スース

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世界遺産 スース旧市街
チュニジア
旧市街、ファルハッド・ハシェド広場横のリバト(要塞)
旧市街、ファルハッド・ハシェド広場横のリバト(要塞)
英名 Medina of Sousse
仏名 Médina de Sousse
登録区分 文化遺産
登録基準 (3)(4)(5)
登録年 1988年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
スースの位置
使用方法表示

スースフランス語: Sousse、またはスーサ アラビア語: سوسة‎ Sūsa)はチュニジアの都市。チュニスの南約140kmに位置するチュニジア第三の都市で、人口は約43万人。スース県の県都である。町は美しく、「サヘルの真珠」といわれる。旧市街(アラビア語でメディナ)はユネスコ世界遺産に登録されている。

地理[編集]

チュニジアの中東部に位置し、ハマメット湾に面する。

歴史[編集]

紀元前9世紀頃にフェニキア人によって「ハドルメントゥム(Hadrumentum)」として開かれた。古代ローマと同盟を結びんでいたため、ポエニ戦争中も含めパックス・ロマーナの700年の間比較的平和で、大きな被害を免れた。ティトゥス・リウィウスは彼の著作「ローマ建国史」の中で、大スキピオアフリカに上陸する地として選んだのはハドルメントゥムだったとしている。

ローマ時代の後、ヴァンダル族、その後東ローマ帝国がこの町を占拠し、町の名を「ユスティニアノポリス(Justinianopolis)」と改名した。

7世紀にはアラブ人イスラム教軍が現在のチュニジアを征服し、「スーサ(Sūsa)」と改名。その後すぐアグラブ朝の主要港となった。827年にアグラブ朝がシチリアに侵攻した際、スーサは主要基地となった。

その後ヨーロッパでは技術革新が進みイスラム教に対して優勢に出始め、12世紀にはノルマン人に征服された時期もあり、その後スペインに征服された。18世紀にはヴェネツィア共和国フランスに征服され、町の名をフランス風に「スース(Sousse)」と改名した。その後もアラブ風の町並みは残り、現在ではアラブ人による典型的な海岸の城砦都市として観光客が多く訪れる。

2015年6月26日、海岸沿いの観光ホテルで乱射事件が発生し、37人が殺害された。 その後ISISが犯行声明を出した。 [1]

観光[編集]

地中海の温暖な気候と、歴史遺産などにより、観光がこの町の最大の産業となり、現在では年間120万人の観光客が訪れる。

交通[編集]

空港[編集]

スースには空港がないが、市街から20分の位置にあるモナスティルモナスティル・ハビーブ・ブルギーバ国際空港英語版IATAコード:MIR)がある。

スポーツ[編集]

姉妹都市[編集]

登録基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
  • (5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。

脚注[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度50分 東経10度38分 / 北緯35.833度 東経10.633度 / 35.833; 10.633