かっとばせ!キヨハラくん

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かっとばせ!キヨハラくん
ジャンル 野球漫画ギャグ漫画
漫画
作者 河合じゅんじ
出版社 小学館
掲載誌 月刊コロコロコミック
コロコロアニキ
レーベル てんとう虫コミックス
→てんとう虫コロコロコミックス
発表期間 月刊:1987年6月号 - 1994年4月号
アニキ:第1号 - 第4号
巻数 全15巻
テンプレート - ノート

かっとばせ!キヨハラくん』は、河合じゅんじによる日本プロ野球ギャグ漫画作品。1987年の『別冊コロコロコミック』(小学館)、『コロコロコミック増刊号』での読み切り掲載の後、『月刊コロコロコミック』同年6月号から1994年4月号にかけて連載された。その後『コロコロアニキ』にてリバイバル連載されたが、第5号にて主人公のモデルである清原和博が逮捕されたため打ち切りとなり、代作として『いつかのホームラン』が掲載された。 コミックスは全15巻。愛称は「キヨハラくん」。

作品解説[編集]

西部ライアンズの「キヨハラ」を始め、様々なプロ野球選手・関係者が繰り広げるギャグ漫画である。

登場人物は実際のプロ野球選手がカタカナで登場している。ただし、外国人選手は主にその名前をひねった名前(主に濁点・半濁点を取ったり付けたり、やや似ている文字で代用したり)で登場している、次作の『ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん』については連載途中から外国人選手はひらがな表記となっている。

球団名も実際のものを少しひねった名前だが、広島東洋カープは「東洋」の部分が省略され、「広島カーブ」と呼ばれ、読売ジャイアンツは、地名から「東京カイアンツ」と呼ばれる(当時の正式な球団名は東京読売ジャイアンツである。)。さらに、他球団の略称は現実同様、企業名または地域名だがカイアンツの略称は「東京」ではなく、そのまま「カイアンツ」と呼ばれる。たとえば、西部ライアンズ対東京カイアンツは西部対東京ではなく、「西部対カイアンツ」と表記される。ただし、第1話に関しては1987年発売の『月刊コロコロコミック春休み増刊号』掲載時は、球団は実名のまま表記されていた(「西武」「巨人」など)。なお、PL学園は当時からLP学園表記であったが、他の話では雑誌掲載時に選手名が実名で登場した例が見られた(「阪神のユフネ(湯舟敏郎)」など)、これらの実名表記は、全てコミックスでは修正されている。

当初は、1987年のオールスター戦ではパシフィック・リーグがホーム用、セントラル・リーグビジター用ユニフォームを着用していたなど、ビジター用ユニフォームも描かれていたが、その後ビジターのチームでもユニフォームがホームのものとなっている。

月刊連載であるが、最盛期はキヨハラ主役の『かっとばせ!キヨハラくん』とクワタ主役の『がんばれ!クワタくん』(のち『やったぜ!クワタくん』)の二本立てで、『別冊』にもしばしば掲載された。1度、夏休み増刊号で『がんばれ!クワタくん』だけが掲載され、キヨハラが脇役でクワタが主役として扱われたことがある。ただし「クワタくん」シリーズは、単行本では全て『かっとばせ!キヨハラくん』の一エピソードの扱いになっている。

1989年開催のゲームイベント『第5回ハドソン全国キャラバン』の中で使用された特別ソフト『ハイテク王国』に収録されたミニゲームのひとつとしてゲーム化もされている。タイトルは『かっとばせ!キヨハラくんのホームラン競争』で、クワタを相手とした10球勝負でキヨハラが何本のホームランを打てるかを競うという内容。同社から発売されていた『パワーリーグ』を原型としているため、メイン画面のキャラクターは漫画とは異なるリアルタッチの頭身をしていた。

2014年から発売されたコロコロアニキでは続編が製作された。しかし、同誌第5号(2016年3月15日発売)にて掲載を予定していた同作品は、同時期にモデルとなった清原が起こした覚醒剤取締法違反事件の影響により休載、後に1話限りのオリジナル読み切り「いつかのホームラン」を挟んで『ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん』の連載開始により正式に連載が打ち切りとなった[1][2]

球団名(モデルとなったリーグおよび球団)[編集]

パッパ・リーグ(パシフィック・リーグ)[編集]

なお、年代設定上の理由により、『コロコロコミック』にて本作が連載されていた当時は東北楽天ゴールデンイーグルスがモデルとなった球団は登場していなかったが(本作は1994年3月に完結しており、対して楽天イーグルスは連載終了から10年後の2004年11月に創設されている。)、『コロコロアニキ』にて復活した際に楽ちんイークルスとして登場した(厳密に言えば、同球団は次々回作の『モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくん』にて既に登場している。)。

