王位請求者
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|---|
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王位請求者(おういせいきゅうしゃ)は、狭義には王位を請求する者のこと。広義には帝位など「王位」以外の君主位を請求する者を含む。君主制の歴史を持つ共和国において君主制の復活(王政復古)を求めるパターンと、正統とされる君主に代わってその地位に就こうとする一種の下剋上志向のパターンの二つに大別できる。この地位にある人物は、一般的に王党派によって支持される[1]。
英語で「プリテンダー(pretender)」と呼ばれることも多いが、この用語には不当な要求者という否定的な意味があり、中立的でない。これに相当する語句に、王位僭称者(おういせんしょうしゃ)、王位覬覦者(おういきゆしゃ)[2]などがある。
なお、この記事では、ロイヤル・ファミリーの系譜にあることを少なくとも自称するなど、その正統性をある程度は歴史に拠っている者のみに対象を限定し、過去に存在しなかった君主位を根拠なく名乗ったジョシュア・ノートンのような人物は扱わない。
目次
概要[編集]
王位請求者が現れる理由としては、主として次のようなケースが考えられる。
- 君主国において、それまでの王統・皇統の断絶に際して、旧王朝と血縁関係や姻戚関係にある者が請求するケース
- 例1:アンジュー公フィリップ
- スペイン・ハプスブルク家の男系男子が断絶した際に、フランス・ブルボン家の王子ながらスペイン・ハプスブルク家の血を色濃く引いていたことからスペイン王位を要求し、その結果「スペイン王フェリペ5世」として認められた。(⇒スペイン継承戦争)
- 例2:バイエルン選帝侯カール・アルブレヒト
- オーストリア・ハプスブルク家の男系男子が断絶した際に、妻がハプスブルク家出身であることを理由として神聖ローマ帝位やボヘミア王位を要求した。(⇒オーストリア継承戦争)
- 簒奪や宮廷クーデター、革命や、他国の支配により国が滅ぼされるなどして廃位された君主本人やその子孫などが請求するケース
- 例1:イングランド王ジェームズ2世
- 議会によって廃位されて国外追放となってからも、玉座を諦めずにイングランド王を称し続けた。(⇒ジャコバイト)
- 例2:フランス皇帝ナポレオン3世
- 筆頭継承者の地位を奪われた元相続人が、これを不服として請求するケース
- 例1:モリナ伯カルロス
- 王弟としてスペイン王位継承順位1位だったが、王位継承法の変更により女王が認められたため、相続人の地位を姪に奪われた。これを不服として、兄王の死後に正当なスペイン国王「カルロス5世」であると宣言した。(⇒カルリスタ戦争)
- 例2:ペドロ・デ・アルカンタラ・デ・オルレアンス・エ・ブラガンサ
- ブラジル皇族。名目上の女帝イザベル・ド・ブラジルの長男だったが、貴賤結婚のために皇位継承権を放棄した。母はペドロに代わってその弟を継承者に指名したが、のちにペドロは継承権を放棄していないと主張し、ブラジル帝室の分裂を招いた。
- 継承権を持ちながらも順位が低い者などが、何らかの理由で上位者を無視して請求するケース
- 例1:ポルトガル王ミゲル1世
- 例2:ヨーゼフ・アウグスト・フォン・エスターライヒ
- ハプスブルク=ロートリンゲン家の継承順位の低い皇族であったが、ハンガリーに深く根を下ろしていたことから、オーストリア=ハンガリー帝国崩壊後に誕生したハンガリー王国において、存命だった最後のハンガリー国王カーロイ4世(オーストリア皇帝としてはカール1世)などを差し置いて、新たなハンガリー国王に擁立された。
実際に君主制の復活を求める者に限らず、世が世なら玉座に就くことができたであろう旧君主家の当主は、その全てが王位請求者に数えられる。彼らはその血統からして旧体制のおそらく最大の体現者であるため、当人の意思にかかわらず王位請求者として推戴して旧体制を復活させようとする王党派が、多かれ少なかれ存在すると思われるからである。したがって日本を例にとるならば、現在の沖縄県にあたる琉球王国の王家であった尚氏の当主は、たとえ王位の復活を求めていなかったとしても、その立場上は王位請求者と見なされうる。
現在、王位請求者とされる人物には、一般人として生活している者も多いが、中には君主の地位や君主制の復活を求めて亡命政府や政治団体などを組織して活動している者もいる。また先述のように、当人の意思にかかわらず王位請求者を推戴するなどして、自らの理想とする形で君主制を再導入しようとする王党派組織・政治団体なども各国に存在する。(⇒オーストリアのシュヴァルツ=ゲルベ・アリアンツ、ポーランドの保守王党派クラブ、チェコ・コルナなど)
日本の徳川将軍家やネパールのラナ宰相家のような、かつて実質的に君主として扱われていた一族の末裔も、しばしば類似の存在とみなされる。キリスト教の歴史において時として存在した対立教皇についても、王位請求者と同じように教皇位の請求者とみなすことができよう。
