エベン・バイヤーズ

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TransparentPlaceholder.svg エベン・バイヤーズ Golf pictogram.svg
Eben Byers
Golfer Eben M. Byers.jpg
1903年に撮影されたバイヤーズ
基本情報
名前 エベン・バイヤーズ
生年月日 (1880-04-12) 1880年4月12日
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 Flag of the United States (1877-1890).svg アメリカ合衆国 ペンシルベニア州 アレゲニー郡 ピッツバーグ
経歴
大学 イェール大学
メジャー選手権最高成績
(優勝: 1)
全米オープン CUT: 1908
全米アマ 優勝: 1906
全英アマ T17: 1904
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エベニーザー・マクバーニー・"エベン"・バイヤーズ (Ebenezer McBurney "Eben" Byers1880年4月12日 - 1932年3月31日)は、アメリカ合衆国ソーシャライトアマチュアゴルファー実業家1906年全米アマチュアゴルフ選手権で優勝している。彼は、1930年代初頭に、ラジウムを溶解させたラディトールRadithor)という特許薬英語版を服用し、複数の放射線が原因と推定されるで死去したことで著名となった。

生涯[編集]

実業家であったアレグザンダー・バイヤーズ (Alexander Bayers)の息子として誕生。セント・ポールズ・スクールイェール大学を卒業した[1]。そこでバイヤーズは、アスリートとして、また非常に強いリビドーを持っているということで評判だった。全米アマチュアゴルフ選手権に出場しており、1902年[2]1903年に準優勝を記録した後、1906年カナダのジョルジュ・リヨンを破って優勝を果たしている[3]。バイヤーズは、最終的に父親が創設したジラード・アイアン・カンパニー (Girard Iron Company)の会長に就任した[1]

1927年、バイヤーズは寝台車ベッドから落下し、腕を負傷した。バイヤーズの腕の痛みは快方に向かうことなく、長期間にわたって続くことから、医師がウィリアム・J・A・ベイリー (William J. A. Bailey)が製造した特許薬英語版であるラディトール (Radithor)を服用することを提案した[4]。ベイリーは、ハーバード大学中退した人物であったが、自身を医学博士であると詐称した上で、内分泌系を刺激すると主張するラジウム水溶液であるラディトールを販売し成功を収めていた。彼は、処方した分のうち6分の1相当のキックバックを医師に渡していた[5]

バイヤーズは、「引き締まった状態」になると信じて、1日当たり数回の頻度で服用し始めたものの、その効果が薄れてきた1930年10月に使用を中止した。しかし、それまでにバイヤーズはラディトールを約1,400回も服用していた。彼は体重の減少と頭痛に悩まされるようになり、更にはが抜け落ち始めた。1931年には、連邦取引委員会はバイヤーズに、自身の経験について証言する様に依頼したものの、彼の身体は既に長距離の移動に耐えられる状態に無く、委員会は自宅で声明をとるために、弁護士を派遣することにした。この弁護士は、バイヤーズの状態について、「2本の前歯を除く上顎全体、そして下顎のほとんどが失われていた」、更に「彼の身体の残る骨組織は全て崩壊しつつあり、実際に頭蓋骨には穴が開いていた」と報告している[6]

1932年3月31日ニューヨーク市マンハッタンでバイヤーズは死去し、死因は当時の用語で「放射線中毒 (radiation poisoning)」とされた。ただし、この死因は現代における急性放射線症候群を意味せず、実際にはによるものであった[4][7]。彼は、で裏打ちされたの中に入れられ、ペンシルベニア州ピッツバーグアレゲニー墓地英語版に埋葬された[5]

遺産[編集]

バイヤーズの死は広く報道され、放射線を用いた「治療法」の危険性に対する一般市民の認識を高めることになった[7]

連邦取引委員会は、ベイリーの行っている事業について、「ラディトール (Radithor)の効能について、これまで行われた様々な宣伝を取りやめ、加えてラディトールが無害であると宣伝することを止める」様に命令を発出した[8]。彼は、後にニューヨークに「ラジウム研究所 (Radium Institute)」を設立し、放射性ベルトクリップ、放射性文鎮、水に放射性を持たせる事を目的とした手法の販売を行った[9]

1965年にバイヤーズの墓が掘り起こされた後、マサチューセッツ工科大学物理学者ロブリー・D・エヴァンス英語版は、バイヤーズが摂取したラジウムは、合計で約1,000マイクロキュリー(1,000μCi)に達すると推計した[10]

成績[編集]

ゴルフをプレーするバイヤーズ(1920年から1922年の間に撮影)

アマチュア選手権優勝[編集]

大会 スコア 準優勝者
1906 全米アマチュアゴルフ選手権 2 up カナダの旗 ジョルジュ・リヨン英語版

アマチュア選手権戦績[編集]

