スーラジ・バルジャーティヤ
スーラジ・バルジャーティヤ Sooraj Barjatya | |
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本名 | Sooraj R. Barjatya |
生年月日 | 1965年2月22日(58歳) |
出生地 |
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職業 | 映画監督、映画プロデューサー、脚本家、映画配給者 |
活動期間 | 1979年- |
配偶者 | ヴィニータ・バルジャーティヤ(1986年-) |
著名な家族 |
ターラーチャンド・バルジャーティヤ(祖父) ラージクマール・バルジャーティヤ(父) カヴィタ・K・バルジャーティヤ(従妹) |
スーラジ・バルジャーティヤ(Sooraj Barjatya、1965年2月22日 - )は、インドのボリウッドで活動する映画監督、映画プロデューサー、脚本家、映画配給者。メディア・コングロマリット企業ラージシュリー・プロダクションの会長も務めている。
生い立ち[編集]
ムンバイのマルワーリー家庭に生まれ[1]、セント・メアリー・スクール、シンディア・スクールで教育を受ける。1986年にヴィニータ・バルジャーティヤと結婚し、3人の子供をもうけた。
キャリア[編集]
マヘーシュ・バットの助監督としてキャリアをスタートさせる。24歳の時に祖父ターラーチャンド・バルジャーティヤに勧められ、彼が経営するラージシュリー・プロダクションで『私は愛を知った』を監督する。同作は興行的な成功を収め、バルジャーティヤは同作で俳優デビューしたサルマン・カーンと共に高い評価を受けた。バルジャーティヤは同作でフィルムフェア賞 監督賞にノミネートされ、サルマンはフィルムフェア賞 新人男優賞を受賞した[2]。2人は1994年の『Hum Aapke Hain Koun..!』、1999年の『Hum Saath-Saath Hain』でコンビを組み、両作とも興行的な成功を収めている。2003年にリティク・ローシャン、カリーナ・カプール、アビシェーク・バッチャンを起用して『Main Prem Ki Diwani Hoon』を監督し、2006年にはシャーヒド・カプール、アムリタ・ラオを起用して『Vivah』を監督し、両作ともヒットを記録した[3]。2015年にサルマン・カーンと組んで『プレーム兄貴、王になる』を監督し、同年のボリウッド映画興行成績第2位を記録するヒット作となった。
バルジャーティヤは全ての製作作品で「プレーム」という名前のキャラクターを登場させている[4]。また、彼は作風について「私たちはマルワーリーの一員であり、壮大な儀式や結婚式を見て育ちました。私の映画で見られる豪華さは、子供のころに感じた印象が根底にあるのです」と語っている[1]。
フィルモグラフィ[編集]
- 私は愛を知った(1989年) - 監督、脚本
- Hum Aapke Hain Koun..!(1994年) - 監督、脚本
- Hum Saath-Saath Hain(1999年) - 監督、脚本
- Main Prem Ki Diwani Hoon(2003年) - 監督、脚本
- Vivah(2006年) - 監督、脚本
- Ek Vivaah... Aisa Bhi(2008年) - 脚本
- プレーム兄貴、王になる(2015年) - 監督、脚本
出典[編集]
- ^ a b Divya Vasisht (2003年6月29日). “Sooraj Barjatya: The big picture”. The Times of India. TNN 2018年7月20日閲覧。
- ^ “Did Salman Khan Won The Best Debute[sic Filmfare Award 1989]”. YouTube (2012年4月22日). 2018年7月20日閲覧。
- ^ Top Lifetime Grossers 1995-1999 (Figures in Ind Rs). Box Office India.
- ^ Taran Adarsh (2012年10月1日). “Box Office Top 5”. Bollywood Hungama. 2012年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月26日閲覧。
外部リンク[編集]
- Sooraj R. Barjatya - IMDb(英語)