ジャン=ベデル・ボカサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ボカサ1世
Bokassa I
中央アフリカ皇帝
Bokassa colored.png
在位 1976年12月4日 - 1979年9月20日
戴冠式 1977年12月4日

全名 Jean-Bédel Bokassa
ジャン=ベデル・ボカサ
وصلاح الدين أحمد بوكاسا(イスラーム名)
サラー・エッディン・アフメド・ボカサ
出生 1921年2月22日
フランスの旗 フランス領赤道アフリカ、ボバンギ
死去 (1996-11-03) 1996年11月3日(75歳没)
中央アフリカ共和国の旗 中央アフリカバンギ
子女 ジャン=セルジュ
ジャン=ベデル
家名 ボカサ家
父親 ミンドゴン・ムグブンドゥールー
母親 マリー・ヨコウォ
宗教 イスラーム教スンナ派キリスト教カトリック教会
テンプレートを表示
ジャン=ベデル・ボカサ
Jean-Bédel Bokassa

任期 1966年1月1日1976年12月4日

出生
政党 黒アフリカ社会発展運動

ジャン=ベデル・ボカサフランス語: Jean-Bédel Bokassa, 1921年2月22日 - 1996年11月3日)は、中央アフリカ共和国大統領在任1966年 - 1976年)、中央アフリカ帝国皇帝としてはボカサ1世フランス語: Bokassa I, 在位1977年 - 1979年)。

生涯[編集]

生い立ち[編集]

フランス植民地下で生まれた。黒アフリカ社会進歩運動 (MESAN) を組織し、独立運動を主導したバルテレミー・ボガンダ叔父であり[1]、初代大統領ダヴィド・ダッコ従兄にあたる。父親ミンドゴン・ムグブンドゥールームバカ族首長であり[1]ゴム採取会社であるサンガ・ウバンギ森林会社 (CFSO) で労働者のまとめ役をしていたが、ボカサが6歳の時、徴発され強制労働を強いられていた労働者を会社に無断で解放した処刑された。

軍歴[編集]

第二次世界大戦中はフランス本国がドイツ占領されたものの、シャルル・ド・ゴールの元で連合国側についた自由フランス軍兵士として従軍し、インドシナ戦争にも従軍、アフリカ人としては最高位の大尉まで昇進する。中央アフリカ共和国の独立後は初代大統領に就任したダッコに呼び戻され、の編成を任せられた。

大統領から皇帝へ[編集]

1966年、当時国軍参謀総長だったボカサは軍事クーデターで、経済政策で失敗したダッコ政権を倒し、翌年大統領に就任、この際16あった中央アフリカの省庁の中、14の省庁の大臣に自分自身を任命し、独裁政治をはじめる[1]。1972年には終身大統領を宣言した[1]。ボカサのクーデターは、ダッコ政権が中華人民共和国から巨額の融資を受け入れたことを批判するという、反共名目に掲げたものだった[2][3]

しかし、1976年8月に中央アフリカは台湾中華民国と再び断交し、同年11月にボカサが中華人民共和国を訪れて経済協力を仰ぐなど変節し始めた[4][5][6]。同年9月にはリビアを訪れてムアンマル・アル=カッザーフィーと面会してイスラーム教改宗し、名前をサラー・エッディン・アフメド・ボカサに改名したが、リビアからの財政援助が滞ると同年12月にカトリックに再び改宗し[7][8]、国名を「中央アフリカ帝国」とし自ら皇帝として即位した。

改称からちょうど1年後の1977年12月4日には、国家予算の2倍にあたる2500万ドル[9]を費やしてナポレオン1世を真似た豪華な戴冠式を行い、「皇帝ボカサ1世」となった。

着飾った200人の騎兵隊と数百台の高級自動車バイク隊に護衛された、8頭立ての馬車で登場。ダイアモンドをはめこんだ2mの大錫杖を手にし、には8000個のエメラルドとダイアモンドをちりばめた王冠を戴いた。外套真珠水晶で飾った礼服の上に白いテン毛皮。大玉座黄金を持つ「ナポレオン鷲」を模した重さ2トンの青銅製で、フランスから取り寄せた料理が振舞われた[9]。また、ナポレオン1世の戴冠式を真似て、ローマ教皇パウロ6世を招待したが、教皇はこの招待を断っている。国力とあまりにかけ離れた戴冠式に、世界中から批判を受けると「偉大な歴史は、犠牲なくしては創造できない。民衆は犠牲を甘んじて受けるのだ」と語った[9]日本昭和天皇イラン皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーも式典に招待されたが、出席はしなかった(天皇・皇帝名で祝電を送ってはいる)。