現在の王位請求者の一覧[編集]
アジア[編集]
| 国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
|---|---|---|---|
| アフマド・シャー・ハーン | 最後のアフガニスタン国王ザーヒル・シャーの息子。 | ||
| アギッル・ビンモハメッド・アルバドル | 最後のイエメン国王ムハンマド・アル=バドルの息子。イエメン王国亡命政府が現存する。 | ||
| ラアド・イブン・ザイド | 初代国王ファイサル1世の弟ザイド・イブン・フサインの長男に当たる。息子に国連人権高等弁務官ザイド・フセインがいる。 | ||
| シャリーフ・アリー・イブン・アル=フセイン | 最後の国王ファイサル2世の従弟に当たる。フセイン政権の崩壊後、王制滅亡以来初めてイラクの地を踏んだが、アメリカを含めどこの国からも充分な支援を得られず、またイラク国内に政治基盤もなくイラク国民からの支持がほとんどないため、イラクを離れ、現在はイギリスで生活している。2005年にイラクで行われた暫定国民議会選挙では、自らが党首を務めるイラク立憲君主党も参加したが、議席は獲得できなかった。 | ||
(パフラヴィー朝イラン) |
クロシュ・レザー・パフラヴィー | 最後の皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーの長男で、元皇太子。イランにおける人権問題等を批判し、イランの世俗化と民主化を主張して政治活動を行っている。 | |
(ガージャール朝イラン) |
モハンマド・ハサン・ミールザー2世 | 第6代君主モハンマド・アリー・シャーの子孫。亡命政府がアメリカ合衆国を拠点に存在する。 | |
| デュンダル・アリ・オスマン | オスマン家第45代当主。 | ||
| ダヴィッド・バグラチオン・ムフラニ | ムフラニ系統バグラティオニ家(第2王統)の当主。過去にジョージア王家は2つに分かれており、ダヴィッドの祖父イラクリ・バグラチオン・ムフラニは第二次世界大戦後、ソ連に留まったまま冷戦の激化によって行方が分からなくなっていた第1王統が途絶したと判断し、第2王統の自分がジョージア王室の長であることを宣言した。 | ||
| ヌグザル・バグラチオン・グルジンスキ | ソ連崩壊後に存続していたことが判明したグルジンスキ系統バグラティオニ家(第1王統)の当主。娘のアンナ・バグラチオン・グルジンスキを第2王統のダヴィッドと結婚させたが、夫妻は2013年に離婚している。 | ||
| ジェイソン・デズモンド・アンソニー・ブルック | サラワク王家(ブルック王朝)の子孫。第2代国王チャールズ・ブルックの玄孫。 | ||
| 金毓嶂 | 愛新覚羅溥任(愛新覚羅溥儀の弟)の長男。血統的には愛新覚羅氏の嫡流であり当主といえるが、姓は愛新覚羅ではなく金である。 | ||
| w:Muedzul Lail Tan Kiramほか | スールー王国の滅亡後、王家の複数の家系がスルタン位を主張しはじめ、現在、スルタン一族の間で継承順位を巡る論争が起きている。2013年、ジャマルル・キラム3世がラハダトゥ対立を起こした。 | ||
| ダライ・ラマ14世 | 宗教的権威者の立場と、政治的権威者の立場とを兼ね備えたチベットの僧侶君主だったが、1959年にインドへ亡命して政治難民となった。 | ||
| Keo na Champassak | ブン・ウムの長男で、最後のチャンパーサック王ブア・ルパアン・ラーチャナダイの孫。 | ||
| ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ | 2008年に制憲議会によって廃された最後のネパール国王。 | ||
| タウ・パヤー | 最後の国王ティーボーの孫。 | ||
| バオ・アン | 阮朝最後の皇帝であったバオ・ダイ(保大帝)の皇子で、阮氏の現当主。 | ||
| スリウォンサワーン | 最後のラオス国王サワーンワッタナーの嫡孫で、ラオスの王位継承者。現在はフランスで亡命生活を送る。叔父でもある摂政のスリャウォンサワーン王子と共に、ラオス王室の代表を務める。ラオスにおける立憲君主制を復活させるために、ラオス王国亡命政府と協力しながら政治活動を展開している。 | ||
| 琉球国 | 尚衞 | 第二尚氏の第23代当主。最後の琉球国王として知られる尚泰王の玄孫。 |
韓国[編集]
| 国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
|---|---|---|---|
| 李源 | 全州李氏宗家の第30代当主で、正式な皇位請求者とされる。高宗の第5皇子である李コウの九男・鉀の長男。2005年、直系の李玖の死後、その養子として李王家の後継者(皇嗣孫)となる。 | ||
| 李海瑗 | 李源の叔母で、現当主の座を主張している。高宗の第5皇子である李コウと側室の間に次女として生まれた。李玖の死を受けて2006年に皇位継承式を開催し、以後「大韓帝国女皇」を称している。 | ||
