資料を引用できるならば当然、試食事件はでっち上げと分かっておられて当然と思いますが。
ただjohncapistranoさんにお願いしたいのは削除やリバートは事実関係を確認してからにしてからにしていただきたいと思います。以後ご検討下さい。--火国男児 2008年10月13日 (月) 08:26 (UTC)[返信]

客観主義を装ってどうしても人肉試食事件が存在したとする印象操作を行いたい方がおられるようです。調査官の強制の元でなされた自白をここで記すのは何か意図があるとしか考えられません。横浜事件志布志事件の自白調書を引用して事件が冤罪でない可能性を匂わすのと同じでしょう。
ただ恐らく加筆しても削除を繰り返されるでしょう。記されている事件の当事者も多くが物故者で、故人を辱めるような記述は改めたいのですが、歴史修正主義的な議論に進んでしまうと思われます。ころあいを見て最小限の加筆にとどめ、暫くは静観します。johncapistrano 2008さん、Kurz さん、ご希望に添えないところをご理解下さい。--火国男児 2008年10月14日 (火) 12:38 (UTC)[返信]
厳然とした歴史的事実に対し「~であるとする説もある」、「誰々はその様に主張している」とする修辞を付記するのは否認主義者の常套句であると言うことです。例えば第二次世界大戦中ユダヤ人に対してホロコーストが行われたのは疑いもない事実です。これに対して「ホロコーストが行われたとする説がある」「誰々はホロコーストが行われたと主張している」とする言説を立ち上げた場合、それはホロコーストが存在したかどうかは定説が定まっていないということを言外に示していることに他なりません。これはホロコーストの被害者を侮辱していることと同じです。
本項においては「上坂冬子は、~と述べている」とう言辞[1]がまさにそれでしょう。すなわちGHQ側が偕行社の関係者が捕虜の肝臓を食したと言う建議を立ち上げ昭和23年8月16日に死刑の求刑したが、同27日の判決では全員無罪放免となったのは歴史的事実であり。これは上坂氏が新説を唱えたわけではありません。もしこの記述に対する反論が責任ある立場の人間から出されているならば、それを紹介して、これに対し「上坂は~と言う説を主張している」と記すことは認められて然りです。しかしながら、そうでないのに「~と述べている」と繋げることは、「昭和23年8月16日に死刑の求刑がなされ、27日に判決で全員無罪放免となった」と言う事実に対し証拠を出さずに部分否定することになります。これが私が申し上げた「否認主義」的態度と言うことです。--火国男児 2008年10月14日 (火) 15:02 (UTC)[返信]
IP:202.94.132.194会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんが2007年08月14日18:03:07に記入された[2]の部分にある「岸本達郎」なる人物は実際の裁判の被告人5人、証人4人中に確認できませんので、この部分は削除します。--火国男児 2008年10月14日 (火) 15:44 (UTC)[返信]

事件を否定した被告人がいたかどうか

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ノート:九州大学における火国男児さんの指摘によると事件そのものを否定した被告人は一人もいないということのようです。しかし、現在の文章には「ただし、のちに被告人の一部は自白の強要によって捏造された事件であると主張している。」という一文が盛り込まれています。もし、否定した人は一人もいないということであるならばこの文章は虚偽になりますので即時除去すべきです。あるいは別の事情があってこの一文が必要な記述ということであるならばもっと詳しく前後の事情もふまえて第三者にも判るようにその旨を本文で説明した方がよいと思います。皆様のご意見をお願い致します。--秋の虹 2008年10月21日 (火) 16:26 (UTC)[返信]

記事名について

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九州帝国大学から九州大学に改称される以前の1945年に起きた事件ですので、関連書籍が九州大学というタイトルで発行されているからといってそれにあわせることはなく、九州帝国大学生体解剖事件とすべきではないかと思いますがいかがでしょうか。--Tiyoringo 2008年10月21日 (火) 20:45 (UTC)[返信]

