ケネニサ・ベケレ

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ケネニサ・ベケレ Portal:陸上競技
2009年世界陸上ベルリン大会
選手情報
愛称 哀しみの新皇帝
国籍 エチオピアの旗 エチオピア
種目 長距離走
生年月日 (1982-06-13) 1982年6月13日(41歳)
生誕地 エチオピア ベコジ
居住地 エチオピア アディスアベバ
身長 165cm
体重 56kg
自己ベスト
1500m 3分32秒35 (2007年)
3000m 7分25秒79 (2007年)
5000m 12分37秒35 (2004年) エチオピア記録
10000m 26分17秒53 (2005年) エチオピア記録
マラソン 2時間01分41秒 (2019年) エチオピア記録
獲得メダル
陸上競技
オリンピック
2004 アテネ 10000m
2004 アテネ 5000m
2008 北京 10000m
2008 北京 5000m
世界選手権
2003 パリ 10000m
2005 ヘルシンキ 10000m
2007 大阪 10000m
2009 ベルリン 10000m
2009 ベルリン 5000m
2003 パリ 5000m
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ケネニサ・ベケレKenenisa Bekele, 1982年6月13日 - )は、エチオピア出身の陸上選手。男子トラック長距離室内2000mの世界記録保持者。5000mおよび10000mの元世界記録保持者。強い精神力とスピードを持ち、鮮烈なラストスパートで知られる。オリンピック世界選手権では圧倒的な強さを見せて優勝を重ね、世界の頂点に君臨し続けていた。

経歴[編集]

2002年世界クロスカントリー選手権を19歳でショートとロングを初制覇。以後両種目において史上初の5連覇を達成する。

国際千葉駅伝の2区(5 km)で最初の1kmを2分28秒で入ると3kmでは7分30秒で結果的に5kmを13分7秒という驚異的な区間新(当時)を出し、男子の最優秀選手に選ばれた。

2003年はオスロで10000mに初めて出走し、ハイレ・ゲブレセラシェを抑えて優勝した。

2004年は短期間に5000mと10000mの世界記録を更新した。アテネオリンピックでは、10000mでは残り4周からロングスパートを仕掛け、唯一付いてきた同じエチオピア出身のシレシ・シヒネに対しても、ラスト400mでさらにスパートを掛けて引き離し。初の金メダルを獲得。しかし二冠を期待されていた5000mではスローペースとなり、ラスト200mでスパートを仕掛けたものの、ラスト100mで本来、中距離走を専門とするヒシャム・エルゲルージのラストスパートに競り負けて、銀メダルに終わった。

2005年はブリュッセルのバンダム記念で再び10000mの世界記録を更新した。

2006年はゴールデンリーグの全勝ボーナスであるジャックポットを狙ったが、6戦5勝に終わった。

2007年はバーミンガムで室内2000mの世界記録を樹立した。

6連覇を狙った世界クロスカントリー選手権では腹痛で途中棄権に終わった。

世界選手権10000mでも不調ながらもライバルの揺さぶりに耐え続け、最後は圧倒的なスパート(ラスト400mを55秒、200mを27秒)で駆け抜けて優勝。

2008年はバーミンガムで室内2マイルの世界記録を樹立し、エディンバラ世界クロスカントリー選手権でも序盤のアクシデントで先頭から大幅に遅れながらも追い付き、優勝した。北京オリンピックでは、5000mと10000mをともに制し、母国の先達ミルツ・イフター1980年モスクワオリンピックで達成して以来となる男子長距離2冠に輝いた。

2009年はベルリン世界陸上にて10000mで4連覇を達成した。

2010年は長年のキャリアによる「勤続」疲労からか、ふくらはぎの故障のため今のところ世界クロスカントリー選手権をはじめとするほとんどの試合を欠場している。

2011年韓国で行われたテグ世界陸上選手権の10000mにエチオピア代表として出場した。直前まで故障が完治しなかったため、練習不足かつ、エチオピア選手権を含む試合に全く出場しないまま、ワイルドカードで世界選手権に臨んだものの、棄権という結果に終わった。しかしその棄権からわずか2週間ほど後、ダイヤモンドリーグブリュッセル大会に出場、26分43秒16という2011年最高記録で優勝するという奇跡的なカムバックを見せた。

