グアスタッラ

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グアスタッラ
Guastalla
グアスタッラの風景
行政
イタリアの旗 イタリア
エミリア=ロマーニャ州の旗 エミリア=ロマーニャ
Blank.png レッジョ・エミリア
CAP(郵便番号) 42016
市外局番 0522
ISTATコード 035024
識別コード E253
分離集落 #行政区画参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 14,768 [1](2012-01-01)
人口密度 281.0 人/km2
文化
住民の呼称 guastallesi
守護聖人 Santa Caterina d'Ales== sandria
祝祭日 11月25日
地理
座標 北緯44度55分0秒 東経10度40分0秒 / 北緯44.91667度 東経10.66667度 / 44.91667; 10.66667座標: 北緯44度55分0秒 東経10度40分0秒 / 北緯44.91667度 東経10.66667度 / 44.91667; 10.66667
標高 25 (18 - 25) [2] m
面積 52.56 [3] km2
グアスタッラの位置(イタリア内)
グアスタッラ
グアスタッラの位置
レッジョ・エミリア県におけるコムーネの領域
レッジョ・エミリア県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア
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グアスタッライタリア語: Guastalla)は、イタリア共和国エミリア=ロマーニャ州レッジョ・エミリア県の都市であり、その周辺地域を含む人口約1万5000人の基礎自治体コムーネ)。

中世にポー川河畔に築かれた城砦を起源とする。ルネサンス期にはグアスタッラ公国の首都として、ゴンザーガ家マントヴァ公爵家の傍系)の統治下で繁栄した。方言をはじめとする独自の伝統・文化を保っている。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

レッジョ・エミリア県北部に位置するコムーネ。ポー平原の都市で、ポー川の河畔に所在する。県都レッジョ・エミリアから北へ約25km、マントヴァから南南西へ約28km、パルマから西北西へ約29km離れている[4]。また、モデナからは北西へ約37km、州都ボローニャから北西へ約72km、ピアチェンツァからは西南西へ約77kmの距離にある[4]

レッジョ・エミリア県概略図

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネは以下の通り。MNはマントヴァ県所属。

ポー川対岸のドーゾロとの間は橋で結ばれている。

歴史[編集]

古代から中世盛期[編集]

この都市のある地域には、おそらく紀元前7世紀ごろにはエトルリア人が定住していたとみられる。グアラスタッラの都市の名が初めて史料に登場するのは中世初期864年のことで、イタリア王ロドヴィコ2世が妻のエンゲルベルガに与えた財産の中に、グアスタッラの望楼 "posto di guardia" の名が見られる。ランゴバルド人は、マントヴァを支配した東ローマ帝国に対抗して、この都市を要塞化した。

11世紀、教皇派と皇帝派の争いの中で、グアスタッラはしばしば支配者を変え、さまざまな封建領主が治めた。グアスタッラが都市として重要な役割を演じるようになるのは、カノッサ家 (it:Canossa (famiglia)の支配下、教区教会(教皇ウルバヌス2世によって司教区が設定された)を中心とする中心市街地が建設されてからで、ポー川に面した肥沃な土地を擁し、ポー川の渡渉点としてその戦略的な位置が着目されるようになった。1102年、トスカーナ女伯マティルデ・ディ・カノッサは、グアスタッラをピアチェンツァのサン・シスト修道院に寄進した。その後この都市はクレモナ市や、コッレッジョの僭主(シニョーレ)ジベルト3世・ダ・コッレッジョ (it:Giberto IIIの支配を受けた時期を経て、ヴィスコンティ家ミラノ公国)が1402年まで占領し、その後はテルツィ家 (it:Terzi (famiglia)が支配した。

グアスタッラ伯国/公国[編集]

1406年、テルツィ家はマントヴァ出身のグイード・トレッリ (it:Guido Torelliにこの土地を譲り、1539年までトレッリ家 (it:Torelli (famiglia)によって治められることになる。1428年にはグイード・トレッリにグアスタッラ伯爵の称号が与えられた。グアスタッラは伯爵領の中心となり、宮殿・城・教会・広場などの都市空間が整備され、ルネサンス都市として面目を一新した。1522年に没したアキッレ・トレッリ (it:Achille Torelli, conte di Guastallaに男子はなく、唯一の女子ルドヴィカ・トレッリ (it:Ludovica Torelliがグアスタッラ女伯(Contessa di Guastalla)となった。

