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[[2011年]]、[[6月11日]]に[[マジェスティバイオ]]で[[東京ジャンプステークス]]を勝ち、障害重賞初勝利、14年ぶりの重賞勝利を果たす。[[7月2日]]、[[マイネルネオス]]で[[中山グランドジャンプ]]を勝ち、GI(J・GI)初制覇。この勝利を機にマイネル軍団からの騎乗依頼はさらに増え、2006年に52回まで落ち込んだ騎乗回数が、この年はデビュー以来最多となる493回に伸びた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/02/03/kiji/K20120203002557050.html 【東京新聞杯】ラクリマ“代打”で軽快12秒6 ― スポニチ Sponichi Annex 競馬] 2012-02-03閲覧</ref>。 |
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2012年3月4日、[[コスモオオゾラ]]で[[弥生賞]]を勝ち、1997年のラジオたんぱ賞以来となる平地重賞勝利を収めた。 |
2012年3月4日、[[コスモオオゾラ]]で[[弥生賞]]を勝ち、1997年のラジオたんぱ賞以来となる平地重賞勝利を収めた<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/2012/03/04/0004858571.shtml 9番人気コスモオオゾラが制す 弥生賞] デイリースポーツ 2012年3月4日閲覧</ref>。 |
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== 主な騎乗馬 == |
== 主な騎乗馬 == |
2012年3月4日 (日) 08:47時点における版
柴田大知 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 栃木県宇都宮市 |
生年月日 | 1977年6月18日(46歳) |
身長 | 158.0cm |
体重 | 49.0kg |
血液型 | B型 |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 | フリー |
初免許年 | 1996年 |
免許区分 | 平地・障害 |
経歴 | |
所属 |
美浦・栗田博憲(1996.3 - 1997.10)→ 美浦・フリー(1997.10 - 2006.9.12)→ 美浦・岩戸孝樹(2006.9.13[1] - 2008.2.18)→ 美浦・フリー(2008.2.19[2] - ) |
柴田 大知(しばた だいち、1977年6月18日 - )は日本中央競馬会(JRA)美浦所属の騎手。双子の弟・柴田未崎はJRAの元騎手で現調教助手。同期には福永祐一・和田竜二らがおり、競馬学校花の12期生の一人である。
来歴
小学5年生の時、体の小ささを活かせるとして親に薦められ、弟の未崎と共に乗馬を開始。その当初は騎手に惹かれるも競馬そのものにはさほどの関心はなく、後に「競馬のシステムなどは学校に入ってから知った」と述べている。
大知が籍を置く宇都宮の乗馬クラブ[3]には4歳年上の小林淳一も所属しており、小林が後にJRA騎手としてデビューを果たしたのを契機に、自身も騎手になろうという決意を固める。また弟の未崎も同じ進路を歩むが2人して相談するでなく、自然と同じ志を抱くようになっていたという。
入学当初は成績が芳しくなかった大知であったが卒業時には上位2・3番目[4]にまで挽回する盛り返しを見せたものの、大知のいた12期生は傑出した騎手候補生がなく、所属先の厩舎がなかなか決まらない者もいた。大知もまたその一人であったが最終的に美浦の栗田博憲調教師に決まり、1996年3月、未崎と揃って騎手デビューを果たす。
JRA史上初の双子騎手[5]、さらに双子でふたご座ということも話題を集め、デビュー当時多くのマスコミから注目を集めたが、大知は「結果も出してないのに双子というだけで騒がれるのは嫌だった」とコメントを残している。
同期の福永がデビュー2連勝を飾る中「自分は自分」とマイペースで進め、3月31日初勝利を記録。8月3日には双子ワンツーフィニッシュ(1着・未崎、2着・大知)を飾り、デビュー年は27勝を挙げ民放競馬記者クラブ賞を受賞した。
2年目の1997年6月29日、ラジオたんぱ賞をエアガッツで制して重賞初勝利。しかしこの重賞勝利の直後に、当時の師匠である栗田の反対を押し切って競馬新聞記者との結婚を強行し、これが原因で栗田厩舎から解雇処分(破門)されてしまいフリーの騎手となった。この事件を境に騎乗数が減り始め、次第に勝てなくなっていった。
2003年以降は勝利数が1桁台にまで落ち込み2005年より騎乗数確保のため障害競走に初騎乗。以後平地競走・障害競走の双方で騎乗し、2010年7月10日、ディアディアーに騎乗して福島ジャンプステークスに勝利。障害オープン特別競走初勝利、並びに前述のラジオたんぱ賞以来となるオープン競走勝利を挙げた。
平地競走では2008年8月3日、新潟競馬第11競走の北陸ステークスでダイイチミラクルに騎乗して2着に入り、それを機にミルファームの所有馬に騎乗するようになる。そしてミルファーム代表の清水敏が以前ビッグレッドファームに勤務していたことで、その縁は岡田繁幸にまで広がり、マイネル軍団の馬にも騎乗するようになった。
2011年、6月11日にマジェスティバイオで東京ジャンプステークスを勝ち、障害重賞初勝利、14年ぶりの重賞勝利を果たす。7月2日、マイネルネオスで中山グランドジャンプを勝ち、GI(J・GI)初制覇。この勝利を機にマイネル軍団からの騎乗依頼はさらに増え、2006年に52回まで落ち込んだ騎乗回数が、この年はデビュー以来最多となる493回に伸びた[6]。
2012年3月4日、コスモオオゾラで弥生賞を勝ち、1997年のラジオたんぱ賞以来となる平地重賞勝利を収めた[7]。
主な騎乗馬
- エアガッツ(1997年 ラジオたんぱ賞)
- ディアディアー(2010年 福島ジャンプステークス)
- マイネソルシエール(2011年 フローラステークス2着)
- マジェスティバイオ(2011年 東京ジャンプステークス、東京ハイジャンプ)
