ミッキー安川

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ミッキーやすかわ
ミッキー安川
本名 安川 実
生年月日 (1933-02-10) 1933年2月10日
没年月日 (2010-01-18) 2010年1月18日(76歳没)
出生地 日本の旗 日本 神奈川県横浜市中区
血液型 A
職業 タレント
ジャンル ラジオテレビ
著名な家族 マット安川
公式サイト 事務所サイト
主な作品
ミッキー安川の「勝負」シリーズ

ミッキー安川(ミッキーやすかわ、1933年2月10日 - 2010年1月18日[1])は、日本タレントラジオパーソナリティ随筆家実業家。本名は安川 実(やすかわ みのる)。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

神奈川県横浜市中区本牧出身。父親は横浜市の富岡海岸で漁業権を管理していた網元であり、漁業以外にも多くの副業を営む事業家であった。また、さらにさかのぼると房総半島の片貝海岸あたりで代々漁師を営んでいた家だったという。第二次世界大戦中は素行の悪さから学童疎開を拒否され、当時、敵国籍の子弟を預かっていた中区山手にあるセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジに一緒に入れられた。

アメリカへ[編集]

横浜高等学校を経て、1952年6月に単身渡米シンシナティ大学に入学したが、英語力の問題からいったん自主退学させられ、テネシー州マウンテン市の知人の家に身を寄せ、小学校4年生のクラスに編入して英語を2ヶ月間学ぶ。

のち同市のハイスクールの3年次編入を経て、ジョンソン市イーストテネシー州立大学に聴講生として入学、まもなく長距離選手として優勝し、この功績により本科生として受け容れられた上、学費や寮費の免除を認められる[2]

人種差別が色濃く残る南部地方の習俗に揉まれ、研鑽を積む。180cmの大柄な体躯で[3]アメリカ人相手に喧嘩に明け暮れた。1954年に、カリフォルニア州サンディエゴ市立大学(2年制のコミュニティカレッジ)に転校。同大学の卒業所要単位を4単位ほど残したままアリゾナ州フェニックスの貿易大学院に入学(大学名は不詳)[4]。しかし授業料の3分の1しか払えなかったため中退を余儀なくされ、学位は取得していない[5]

芸能界へ[編集]

1956年に帰国。日本では貿易商社勤務を経て、小劇場での寸劇出演を経て「安川兵六(ひょうろく)」名義で日劇ミュージックホールコメディアンとして活動を始める。1959年、映画『花嫁さんは世界一』(新藤兼人監督)で俳優デビュー。以後、日本国外での豊富な経験を生かして俳優や司会などを始めとするタレント活動を行う。

東京12チャンネル(現:テレビ東京)の『TVフォーカス』では、事件の現場へすぐさま直行し取材する名物リポーターとしても活躍。同局では、他にロスアンゼルス・サンダーバードチームの「ローラーゲーム」実況や、ゴルフ番組の解説を担当。

また、日本テレビの『ルックルックこんにちは』や放送開始当初の『朝まで生テレビ』のゲストコメンテーターとしても活躍したほか、「ロス疑惑」ではその英語力を生かしてレポーターとしても活躍した。またタレント活動を行う傍ら、東急東横線綱島駅前に「ミッキーラーメン」を開業(現在は閉店、その後同じ敷地に「Matty's」というバーを開店)するなど、実業家の一面も見せた。

石原裕次郎やその兄で作家の石原慎太郎をはじめ、幅広い交友関係を持っていた。なおアール・エフ・ラジオ日本の番組『マネースポーツ』『勝ち組ビジネス』のパーソナリティを務めるタレントのマット安川(本名:安川昌之)は長男。

晩年[編集]

2009年12月20日、『ミッキー安川の雑オロジー』放送直前に体調不良を訴え、この日の出演を直前に断念、マットが代わって司会を担当した。最後の生放送は12月18日の『スーパーフライデー』である[6]

同年12月23日に実施された『ミッキー安川ディナーショー』当日の午後、肺炎のため自宅から病院に搬送され、そのまま入院。2010年1月18日、肺炎のため死去。76歳没[1]。葬儀は横浜市戸塚区親縁寺で催され、鳩山由紀夫首相や石原慎太郎東京都知事、浅香光代ジェリー藤尾ら各界から多くの著名人が参列した。

取材のミッキー[編集]

