ウイリー沖山
ウイリー沖山 | |
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出生名 | 沖山 宇礼雄 |
別名 | ウイリー・ジェームス |
生誕 | 1933年2月25日 |
出身地 | 日本・神奈川県横浜市 |
死没 | 2020年6月28日(87歳没) |
学歴 | セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ |
ジャンル | カントリー |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | ヴォーカル、ギター |
レーベル |
日本ビクター 大映 キングレコード |
ウイリー沖山(ウイリー おきやま、本名:沖山 宇礼雄(おきやま うれお)、1933年(昭和8年)2月25日 - 2020年6月28日)は、昭和・平成期の歌手。神奈川県横浜市生まれ。ヨーデル歌手、カントリー歌手として活動した。「キング・オブ・ヨーデル」の異名を持つ。
経歴
[編集]米国人の父と日本人の母との間に生まれる[1][2]。セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ在学中よりプロとして活動した[1][3]。
カントリー・ボーイズ、ウェスタン・ランブラーズ、チャック・ワゴン・ボーイズを経て、1956年に自身のバンドであるブルー・レンジャーズを結成した。結成時のメンバーは、ウイリー・ジェームス(沖山の当時のステージ・ネーム。ヴォーカル、ギター)、秋元近史(スティール・ギター)、瀬谷福太郎(ヴォーカル、ギター)、前田忠夫(ベース)、林港(ギター)。秋元の日本テレビ入社により、ダブル・スティール・ギター編成となった(ジミー・コリンズ、久力健)。なお、無名時代の菊地正夫(後の城卓矢)と山下敬二郎がバンド・ボーイとして沖山に師事していた。バンドは1957年に解散した。[4]
抜群の歌唱力と発音の良さを買われて、1956年にビクターよりヨーデルの曲「スイスの娘」でレコードデビューした。キャンプ、クラブ、ラジオ、テレビで活躍しポピュラーシンガーとしての地位を固める。低音から高音までの音域の広さを生かし、ジャズ、カントリー、ポピュラー、シャンソン、ハワイアンとレパートリーは多岐に渡る。
読売テレビ『全日本歌謡選手権』では10週勝ち抜き、更にグランドチャンピオンとなる。長野オリンピック時は、Willy・Oとして、五輪応援ソングをリリースする。低音での見事な声の張り、超高音ファルセットまでこなせる稀有な歌手である。
1985年から1999年まで横浜にあったバンドホテルのシェルルーム支配人を務め、歌手としてもシェルルームのステージに立っていた。バンドホテル閉館後は、伊勢佐木町のワシントン・ホテルに出演していた。また、2001年から、よこはまあいあいチャリティ基金チャリティコンサート「カントリーミュージックフェスティバル」を主催した。
長良じゅんとは、長年兄弟のような親交があった。
2014年8月に膠原病を患い、一時は体を動かすこともできず咀嚼機能障害の状態になったが、2018年6月には復活コンサートを開くなど、晩年までディナーショーやライブを精力的に行っていた[2]。
2020年に入ると誤嚥性肺炎のため入退院を繰り返していたが、同年6月28日11時18分、老衰のため、横浜市内の病院で死去した[5]。87歳没。
名前について
[編集]公式HPでは「ウイリー」となっており、各メディアでも「ウイリー」と表記される。しかし、長野オリンピック時のWillyのスペリングからは「ウィリー」と読む事も出来るが本項目では「ウイリー」に統一した。
ディスコグラフィー
[編集]シングル (SP)
[編集]- 東京のヨーデル唄い / スイスの娘 (1956.06。日本ビクター V-41564)
- ヨーデル唄いと洗濯女 (1957.06。日本ビクター V-41676。B面は宮城まり子「雨のロケ便り」)
- ホワイ・ベイビー・ホワイ (1957.09。日本ビクター A-5224。B面は宝とも子「ジャパニーズ・カリプソ」)
- 悲しいヨーデル / 恋の投縄 (1958.01。日本ビクター V-41750)
- アルプスの若者たち (1959.01。日本ビクター V-41902。B面は古賀さと子「アルプスの羊飼い」)
- そうなんだ (1959.04。日本ビクター V-41919。A面はフランク永井「夜霧に消えたチャコ」)
シングル (7インチ)
[編集]- そうなんだ (1959.04。日本ビクター VS-190。A面はフランク永井「夜霧に消えたチャコ」)
- ひとり狼 / 伊三蔵恋しぐれ (1968.04。大映 D-26)
EP
[編集]- V.A. / テレビ人気主題歌デラックス (1975。日本ビクター KVC-10。ヤング・フレッシュとともに「おしえて」「まっててごらん」に参加)
LP
[編集]- ウイリー沖山とミュージック・パートナス / こだまは招く (1959。日本ビクター LV-53)
- V.A. / 日本のウエスタン歌手たち: 進駐軍華やかなりし頃 (1976。日本ビクター SPX-1034)
- V.A. / TOKYOジャンボリー'83 (1983。東芝EMI EWS-66027/8)
CD
[編集]- 小泉今日子 / 夏のタイムマシーン~Live On Saturday Night~快力!ヨーデル娘 (1988。ビクター音楽産業 VDRM-12001。CDS。3曲目に参加)
- ウイリー沖山 / NEVER NEVER~ネバネバ~NEVER NEVER(カラオケ) (1997.06。アルファ ALDA-2034。CDS)
- ウイリー沖山 / スイスの娘 (2003.04。ビクター・エンターテインメント NCS-336) *ビクター時代(1956-59年)のコンピレーション
- ウイリー沖山 / 山の人気者 (2009.12。キング NKCD-1625)
- ウイリー沖山 / ヨコハマの雨傘 (2009.12。キング NMAX-685。EP。「潮風のバラード」とのカップリング)
出演
[編集]- オレたちひょうきん族(フジテレビ) - 「ひょうきんベストテン」で吉川晃司「すべてはこの夜に」、吉幾三「雪國」のネタで準レギュラー出演
- 心はロンリー気持ちは「…」VIII(1989年、フジテレビ)
- ザッツミュージック(NHK)
- タモリの音楽は世界だ(テレビ東京)
- 山田邦子の旅くらぶ(日本テレビ)
- 夜も一生けんめい。(日本テレビ)
- ときめき夢サウンド(NHK)
- さんまのからくりTV(TBS)
- 題名のない音楽会(テレビ朝日)
- うたっておどろんぱ(NHK)
ラジオ出演
[編集]- ミッキー安川のずばり勝負(アール・エフ・ラジオ日本) - ミッキー安川とは旧知の間柄でゲストとして出演し、スタジオで生歌も披露していた。
出典
[編集]- ^ a b 膠原病を克服…「歌こそ命」歌手・ウイリー沖山さん - 定年時代 東京版 平成30年4月上旬号 掲載
- ^ a b ウイリー沖山さん、老衰で亡くなっていた 87歳 - 日刊スポーツ 2020年7月6日
- ^ ウイリー沖山オフィシャルサイト - プロフィール
- ^ 瀬谷福太郎の「カントリー四方山話(よもやまばなし)」
- ^ “キング・オブ・ヨーデル”ウイリー沖山さん死去、87歳 「ひょうきん族」などでも活躍 - SANSPO.COM 2020年7月6日
外部リンク
[編集]- ウイリー沖山オフィシャルサイト
- 膠原病を克服…「歌こそ命」歌手・ウイリー沖山さん - 定年時代 東京版 平成30年4月上旬号 掲載