セント・リーグ(セントラル・リーグ)[編集]

球場名(モデルとなった球場)[編集]

パ・リーグ[編集]

セ・リーグ[編集]

登場人物(モデルとなった選手・人物)[編集]

作中の描写と類似した実際の出来事[編集]

河合が本作で描いたストーリーと類似した出来事(選手の移籍、監督の就任等)が、後日実際に発生したケースがある。

作品の内容 実際の出来事
1 キヨハラがカイアンツに紛れ込む。三塁に滑り込んだ際にタッチをしたオチアイが気づき「キヨハラが来ると三冠王が取れない」とオー監督に抗議。 西武・清原が1996年オフにFA宣言で巨人に移籍。当時巨人に在籍していた落合博満は清原の移籍により自ら日本ハムへ移籍した。なお、実際に落合はセ・リーグで三冠王を獲得していない(首位打者のみ獲得できなかった)。
2 1987年の日本シリーズに中日ドラポンズのホシノ監督と選手らが現れ「来年はうちが優勝するから」といって胴上げの練習をする。 1988年、セ・リーグのペナントレースを制した優勝チームは中日だった。
4 モリ監督の代わりに西武の監督代行を務めたナガシマが近鉄との試合後に、キヨハラに加えアワノオーイシをカイアンツへ誘う。そしてクドーもそれに便乗しようとする。 阿波野秀幸1995年工藤公康2000年に巨人に移籍。
5 クワタが優勝を逃して落ち込むオー監督のために、オチアイ、ヒロサワポンシェコバヤカワをカイアンツに入団させる。ただし、一球団につき5名の選手を放出することが条件となり、ナカハタ横はば太洋コバ監督に連れて行かれそうになる。 落合は1993年オフ、広澤克実1994年オフにそれぞれFA宣言で巨人に移籍。中畑清は2012年に横浜大洋の後身である横浜DeNAベイスターズの初代監督に就任する。また、2008年よりFAによる移籍が発生した場合、移籍元の球団が移籍先の球団に選手を1名請求できる人的補償も導入された。
5 ヒガシオが「モリさんの次の監督はオレだ」とボケる。 6年後の1995年東尾修森祇晶の後任として西武の監督に就任する。
5 タイエーのスギウラ監督から入団を誘われたヒガシオが、「お前らも来るか?」とアキヤマイシゲクドーの3人をタイエーに連れて行こうとする。 秋山幸二1993年オフに交換トレードで、石毛宏典工藤公康は1994年オフにFA宣言でダイエーに移籍。
9 タイエー戦だから遊んでみようと思ったモリ監督が、デラストーデをピッチャーに起用。しかしクワタのイヤガラセで登板出来なかった。 東尾が監督に就任した1995年オレステス・デストラーデが公式戦(対オリックス戦)で投手として登板[3]
9 オリッグスのフーマーが、タイエーのユガミダニに変装してタイエーの選手として出場 。 2年後の1992年ブーマー・ウェルズはオリックスからダイエーへ移籍する。
9 ロッデのムラタが、タイエーのムラタの代わりで助っ人として出場 。 5年後の1995年村田兆治はダイエーに投手コーチとして入団。
10 話題作りのため、近鉄とオリッグスが連合チーム「オリッ鉄バッパローブス」を結成。 2004年の球界再編問題において、同年オフに近鉄がオリックスに吸収合併され、2005年からオリックス・バファローズとなる。
11 カイアンツ入団前のモトキが2番のユニフォームを着て現れる。 1994年元木大介は背番号「37」から「2」に変更。
14 ノムラ監督に「しごいてやる」と連れて行かれたカズシゲに対し、ナガシマ監督が「来年はきっとトレードで獲得してやるからなー」と発言。 直後の1992年オフ、長嶋一茂は野村による無償トレードで巨人に移籍する。

脚注[編集]

  1. ^ なお、コロコロアニキ版は単行本未収録である。コロコロアニキ読者の皆様へ - 小学館
  2. ^ “「番長」逮捕でギャグ漫画「かっとばせ!キヨハラくん」が休載決定 クワタは“悪役”キャラで登場”. 産経新聞. (2016年2月9日). https://www.sankei.com/article/20160209-Z45VIJ23LFO63GBWR5AFLTLDYA/ 2016年2月11日閲覧。 
  3. ^ 1995.5.9 デストラーデ選手が投手として登板 Archived 2016年3月12日, at the Wayback Machine. - 埼玉西武ライオンズ(「ライオンズ・クラシック 2014」特設サイト(ビジターユニフォーム エピソード))、2016年2月11日閲覧

関連項目[編集]