| 李錫 | 李コウの十男。李源の叔父にあたる。2018年、遠縁にあたるAndrew Leeを後継者に指名した[3]。 |
インド諸邦[編集]
| 国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
|---|---|---|---|
| Maharaja Samarjitsinhrao Gaekwad | ヴァドーダラー王家当主。 | ||
| w:Pragmulji III |
|
カッチ王家当主。 | |
| ワンチュク・ナムゲル | 最後のシッキム国王パルデン・トンドゥプ・ナムゲルの第2王子。祖国シッキムがインドに併合された後、アメリカ合衆国に亡命政府を構え、第13代シッキム国王を称している。 | ||
| カラン・シング | ジャンムー・カシュミール藩王家当主。最後の藩王ハリ・シングの息子。 | ||
| Mahipal Singh II, Maharawal of Dungarpur (born 1931) | ドゥーンガルプル王家当主。 | ||
| ムラム・ティルナル・ラーマ・ヴェルマ | トラヴァンコール王家当主。 | ||
| ムカラム・ジャー | ニザーム王家当主。王太子アーザム・ジャーの息子。 | ||
| ヴィシュヴェンドラ・シング | バラトプル王家当主。 | ||
| w:Yaduveer Krishnadatta Chamaraja Wadiyar | マイソール王家当主。 | ||
| ガジ・シング | マールワール王家当主。 | ||
| ミールザー・グラーム・モイーヌッディーン・ムハンマド・ジェイブド・ジャー・バハードゥル | 1931年にインド政府によってムガル朝(ティムール朝)の当主として認められた[要出典]Muhammad Khair ud-din Mirza, Khurshid Jah Bahadurの息子。 | ||
| マヘンドラ・シング・メーワール | メーワール王家当主。 | ||
| Sayyid Muhammad Kazim Ali Khan, Nawab of Rampur | ラームプル藩王家当主。 | ||
| Raghubirsinhji, Maharaja of Rajpipla | ラジピプラ王家当主。息子は「インドで最も有名なゲイ」とされるマンベンドラ・シン・ゴーヒル。 |
アフリカ[編集]
| 国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
|---|---|---|---|
| フアード2世 | ムハンマド・アリー朝の最後のエジプト国王。1歳にも満たないうちに即位し、戴冠しないうちにその翌年のクーデターで王政が廃止されたため、実質的な統治は行わなかった。 | ||
| ゼラ・ヤコブ・アムハ・セラシエ | 最後のエチオピア皇帝であるハイレ・セラシエ1世の孫。エチオピア皇帝を称していたアムハ・セラシエの息子。1997年の父の死後、エチオピア帝国亡命政府「エチオピア帝冠評議会」にエチオピア帝室の家長であると認識されている。 | ||
| ギルマ・ヨハニス・イヤス | 戴冠式を行わないまま退位させられたイヤス5世の曾孫として、ゼラ・ヤコブと対立する王位請求者となっている。 | ||
| ジャムシッド・ビン・アブドゥッラー | 1964年に発生したザンジバル革命によって廃されたスルターン。オマーンのブーサイード朝の分家にあたる。 | ||
| ジャン=ベデル・ボカサ2世 | 中央アフリカ皇帝ボカサ1世の息子で、元皇太子。 | ||
| Muhammad Al Husain | Muhammad VI al-Habibの孫。 | ||
| ローザ・ポーラ・イリバギザ | 最後のブルンジ国王ンタレ5世の妹。 | ||
| ムハンマド・エル=サヌーシー | サヌーシー朝リビア王イドリース1世の甥の息子。 | ||
| ユヒ6世 | 最後のルワンダ国王キゲリ5世の甥。 |
ヨーロッパ[編集]
| 国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
|---|---|---|---|
| フランシス・ボナヴェンチャー・オブ・バヴァリア | ヴィッテルスバッハ家の家長。ジャコバイトから「フランシス2世(Francis II)」と見なされているが、本人はアイルランド王位を請求していない。 | ||
| ピーター・オブ・バーボン=トゥー・シシリーズ | 別系統のジャコバイト王位請求者。カラブリア系ブルボン=シチリア家の家長で、両シチリア王国とナバラ王国の王位請求者でもある。 | ||
| キャロライン・チャイルド・ヴィリアーズ(Caroline Child-Villiers) | 第9代ジャージー伯爵ジョージ・チャイルド・ヴィリアーズの長女。メアリー・テューダーの次女エリナー・ブランドンの末裔で、いわばテューダー朝の継承者である。(en:Alternative successions of the English and British crownを参照) | ||
