ジェシ・エド・デイヴィス
(ジェシー・エド・デイヴィスから転送)
ジェシ・エド・デイヴィス(Jesse Ed Davis)(1944年9月21日 - 1988年6月22日、43歳死去)は、アメリカ合衆国オクラホマ州ノーマン生まれのロック・ギタリスト、シンガー。本名Jesse Edwin Davis Ⅲ。コマンチ族の父とカイオワ族の母を持つ、生粋のインディアン。スワンプ・ロックを代表する名ギタリストで、特にスライド・ギターが印象的。
略歴[編集]
ソロ・デビュー前[編集]
- 音楽好きの両親の影響で、3歳の頃にピアノ、6歳の頃にヴァイオリンを始める。
- 少年時代、エルヴィス・プレスリーやジミー・リード等に影響を受け、本格的にギターを始める。
- ロサンゼルスに出向き、リヴォン・ヘルム(後にザ・バンドで活躍するドラマー)やレオン・ラッセルと、短期間バンドを組む。
- 1966年頃、タジ・マハールに認められ、彼のバンド、ライジング・サンに参加。また、ジョン・リー・フッカーの『ライヴ・アット・カフェ・ゴーゴー』(1967年)にも参加。
- 1968年、ローリング・ストーンズ主宰のイベント「ロックン・ロール・サーカス」に参加するため、タジと共に渡英。
- エリック・クラプトンやジョージ・ハリスン等、イギリスのミュージシャンと交流を深める。
ソロ活動[編集]
- 1970年、エリック・クラプトンの後押しを受け、『ジェシ・デイヴィスの世界(JESSE DAVIS)』でソロ・デビュー。エリックの他にも、レオン・ラッセル、グラム・パーソンズといった豪華ゲストが参加。
- 1971年8月1日、ジョージ・ハリスンが呼びかけた「THE CONCERT FOR BANGLA DESH」に参加。
- 1972年、ソロ第2弾『ウルル(ULULU)』発表。ドクター・ジョン等が参加。ジョージ・ハリスン作の「スー・ミー・スー・ユー・ブルース」等を収録。
- 1973年、ソロ第3弾『キープ・ミー・カミン(KEEP ME COMIN')』発表。結果的に、これが最後のソロ・アルバムとなる。
その後[編集]
- 1970年代は、精力的なセッション・ワークを主な活動とする。
- 1980年代は活動が目立たなくなるが、晩年には、スー族のインディアン詩人、ジョン・トゥルーデルの詩に演奏をつけるライヴを行い、ジョンとの共演を収めたカセット・テープも残す。そのカセットテープはボブ・ディランにその年で最も良かった録音と評された。1987年には、久々にタジ・マハールと共演、『タジ』にゲスト参加。
- 1988年6月22日、カリフォルニア州ベニスのアパートで、麻薬のオーバードーズによるショックにより亡くなる。43歳没。
主な参加作品[編集]
- 井上陽水 - 『二色の独楽』
- エリック・クラプトン - 『ノー・リーズン・トゥ・クライ』
- キース・ムーン - 『ツー・サイズ・オブ・ザ・ムーン』
- ジャクソン・ブラウン - 『ジャクソン・ブラウン・ファースト』
- ジョージ・ハリスン - 『ジョージ・ハリスン帝国』
- ジョン・リー・フッカー - 『ライヴ・アット・カフェ・ゴーゴー』
- ジョン・レノン - 『心の壁、愛の橋』『ロックン・ロール』
- タジ・マハール - 『タジ・マハール』『ナッチェル・ブルース』『ジャイアント・ステップ/ディ・オール・フォークス・アット・ホーム』『タジ』
- ボブ・ディラン - 「川の流れを見つめて」「マスターピース」
- リンゴ・スター - 『リンゴズ・ロートグラヴィア』
- レオン・ラッセル - 『レオン・ラッセル・アンド・ザ・シェルター・ピープル』
- ロッド・スチュワート - 『アトランティック・クロッシング』『ナイト・オン・ザ・タウン』
- V.A. - 『バングラデシュ・コンサート』