トレンティーノ (マチェラータ県)

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トレンティーノ
Tolentino
トレンティーノの風景
トレンティーノの紋章
紋章
行政
イタリアの旗 イタリア
マルケ州の旗 マルケ
県/大都市 マチェラータ
CAP(郵便番号) 62029
市外局番 0733
ISTATコード 043053
識別コード L191
分離集落 #分離集落参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 17933 人 (2023-01-01 [1])
人口密度 189 人/km2
文化
住民の呼称 tolentinati
守護聖人 聖カテルヴォ
(san Catervo)
祝祭日 10月17日
地理
座標 北緯43度12分31秒 東経13度17分02.76秒 / 北緯43.20861度 東経13.2841000度 / 43.20861; 13.2841000座標: 北緯43度12分31秒 東経13度17分02.76秒 / 北緯43.20861度 東経13.2841000度 / 43.20861; 13.2841000
標高 228 (132 - 523)[2] m
面積 94.86 [3] km2
トレンティーノ (マチェラータ県)の位置(イタリア内)
トレンティーノ (マチェラータ県)
トレンティーノの位置
マチェラータ県におけるコムーネの領域
マチェラータ県におけるコムーネの領域 地図
イタリアの旗 ポータル イタリア
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トレンティーノ: Tolentino)は、イタリア共和国マルケ州マチェラータ県にある、人口約18,000人の基礎自治体コムーネ)。

地理[編集]

マチェラータ県概略図

位置・広がり[編集]

マチェラータ県中部の町で、県都マチェラータの南西17km、州都アンコーナの南南西49km、ペルージャの東73kmに位置する[4]。キエンティ川 (Chienti中流のヴァッレ・デル・キエンティ (it:Valle del Chientiにあり、古来よりアドリア海沿岸部と内陸山岳部を結ぶ重要な役割を担っていた。現代も内陸と海岸を結ぶ主要道路である国道77号線が市内を通るほか道路網が整備されており、シビッリーニ山地のスキーリゾートや、アドリア海の沿岸リゾート地へのアクセスが容易である。

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネは以下の通り。

気候分類・地震分類[編集]

トレンティーノにおけるイタリアの気候分類 (itおよび度日は、zona D, 1906 GGである[5]。 また、イタリアの地震リスク階級 (itでは、zona 2 (sismicità media) に分類される[6]

歴史[編集]

先史・古代[編集]

アドリア海アペニン山脈にはさまれたこの肥沃な地域における最初の居住の痕跡は、新石器時代までさかのぼる。紀元前8世紀から紀元前4世紀にかけて築かれた多数の墳墓遺跡は、1884年に発見された。この遺跡は、ピチェンティ人 (Picentesの文化の証となっている。

ローマ人はこの地にトレンティヌム(Tolentinum)の都市を建設したが、この時代の都市について特に詳しく述べられた史書は遺されていない。考古学的な成果と大プリニウス博物誌』の叙述によれば、トレンティヌムはイタリア本土第5行政区「ピセヌム」 (Picenumに属し、ローマとアドリア海沿岸を結ぶフラミニア街道の枝道がこの都市を通過していた。ローマ時代の遺構は後世の都市建設によって失われており、ただ浴場の遺跡が残されている。

Catervusの石棺

伝説によれば4世紀の終わり、プラエフェクトゥス・プラエトリオ(近衛隊長官)であったカテルウス(Catervus、あるいはフラウィウス・ユリウス・カテルウィオ(Flavius Julius Catervio)。イタリア語ではカテルヴォ(Catervo)あるいはカテルヴィオ(Catervio))がこの地に退隠し、キリスト教を伝道したとされる。カテルウスはのちに列聖されてこの町の守護聖人とされ、その墓所を中心に教会が建設されたと伝えられる。

487年から502年にかけてローマで行われた公会議には、トレンティヌム司教が参加しており、教区 (Diocese of Tolentinoが置かれていたことがわかる。現在も聖堂(カテドラル)にはカテルウス(聖カテルヴォ)の荘厳な石棺が残されている。

中世[編集]