大会 1900 1901 1902 1903 1904 1905 1906 1907 1908 1909
全米オープン DNP DNP DNP DNP DNP DNP DNP DNP CUT DNP
全米アマチュアゴルフ選手権[11] R16 R16 2 2 R16 QF 1 SF QF DNP
全英アマチュアゴルフ選手権 DNP DNP DNP DNP R32[12] DNP DNP R128[13] DNP DNP
大会 1910 1911 1912 1913 1914 1915 1916 1917 1918 1919
全米アマチュアゴルフ選手権[11] R32 R32 R32 R16 R16 R32 R32 NT NT DNQ
全英アマチュアゴルフ選手権 DNP DNP DNP DNP DNP NT NT NT NT NT
大会 1920 1921 1922 1923 1924 1925 1926
全米アマチュアゴルフ選手権[11] DNQ DNP DNP DNP DNP DNP DNQ
全英アマチュアゴルフ選手権 DNP DNP DNP DNP DNP DNP DNP

注記:バイヤーズは、マスターズ・トーナメントの創設前に死去しており、全英オープンには一度も出場しなかった。またアマチュアゴルファーであったため、全米プロゴルフ選手権に出場することもできなかった。

  • NT = 大会が開催されなかった
  • DNP = 未出場
  • DNQ = マッチプレーの資格が無かった
  • R256, R128, R64, R32, R16, QF, SF = マッチプレーで負けたラウンド
  • "T"は同点を意味する
  • 緑背景は優勝、黄色背景はトップ10入りを示す

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Leonard, John William (1922). Who's Who in Finance and Banking. Who's Who in Finance Inc. p. 110. https://archive.org/details/whoswhoinfinanc00leongoog 
  2. ^ “Travis Out Of The Race”. New York Tribune: p. 5. (1902年7月18日). http://chroniclingamerica.loc.gov/lccn/sn83030214/1902-07-18/ed-1/seq-5/#date1=1902&index=5&rows=20&words=Herbert+Tweedie&searchType=basic&sequence=0&state=&date2=1902&proxtext=Herbert+Tweedie&y=9&x=13&dateFilterType=yearRange&page=1 2015年5月20日閲覧。 
  3. ^ Wade, Don; McCord, Gary (September 1994). And Then Arnie Told Chi Chi.... McGraw-Hill Professional. pp. 33–4. ISBN 0-8092-3549-8 
  4. ^ a b “Radium Drinks”. Time. (April 11, 1932). http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,743525,00.html 2008年6月22日閲覧。. 
  5. ^ a b “Eben M. Byers: The Effect of Gamma Rays on Amateur Golf, Modern Medicine and the FDA”. Allegheny Cemetery Heritage. (Fall 2004). http://www.alleghenycemetery.com/images/newsletter/newsletter_XIII_1.pdf 2009年11月21日閲覧。 
  6. ^ Winslow, Ron (1990年8月1日). “The Radium Water Worked Fine until His Jaw Came Off”. Wall Street Journal: p. A1 
  7. ^ a b “Death Stirs Action on Radium 'Cures'. Trade Commission Speeds Its Inquiry. Health Department Checks Drug Wholesalers. Autopsy Shows Symptoms. Maker of "Radithor" Denies It Killed Byers, as Does Victim's Physician in Pittsburgh. Walker Uses Apparatus. Friends Alarmed to Find Mayor Has Been Drinking Radium-Charged Water for Last Six Months.”. The New York Times. (1932年4月2日). https://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=FA0F16F93D5A13738DDDAB0894DC405B828FF1D3 2011年10月1日閲覧. "Federal and local agencies, as well as medical authorities in various parts of the country, were stirred to action yesterday as a result of the death of Eben M. Byers, wealthy Pittsburgh steel manufacturer and sportsman, who died here Wednesday at the Doctors' Hospital from causes attributed to radium poisoning resulting from the drinking of water containing radium in solution. ..." 
  8. ^ Radithor (ca. 1925-1928)”. ORAU (1931年12月19日). 2019年7月23日閲覧。
  9. ^ Harvie, David I. (2005). Deadly Sunshine: The History and Fatal Legacy of Radium (1 ed.). Tempus Publishing Limited. pp. 160–161. ISBN 0-7524-3395-4. https://archive.org/details/deadlysunshinehi0000harv 
  10. ^ Evans, Robley D. (September 1981). “Inception of Standards for Internal Emitters, Radon and Radium”. Health Physics 41 (3): 437–448. doi:10.1097/00004032-198012000-00028. PMID 7026502. 
  11. ^ a b c USGA Championship Database
  12. ^ Golf, July 1904, pg. 6.
  13. ^ The Glasgow Herald, May 29, 1907, pg. 12.

参考文献[編集]