きりしとほろ上人伝

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きりしとほろ上人伝
作者 芥川龍之介
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
発表形態 雑誌掲載
初出新小説1919年3月号-5月号
収録 『影燈籠』 春陽堂 1920年1月
装幀:野口巧造
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きりしとほろ上人伝』(きりしとほろしょうにんでん)は、芥川龍之介1919年(大正8年)に雑誌『新小説』誌上に発表した小説である。

キリスト教聖人伝説集『レゲンダ・アウレア』(黄金伝説)に登場する聖人クリストフォロスの生涯を翻案した小説。キリシタン版の『天草本伊曾保物語』(1594年刊)で使用されている、戦国時代の京阪地方における話し言葉を引用した文体に特徴がある。芥川の小説におけるジャンル「切支丹物」の傑作とされる。

なお、冒頭に「予が所蔵の切支丹版「れげんだ・おうれあ」の一章に、多少の潤色を加へたもの」とあるが、この『切支丹版れげんだ・おうれあ』は、芥川が『奉教人の死』の執筆時に創作した架空の書物である。

あらすじ[編集]

遠い昔、「しりあ」の国の山中に、「れぷろぼす」という名の心優しい大男が住んでいた。彼は常々、この世の中で一番強いものに仕えたいと考えていたが、世間知らずで誰が一番強いのかわからない。日ごろ親しくしているに尋ねると、「あんちおきやの帝ほど、武勇に富んだ大将もおじゃるまい」と教わる。そこでれぷろぼすは山を下りて都に上り、帝の家来になる。

れぷろぼすは強大な肉体を生かして合戦で大手柄をたて、帝に認められ、大名に取り立てられる。しかし戦勝の祝宴で、琵琶法師の詠う物語を聞く帝が「じゃぼ」(悪魔)という言葉を恐れ、しきりに十字を切るさまを見て、帝王よりも悪魔が強いことを悟り、「それがしはこれよりまかり出で、悪魔の臣下と相成ろうず」と宣言し、怒った帝に投獄される。牢獄の中で呻いていたれぷろぼすは、現れた悪魔に助け出される。悪魔はれぷろぼすを連れてえじっとへ飛び、砂漠に庵を結んで修行する隠者を美女の姿で誘惑しようとする。しかし「業畜、御主『えす・きりしと』の僕に向って無礼あるまじいぞ」の叫びと共に十字架に打たれ、退散してしまう。

帝王よりも、悪魔よりも強い「えす・きりしと」の存在を知ったれぷろぼすは、その下僕になりたい旨を隠者に相談するが、かつて悪魔の家来だった者は、枯木にバラでも咲かない限り、神の僕になれない掟である。そのうえ無学で教典も読めず、大食いで断食も出来ず、寝坊で徹夜の修行も出来ないと云うれぷろぼすに隠者は困るが、身の丈3丈もある彼を見込み、近隣の大河の渡し守を務めさせることを思いつく。旅人の通行を助ければ、その心根が自然と天主に見出されるだろうという考えからだった。隠者に洗礼を施されたれぷろぼすはこうして「きりしとほろ」と名を改め、大河の渡し守となる。

それから三年の間、きりしとほろは大河のほとりに庵を結び、渡し守として旅人の便宜を図っていた。河を渡ろうとする者がいるとその者を肩車し、柳の大木を引き抜いた杖をつき、向こう岸に渡すのである。ある嵐の夜、「河を渡してください」と小屋の戸を叩く者がいた。きりしとほろが外に出ると、一人の幼い少年である。なぜこんな子供が嵐に一人で河を渡ろうとするのか不審に思うが、きりしとほろは少年を肩に乗せ、河に踏み込んだ。

すさまじい風雨と濁流に加え、奇怪なことに背負った少年の体が次第に重くなり、あまりの重さに一時を死を覚悟するが、きりしとほろは必死で目ざす岸へと急ぎ、ようやく対岸に、喘ぎ喘ぎよろめき上がった。彼が少年を肩から降ろして「さてさて、おぬしの重さは、はかり知れぬぞ」と息をつくと、少年はにこりと微笑み「さもあろう。おぬしは今夜、世界の苦しみを背負った『えす・きりしと』を、背負いぬいたのだ」と、鈴を振るような声で答えた。

その夜を境に、この河のほとりからは大男の姿が消えた。ただ残ったのは向こう岸に突き立った柳の杖で、その周りには、赤いバラの花が咲き乱れていた。

心の貧しい者は、幸いなるかな。天国は彼らのものなり。

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