| レカ・ゾグ | アルバニア国王ゾグ1世の孫で、アルバニア王家の家長。王制支持者からは「レカ2世(Leka II)」と呼ばれている。 | ||
| フランシス・ボナヴェンチャー・オブ・バヴァリア | ヴィッテルスバッハ家の家長。ジャコバイトから「フランシス2世(Francis II)」と見なされているが、本人はイングランド王位を請求していない。 | ||
| ピーター・オブ・バーボン=トゥー・シシリーズ | 別系統のジャコバイト王位請求者。カラブリア系ブルボン=シチリア家の家長で、両シチリア王国とナバラ王国の王位請求者でもある。 | ||
| サイモン・アブニー・ヘイスティングズ | 第15代ラウドン伯爵。マーガレット・プランタジネットの末裔。いわばプランタジネット朝の継承者であるが、本人がイングランド王位を請求しているかどうかは不明。(en:Alternative successions of the English and British crownを参照) | ||
| キャロライン・チャイルド・ヴィリアーズ(Caroline Child-Villiers) | 第9代ジャージー伯爵ジョージ・チャイルド・ヴィリアーズの長女。メアリー・テューダーの次女エリナー・ブランドンの末裔で、いわばテューダー朝の継承者である。(en:Alternative successions of the English and British crownを参照) | ||
| カール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン | 最後のオーストリア皇帝カール1世の孫で、ハプスブルク=ロートリンゲン家の家長。 | ||
| コンスタンティノス2世 | 最後のギリシャ国王。1974年の国民投票で廃位された。 | ||
| カルロ・ハプスブルシコ=ロレンスキ | 最後の国王カルロ4世の孫で、ハプスブルク=ロートリンゲン家の家長。クロアチアの君主主義者の大部分から正統な王位請求者とみなされる。 | ||
| アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ | クロアチア国王トミスラヴ2世の息子。出生時には王太子で、クロアチアの君主主義者の一部から「ズヴォニミル2世(Zvonimir II)」とみなされる。クロアチア独立国はドイツとイタリアの傀儡国家とされ、またズヴォニミル2世はクロアチアに足を踏み入れたこともないので、ハプスブルク家に比べると支持者は多くない。 | ||
| フランシス・ボナヴェンチャー・オブ・バヴァリア | ヴィッテルスバッハ家の家長。ジャコバイトから「フランシス2世(Francis II)」と見なされているが、本人はスコットランド王位を請求していない。 | ||
| ピーター・オブ・バーボン=トゥー・シシリーズ | 別系統のジャコバイト王位請求者。カラブリア系ブルボン=シチリア家の家長で、両シチリア王国とナバラ王国の王位請求者でもある。 | ||
| アレクサンダル2世カラジョルジェヴィチ | ユーゴスラビア王国最後の国王であるペータル2世の息子で、元王太子。「セルビア王太子アレクサンダル2世」を称する。 | ||
| ペドロ・デ・ボルボン=ドス・シシリアス | スペインの王族で、カラブリア系のブルボン=シチリア家の家長。両シチリア王国の王位請求者でもある。カラブリア公およびカゼルタ伯を名乗る。公称「ペドロ2世」。祖母のアリシア・デ・ボルボン=パルマが伝統的な親族間の男系優先の長子相続に基づくナバラ王位の請求者であることが、カラブリア系ブルボン=シチリア家の公式ホームページ[4]において言及されていた。 | ||
| ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボン | ブラン・デスパーニュと呼ばれる現在のフランスおよびナバラ王位請求者。ルイ13世以降のナバラ王位のフランス王位への統合にともなう、サリカ法による相続に基づく。公称「ルイス9世」。 | ||
| ハプスブルグ=ロタリンギアイ・カーロイ | 最後のハンガリー国王カーロイ4世の孫で、ハプスブルグ=ロタリンギア家の家長。 | ||
| シメオン2世 | ブルガリア最後の国王。第二次世界大戦中の1943年、6歳で即位したが、終戦後の1946年、国民投票により王政は廃止され、母后とともに亡命した。のちに「シメオン・サクスコブルクゴツキ」としてブルガリアの首相に就任した。 | ||
| カレル・ハプスブルスコ=ロートリンスキー | 最後のボヘミア王カレル3世の孫。ハプスブルスコ=ロートリンスカ家の家長。 | ||
| ドゥアルテ・ピオ・デ・ブラガンサ | ブラガンサ家の家長。ポルトガル内戦で廃されたミゲル1世の曾孫で、最後の国王マヌエル2世から後継指名されたドゥアルテ・ヌノの長男。「ブラガンサ公」を名乗る。大部分の王党派は彼を正当な王位請求者として認めている。 | ||