「取材のミッキー」として有名な逸話が2つある。

  • ヤミ金融杉山グループ会長・杉山治夫ワイドショーのインタビューで詰め寄ったミッキーに対し「金が欲しいのか、金が欲しいんだろう!」と札束を投げつけられたシーン。
  • ロス疑惑でお茶の間を沸かせた三浦和義に執拗にインタビューをして、激怒した三浦からバケツで水を掛けられたという珍事。ロス疑惑時に誹謗とも取れる批判を繰り返したため、後に「馬鹿の最たる者」と評された(三浦が自身の掲示板で同趣旨の発言)。

ラジオ番組[編集]

アール・エフ・ラジオ日本ミッキー安川の「勝負」シリーズ(『ミッキー安川のずばり勝負』など)で、毎回政治家評論家相手に、歯に衣着せぬ物言いで政治から思想・経済観まで彼の独自の経験から縦横無尽に語る事で知られていた。

ミッキーの親友であった石原慎太郎が以前語ったところ、人の話を聞かず口は悪いが人情家で性格は悪くなかったという。ラジオ番組の中では政治や世相に対して憤る事もあったが、その正反対に涙もろい傾向もあった。夜の番組では「今の日本は情けないよなー」と嘆き、感極まって涙を流すことも何回かあった。その際はアシスタントの女性を中心に番組が進められていた。

  • 2007年3月17日の『朝まで勝負』(ゲストは宮崎正弘)で、「どうせ死ぬならピンコロがいいよな。ピンピンしていて、突然コロって死んじまうのがさ。この言葉、埼玉県知事の上田清司から教えてもらったんだ」と言っていた。
  • 以前、「月刊日本」主幹で局の報道部長を務めた南丘喜八郎がゲストの時に鈴木宗男の話題となりミッキーは「俺、宗男さんに脅されたことあるよ。番組、降ろしちゃうぞって。南丘さん、その時あんたも一緒にいたじゃん」と話し、南丘も「あー、うん。なんか僕の名前まで出してね」と言っていた。2007年3月23日の『ずばり勝負』の番組冒頭でミッキーは、この話題をゲスト出演していた鈴木に直接話をぶつけた。翌24日の『朝まで勝負』の冒頭でミッキーは「俺さ、あの人とは色んなことがあったけど、基本的には正直で、いい人なんだよね。今日さ、そう思ったのよ」と言っていた。2007年6月23日の『朝まで勝負』でもリスナーから「昔、ミッキーさんと鈴木宗男議員が大げんかしたと聞きましたが、それは本当でしょうか?」という質問があったが、ミッキーは「俺が生意気な頃の話でさ。今思えば、俺も悪かったのよ」と答え、鈴木と完全に和解していた。
  • 「出演依頼するとさ、快く承諾する人でも、2種類に分かれるのよ。ただyesと言ってる奴と、ほんとに出てくれる人とさ。ラジオを馬鹿にする奴は、たいていは出ないね。アメリカの大統領でも、実はラジオをしっかり大事にしている。日本の政治家はラジオを知らないね」(2007年6月15日『ずばり勝負』)
  • 「ゲストの人格は、『番組に出て下さい』と言った時の反応で分かるね。あーはいはい、って見下した反応とか、ひどいのになると無視するやつもいるからね。そういうやつは、こっちから二度と呼ばないよ。政治家って恐いね。こちらのインスピレーションで一瞬で判断されてしまうし、もう一つはさっきとコロッて態度が変わるからさ」(2007年6月23日『朝まで勝負』)
  • 「『朝まで勝負』の最初に、いつも『君が代』を歌うんだけどさ、政治家の中には、胸に手を当てて歌う人がいるんだよな。俺、あれ大嫌いでさ。なんかアメリカン・スタイルのような気がするからさ。直立不動で歌う方が、俺は好きだけどね」(2007年6月23日『朝まで勝負』 ゲストの鈴木宗男が、胸に手を当てて『君が代』を歌ったことに触れて)
  • 「俺、アメリカ好きだよ。英語もできるし、調子いいからアメリカ人にも友達できるし、物価も安いからさ。だけど俺、アメリカに永住したくないんだ。それは、アメリカってとにかくマネーなんだよな。マネー・イズ・ベストなんだよ。日本もモラルが無くなってきているけどさ、まだ日本人の方がさ、なんか良い人に思えるんだ」(2007年6月23日『朝まで勝負』)
  • 2009年6月19日の昼のゲストは、作家の佐藤優だった。「ミッキーさん、3週間ぶりにゲストで呼んでくださいましたけど、ほおがこけてらっしゃって心配ですね」「3週間で15キロもやせた」「リスナーの皆さん、どうかミッキーさんに励ましのファックスをお願いします」と呼びかけると番組終了までに多くのファンからの励ましのメール、電話、ファックスが届いた。
  • 自身のラジオ番組にゲストで招いた (電話での出演も含む)歌手の新曲などをかける前に、「今からあなたの曲をかけるから、自分で曲の紹介をしてよ」 と歌っている本人にその曲の紹介をさせたり、「一回かけただけじゃラジオを聴いている皆様に歌を覚えてもらえないからね」 と話し、数回繰り返してその曲をかけ続けることもあった。

