アワミ連盟

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 バングラデシュの政党
アワミ連盟
Bangladesh Awami League

বাংলাদেশ আওয়ামী লীগ
党首 シェイク・ハシナ
創立 1949年6月23日
本部所在地 ダッカ
政治的思想 民主社会主義
ベンガル民族主義
世俗主義
政治的立場 中道左派
国内連携 Grand Alliance
公式カラー グリーン
国会
271 / 350
公式サイト
Awami League
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アワミ連盟(アワミれんめい、ベンガル語বাংলাদেশ আওয়ামী লীগ Bāŋlādeś Āowāmī Līg)は、バングラデシュの主要な政党。別名をBangadesh People's Leagueといい、現在はイスラム協会バングラデシュ民族主義党と並んでバングラデシュの三大政党のひとつ。政策中道左派的で、また親インド的といわれる。

全パキスタン・アワミ・ムスリム連盟としてフセイン・シャヒード・シュラワルディ(Huseyn Shaheed Suhrawardy)により1949年に結成された。1955年、党名から「ムスリム」の語が落とされた。設立当初は、パキスタンの離れた地域にまったく同名の政党がそれぞれ別に設立されたため、名称をめぐる混乱があった。ひとつはムジブル・ラフマンによる Maulana Abdul Hameed khan であり、もうひとつは 'Peer Manki Shareef' による北西パキスタン(en:North-West Frontier Province, Pakistan)の政党である。1950年両党はシュラワルディを党首とする All Pakistan Awami Muslim League として合併した。1954年、アワミ連盟は協力関係にあった政党とともにパキスタン総選挙に勝利し、その結果シュラワルディはパキスタンの第5代目首相に就任し、ムジブル・ラフマンは閣僚となった。1957年、Maulana Abdul Hameed Khanが National Awami Party の名のもとに分離して新しい政党を作った。1970年のボーラ・サイクロンが甚大な被害を与えた直後のパキスタン総選挙では、アワミ連盟は東パキスタンで162議席中160議席を獲得したが、西では1議席も得ることができなかった。そしてバングラデシュ独立戦争および第三次印パ戦争を経て1971年にバングラデシュが独立すると、連立政党を持たない第1党として政権を握った。

アワミ連盟はパキスタン独立後、8年半の期間を除くと、つねに政府与党であった。1972年以降、ムジブル・ラフマンの指導下で、政府官僚の腐敗や飢饉対策の不十分さから人心が離反した。1975年8月15日、軍将校とCIA工作員によるクーデターがおき、現職の大統領であったムジブル・ラフマンと同居の家族がダッカで殺害された。現在の党首はムジブル・ラフマンの娘で、そのとき生き残ったシェイフ・ハシナである。 1990年代以降社会主義、対インド友好、政教分離、少数派のヒンドゥー教徒の保護などの政策の路線をあいまいにしてきている[1]

2008年12月29日に行われた総選挙では、選出対象の299議席中、230議席(得票率48.06%)を獲得し、圧勝した。

脚注[編集]

  1. ^ 大橋正明、村山真弓『バングラデシュを知るための60章』[第2版] 明石書店 2009年 41ページ

外部リンク[編集]