- マイネルネオス(2011年 中山グランドジャンプ)
- コスモオオゾラ(2012年 弥生賞)
騎乗成績
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
平 地 |
初騎乗 | 1996年3月2日 | 1回中山3日1R | 4歳未勝利 | フジノコハギ | 16頭 | 4 | 3着 |
初勝利 | 1996年3月31日 | 2回中山4日5R | 4歳未勝利 | ライトオンファイア | 16頭 | 1 | 1着 | |
重賞初騎乗 | 1996年8月25日 | 4回中山6日11R | 新潟記念 | シャルムダンサー | 11頭 | 10 | 11着 | |
重賞初勝利 | 1997年6月29日 | 1回福島6日11R | ラジオたんぱ賞 | エアガッツ | 9頭 | 3 | 1着 | |
GI初騎乗 | 1997年4月6日 | 2回阪神6日10R | 桜花賞 | グランシェール | 18頭 | 12 | 16着 | |
障 害 |
初騎乗 | 2005年12月10日 | 5回中山3日5R | 障害未勝利 | ミラクルコジーン | 14頭 | 11 | 9着 |
初勝利 | 2008年1月12日 | 1回中山3日4R | 障害未勝利 | ジンデンバリュー | 14頭 | 7 | 1着 | |
重賞初騎乗 | 2006年6月10日 | 3回東京7日9R | 東京ハイジャンプ | ファインピーク | 14頭 | 9 | 7着 | |
重賞初勝利 | 2011年6月11日 | 3回東京7日8R | 東京ジャンプステークス | マジェスティバイオ | 14頭 | 8 | 1着 | |
JGI初騎乗 | 2010年12月25日 | 5回中山7日10R | 中山大障害 | マイネルネオス | 12頭 | 5 | 3着 | |
JGI初勝利 | 2011年7月2日 | 3回中山5日11R | 中山グランドジャンプ | マイネルネオス | 12頭 | 2 | 1着 |
年度 | 平地競走 | 障害競走 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | |
1996年 | 27 | 25 | 32 | 350 | .077 | .149 | .240 | - | ||||||
1997年 | 29 | 18 | 29 | 336 | .086 | .140 | .226 | - | ||||||
1998年 | 11 | 17 | 19 | 315 | .035 | .089 | .149 | - | ||||||
1999年 | 10 | 9 | 17 | 253 | .040 | .075 | .142 | - | ||||||
2000年 | 9 | 19 | 22 | 293 | .031 | .096 | .171 | - | ||||||
2001年 | 11 | 15 | 16 | 291 | .038 | .089 | .144 | - | ||||||
2002年 | 10 | 8 | 9 | 239 | .042 | .075 | .113 | - | ||||||
2003年 | 5 | 4 | 6 | 197 | .025 | .046 | .076 | - | ||||||
2004年 | 5 | 10 | 7 | 135 | .037 | .111 | .163 | - | ||||||
2005年 | 3 | 2 | 5 | 98 | .031 | .051 | .102 | 0 | 0 | 0 | 3 | .000 | .000 | .000 |
2006年 | 0 | 0 | 1 | 13 | .000 | .000 | .077 | 0 | 5 | 4 | 39 | .000 | .128 | .231 |
2007年 | 0 | 0 | 0 | 12 | .000 | .000 | .000 | 0 | 1 | 4 | 42 | .000 | .024 | .119 |
2008年 | 0 | 1 | 0 | 22 | .000 | .045 | .045 | 1 | 2 | 2 | 50 | .020 | .060 | .100 |
2009年 | 1 | 3 | 1 | 71 | .014 | .056 | .070 | 1 | 0 | 1 | 45 | .022 | .022 | .044 |
2010年 | 4 | 12 | 8 | 185 | .022 | .086 | .130 | 2 | 3 | 3 | 35 | .057 | .143 | .229 |
2011年 | 15 | 23 | 27 | 453 | .033 | .084 | .143 | 5 | 5 | 3 | 40 | .125 | .250 | .325 |
中央 | 140 | 166 | 199 | 3263 | .043 | .094 | .155 | 9 | 16 | 17 | 254 | .035 | .098 | .165 |
地方 | 4 | 6 | 9 | 74 | .054 | .135 | .257 |
関連項目
参考文献
- 別冊宝島『競馬騎手読本』(宝島社、1997年)ISBN 4-7966-9290-8
- ベストセラーズ「競馬最強の法則」2012年3月号 p.63-68
脚注
- ^ 柴田大知騎手、岩戸孝樹厩舎所属に | News | 競馬実況web | ラジオNIKKEI 2010-7-28閲覧
- ^ 柴田大知騎手、フリーに | News | 競馬実況web | ラジオNIKKEI 2010-7-28閲覧
- ^ JRA宇都宮育成牧場・現在は競走馬総合研究所
- ^ 牧原由貴子・福永祐一の二人が上位二名
- ^ 一方がJRA、もう一方が地方競馬所属の双子騎手としては、水野貴広・水野貴史兄弟が既にいた。また両方が地方競馬の所属の双子騎手としては竹田吉孝・竹田吉秀兄弟やかつて兵庫に在籍していた松本良平・松本心平兄弟の例もあった。
- ^ 【東京新聞杯】ラクリマ“代打”で軽快12秒6 ― スポニチ Sponichi Annex 競馬 2012-02-03閲覧
- ^ 9番人気コスモオオゾラが制す 弥生賞 デイリースポーツ 2012年3月4日閲覧