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アグラブ朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アグラブ朝
الأغالبة
アッバース朝
東ローマ帝国
800年 - 909年 ファーティマ朝
イスラーム期のシチリア
アグラブ朝の位置
公用語 アラビア語
宗教 イスラム教スンナ派
首都 カイラワーン
アラビア語: القيروان
アミール
800年 - 812年 イブラーヒーム1世
903年 - 909年ズィヤーダ・アラーフ3世
変遷
成立 800年
滅亡909年
通貨ディナール
現在チュニジアの旗 チュニジア
アルジェリアの旗 アルジェリア
リビアの旗 リビア
イタリアの旗 イタリア
マルタの旗 マルタ
カイラワーンの大モスク

アグラブ朝(アグラブちょう、Aghalabid Dynastyアラビア語: بنو الأغالب, ラテン文字転写: Banū al-Aghlab800年 - 909年)は、アッバース朝支配下で現在のチュニジア地方の支配を認められたアグラブ王国(The Aghalabid kingdom)の王朝。国教はイスラーム教スンナ派[要検証]。首都はカイラワーン

歴史

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建国

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創設者はイフリーキヤマグリブ地方東部。いまのチュニジアを中心とする地域)の政局混乱を収拾し、チュニス駐屯軍(ジュンド(アラブ正規軍))の反乱を鎮圧してイフリーキヤに自立政権を樹立したイブラーヒーム・イブン・アグラブである[1][2]。アッバース朝の第5代カリフであるハールーン・アッ=ラシードに金貨年4万ディーナールを貢納することでイフリーキヤ総督として認められ、カリフの宗主権を認めながらも独立した地方政権を北アフリカの地に確立した[3]。また、彼はフランク王国カール大帝ライオンなどの当時としては珍獣を贈っている。

初代のイブラーヒーム1世(在位:800年812年)はあくまでアッバース朝より派遣されたアミールを称し、以後その後継者もアミールを踏襲したものの[* 1]、実態は自立して貨幣にはアッバース朝カリフの名を刻まなかった[4]

発展期

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アグラブ朝は、第3代のズィヤーダ・アラーフ1世の治世に、827年からシチリア島へ侵攻を開始し[5]ムスリムのシチリア征服イタリア語版英語版827年-902年)、シチリア首長国831年 - 1072年)が成立、ヨーロッパ近海の制海権を掌握して諸島を征服し勢威を誇った。

全盛期

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王朝としては第7代のズィヤーダ・アラーフ2世のときに全盛期を迎えた。シチリア島の侵攻は902年にイブラーヒーム2世によってタオルミーナが攻略され征服が完了した[6]。キリスト教徒の信仰は尊重されたが、シチリア島西部ではムスリムの移住が進み、西部の中心都市であるパレルモなどでイスラーム化が進んだ。

アグラブ朝の滅亡

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909年にイスマーイール派ファーティマ朝の創始者となったウバイドゥッラー(アブドゥッラー・マフディー  (Ubayd Allah al-Mahdi Billah)の侵攻により、君主のズィヤーダ・アラーフ3世が逃亡して滅亡した[7]

大モスクの再建

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世界遺産に登録されているカイラワーン(ケルアン)の大モスク(シディ・ウクバ・モスク)はウマイヤ朝の将軍ウクバによって670年に創建されたものであるが[8]、その再建がアグラブ朝のズィヤーダ・アラーフ1世により836年に開始され、イブラーヒーム2世の代に完成した[9]

首都のカイラワーンはこのモスクにより、メッカマディーナエルサレムに次ぐ「天国への第4の門」と称された[9]

歴代君主

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  1. イブラーヒーム・イブン・アグラブ(在位:800年812年
  2. アブー・アッバース・アブドゥッラー・イブン・アグラブ(在位:812年-817年
  3. ズィヤーダ・アラーフ1世(在位:817年-838年
  4. アル=アグラブム(在位:838年-841年
  5. ムハンマド1世(在位:841年-856年
  6. マフマド(在位:856年-863年
  7. ズィヤーダ・アラーフ2世(在位:863年-864年
  8. ムハンマド2世(在位:864年-875年
  9. イブラーヒーム2世(在位:875年-902年
  10. アブド・アッラーフ2世(在位:902年-903年
  11. ズィヤーダ・アラーフ3世(在位:903年-909年

脚注

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注釈

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  1. ^ アグラブ朝の歴代の君主はアッバース朝カリフへ毎年貢納金を収め、カリフ名でフトバ(毎週金曜日正午の礼拝に行なわれる説教)を行なった[3]

出典

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  1. ^ Marçais, G. (1960). “Aghlabids or Banū'l-Aghlab, (i) General Survey”. In Gibb, H. A. R.; Kramers, J. H. [英語版]; Lévi-Provençal, E. [英語版]; Schacht, J. [英語版]; Lewis, B.; Pellat, Ch. [英語版] (eds.). The Encyclopaedia of Islam, New Edition, Volume I: A–B. Leiden: E. J. Brill. pp. 247b – 249b.
  2. ^ 私市 (2002)、pp.197-198.
  3. ^ a b 私市 (2002)、p.198
  4. ^ ヒッティ (1983)、p.210
  5. ^ ヒッティ (1983)、p.507
  6. ^ ヒッティ (1983)、p.509
  7. ^ ヒッティ (1983)、pp.212, 530-531.
  8. ^ 私市 (2002)、p.189
  9. ^ a b ヒッティ (1983)、p.211

参考文献

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本文の脚注のない部分は以下による。

関連項目

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