(反対寄りのコメント)関連書籍やテレビでの報道[3]が現在の記事名である以上は、やはりそれに合わせる方が自然ではないでしょうか?--Baldanders 2008年10月22日 (水) 10:03 (UTC)[返信]
(現時点では反対)正式名称という原則と照らして、第二次世界大戦後に問題となった事件であれば現状のままでよいと思います。しかし、何らかの公的文献(裁判記録など)で帝国大学となっているのであればそちらへの修正がよいと思います。そうした「帝国大学」という名称を使用した検証可能な公的書類が出てくるまで、現在の記事名は既に文献が提示されていることを重視して、現状維持で良いと考えます。--秋の虹 2008年10月22日 (水) 10:16 (UTC)[返信]

私も公的文書に「帝国大学」の記述が有る場合は改正をした方が良いと考えますが、特に改正の必要性がないのであれば現状維持で良いと考えます。--花鳥 2008年10月24日 (金) 10:04 (UTC)[返信]

(賛成)私もTiyoringo花鳥さんの意見に賛成します。
但し、フォン・バーゲン主任検事の最終論告で示されたようにこの事件は九州大学が組織として関わった形跡は全くなく、いわば九州大学を現場として起こった「一握りの個人のアイデアに基づく行動」[上坂1972:231]と言える性格のものです。もし組織的関与があったならば学部長、総長の責任が問われて然りですが、当時においても起訴もされていません。
この事件は正確に言えば「九州帝国大学の敷地内で起こった日本陸軍(西部軍)と九州帝國大學のごく一部の関係者が関与した戦争犯罪被疑者への臨床実験事件」と言った形容が最も適切であると考えますが、これでは冗長すぎるかもしれませんが。
もちろん改組された現在の九州大学は事件の後に成立した組織ですので、両者を峻別する意味で「帝国大学」の文字を入れることには異議はありません。--火国男児 2008年10月24日 (金) 13:45 (UTC)[返信]
事件が起きた当時は九州帝国大学であったが、九州大学生体解剖事件と呼ばれることもあることから、九大生体解剖事件への改名でもかまわないと思いますがいかがでしょうか。--Tiyoringo 2008年10月24日 (金) 14:19 (UTC)[返信]
(コメント)私といたしましては、わざわざ改名をするなら。「Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うこと」に準拠し当時の正式の大学名である帝国の文字を入れた方が良いと思います。--火国男児 2008年10月24日 (金) 14:23 (UTC)[返信]
この事件について慣例的に使われている名称があるなら、それを用いるのが望ましいかと考えます。Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことも参照)Kurz 2008年10月26日 (日) 03:57 (UTC)[返信]
関連書籍やテレビ報道で九州帝国大学ではなく九州大学とするのはより注目されることを狙っているように思います。大蔵省であった出来事をほぼ同じ組織だから財務省としてしまうように不正確ではないかと思います。--Tiyoringo 2008年10月26日 (日) 18:07 (UTC)[返信]
正確さと慣例のどちらを重んじるかとなると、難しいところですね。九州帝国大学~の呼称で記載されている資料はありますか?Kurz 2008年10月26日 (日) 23:00 (UTC)[返信]

Tiyoringoさん。そうですね。他に例えるならば、盧溝橋事件柳条湖事件陸上自衛隊の記事に記すようなものですね。やはり帝国の文字は入れた方が良いと思います。--火国男児 2008年10月27日 (月) 11:00 (UTC)[返信]

参考文献記載の上坂氏、東野氏の著書ではどういった名称で記載があるのでしょうか?題名だけ見た限りでは「九大生体解剖事件」「九州大学医学部事件」とあり、現在の項目名とは違うのですが。Kurz 2008年11月11日 (火) 07:34 (UTC)[返信]

報告 議論が停止して1カ月が経過したため、Wikipedia:ページの改名#告知の終了処理にしたがって、いったん提案・告知を中止します。--Kurz 2008年12月12日 (金) 12:39 (UTC)[返信]

曖昧さ回避について

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曖昧さ回避のためのページ九大事件を作成しました。改名がなされましたら修正よろしくお願いいたします。--Jazzy 2008年10月27日 (月) 12:55 (UTC)[返信]

