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*青木健「アーリア人」([[講談社]]選書メチエ 2009年)
*青木健「アーリア人」([[講談社]]選書メチエ 2009年)
 
 
==外部リンク==
*[http://1000ya.isis.ne.jp/1421.html 『アーリア人』青木健]千夜千冊 連環篇


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2011年11月28日 (月) 07:39時点における版

アーリア人(Aryan)はイラン北部からトゥーラーンにかけてを出自とし、主にインド・イラン語派(アーリア語派)に属する言語を話していた人々。テュルクモンゴル民族の勃興と中央アジア北部インド西アジア 支配により、一つの民族としてのアーリア人はほぼ消滅した。現存する近縁としてはパシュトゥーン人ペルシア人タジク人、北部のインド人の幾つかの民族、またはその混血などがあり、彼らはアーリア人の末裔である。[1]また、彼らを指してアーリア人と呼ぶこともある。

概要

この項ではイラン・アーリア人、インド・アーリア人と、それらの先祖だけをアーリア人と呼ぶ事とするが、アーリアン学説ではより広い意味でアーリア人という言葉を用いており、インド・ヨーロッパ語族に属する諸語を使う民族全般の祖をなすと想定された民族を指す。アーリアン学説における意味でのこのアーリア人を、この項では、アーリア人と呼ぶのではなく、アーリア人種と呼ぶ事にする。

アーリアン学説による広義のアーリア人、すなわちアーリア人種は多くの民族を子孫とするとして想定された。広義のアーリア人は元々インドに住んでいたが、中央アジアイランへ更にロシアや東欧まで拡散した。[2]

さて下記の狭義のアーリア人は

司祭が社会的に重要な地位であった。 自然現象を神々として崇拝する宗教を持っていた。

語源と名称の変化

アーリアの語源は、サンスクリット語の「アリア (aria, arya, 阿唎耶)」、および、それがペルシャ語に取り入れられた「アリイア (ariia)」とされる。いずれも「高貴な」という意味で、他民族より「高貴な」民族と考えたアーリア人が自称した。古代ギリシア人がイラン高原をアリアナ地方 (Aryana)、当地の住民をアーリア人と記録しており、その頃には地中海東部地域でも既知の民族名だったと言える。

宗教

イスラム教以前のイランの宗教はマズダー教である。マズダー教の特徴として世界を善悪の二つの神のグループの戦いとしてとらえる。善神がアフラと呼ばれ、悪神はダエーワと呼ばれる。

インドの宗教でも同様に、善悪の二つの神の戦いとしてとらえる部分がある。善神がデーヴァと呼ばれ、悪神はアスラと呼ばれる。

アフラとアスラ、ダエーワとデーヴァは同じ語源だと思われるが、善悪の意味が逆転している。したがって、アフラ・アスラを信仰するアーリア人はペルシアに定住して、ダエーワ・デーヴァを信仰するアーリア人がインドに定住したという説もあった[3]。 ただし、実際にはインドでもヴェーダ時代にはアスラに属するヴァルナやミトラが重要な神格であり、善悪の逆転はインドとイランそれぞれの内部発展の差異に由来するものだと考えられている。

バラモン教

バラモン教は、インド・アーリア人が創り出した宗教である。

バラモン教が影響を与えた他の宗教

  • 仏教は、バラモン教の風土を土台に釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が修行の後に悟った真理で、釈迦の死後にバラモン教の一部を取り込んでいる。
  • ヒンドゥー教は、バラモン教を土台に、その他の宗教を取り込んで再構成されたものである。
  • ジャイナ教は、仏教と同時期にヴァルダマーナによって提唱された教えで、より徹底した不殺生を説く。なお仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の三者は成立以降、互いに影響し合って発展してきた経緯がある。
  • シク教は、ヒンドゥー教とイスラム教の宥和を目指して構築されたもので、両者の教義を取り入れている。

アーリア人が関係した出来事

脚注

  1. ^ 青木健「アーリア人」216ページ
  2. ^ Y-Chromosome distribution within the geo-linguistic landscape of northwestern Russia
  3. ^ インド神話とペルシャ神話

文献

  • 出典は「世界地名の語源」(牧英雄 編著 自由国民社、1980年)
    • 「世界地名語源辞典」(蟻川明男 編著 古今書院)がある
  • 青木健「アーリア人」(講談社選書メチエ 2009年)

 

外部リンク

関連項目