ローマ帝国の崩壊後、トレンティヌムを含むマルケ一帯は蛮族の侵攻によってその支配下に入り、トレンティヌムの住民の多くは郊外の丘陵地帯に逃亡した。キエンティ川流域の他の都市はこの時期に放棄・破壊されて消滅したが、トレンティヌムにはわずかに住民が残り、都市として生き残った。住民はカテルウスの聖域を守り、蛮族の寄進も受けて修道院の基礎を築いた。

1099年、トレンティーノはリエーティのサンサルバトーレ修道院の支配下に置かれたが、1166年にはアンコーナの侯爵によってトレンティーノの自治権が認められ、自治都市(コムーネ) (it:Comune medievaleとなった。コムーネは商業的に成長し、ベルフォルテウルビザーリアといった近隣の村を編入した。12世紀から14世紀にかけて、近隣のサン・セヴェリーノカメリーノといったコムーネとの摩擦を経て、境界を定めていった。14世紀末以降、この都市の支配はダ・ヴァラーノ家 (Da Varano、次いでスフォルツァ家の手にわたり、のちに教皇領の一部とされた。

ナポレオン戦争[編集]

トレンティーノの戦い

フランス革命戦争中、教皇領にはフランス軍が侵攻した。1797年2月19日、この都市においてナポレオン・ボナパルトと教皇ピウス6世との間のトレンティーノ条約 (Treaty of Tolentino条約が結ばれ、教皇国家は領土の割譲と賠償金の支払いを呑むこととなった。

1815年5月、トレンティーノの戦いにおいてナポリ王ジョアシャン・ミュラは、フレデリック・ビアンキ (Frederick Bianchi, Duke of Casalanza率いるオーストリア軍に大敗を喫した。この大敗は、ミュラの没落につながることになる。トレンティーノは教皇領に復帰した。

イタリア統一以後[編集]

イタリア統一により、1861年にイタリア王国に編入された。19世紀後半には、イタリアの他の地域同様、トレンティーノでも産業の発展がみられた。

人口[編集]

人口推移[編集]

人口推移
人口±%
186110,982—    
187111,422+4.0%
188111,057−3.2%
190113,197+19.4%
191113,166−0.2%
192113,500+2.5%
193114,211+5.3%
193614,356+1.0%
195115,300+6.6%
196115,488+1.2%
197116,771+8.3%
198118,053+7.6%
199118,346+1.6%
200118,649+1.7%
201120,336+9.0%

居住地区別人口[編集]

国立統計研究所(ISTAT)によれば、2001年時点での居住地区(Località abitata)別の人口は以下の通り[2]

地区名 標高 人口 備考
TOLENTINO 132/523 18.649
ABBADIA DI FIASTRA 182 14 ウルビザーリアUrbisaglia 地区に連続
LE GRAZIE 225 216
PATERNO 408 25
TOLENTINO * 228 15.376
Case San Martino 212 33
Contrada Pianibianchi 217 26
Contrada Ributino 196 23
Parrocchia San Giuseppe 399 37
Piane della Rancia 171 58 ポッレンツァPollenza Scalo 地区に連続
Case Sparse - 2.841
Lago delle Grazie 212 - 人造湖
  • ISTATは人口統計上、家屋密度の高い centro abitato (居住の中心地区)、密度の低い nucleo abitato (居住の核となる地区)、まとまった居住地区を形成していない case sparse (散在家屋)の区分を用いている。上の表で地名がすべて大文字で示されているものが centro abitato である。「*」印が付されているのは、コムーネの役場・役所 la casa comunale の置かれている地区である。

行政[編集]

山岳自治体[編集]

自治体連合である山岳自治体イタリア語版「モンティ・アズーリ山岳自治体 (it:Comunità montana dei Monti Azzurri」(事務所所在地: サン・ジネージオ)を構成するコムーネの一つである。

分離集落[編集]