宗主国フランスから支持と援助を取り付けるため、フランス大統領ジスカール・デスタン(当時)に膨大な贈賄工作をした。工作が功を奏してフランスからは皇帝として承認され、経済的支援も受けることに成功した。

ボカサ1世は反対派を容赦なく弾圧粛清し、独裁政治を続けたが、粛清による人材不足や元々脆弱であった中央アフリカ経済の悪化などが重なり、帝政は崩壊への一途を辿った。1978年には息子ジャン=ベデル・ジョルジュ皇太子も国外追放される。

ボカサ家が経営する会社が作製する制服の全小学生への着用義務化を強行するが、1979年1月に反対学生のデモが勃発した。ボカサ1世はこれを武力鎮圧し、400人の死者を出した[1]。国際的にボカサ1世への非難が高まると、旧宗主国のフランスもボカサ1世を見限り、帝政打倒を画策し始めた[1]

亡命[編集]

ボカサ1世のリビア訪問中の9月20日フランス軍による無血クーデター(バラクーダ作戦)が発生[1]。帝政は廃止されて中央アフリカは共和制に復帰し、亡命先のガボンから帰国したダッコが大統領に就任した[1]

ボカサはコートジボワールに亡命し、4年間アビジャンで暮らした[8]。その後、フランスに渡り[1]、ジスカール・デスタンに働きかけて政権奪還の支援を要請したが、色よい返事を得ることができなかった。業を煮やしたボカサはジスカール・デスタンへの贈賄工作を暴露したため、結果的にジスカール・デスタンの人気は急落し、1981年の大統領選挙社会党ミッテランに敗れる一因となる。その後、コートジボワールに亡命した後にフランスへと再び亡命した。

帰国[編集]

1986年には周囲の説得を振り切って突然帰国するが、入国直後に逮捕されて裁判にかけられた[1]1987年死刑を宣告されたが、1993年釈放された[1]。釈放の際には当時健在だったマリーがボカサを出迎えた。フランスから支給される軍人恩給で隠居生活を送るが、1996年死去した[1]

2010年12月、当時の中央アフリカ大統領フランソワ・ボジゼにより、ボカサの名誉回復が行われた[10]

エピソード[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『世界の最凶独裁者 黒歴史FILE』、73頁。
  2. ^ van de Walle, Nicholas (July 1991), "The Decline of the Franc Zone: Monetary Politics in Francophone Africa", African Affairs, Oxford University Press, 90 (360): 383–405, JSTOR 722938
  3. ^ Titley, Brian (1997), Dark Age: The Political Odyssey of Emperor Bokassa, p. 29. Montreal: McGill-Queen's University Press, ISBN 0-7735-1602-6, OCLC 36340842.
  4. ^ Richard Bradshaw, Juan Fandos-Rius (2016). Historical Dictionary of the Central African Republic. p.371
  5. ^ 最崇拜中國的非洲總統,來了趟中國,回去把國家顛覆了 |淘天下
  6. ^ 刘晓; 伍修权. 我的大使生涯. 江苏人民出版社. 1993
  7. ^ Titley, B. (1997). Dark Age: the political odyssey of Emperor Bokassa. Montreal: MQUP. ISBN 9780773516021. p.79
  8. ^ a b Lentz, H. M. (1994). Heads of States and Governments. Jefferson: McFarland. ISBN 9780899509266.
  9. ^ a b c みんなの地理学研究会『世界まるごと謎解き地図』
  10. ^ “「皇帝」を名乗ったアフリカ独裁者の大豪邸を競売、パリ”. AFPBB News (フランス通信社). (2010年12月18日). http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2779999/6592716 2013年3月30日閲覧。 
  11. ^ 「囚人をメッタ打ち これが人生 大統領、陸軍を率い刑務所に乗込む」『朝日新聞』昭和47年(1972年)8月2日朝刊、13版、3面

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

中央アフリカ帝室
先代:
建国
中央アフリカ共和国の旗 中央アフリカ帝国皇帝
1976年 - 1979年
次代:
帝政廃止
請求称号
新設 — 名目上 —
中央アフリカ共和国の旗 中央アフリカ帝国皇帝
1979年 – 1996年
次代:
ボカサ2世
公職
先代:
ダヴィド・ダッコ
中央アフリカ共和国の旗 中央アフリカ共和国大統領
1966年 - 1976年
次代:
帝政移行