| D. Pedro Folque de Mendoça Rolim de Moura Barreto, 6º duque de Loulé | ポルトガルの貴族ローレ公爵家の当主。 ミゲル1世の妹アナ・デ・ジェズス・マリア・デ・ブラガンサの子孫。この系統の支持者は、ミゲル1世はポルトガル王位に関する全ての権利を放棄したため、その子孫であるドゥアルテ・ヌノの系統には王位請求者たる資格がないとみなす。最後の国王マヌエル2世がドゥアルテ・ヌノを後継に定めているため、この主張はあまり支持を得られていない。 | ||
| ニコラ・ペトロヴィチ=ニェゴシュ | モンテネグロ王ニコラ1世の嫡曾孫で、モンテネグロ王家の家長。「モンテネグロ王太子」を称しており、王党派からは「ニコラ2世(Никола II)」と呼ばれている。王家礼遇法により、大統領と同額の手当が支給されている。 | ||
| Inigo von Urach | 1918年にリトアニア王国の王に選出されたミンダウガス2世の孫。リトアニア語を話せることなどの条件から、兄のウラッハ公ヴィルヘルム・アルベルト・フォン・ヴュルテンベルクに優先して王党派組織「リトアニア王室協会」に選ばれ、受諾しリトアニア王位請求者となった[5]。 |
イタリア諸邦[編集]
| 国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
|---|---|---|---|
| ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア | 最後のイタリア国王ウンベルト2世の長男で、元王太子。サヴォイア家の家長として、王党派からは「ナポリ公」あるいは「イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ4世」と呼ばれているとされる。 | ||
| アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ | サヴォイア家の分枝であるサヴォイア=アオスタ家の当主。貴賤結婚を強行した本家当主のヴィットーリオ・エマヌエーレの継承が先代当主ウンベルト2世の同意を得ていないとして、自ら正統の王位請求者として行動している。 | ||
| シギスモンド・ダスブルゴ=ロレーナ・ディ・トスカーナ | アスブルゴ=ロレーナ・ディ・トスカーナ家の家長。 | ||
| ジュリアーノ・デ・メディチ・ディ・オッタイアーノ | メディチ家の分家であるメディチ・ディ・オッタイアーノ家(オッタイアーノ公爵家)の家長。一族がフィレンツェを治める以前に分かれた家系であり、女系でも本家と近縁関係にあったことから、トスカーナ大公位を求めて運動した過去がある。 | ||
| カルロ・サヴェリオ・ディ・ボルボーネ=パルマ | ボルボーネ=パルマ家の家長で、名目上のパルマおよびピアチェンツァ公「カルロ5世(Carlo V)」[6][7]。 | ||
| ローレンツォ・ダスブルゴ=エステ | アスブルゴ=エステ家の家長。 | ||
| カルロ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ | カストロ系のボルボーネ・デッレ=ドゥエ・シチリエ家の家長。「カストロ公」を名乗る。カラブリア系と長年争っていたが、2014年に和解文書の署名がなされた。 | ||
| ピエトロ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ | カラブリア系のボルボーネ・デッレ=ドゥエ・シチリエ家の家長。「カラブリア公」および「カゼルタ伯」を名乗る。カストロ系と長年争っていたが、2014年に和解文書の署名がなされた。 | ||
| ジョアッキーノ・ムラト | ムラト家の当主。フランス皇帝ナポレオン1世の妹婿で、両シチリア王「ジョアッキーノ1世」として即位したジョアシャン・ミュラの子孫。 |
スペイン[編集]
| 国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
|---|---|---|---|
| カルロス・ハビエル・デ・ボルボン=パルマ | ブルボン=パルマ家の家長で、スペインのカルリスタ王位請求者として「カルロス・ハビエル1世(Carlos Javier I)」と呼ばれる[8][9]。 | ||
| シクスト・エンリケ・デ・ボルボン=パルマ | カルロス・ハビエルの叔父。カルロス・ハビエルはカルリスタの王位請求者にはなったもののカルリスタ伝統派の価値観を受け容れておらず、それを憂慮して甥が価値観を受け入れるまでの暫定的な地位として摂政を称する。が、カルロス・ハビエルではなく彼こそがカルリスタの王だとみなす者もいる。 | ||
