デイヴィッド・ギャレット

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デイヴィッド・ギャレット。地毛は黒髪だが学生時代からブロンドに染めている[1]

デヴィッド・ギャレットまたはデイヴィッド・ギャレットDavid Garrett, 1981年9月4日 アーヘン[2] - )はドイツ出身のアメリカ合衆国ヴァイオリニストモデル。本名はダーフィト・ボンガルツ(David Bongartz)といい、父親はドイツ人、母親はアメリカ人である[3]。ギャレットは母親の旧姓。10代でデビューする際、母親がかなり知名度があったバレリーナだったため、ギャレット姓で活動する事になった[要出典]。本人自身は、発音しやすい英語名使用を両親が決めたと述べている[4]

生い立ち[編集]

ドイツのアーヘンで生まれる[5]。父親は法律家兼弦楽器専門の骨董商兼バイオリン教師、母親はアメリカワシントンD.C.出身の元バレリーナ(のちに両親は離婚)[5][6][7][1]。兄と妹がいる(妹のエレーナも音楽家)[1]。先にバイオリンを習っていた兄のために父親が買ってきたヴァイオリンに興味を覚え、4歳の時にヴァイオリンを習い始めた。父親が熱心で厳しく、毎週末オランダへレッスンに通わされた[1]。翌年にコンクールに出場して優勝している。7歳になるまでに毎週1度、公開で演奏するようになった。7歳でリューベックの別の教師の元に毎週通ってヴァイオリンを学び、学業は自宅で家庭教師から受けた[1]。12歳になると、ポーランド出身の大ヴァイオリニスト、イダ・ヘンデルに師事するようになり、しばしばロンドンやその他のヨーロッパの都市に出かけてヘンデルの下に通った。13歳でドイツ・グラモフォンと契約し、2枚のCDを録音し、ドイツオランダテレビに出演した。また、ヴァイツゼッカー博士の招待により、ドイツ大統領官邸「ハンマーシュミット荘(Villa Hammerschmidt)」で演奏会を開いた。黄金時代の名器の一つに数えられる「ストラディヴァリウス・サン・ロレンツォ」を提供されて使うようになる。14歳の時にドイツ・グラモフォン社と専属契約を結んだ[注釈 1]。17歳の時に、インド独立50周年を記念する演奏会に出演し、デリームンバイズービン・メータの指揮するミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団と共演している。

1日6~7時間父親が付き添う厳しい毎日だったが(親と離れたのはイスラエルの音楽キャンプ参加時だけ)、17歳のときに両親に内緒でジュリアード音楽学校の試験を受け合格し、ニューヨークへ移る[1]。勘当されたため、モデルのアルバイトで生活費を稼ぐ[1]。17歳まで自宅学習だったため初めての学校生活を経験し、友人もできたが、人には裏表があることも知る[1]

2年後にはラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスの指揮の下にベルリン放送交響楽団と共演し、評論家から称賛を受けた。この結果、ハノーファー万博2000に招待されて出演している。その後はロンドン王立音楽大学に学び、21歳でBBCプロムスにも出演。2004年にはジュリアード音楽学校を卒業した。

音楽活動[編集]

現在はクラシカル・クロスオーヴァー路線による活動が中心となっており、グランドピアノの伴奏によるヴァイオリン・ソナタの演奏会を行なうかたわら、キーボードギタードラムからなる自前のバンドを率いて編曲ものや自作のアンコール・ピースを演奏・録音している。また、メタリカアルバムでもヴァイオリンを演奏した。

その他[編集]

ジュリアードに在学中のニューヨーク時代に、イツァーク・パールマンに入門した最初の学生になるとともに、学費を稼ぐためにモデルとして収入を得た。ファッション誌の記者からは、「クラシック界のベッカム」になぞらえられた[8]

2007年8月には、モンブラン社によって、新作万年筆の販売促進のための特使に選ばれ、ローマニューヨーク香港ベルリン、ロンドンを訪れた。

2013年、映画『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』の主演・製作総指揮・音楽を担当する。

2014年、7月11日映画『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』が日本公開。6月11日にはジャパンプレミアが行われ、本人も来日。同日には映画にインスパイアされたアルバム『愛と狂気のヴァイオリニスト』が発売された。

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出典[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同社と契約した史上最年少の演奏家であった

外部リンク[編集]