市役所

トレンティーノは以下の分離集落(フラツィオーネ)から構成される。

  • Abbadia di Fiastra
  • Acquasalata
  • Ancaiano
  • Asinina
  • Bura
  • Calcavenaccio
  • Casa di Cristo
  • Casone
  • Cisterna
  • Collina
  • Colmaggiore
  • Divina Pastora
  • Fontajello
  • Fontebigoncio
  • Le Grazie
  • Maestà
  • Massaccio
  • Pace
  • Parruccia
  • Paterno
  • Pianarucci
  • Pianciano
  • Pianibianchi
  • Portanova
  • Rambona
  • Rancia
  • Regnano
  • Ributino
  • Riolante
  • Rofanello
  • Rosciano
  • Rotondo
  • Salcito
  • San Bartolomeo
  • San Diego
  • San Giovanni
  • San Giuseppe
  • San Martino
  • San Rocco
  • Santa Croce
  • Santa Lucia
  • Sant'Andrea
  • Sant'Angelo
  • Santissimo Redentore
  • Troiano
  • Vaglie
  • Vicigliano

文化・観光[編集]

聖ニコラ聖堂
聖ニコラ聖堂
聖ニコラ聖堂 (Basilica di San Nicola a Tolentinoは、当地にゆかりのあるトレンティーノの聖ニコラウスを記念する教会堂(バシリカ)である。13世紀から14世紀にかけて建立された。いくつかの礼拝堂(カペッレ)がある。聖ニコラ礼拝堂(Cappellone di san Nicola)のフレスコ画は、ジョット派の画家 (it:Maestro di Tolentinoやピエトロ・ダ・リミニ (it:Pietro da Riminiによって14世紀に描かれたものである。
聖カテルヴォ聖堂
聖カテルヴォ聖堂
聖カテルヴォ聖堂 (it:Concattedrale di San Catervoは、守護聖人聖カテルヴォを記念する大聖堂(カテドラル)で、聖カテルヴォの石棺がある。教会の創建は8世紀であるが、現在の建築は1830年にフィリッポ・スパーダの設計によって建設されたものである。この大聖堂は、ローマカトリックのマチェラータ=トレンティーノ=レカナーティ=チニョーリ=トレイア司教管区 (Roman Catholic Diocese of Macerata-Tolentino-Recanati-Cingoli-Treiaの司教座聖堂である。
ランチャ城
ランチャ城 (it:Castello della Ranciaは、14世紀にカメリーノの貴族ダ・ヴァラーノ家によって建設された城砦。

交通[編集]

道路[編集]

国道

アヴェッリーノ県のフォリーノと、アドリア海沿岸のチヴィタノーヴァ・マルケを結ぶSS77がコムーネを東西に貫く。カメリーノ - チヴィタノーヴァ・マルケ間は高規格道路(Superstrada)となっており、チヴィタノーヴァ・マルケでアウトストラーダ A14と接続する。

鉄道[編集]

人物[編集]

著名な出身者[編集]

ゆかりの人物[編集]

トレンティーノの聖ニコラウスは、南東へ約16km離れたサンタンジェロ・イン・ポンターノ出身で、トレンティーノで暮らしてこの地で没した。多くの奇跡を起こしたとされ、1446年に列聖されている。

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Popolazione residente per sesso, età e stato civile al 1° gennaio 2023” (イタリア語). 国立統計研究所(ISTAT). 2024年3月24日閲覧。メニューでVista per singola areaを選択。Anno:2023, Ripartizione:Centro, Regione:Marche, Provincia:Macerata, Comune:Tolentino を選択
  2. ^ a b 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Macerata (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年2月20日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Macerata (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年2月20日閲覧。
  4. ^ 地図上で2地点の方角・方位、距離を調べる”. 2016年5月5日閲覧。
  5. ^ Tabella dei gradi/giorno dei Comuni italiani raggruppati per Regione e Provincia”. 新技術エネルギー環境局(ENEA) (2011年3月1日). 2017年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月20日閲覧。
  6. ^ classificazione sismica aggiornata al aprile 2023” (xls). https://rischi.protezionecivile.gov.it/it/sismico/attivita/classificazione-sismica/. イタリア市民保護局. 2023年12月16日閲覧。

外部リンク[編集]