| ドミニコ・デ・アウストリア=トスカーナ | アブスブルゴ=トスカーナ家の一族。カルロクタビスタ派のカルリスタ王位請求者だが、有力な支持者はいない。ルーマニアのブラン城の所有者。 | ||
| ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボーン | スペイン王族。聾唖のために王位継承権を放棄したセゴビア公ハイメの子孫であり、見方によってはスペイン王家の嫡流といえる。王位継承権はなくまたスペイン王位の請求もしていないが、母親を介してフランシスコ・フランコ総統の血を引いていることから、彼を真のスペイン国王として推戴するフランコ主義者がいる[10]。 |
ドイツ諸邦[編集]
フィンランド[編集]
| 国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
|---|---|---|---|
| フィリップ・フォン・ヘッセン | ヘッセン家の当主ハインリヒ・ドナトゥス・フォン・ヘッセンの弟。フィンランド国王カールレ1世の子孫で、叔父ハインリヒからフィンランド王国の王位請求権を相続した。 | ||
| マリヤ・ウラジーミロヴナ・ロマノヴァ | ロマノフ家(ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家)の家長を称する一人。ロシア帝室たるロマノフ家は、アレクサンドル1世から最後の皇帝ニコライ2世に至るまで5代にわたって、フィンランド大公国の君主として「フィンランド大公」の称号を有していた。 | ||
| アンドレイ・ロマノフ | ロマノフ家の家長を称する一人。 | ||
| ニコライ・キリロヴィッチ・ライニンゲン=ロマノフ | ロマノフ家の家長を称する一人。 |
フランス[編集]
| 国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
|---|---|---|---|
| ルイ・アルフォンス・ド・ブルボン | レジティミストの支持する国王として「ルイ20世」と呼ばれている。スペイン・ブルボン家のスペイン国王アルフォンソ13世の曾孫の一人。スペイン・ブルボン家はフランス・ブルボン家から分枝しており、アンリ・ダルトワ死後のフランス王位継承権はスペイン・ブルボン家に継承されたとレジティミストが主張している。 | ||
| バルタザール4世・ド・ブルボン | 「ブルボン=ボーパール家」を称する、インドの旧貴族。先祖はインドに土着化したブルボン家の王族だとする。スペイン・ブルボン家はスペイン王位を継承するにあたってフランス王位継承権を放棄したと解釈し、かつオルレアン家に反発する一部レジティミストから支持されるが、ブルボン家の子孫であると科学的に証明されているわけではない。(インドのブルボン家参照) | ||
| シャルル・ルイ・ド・ブルボン | 偽ルイ17世ことカール・ヴィルヘルム・ナウンドルフの子孫(ナウンドルフ家参照)で、「シャルル13世」を称する。ナウンドルフはミトコンドリアDNA調査でルイ17世とは別人であるとの結果が出ているが、一方でナウンドルフの男系玄孫であるユーグ・ド・ブルボンとブルボン家一族の男性3名のY遺伝子が酷似しているという調査結果も出ている[11]。ただし多くの科学者は信頼性に疑問を呈している。 | ||
| フランソワ・ド・バヴィエール | ヴィッテルスバッハ家の家長。ジャコバイトのフランス王「フランソワ2世(François II)[12]」と見なされているが、本人はフランス王位を請求していない。 | ||
| ピエール・ド・ブルボン=シシリー | 別系統のジャコバイト王位請求者。カラブリア系ブルボン=シチリア家の家長で、両シチリア王国とナバラ王国の王位請求者でもある。 | ||
| アンリ・ドルレアン | オルレアニストの支持するオルレアン家の家長。名目上のフランス王として「アンリ7世」を称している。 | ||
| シャルル・ナポレオン | ナポレオン1世の弟ジェローム・ボナパルトの玄孫。対等結婚によって息子を儲けて離婚した後、平民と再婚(貴賤結婚)し、「ナポレオン6世」こと父ルイ・ナポレオンから継承権を剥奪されたが、貴賤結婚によって生まれる子孫はともかく自身の継承権はあるとして、正当なボナパルト家当主であることを主張する。「ナポレオン7世」 | ||
| ジャン・クリストフ・ナポレオン | シャルル・ナポレオンの息子。「ナポレオン6世」として知られた祖父ルイ・ナポレオンの遺言により、母との離婚後に貴賤結婚に走った父を飛ばしてボナパルト家の当主「ナポレオン7世」となった。父シャルルの継承を正当とする立場からは、次期家長として「ナポレオン8世」の予定者とみられている。 |
ポーランド[編集]
| 国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
|---|---|---|---|