「当時は撃墜されると搭乗員は捕虜と見られず、殺気だった住民にリンチされたり、銃殺されることが多かった。」の記述について

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一般に搭乗員は、捕虜と見なされ、軍法会議に掛けられていました。本件は所謂特異な事例でしょう。また一般住民が武装していることはなく、住民による銃殺が一般に行われたとは思えません。また搭乗員も武装しており一般人がそう簡単に手が出せるものではなかったはずです。ゆえにこの部分は削除します。--火国男児 2008年11月30日 (日) 14:05 (UTC)[返信]

私の中学生時代の恩師のひとり(故人)は戦時中確か旧制中学の学生だったのですが、この恩師の同級生が米軍戦闘機の機銃掃射でむごたらしい死に方をし、その報復として、撃墜された敵機の負傷した搭乗員と遭遇する機会があったときに、級友とともに竹槍でなぶり殺しにしてしまったことがあると、涙を流しながら語ってくれたことがありました。同様の事例がちゃんと文献化されているか知らないものですから記事の記述にはお役に立てませんが、「一般人がそう簡単に手が出せるものではなかった」とは必ずしも言えないと思います。現実には地域性や発見者の個人的な経験の相違によって、かなり多様だったのではないかと推察しております。少なくとも、かなりの事例を集めて分析した論文なり著作なりを手に入れてから、それに基づいて記述すべきではあるでしょう。--ウミユスリカ 2009年4月9日 (木) 00:06 (UTC)[返信]

戦時のことですから、その様な特異な事例が存在したことは否定しませんが、当時においても日本は法治国家でありその様な暴行が一般的であったとは考えられません。特に「銃殺」に関しては内地では民間人が個々に銃で武装していない以上(警察官でさえ当時はサーベルのみで拳銃を携帯していない)、一般人が行い得たとは思いませんがいかがでしょうか。現に当事件においては、捕虜の飛行士は、落下傘で着地後、住民から暴力を受けることなく憲兵隊に引き渡されています。これは裁判において熊本県阿蘇郡小国警察署長・山下金作氏や、熊本憲兵隊憲兵准尉・岩田要氏らの証言で明らかになっております。火国男児 2009年4月9日 (木) 22:55 (UTC)[返信]

そうなんですよね。戦争中という特殊な状況で超法規的な逸脱が黙認されてしまったようなケースと、理性的に法治国家としての原則に踏みとどまったケースが両方あって、双方の比率がどれぐらいであったのか、今ひとつはっきりしません。上記の私が当事者から直接聞かされたケースでは「竹槍」だったので、逸脱的なことが起こっても、こういう事例が多かったのではないかとは思うのですが、当時の農村には戦国時代以来蓄積されてきた刀や槍が「寺社への奉納」という形でまだかなり残っていた(金属供出で減ってはいたでしょうが、戦後のGHQによる没収で莫大な数が出てきたという実例があります)わけですし、銃器にしても戦後のように狩猟用所持が限定されていなかった。また農村部での狩猟活動も現代より盛んでしたので、許可・登録制下とはいえ、現在よりは市中・農村の銃器の数は多かったのではないかと思います。もちろん現在のように警察官が拳銃武装をしていない時代であったというのもまた事実ではあります。とにかく、現代日本と戦前の民間武器の状況とその使用実態、さらには警察武装の差というのが、かなりギャップが大きくていまひとつしっくり理解できない。戦前の民間武器の状況と、撃墜米軍機搭乗員の扱いに関する実証的な調査研究の実例を手に入れてみないと何とも言えないというのが実際のところです。こうした文献を提示して投稿してくださる方が出るのを切に希望いたします。--ウミユスリカ 2009年4月10日 (金) 06:27 (UTC)[返信]
一般論としてどうだったかは検証は困難でしょうが、研究者がどう述べているのかを記すことはできますよ。ただ、おそらく論争的なテーマだと思いますし、多少この項目の本筋からははずれますので、書かないというのもひとつの手かもしれませんが。--Kurz 2009年4月10日 (金) 15:05 (UTC)[返信]