嗜好[編集]

好きな食べ物は、米国産牛肉のTボーンステーキやプライム・リブズや温州みかん、そして博多ラーメンであり、横浜勝烈庵のとんかつ、大阪に本店を持つインデアンカレーカレーライスなか卯カレーうどんなど。横浜中華街にも、好みの店が多くあったという。

コーヒーは軽いローストのものを薫り高く入れたものを好み、バニラのフレーバード・コーヒーも好んだ。また、狂牛病で世間が騒いでいた時、あえて自身の番組内で横浜中華街の焼肉店の店主と電話会談して「全く大丈夫だよなー、俺なんか牛肉食わないと、生きている気がしねえもんな。 牛肉をじゃんじゃん食って日本人も元気出さないといけないよな」と徹底弁護していた。

主な出演作品[編集]

テレビ番組[編集]

映画[編集]

ラジオ番組[編集]

  • ミッキー安川の「勝負」シリーズアール・エフ・ラジオ日本
    • ミッキー安川のずばり勝負
    • ミッキー安川の朝まで勝負
    • ミッキー安川のオレンジマンデー
    • ミッキー安川のゴルフ放談
    • ミッキー安川の雑オロジー
    • ミッキー安川のスーパーフライデー
  • その他の番組
    • ミッキー安川のヨコハマ今昔(新・旧2つあり)

著書[編集]

  • ヤレばやれるぞ : 男心を泣かす本 ミッキー安川 著 青春出版社 1967 (プレイブックス)
  • 男なら勝負しろ : 強く、衝撃的に生きる本 ミッキー安川 著 徳間書店 1968 (トクマカジュアルブックス)
  • 一度読む本 : 禁秘録 ミッキー安川 著 青春出版社 1968 (プレイブックス)
  • ぶれいボーイ見参 ミッキー・安川 著 集英社 1969 (プレイボーイ・ブックス)
  • ヘコたれない本 : 図太く 平気で 大きく ミッキー安川 著 青春出版社 1969 (プレイブックス)
  • しるべのない道 安川実名義 角川文庫 1975
  • ゴルフ・ゴルフ・ゴルフ ミッキー安川 著 泰流社 1977
  • 恐怖のニューヨーク ミッキー安川 著 泰流社 1977
  • トラベル英語SOS : Help me ミッキー安川 著 ベストセラーズ 1980 (ワニの本. ベストセラーシリーズ) のちワニ文庫
  • ふうらい坊留学記 ミッキー安川 著 サンケイ出版 1980 のち『ふうらい坊留学記 : 50年代アメリカ、破天荒な青春』として中公文庫
  • ふうらい坊潜入記ミッキー安川 著 サンケイ出版 1982
  • マインド・ビルダーの本 : オレの体験的人生ノート ミッキー安川 著 いんなあとりっぷ社 1994 (もっと、心のそばへ これでいいのか日本)

脚注[編集]

  1. ^ a b “タレントのミッキー安川さん死去”. 読売新聞. (2010年1月18日). http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100118-OYT1T01076.htm 2010年1月18日閲覧。 
  2. ^ 本人著『ふうらい坊留学記』pp.113-118(中公文庫、1999年
  3. ^ 『ふうらい坊留学記』阿川尚之解説、p.376
  4. ^ 『ふうらい坊留学記』pp.337-338
  5. ^ 『ふうらい坊留学記』p.356。
  6. ^ ミッキー安川さんが肺炎で死去 ニュース-ORICON STYLE2013年4月21日閲覧

関連人物[編集]

外部リンク[編集]