歩兵第63連隊

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歩兵第63連隊
創設 1905年
廃止 1945年
所属政体 大日本帝国
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 広島 - 松江
通称号/略称 鉄5447
部隊歌 歩兵第六十三聯隊歌
上級単位 第16師団 - 第17師団 - 第10師団
最終位置 フィリピン ルソン島北部
主な戦歴 日露 - 満州事変 - 日中 - 第二次世界大戦
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歩兵第63連隊(ほへいだい63れんたい、歩兵第六十三聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

沿革[編集]

7月 - 第16師団隷下となる
8月8日 - 軍旗拝受
11月 - 第16師団から第17師団に所属変更。
11月16日 - 島根県八束郡津田村に移転[2]
12月14日 ‐ ルソン島へ転進のため乗船した船団は高雄港を出港するが、アメリカ軍機動部隊が台湾、ルソン方面を制空しているため、南下できないだけでなく、逆に北方に避退を続けることになった[4]。その後、機動部隊が去るのを待って南下を開始したが[5]サンフェルナンド湾入港直前の23日に潜水艦魚雷攻撃を受け輸送船「乾瑞丸」が沈没、第3大隊の三分の二が死亡した。
1月3日 - 集結地サンホセに到着。バレテ峠に陣地構築[6](第6中隊はサラクサク峠に配置された捜索第10連隊に転属[7]。その後、第10、第11中隊もサラクサク峠地区に派遣[8]。)
3月 - バレテ峠に来攻したアメリカ軍の攻撃により戦死者続出
6月14日 - バレテ峠からの転進開始[9]実質的に全滅状態となる
8月5日 - 残存兵力約90名がピナパガンに到着する[10]
8月20日 - ピナパガンにおいて終戦を知る[11]
9月12日 - ウルトウガンにおいて軍旗奉焼[11][10]

歴代連隊長[編集]

歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
1 石黒千久之助 1905.7.12 - 中佐
2 白川健次郎 1909.11.30 - 1912.12.10
3 有吉雅一 1912.12.10 - 1913.2.14
4 森部静夫 1913.2.14 - 1917.8.6
5 町田勝五郎 1917.8.6 - 1921.7.20[12]
6 外山豊造 1921.7.20 - 1922.8.15[13]
7 鳥居佐太郎 1922.8.15 - 1923.8.6[14]
8 町田徳助 1923.8.6 -
9 松本三太郎 1924.2.4 -
10 谷藤長英 1928.3.8 -
11 伊田常三郎 1929.8.1 -
12 中村音吉 1931.8.1 -
13 飯塚朝吉 1932.12.7 - 1934.3.10 戦死し少将に特進
14 人見与一 1934.3.23 -
15 中井重義 1936.3.7 -
16 福栄真平 1937.10.5 -
17 堤三樹男 1939.3.9 -
林葭一 1941.3.1 -

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第7126号、明治40年4月5日。
  2. ^ 『官報』第7622号、明治41年11月20日。
  3. ^ 『歩兵第六十三聯隊史』、453頁。
  4. ^ 『ルソン決戦』、23頁。
  5. ^ 『ルソン決戦』、25頁。
  6. ^ 『歩兵第六十三聯隊史』、460頁。
  7. ^ 『歩兵第六十三聯隊史』、458頁。
  8. ^ 『歩兵第六十三聯隊史』、465頁。
  9. ^ 『歩兵第六十三聯隊史』、467頁。
  10. ^ a b 『ルソン決戦』、530頁。
  11. ^ a b 『歩兵第六十三聯隊史』、470頁。
  12. ^ 『官報』第2692号、大正10年7月21日。
  13. ^ 『官報』第3013号、大正11年8月16日。
  14. ^ 『官報』第3306号、大正12年8月7日。

参考文献[編集]

  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 官報
  • 歩兵第六十三聯隊史編纂委員編『歩兵第六十三聯隊史』歩兵第六十三聯隊史刊行委員会、1974年。

関連項目[編集]