ダニエル・マーティン

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ダニエル・マーティン
Daniel Martin
2012年 ジャパンカップにて
個人情報
本名 Daniel Martin
ダニエル・マーティン
愛称 Dan(ダン)
生年月日 (1986-08-20) 1986年8月20日(37歳)
国籍 アイルランドの旗 アイルランド
身長 176cm
体重 62kg
チーム情報
所属 引退
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 クライマー
アマ所属チーム
2005–2007
VC・ラ・ポム
プロ所属チーム
2008–2015
2016–2017

2018-2019
2020-2021
チーム・キャノンデール・ガーミン
エティックス・クイックステップ
クイックステップ・フロアーズ
UAE チーム・エミレーツ
イスラエル・スタートアップネイション
グランツール最高成績
主要レース勝利
ジロ・ディ・ロンバルディア 2014
リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ 2013
カタルーニャ一周 2013
ツール・ド・ポローニュ 2010
ジャパンカップサイクルロードレース 2010
ジロ・ディ・トスカーナ 2011
アイルランドの旗 アイルランド選手権・ロード 2008
ツール・ド・フランス 区間通算2勝
ジロ・デ・イタリア 区間通算1勝
ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間通算2勝
クリテリウム・デュ・ドーフィネ 区間優勝
最終更新日
2022年5月2日

ダニエル・マーティン(Daniel Martin、1986年8月20日 - )は、イングランドバーミンガム出身で、アイルランド自転車競技ロードレース)選手。

経歴[編集]

父、ネイルも元プロロードレース選手。また、1987年トリプルクラウン達成者であるステファン・ロッシュは、ネイルの義理の弟にあたり、
その息子ニコラス・ロッシュは従兄弟の関係にあたる。

2004年英国国内選手権・ジュニア部門ロードレースで優勝。 その後、アイルランドに移住し、国籍を得る。

2005年、アマチュアチームである、ヴェロ・クリュブ・ラ・ポム・マルセイユ[1](VC・ラ・ポム)に加入。

2008年、スリップストリーム・チポートレ(後の ガーミン・シャープ)と契約を結び、プロに転向。

2009年ブエルタ・ア・エスパーニャ 初出場。総合53位。

2010年ツール・ド・ポローニュ第4ステージを制して総合首位に立ち、最後は同2位のグレガ・ボレを8秒差下し総合優勝。 ジャパンカップサイクルロードレースでは、残りあと3周を通過した直後の上りでアタックをかけ、そのまま独走を決めて優勝。

2011年ツール・ド・ポローニュ最終ステージでペーター・サガンに逆転され総合2位。

2013年カタルーニャ一周第4ステージにて逃げ切り勝利[2]、そのままリーダージャージを守りきり総合優勝[3]リエージュ〜バストーニュ〜リエージュにてアイルランド人として24年ぶりの優勝を挙げた[4]

2016年エティックス・クイックステップに移籍。

2018年UAE チーム・エミレーツに移籍。

2020年イスラエル・スタートアップネイションに移籍。

2021年9月4日イル・ロンバルディアを最後に現役引退することを発表した[5]

主な戦績[編集]

2004年[編集]

2008年[編集]

2009年[編集]

2010年[編集]

2011年[編集]

2012年[編集]

2013年[編集]

2014年[編集]

2016年[編集]

2017年[編集]

2018年[編集]

2019年[編集]

2020年[編集]

2021年[編集]

エピソード[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 別府史之も2002年から2003年まで在籍経験がある。
  2. ^ ボルタ・シクリスタ・ア・カタルーニャ2013第4ステージ首位バルベルデが落車リタイア マーティンが最難関ステージで逃げ切り
  3. ^ ボルタ・シクリスタ・ア・カタルーニャ2013第7ステージ デヘントが最終ステージ逃げ切り勝利 マーティンが総合優勝に輝く
  4. ^ リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ2013 ヘジダルの攻撃が奏功 マーティンがドワイエンヌを制し、ケリー以来のアイルランド人覇者に
  5. ^ マーティンが引退表明 ラストレースとしてイル・ロンバルディアに出場へ
  6. ^ Dan Martin gets Monumental win in Liège - PODIUMCAFE 2013年4月21日付
  7. ^ ルックスも重視 サガンはアルカンシェルのカモ柄、マーティンはパンダに四つ葉のクローバー - cyclist.sanspo.com 2016年7月29日付

外部リンク[編集]