| アレクサンダー・フォン・ザクセン=ゲッサフェ | ザクセン王家の家長を称する一人。ポーランド・リトアニア最後の国王スタニスワフ2世アウグスト治世下に制定された5月3日憲法によれば、ポーランド・リトアニア王位はザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト(のちのザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世)の子孫に世襲されることになっていた。 | ||
| リューディガー・フォン・ザクセン | ザクセン王家の家長を称する一人。 | ||
| マリヤ・ウラジーミロヴナ・ロマノヴァ | ロマノフ家(ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家)の家長を称する一人。1815年のポーランド立憲王国の成立以来、ロシア帝室たるロマノフ家は、最後の皇帝ニコライ2世に至るまでポーランド王の称号を有していた。 | ||
| アンドレイ・ロマノフ | ロマノフ家の家長を称する一人。 | ||
| ニコライ・キリロヴィッチ・ライニンゲン=ロマノフ | ロマノフ家の家長を称する一人。 |
ルーマニア[編集]
| 国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
|---|---|---|---|
| マルガレータ・ア・ロムニエイ | 最後のルーマニア国王ミハイ1世の長女。ルーマニア王室の家長として「ルーマニア王冠の守護者」の称号と「陛下」の敬称を用いる。 | ||
| パウル・ランブリノ | ルーマニア国王カロル2世の庶流の孫。叔父ミハイ1世の系統をルーマニア王家の正統として認めず、自身がルーマニア王室の家長であると主張する。 | ||
| カール・フリードリヒ・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン | ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯爵家の当主。ルーマニア王家の本家筋にあたり、女子であるマルガレータ・ア・ロムニエイによる継承を認めない一部王党派から支持される。ただし本人はルーマニア王位には興味がないと答えている。 |
ロシア[編集]
| 国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
|---|---|---|---|
| マリヤ・ウラジーミロヴナ・ロマノヴァ | ロマノフ家(ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家)の家長を称する。ロシア帝室家憲の男系男子継承の原則ならびに貴賤結婚の解釈の違いから、一族の中にはマリヤが当主を務めることに対する異論もあり、ロマノフ家の分家に属するニコライ・ロマノヴィチ・ロマノフと競合状態にある。 | ||
| アンドレイ・ロマノフ | アンドレイ・アレクサンドロヴィチの息子。ニコライ・ロマノヴィチ・ロマノフの死後、その弟ドミトリー・ロマノヴィチ・ロマノフが家督を継いだが、ドミトリーが没するとロマノフ家協会によって当主とされた。 | ||
| ニコライ・キリロヴィッチ・ライニンゲン=ロマノフ | ライニンゲン公子カール・エミッヒ。第7代ライニンゲン公エミッヒ・カイル の長男。祖母が皇女マリヤ・キリロヴナで、マリヤ大公女の従甥にあたる。2014年4月よりロシア連邦君主制主義者党 が「ロシア皇帝ニコライ3世」と公称して推戴している。ロマノフ男系ではないものの、マリヤ大公女及びニコライ・ロマノヴィッチ大公は共に貴賤結婚の子孫のため皇位継承権を有していないというのが理由である。父の死後、第8代ライニンゲン公位は弟のアンドレアス が継いでいる。 |
北アメリカ[編集]
| 国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
|---|---|---|---|
| マクシミリアン・フォン・ゲッツェン=イトゥルビデ | 第一帝政期の帝室イトゥルビデ家の家長。イトゥルビデ家はメキシコ第二帝政の皇帝マクシミリアーノ1世(ハプスブルク家出身)の養子に迎えられていたため、第二帝政の流れも汲んで「マクシミリアーノ2世(Maximiliano II)」を称する。 | ||
| カルロス・フェリペ・デ・アブスブルゴ | ドイツ語名は「カール・フィリップ・ハプスブルク=ロートリンゲン」。最後のオーストリア皇帝カール1世の三男フェリックス・ハプスブルク=ロートリンゲンの長男。すなわちマクシミリアーノ1世と同じくハプスブルク一族で、マクシミリアーノ皇帝はイトゥルビデ家を後継者として採用しなかったと主張する一部の君主主義者によって支持される[13]。 |
南アメリカ[編集]
| 国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
|---|---|---|---|
| フレデリック・リュズ | 「アントワーヌ4世」公ことジャン=ミシェル・パラシリティ・ディ・パラが2017年に没した後、後継者に選出された。「フレデリック1世(Frédéric I)」 | ||