「九州大学の組織的関与について」のコメントアウト差し戻しについて

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2009年4月8日 (水) 20:33のSpeefeさんにより、当節が「主観的過ぎるので」との理由によりコメントアウトされましたが、当節はおおよそ事実の適示であるように見受けられ(特に後段)、主観的との理由によりすべてをコメントアウトする必要は薄いように思いますので、コメントアウトを差し戻しました。--Kurz 2009年4月8日 (水) 12:40 (UTC)[返信]

Kurzさんの処置に賛成いたします。火国男児 2009年4月8日 (水) 13:43 (UTC)[返信]

記事の出典をただちに示してください。九州大学側を擁護するどっかの誰かの主観的な作文の様にしか見えません。--Speefe 2009年4月8日 (水) 13:51 (UTC)[返信]
当該の個々の記述には出典が示してあります。ご確認下さい。保護依頼を出させていただきましたのでリバートはお控え下さい。火国男児 2009年4月8日 (水) 14:08 (UTC)[返信]
出典がどこにあると?上坂1982:231という謎の記号しか書いていないのですが、ちゃんとお読みになっておられるのでしょうか?--Speefe 2009年4月8日 (水) 14:17 (UTC)[返信]

上坂冬子1982『生体解剖---九州大学医学部事件』(中央公論社)を全部きちんとお読み下さい。裁判の記録に関しては、同書は「相原他29名の件公判記録全資料、同件全被告宣誓供述書」(米国立公文書所蔵)を元に構成されています。また日本生命倫理学会については実際に参加して、東野先生の講演をお聞きになられた上で書かれたのですか?
どうかKurzさんがあなたに何をご注意されたいのかについても思いを馳せて下さい。火国男児 2009年4月8日 (水) 14:57 (UTC)[返信]

保護依頼中ですので差し戻しはお控え下さい[4]火国男児 2009年4月8日 (水) 15:07 (UTC)[返信]

コメント(念のため追記)確かに当節に意見や主張に類する内容が含まれているようには感じます(原典に当たっていないので断言はできません)。そして、Wikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くなからして、そのような内容については修正が必要かもしれないとは思います。ただ、当節には事実に類する部分も含まれていて、意見の提示の仕方も著しく不公正だとまでは言えないでしょう。したがいまして、全体をコメントアウトするのではなく、そういった部分のみを修正する(または修正を求める)のが妥当かと考えます。--Kurz 2009年4月9日 (木) 13:46 (UTC)[返信]
私も念のために一言。もしかすると「上坂1982:231という謎の記号しか書いていないのですが」というご意見が出るということは、ほかにも多くの方が意味を捉えられていない可能性もありそうですね。これは「脚注の部分に挙げた上坂冬子の1982年の著作の231ページに参照した記述がある」という意味です。--ウミユスリカ 2009年4月20日 (月) 04:02 (UTC)[返信]
コメントこの脚注部分について分かりにくいので、以前<ref>上坂冬子『生体解剖 九州大学医学部事件』(1982)147頁。</ref>などと、私が全て修正しておきましたがいつのまにか謎の記号?に戻されていたようです。--Qoop 2009年4月20日 (月) 13:20 (UTC)[返信]
それは出典の略記法です。詳しくはWikipedia:出典を明記する#出典の示し方を参照してください。--Kurz 2009年4月20日 (月) 13:52 (UTC)[返信]
Speefeさんが謎の記号しか書いていないと仰っているので、ご理解いただけるようにあえて書かせていただいた次第でした。判断はお任せします。--Qoop 2009年4月20日 (月) 18:10 (UTC)[返信]

「事件は当事者達が勝手に大学の設備を用いてやったことであって我々はまったくあずかり知らない」と見解について

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利用者:花鳥九州大学は戦後、事件が発覚した直後に「事件は当事者達が勝手に大学の設備を用いてやったことであって我々はまったくあずかり知らない」と見解を示し[5]
については大学がどのように公式会見を開いたり、どのような声明を出したか(何時、何処で、誰がどのように行った会見、もしくは声明か)出典を示していただけないでしょうか。『九州大学医学部百年史』でも確認できませんが。
「保護依頼中」ですので、本ノートへお願いいたします。火国男児 2009年4月11日 (土) 09:50 (UTC)[返信]