グアスタッラにあるフェッランテ1世・ゴンザーガの銅像

マントヴァ公ゴンザーガ家出身の傭兵隊長(コンドッティエーレ)フェッランテ1世 (it:Ferrante I Gonzagaは、ポー川河畔のこの豊かな都市に着目し、自らの家門で所有することを図った。1539年10月3日、フェッランテ1世はルドヴィカから 22,280スクーディので伯爵領を買い取って神聖ローマ帝国に併合した。1541年、ミラノ公国からの独立を宣言したフェッランテ1世に対し、皇帝カール5世はグアスタッラの正式な領有権を認めた。

グアスタッラのゴンザーガ家(初代フェッランテ1世とその子孫)は、207年にわたってこの領土を治めた。この時期にグアスタッラは最大の繁栄期を迎え、その勢威は同時代の諸国家とも肩を並べるようになった。領主はグエルチーノトルクァート・タッソジョヴァンニ・バッティスタ・グァリーニなどの芸術家のパトロンとなった。グアスタッラの造幣局(1746年までこの街は独自の貨幣を発行していた)では、ガスパロ・モーラ (it:Gasparo Molaが働いていた。3代目のフェッランテ2世 (it:Ferrante II Gonzagaは1621年にグアスタッラ公爵に昇叙された。グアスタッラ公国(グアスタッラ公爵領)の領土も広がり、フェッランテ2世はレッジョーロを、4代目のチェーザレ2世 (it:Cesare II Gonzagaドーゾロルッザーラをそれぞれ領土に加えた。

1627年にゴンザーガ家の宗家であるマントヴァ公爵家の直系が絶えると、マントヴァ公位はゴンザーガ家の別の分家(ヌヴェール公爵家)のカルロ1世がフランスを後ろ盾として継承するが、フェッランテ2世はこれに異を唱え、オーストリア・スペインを後ろ盾としてマントヴァ公位の相続を主張し、マントヴァ継承戦争イタリア語版英語版(1628年 – 1631年)に発展した。

17世紀の終わりまで、グアスタッラの町は、グアスタッラ公国の首都として、一定の重要な役割を担っていた。

18世紀以後[編集]

ナポレオン戦争期の北イタリア(ドイツ語表記)

戦略上の要地に位置するグアスタッラは、同時代で最も重要な要塞都市の一つであった。要塞の軍事的な役割は、軍事権力の象徴でもあり、またその失墜の予兆でもあった。1689年にはスペイン軍による攻撃を受け、要塞の要素である城壁を取り壊されてもいる。

ゴンザーガ家最後のグアスタッラ公である8代目のジュゼッペ・マリーア (it:Giuseppe Maria Gonzagaは、1729年に兄の死により公爵となる。ポーランド継承戦争(1733年 - 1738年)中の1734年には、フランス・サルデーニャ連合軍とオーストリア軍との間でグアスタッラの戦いが行われた。グアスタッラはフランスの占領下に置かれる。ジュゼッペ・マリーアは1738年に公爵に復帰するが、1746年に後継者を残さず没した。当時はオーストリア継承戦争(1740年 - 1748年)中であり、グアスタッラはオーストリア軍が占領した。

1748年アーヘンの和約により、パルマ公のボルボーネ家(ブルボン=パルマ家)がグアスタッラ公を兼ね、パルマ公国の一部となった(パルマ・ピアチェンツァ・グアスタッラ公国)。

ナポレオン戦争中の1806年、カミッロ・フィリッポ・ボルゲーゼ(ナポレオンの妹ポーリーヌの夫)がグアスタッラ公となった。

ナポレオン戦争後、ナポレオン1世の皇后であったマリア・ルイーザがパルマ女公となると、グアスタッラ公爵領は再びパルマ公国の一部となった。1847年にマリア・ルイーザが死去すると、パルマ公の称号と領土はブルボン=パルマ家の手に戻るが、グアスタッラをはじめとする飛び地(グアスタッラ、ルッザーラレッジョーロ)はモデナ公国に割譲された。イタリア統一運動の中で1859年にモデナ公国は解体され、1860年にサルデーニャ王国に編入された。1861年にグアスタッラはイタリア王国の一部となった。

行政[編集]

行政区画[編集]

グアスタッラには以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • San Giacomo, San Martino, San Girolamo, San Rocco, Tagliata,San Giorgio.

経済・産業[編集]

グアスタッラには、白物家電(ホーム・アプライアンス)大手スメグ (Smeg (appliances)の本社がある。スメグ社の本来の名は Smalterie Metallurgiche Emiliane Guastalla (エミリア・グアスタッラの金属エナメル加工所[5])で、1948年、グアスタッラにおいて Vittorio Bertazzoni によって創業された。

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]