ジョン・フレンチ (ロック・ミュージシャン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・フレンチ
John French
ジョン・フレンチ(2015年)
基本情報
出生名 ジョン・ステファン・フレンチ
John Stephen French
別名 ドラムボ(Drumbo)
生誕 (1948-09-29) 1948年9月29日(75歳)
職業
  • ミュージシャン
  • ソングライター
  • 音楽ディレクター
担当楽器
活動期間 1965年 - 2017年
共同作業者
  • メレル・アンド・ジ・エグザイルズ(1965年)
  • キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド(1966年–1969年)
  • キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド(1970年–1971年、1975年–1976年、1977年、1980年)
  • マラード (1985年)
  • フレンチ、フリス、カイザー、トンプソン (1987年–1989年)
  • クレイジー・バックワーズ・アルファベット (1987年)
  • ザ・マジック・バンド(2003年–2007年)

ジョン・フレンチJohn French1948年9月29日 - )は、アメリカ合衆国のロック・ミュージシャン。キャプテン・ビーフハートことドン・ヴァン・ヴリートが率いたキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドのドラマーであった。

略歴[編集]

フレンチは1948年9月29日、南カリフォルニアのサンバーナーディーノ地域で生まれ[1]、1954年に両親に連れられてアンテロープ・バレーに移住した[2]。1960年代前半にはメレル・ファンクハウザー(ボーカル、ギター)が率いるメレル・アンド・ジ・エグザイルスで活動した[3]

1965年4月、ロサンゼルスハリウッド・パラディアムで催された第4回ハリウッド・ティーンエイジ・フェアーでヴァン・ヴリートに出会った[4]。1966年末にヴァン・ヴリートに誘われて[5]、デビュー・アルバムを制作する前のキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドに18歳でドラマーとして加入した[6]。1969年からは、ヴァン・ヴリートの方針[注釈 1]に従って、ヴァン・ヴリートが彼につけた「ドラムボ(Drumbo)」のステージ名で活動した。

1972年にキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド[注釈 2]を脱退。1974年、キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドのヴァン・ヴリート以外のメンバー達が脱退して結成したマラードに加わり新曲の作曲とリハーサルに参加したが、アルバム制作の前に離脱した[注釈 3]

1975年、解散状態を経て再起動したキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドに参加して、ドラムとギターを担当した。またも脱退と再加入を繰り返した後、1980年の『美は乱調にあり』を最後にヴァン・ヴリートと袂を分かった。

1987年にギタリストのフレッド・フリスヘンリー・カウ)、ヘンリー・カイザーリチャード・トンプソンフェアポート・コンヴェンション)とフレンチ、フリス、カイザー、トンプソンを結成して[7]、アルバム『Live, Love, Larf & Loaf』(1987年)と『インヴィジブル・ミーンズ』(1990年)を発表。また、カイザーとクレイジー・バックワーズ・アルファベットを結成して、アルバム『Crazy Backwards Alphabet』(1987年)を発表。

1994年と1998年にソロ・アルバムを発表。

2003年、キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドのメンバーだったマーク・ボストン(ベース・ギター)、デニー・ウォーリー(ギター)、ゲイリー・ルーカス(ギター)、ロバート・ウィリアムス(ドラムス)とザ・マジック・バンドを結成して、ボーカル、ドラムス、ハーモニカを担当した。ザ・マジック・バンドはフレンチを中心に、2017年までメンバー・チェンジを行ないながら、公演や録音でキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドの楽曲を披露した。

2008年、ドラムボ名義のソロ・アルバム『City of Refugee』[8]を発表。

2010年、著書『Beefheart: Through the Eyes of Magic』を上梓。

ディスコグラフィ[編集]

ソロ・アルバム[編集]

  • Waiting on the Flame (1994年)[9]
  • 『オ・ソロ・ドランボ』 - O Solo Drumbo (1998年)[10]
  • City of Refuge (2008年) ※ドラムボ名義[8]

キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド[編集]

キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド名義とキャプテン・ビーフハート名義[注釈 4]のアルバムも含む。

フレンチ、フリス、カイザー、トンプソン[編集]

クレイジー・バックワーズ・アルファベット[編集]

ザ・マジック・バンド[編集]

  • Back to the Front (2003年)[11]
  • 21st Century Mirror Men (2005年)[12]
  • Performing The Music Of Captain Beefheart - 1: Oxford, U.K. June 6, 2005 (2011年)[13]
  • The Magic Band Plays The Music Of Captain Beefheart - Live In London 2013 (2013年)[14]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ French (2010), p. 12.
  2. ^ French (2010), p. 14.
  3. ^ Discogs”. 2022年12月15日閲覧。
  4. ^ Barnes (2011), pp. 100–101.
  5. ^ Barnes (2011), pp. 154–155.
  6. ^ Barnes (2011), pp. 20, 25, 29.
  7. ^ French (2010), pp. 727–728.
  8. ^ a b Discogs”. 2022年12月14日閲覧。
  9. ^ Discogs”. 2022年12月14日閲覧。
  10. ^ Discogs”. 2022年12月14日閲覧。
  11. ^ Discogs”. 2022年12月14日閲覧。
  12. ^ Discogs”. 2022年12月14日閲覧。
  13. ^ Discogs”. 2022年12月14日閲覧。
  14. ^ Discogs”. 2022年12月14日閲覧。

注釈[編集]

  1. ^ メンバー全員に自分がつけた奇妙なステージ名を名乗らせた。
  2. ^ 1970年発表の『リック・マイ・デカルズ・オフ、ベイビー』から、バンド名はキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドになった。
  3. ^ マラードがジェスロ・タルの支援を受けて制作したデビュー・アルバム『Mallard』(1975年)にはメンバーとフレンチの共作曲が収録された。
  4. ^ 実質はキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド名義である。

参考文献[編集]

  • Barnes, Mike (2011), Captain Beefheart: The Biography, Omnibus Press, ISBN 978-1-78038-076-6 
  • French, John "Drumbo" (2010), Beefheart: Through the Eyes of Magic, Proper Music Publishing, ISBN 978-0-9561212-5-7 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]