保護しました

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1か月の全保護としました。今後は、

といった文書に目を通していただき、争点となっている節の扱いについて話し合いをしてください。なお、その際には言葉遣いなどに十分配慮され、冷静にお願い致します。--Baldanders 2009年4月19日 (日) 13:55 (UTC)[返信]

主観的な記述を載せようとする輩が、出典タグと要出典タグの除去を強行したがために保護になったわけですが。--Speefe 2009年4月19日 (日) 14:02 (UTC)[返信]

保護依頼が出されており、加筆を控えるようにとの再三の警告にもかかわらずリバートを繰り返されたということを思い出してください。火国男児 2009年4月21日 (火) 14:39 (UTC)[返信]

いずれにしても、編集前に双方で話し合いをするのが無難でしょうね。--Kurz 2009年4月20日 (月) 03:50 (UTC)[返信]

以下、争点について書いておきます。

  1. 九州大学は戦後、事件が発覚した直後に「事件は当事者達が勝手に大学の設備を用いてやったことであって我々はまったくあずかり知らない」と見解を示し大学としての組織関与を否定した。
  2. 軍事法廷でのフォン・バーゲン主任検事による最終論告で示されるように、この事件は九州帝国大学が組織として関わった形跡は存在しない。
  3. もし組織的関与があったならば当時においても学部長・総長の責任が問われるはずであるが、GHQ側から嫌疑はかけられおらず起訴もなされていない。

1.3.については出典があればよいかと思います。2.については前段によって後段を断定できるとは限りませんので、その辺りの出典が必要か、または「最終論告によれば~とされる」といったように修正すればよいかと思います。--Kurz

「九州大学の組織的関与について」の項については私も記述に関わりました。問題を整理していただいたようですので個々にお答えいたします。
  • (1)については、上記いたしました『九州大学医学部百年史』の他、九州大学医学部[編]『七十五年史』(1979)、九大医学部三一会編『五十年史』(1983)においても、これに相当する記述は確認出来ません。すなわち、「事件は当事者達が勝手に大学の設備を用いてやったことであって我々はまったくあずかり知らない」とする声明を大学が行ったということは確認できない事実で、これは削除可能と思います。元々無関係な当局がこのような声明を出すこと自体不自然であり、かつ出す必要もないでしょう。この部分は利用者:花鳥さんによる記述であり、現在ノートにおいて問い合わせ中です。もし明確なお答えが頂けないようでしたならば削除可能かと思います。
  • (2)については、公判記録は米国の国立公文書館に所蔵されており、2,192ページに及ぶ膨大な資料で、原書での照合は難しいのですが、フォン・バーゲン主任検事による最終論告の部分については上坂冬子『生体解剖 九州大学医学部事件』の第二章「最終弁論と論告」に詳細に記述がなされておりますのでご確認ください。
  • (3)については「存在しないものを証明せよ」との悪魔の証明に相当する事項だと思います。これは「~は存在しない」という事実記載であり、これに対する反証を求めることはあまり意味がないと考えます。ただし学部長・総長の責任に関しても同書第二章「最終弁論と論告」に記載がありますのでご確認ください。:
    このほか仙波嘉清『生体解剖事件』(金剛出版)も紹介しておきます。火国男児 2009年4月21日 (火) 14:34 (UTC)[返信]
(1)については、ある資料に記載がないからといって発言が存在しないとはいえない以上、断言はできません。この部分はそれなりに詳細に書かれていておそらくどこかに出典があるのでしょうから、要出典タグをつけて注意を促すのが妥当かと思うのですが、争点であるのでしたら執筆者から返答がない時点で削除するのもやむをえないでしょう。 (2)については一次資料が膨大ということですので、我々が調査するようなことではないでしょう。Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:信頼できる情報源などからして、もし研究者(たとえば上坂氏)の著書で(2)のような主張がなされているのであればそれを出典(二次資料)とするか、または上にも挙げたように「~とされる」と記載するところでしょうか。 (3)については、単に一次ないし二次の資料で起訴がされていない旨の出典があればよいかと思います。なお私としましては、起訴の有無は裁判資料を調べれば誰しもすぐに判定できることですので、出典がなくとも特に問題はないとは思います(もちろんあるに越したことはありません)。ただ前段部分は不起訴の理由が現状では資料が示されず不明確で多少独自研究っぽいように感じます。もし上坂氏の著書に記載があるのでしたらそれを出典としても構いませんが、単に事実をもって記せば足るところなので、前段部分は記載しないほうが無難かもしれません。--Kurz 2009年4月22日 (水) 03:42 (UTC)[返信]