2012年アイルランドで行われたグレート・アイルランド・ランの10㎞に出場、序盤から先頭を譲らず、クレイグ・モットラムが2005年に樹立したコースレコードを、40秒近く上回る27分49秒で優勝した。同年のロンドンオリンピックでは、10000mのみに絞って三連覇を目指したものの、モハメド・ファラーゲーレン・ラップ、弟のタリク・ベケレに次ぐ27分32秒の4位に終わった。

2013年、ケネニサはグレート・アイルランド・ランで2年連続の優勝を飾ると、続くハーフマラソンであるグレート・ノース・ランにおいても、モハメド・ファラーやハイレ・ゲブレセラシェとの激戦を制して1時間0分9秒のタイムで優勝した。

2014年、フルマラソンへの参戦を決め、4月6日パリマラソンに出場。初マラソンながら2時間05分04秒の大会新記録をマークして優勝した[1]

2019年9月のベルリンマラソンに出場。35km以降に驚異の追い上げを見せ、37歳にして2時間1分41秒という世界歴代2位の記録で優勝した。故障などもあり、2016年のベルリンマラソン以来の優勝であった。

人物[編集]

  • 首都アディスアベバから遠く離れた高地にあるベゴジ村出身で6人兄弟の2番目。オロモ人
  • 弟のタリク・ベケレも長距離を専門にした陸上選手である。
  • 敬虔なクリスチャン
  • セメント会社であるMuger Cementの陸上部に所属している。
  • 公称身長174cm、体重66kg。ただし一説によると身長は160cmと伝えられており、同じエチオピア出身で身長165cmのシレシ・シヒネと並んでも大した身長差はない[2]
  • アテネオリンピック10000mではラスト1周を53秒02でカバーした。
  • 2005年1月4日に一緒に練習をしていた婚約者であるアレム・テチャレ心臓発作により18歳で急死したことから、哀しみの新皇帝と呼ばれた。その悲しみを癒す為にアメリカ合衆国ニューメキシコ州高地トレーニングを行った。それについて、「アレムを思い出すような場所から離れたかった。そのことから立ち直れるような静かな場所で今季に備えたかった」とコメントしている[3]
  • 2007年世界クロカンを腹痛で途中棄権するまで、クロカンは27連勝だった。
  • 2007年11月18日に女優のダナウィット・ゲブレグジアブハーと結婚する事を発表した[4]

主な成績[編集]

自己ベスト[編集]

  • 1500m 3:32.35(2007年)
  • 3000m 7:25.79(2007年)
  • 2マイル 8:13.51(2007年)
  • 5000m 12:37.35(2004年) =元世界記録、エチオピア記録
  • 10000m 26:17.53(2005年)=元世界記録、エチオピア記録
  • 15 km 42:42(2001年)
  • マラソン 2:01:41(2019年ベルリンマラソン)=エチオピア記録

マラソン成績[編集]

年月 大会名 タイム 順位 備考
2014.04 パリマラソン 2:05:04 優勝 大会記録
2014.10 シカゴマラソン 2:05:51 4位
2015.01 ドバイマラソン ----------- (DNF)
2016.04 ロンドンマラソン 2:06:36 3位
2016.09 ベルリンマラソン 2:03:03 優勝
2017.01 ドバイマラソン ----------- (DNF)
2017.04 ロンドンマラソン 2:05:57 2位
2017.09 ベルリンマラソン ----------- (DNF)
2018.04 ロンドンマラソン 2:08:53 6位
2019.09 ベルリンマラソン 2:01:41 優勝 世界歴代2位
2024.04 ロンドンマラソン 2:04:15 2位

脚注[編集]

外部サイト[編集]

先代
エチオピアの旗 ハイレ・ゲブレセラシェ
男子5000m競走世界記録保持者
2004/5/31 - 2020/8/14
次代
ウガンダの旗 ジョシュア・チェプテゲイ
先代
エチオピアの旗 ハイレ・ゲブレセラシェ
男子10000m競走世界記録保持者
2004/6/8 - 2020/10/07
次代
ウガンダの旗 ジョシュア・チェプテゲイ