| スタニスラス・パルビュレスコ(Stanislas Parvulesco) | 「フレデリック1世」と対立する王位請求者として、「スタニスラス1世(Stanislas I)」を称する。 | ||
| ペドロ・カルルシュ・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ | ペトロポリス系ブラジル帝位請求者。祖父のペドロ・デ・アルカンタラが貴賤結婚をしたことによる継承権放棄を無効と考える君主制支持者の一部から、正統なブラジル帝位継承者と見なされ、「ペドロ5世(Pedro V)」とされている。 | ||
| ルイス・ガスタン・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ | ヴァソウラス系ブラジル帝位請求者。1981年に父の後を継いで名目上のブラジル帝位を継承し、「ルイス1世(Luís I)」となった。 |
オセアニア[編集]
| 国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
|---|---|---|---|
| クエンティン・クヒオ・カワナナコア | カラカウア朝断絶により王位継承権を承継したカワナナコア家。 | ||
| アビゲイル・キノイキ・ケカウリケ・カワナナコア | ハワイ王室当主の一人とされる。 | ||
| オワナ・サラザール | ハワイ王室当主の一人とされる。 |
脚注[編集]
- ^ 王党派がみな王位請求者を支持するわけではない。共和国における王位請求者の支持者は文句なしに王党派であるが、君主国における王位請求者の支持者は、王党派である一方で正統とされる君主に対する反逆者の一面も持つ。
- ^ 覬覦は「(分不相応なことを)うかがい狙う」の意。
- ^ “Californian techie becomes Korean crown prince in fairytale twist”. デイリー・テレグラフ. (2018年12月29日) 2019年1月14日閲覧。
- ^ http://www.borbone-due-sicilie.org/english/genealogy.html
- ^ Mindaugo II anūkas: jei lietuviai panorės atgaivinti monarchiją, esu pasirengęs priimti šią garbę
- ^ Mensaje al Pueblo Carlista de S.M.C. Don Carlos Javier II de Borbón, Rey de Las Españas – blogspot El Carlismo contra Globalizatión (Spanish)
- ^ El primogénito de Carlos Hugo de Borbón – Nuevo pretendiente carlista a la corona de España – website news agency Europa Press (Spanish)
- ^ AL PUEBLO CARLISTA DE S.M.C. DON CARLOS JAVIER I DE BORBÓN, REY DE LAS ESPAÑAS – blogspot El Carlismo contra Globalizatión (Spanish)
- ^ El primogénito de Carlos Hugo de Borbón – Nuevo pretendiente carlista a la corona de España – website news agency Europa Press (Spanish)
- ^ “"Eres nuestro rey": por qué los ultras aclaman a Luis Alfonso en plena crisis en Zarzuela”. EL ESPAÑOL. (2018年7月17日) 2018年10月22日閲覧。
- ^ http://www.ijsciences.com/pub/pdf/V320140219.pdf.
- ^ 百年戦争以来の伝統として、ジャコバイトはヴァロワ=アングレーム家のフランソワ1世とフランソワ2世をフランス王として認めておらず、したがってフランソワという名のフランス王は「フランソワ1世」ことモデナ公フランチェスコ5世に続いて彼が2人目ということになる。
- ^ “Mitos y presuntos herederos a un inexistente torno de México”. EL ESPAÑOL. (2015年7月2日) 2018年10月22日閲覧。
関連項目[編集]
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