(1)については上記のように記しましたが、再考いたしましたところ以下の意見とさせていただきます。この記述は、恐らく昭和21年7月16日に召集された「基礎臨床委員会(KRI)」での会合での発言だと察しますが、上坂の前掲書にはこれに対する記述がありますが、上坂はその出典を資料的に示してはいません。従いまして事情に詳しいと思われる花鳥さんが具体的に出典を提示していただけるならば掲載は可としたいと思います。 (2)については上記で再三言及しましたように、上坂冬子『生体解剖---九州大学医学部事件』(中公文書)の230-1頁をご確認ください。上坂が大学の組織的関与がないと判断した理由は

  1. 生体解剖が組織的に行われたものであるならば、軍(日本陸軍西部軍)が総長を通して命令を出ささせたはずであるが、これに関する資料が存在しない。
  2. 万が一、総長を飛ばして命令が伝達されたとしても、組織上総長に上申して大学としての判断が下されているはずであるが、その証拠が存在しない。
  3. 死体解剖の許可を下す責任者は大野医学部長であるが、生体解剖の関係者がこの許可を申請した証拠が存在しない。

という、三つの理由を挙げております。
また「~とされる」との記載に方法については、反対します。その理由は上記に記しました歴史修正主義否認主義批判の主張の願意をお汲み取りください。「出典(二次資料)」と断り書きすることには特に異論はありませんが、ただwikiは学術論文ではなく、他の項目においてもこのような厳密な資料の提示はなされていませんし、また求められていないように思います。
いわゆる「九州大学生体解剖事件」に関する研究所としては上坂の研究が最も信頼のおけるものとして数十年にわたり評価され続け、様々な資料で引用され、かつ決定的な誤を指摘されていない以上、同書を信頼のおける引用元の資料として問題はないと考えます。「不起訴の理由」については紙幅の制限により割愛しましたが追々加筆していきたいと考えております。火国男児 2009年4月22日 (水) 10:17 (UTC)[返信]

なるほど、おおよそ了解しました。該当の記述が上坂氏の書に基づくものであって、(Wikipediaで言うところの)「独自研究」でないのであれば(cf.独自研究は載せない)、私としては特に疑問点はありません。なお念のため申し上げますが、私が気になるのは単に「独自研究」であるかどうかだけで、否認主義や歴史修正主義とは関係がありません。その点ご承知おきいただければと思います。--Kurz 2009年4月22日 (水) 11:22 (UTC)[返信]

最初この記事を見て内容のいい加減さに驚きました。 「人肉試食事件」に関して、あまりに事実誤認に訂正を試みましたところ、早速削除を受けました。恐らく訂正者は悪意があってのことではなく歴史的事実を知らず思い込みで行動したのだと思います。 その理由として遠藤周作氏の『海と毒薬』の影響が大きすぎるのだと思います。著名な作家のフィクションの作品が、一人歩きして、あたかもノンフィクションであるかのごとく世間に受け入れられる過程は恐ろしいものを感じます。 否認主義や歴史修正主義に関してはKurzさんは私の願意をご理解はいただけなかったようですが、まあこれは本題から外れますのでこれ以上言及は致しません。記述に関しては一応合意が成立ということで確認させていただきます。ありがとうございました。火国男児 2009年4月22日 (水) 13:30 (UTC)[返信]


それで、(1)の出典はどこにあるんですか?なぜ「この事件は大学組織とは無関係な出来事であった」と結論づけることができる?根拠のない記述を強行する姿勢は、単なる九州大学寄りの主張にしか見えません。--Speefe 2009年6月10日 (水) 12:56 (UTC)[返信]

出典は上記に示してあります。度重なる混乱を引き起こす行動は「荒らし」と判断せざるを得ません。あなたのノート管理者:Los688さんが記されたご注意をもう一度読み直してみてください。--火国男児 2009年6月10日 (水) 14:52 (UTC)[返信]

上で議論されているように妥当な内容かと思います。疑いがあるのであれば要出典を貼るのではなく、対抗する資料を持って行うのが望ましいかと思います。--Kurz 2009年6月13日 (土) 05:22 (UTC)[返信]

判決一覧

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被疑者名 身分 所属 公訴名 判決 再審 本籍地
横山勇 陸軍中将 第16方面軍司令官兼西部軍管区司令官 生体解剖事件 絞首 病死 福岡県
稲田正純 陸軍中将 参謀長 生体解剖事件 7年 5年 鳥取県
福島久作 陸軍少将 参謀副長 生体解剖事件 15年 13年 埼玉県
伊藤章信 陸軍法少将 法務部長 生体解剖事件 10年 9年 愛知県
堀内清真 陸軍医少将 軍医部長 生体解剖事件 無罪 -
穐田弘志 陸軍大佐 参謀 生体解剖事件 終身 病死 東京府
佐藤吉直 陸軍大佐 参謀 生体解剖事件 絞首 終身 山形県
神猪一郎 陸軍中佐 参謀 生体解剖事件 無罪 病死 青森県
薬丸勝哉 陸軍中佐 西部軍附 生体解剖事件 終身 - 鹿児島県
五位山真治 陸軍大尉 西部軍附 生体解剖事件 10年 - 大分県
相原嘉十郎 陸軍大尉 西部軍附 生体解剖事件 20年 19年 愛媛県
平光吾一 教授 九大医学部解剖学科長 生体解剖事件 25年 23年 岐阜県
鳥巣太郎 教授 九大医学部第一外科 生体解剖事件 絞首 10年 佐賀県
平尾健一 助教授 九大医学部第一外科 生体解剖事件 絞首 45年 長崎県
森良雄 講師 九大医学部第一外科 生体解剖事件 絞首 25年 福岡県
森本憲治 医員 九大医学部第一外科 生体解剖事件 終身 - 福岡県
野川延吉 医員 九大医学部第一外科 生体解剖事件 25年 - 岐阜県
仙波嘉孝 医員 九大医学部第一外科 生体解剖事件 終身 - 愛媛県
田代友禧 医員 九大医学部第一外科 生体解剖事件 15年 - 福岡県
五島四郎 医員 九大医学部第一外科 生体解剖事件 6年 5年 岐阜県
牧野栄一郎 医員 九大医学部第一外科 生体解剖事件 9年 8年 岡山県
笠幹 医員 九大医学部第一外科 生体解剖事件 3年 - 福岡県
田代次郎 研究生 九大医学部第一外科 生体解剖事件 15年 - 福岡県
久保敏行 研究生 九大医学部第一外科 生体解剖事件 終身 - 福岡県
筒井静子 看護婦長 九大医学部第一外科 生体解剖事件 5年 3年 福岡県
鴉丸廣長 陸軍医大尉 西部軍軍医部 人肉嗜食事件 無罪 -
真武真地郎 陸軍医大尉 偕行社病院 人肉嗜食事件 無罪 -
岸達郎 陸軍医大尉 偕行社病院 人肉嗜食事件 無罪 -
伊東明 軍属 偕行社病院 人肉嗜食事件 無罪 -
小田耐 民間人 偕行社病院 人肉嗜食事件 無罪 -

>なんで消されたのですか(出典

Wikipedia:保護依頼にも記しましたが、 新規アカウント貴兄が登場し、加筆をされました。始めは内容的に穏当のものでした。しかしながらその後、 存在しないはずの人肉食事件[6]の記述や無関係のな悪ふざけとも取れるリンクの設定[7]を始められたことにより、貴兄に対する判断を変えざるを得ませんでした。ゆえに貴兄が記した他の内容の信憑性そのものにも疑問を提示せざるを得ませんことをご理解ください。
本記事の内容は、第2次大戦中の米軍の無差別爆撃に対する日本側の報復事件であり、裁判では戦時国際法に反する無差別爆撃の方は不問に付されています。もし戦勝国が入れ替われば無差別爆撃のみ裁かれたであろう事件でしょう。
これに対し731部隊南京虐殺は全く性質の異なる真摯に向き合うべき問題であり、ことさら「日本人の」というような語をつけたりしてこの場で面白半分に扱う問題ではないでしょう。そのような問題の扱い方は犠牲者に対する冒涜にもつながるのでおやめください。もしこの問題について主張があるならば731部隊南京虐殺の記事のノートで正々堂々とおやりください。
また表はフォーマットからしてリンク先の情報の丸写しでこの様式では著作権情の問題も考えられます。リンクの設定だけでも十分でしょう。 保護依頼に出してありますので、結論が出るまで静観をお願いします。その後コミュニティの合意を以て対処しましょう。 --火国男児 2009年5月26日 (火) 12:32 (UTC)[返信]

>私は(出典)を参考に、ただ横浜BC級戦犯者裁判の判決結果を書いただけです。戦勝国関係ありません。何も悪いことしてない。文書の出典をかけば良いのですか?

>悪ふざけではありません.裁判で人肉食事件も取り上げられます. 間違ったならごめんなさい.[8] >この事件周りあまり知られてません、だから私書きました。調べる人に便利だと思ったからです.[9] --红宝 2009年5月26日 (火) 12:58 (UTC)[返信]

コメント 判決一覧については事実をそのまま記載しているだけでしょうから、そこまで厳密に出典を求めることもないでしょう(もちろんあるに越したことはありません)。削除までは行きすぎで、せいぜい要出典扱いでしょうね。--Kurz 2009年5月30日 (土) 23:27 (UTC)[返信]

了解いたしました。上記のように記入者に対する判断で斯様な対応をいたしました。ただ「人肉嗜食事件」については、小笠原事件と異なり、事件そのものが存在しないGHQによる捏造ですので(すなわち無罪の意味が小笠原事件とは全く意味が違う)この部分は削除が適当かと思います。ただし保護依頼に出してありますのでその結果を待ってからが適切かと思います。今後红宝氏がどのような態度に出るか少し見守る必要があると思います。また「本籍地」は個人情報の観点から必要ないと考えます。--火国男児 2009年5月31日 (日) 00:11 (UTC)[返信]

コメント 人肉嗜食事件については、もし実際に公訴されて無罪判決が下っているという事実があるのであれば、(たとえ捏造だとしても)記載してよいでしょう。気になるのであれば脚注等などでその旨指摘すればよいかと思います。本籍地については賛成です。あと、基本的には利用者の行為はWikipedia:善意にとるようお願いします。--Kurz 2009年5月31日 (日) 01:32 (UTC)[返信]

了解です。ただし名称については「人肉嗜食事件」は変えるべきと思います。
東野利夫博士については文面では「雑用係」=「雑役夫」といった誤解が読み取れるのを防ぐために「注」を入れておきました。東野先生は九大医学部のOBで、医師で博士号も取得されている方です。--火国男児 2009年5月31日 (日) 07:48 (UTC)[返信]

「人肉嗜食事件」という公訴名については、この名称が事実として公訴名であるのなら変えられないでしょう。ただ本項目の記述では「嗜食」ではなく「試食」となっていて、両者の意味合いは多少違いますので(前者だとかなりグロテスクな意味合いになってしまう)、本当にこのような公訴名だったかどうか確認したいところです。--Kurz 2009年6月1日 (月) 10:50 (UTC)[返信]