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「久喜菖蒲公園」の版間の差分

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* [http://www.nem-shiteikanri.jp/shisetsu/kuki/ 久喜菖蒲公園管理事務所]
* [http://www.nem-shiteikanri.jp/shisetsu/kuki/ 久喜菖蒲公園管理事務所]
* [http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/509471/www.city.kuki.saitama.jp/info/koubunsyo/tenji/no13/index.html 第13回企画展 図録 河原井沼の開発 久喜市公文書館]
* [http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/509471/www.city.kuki.saitama.jp/info/koubunsyo/tenji/no13/index.html 第13回企画展 図録 河原井沼の開発 久喜市公文書館]
* [http://www.city.kuki.lg.jp/kanko/kanko_info/map2/pdf/map2.pdf 「久喜駅西口コース」 久喜市観光ウォーキングマップ 久喜市ホームページ(PDFファイル)]
* [http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=R3409&photono=17 河原井沼(1949年12月7日撮影)国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧 国土地理院ホームページ]
* [http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=R3409&photono=17 河原井沼(1949年12月7日撮影)国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧 国土地理院ホームページ]
* [http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=CKT7418&courseno=C114&photono=5 河原井沼(1975年1月6日撮影)国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧 国土地理院ホームページ]
* [http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=CKT7418&courseno=C114&photono=5 河原井沼(1975年1月6日撮影)国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧 国土地理院ホームページ]

2011年8月27日 (土) 21:39時点における版

久喜菖蒲公園
所在地
面積 40ha
開園 1977年7月
運営者 埼玉県
駐車場 300台
公式サイト 埼玉県ホームページ
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久喜菖蒲公園(くきしょうぶこうえん)は、埼玉県久喜市河原井町(旧久喜市、現:久喜区域)および菖蒲町昭和沼(旧南埼玉郡菖蒲町、現:菖蒲区域)にまたがる地区に埼玉県により建設された公園である。

概要

  • 久喜菖蒲工業団地の整備に合わせ、1977年昭和52年)7月に完成した埼玉県営の公園である。現在は委託管理されている。
  • 公園は昭和沼を囲うように整備され、久喜菖蒲工業団地のほぼ中央部に位置している。
  • 久喜区域菖蒲区域にまたがる河原井町には、かつて昭和沼や河原井沼といわれていたクリーク(小川)の多い湿田地帯であったが、1970年(昭和45年)にこのクリークを集約し、31.3haの巨大な池を整備、周囲に165haの久喜菖蒲工業団地を造成した。現在、昭和沼の水は周囲の工場によって工業用水として利用されている。
  • 昭和沼の中には高さ34mの大規模な音楽噴水があり、30分毎に約10分間運転される。日没後にはこの噴水がライトアップされる。
  • 昭和沼の東(管理事務所の北方)に備前堀川へと通じる水路が設けられている。
  • 平成の大合併以前は昭和沼の中央よりやや西側、北東から南西に向かい市町界(東側:旧久喜市、西側:旧南埼玉郡菖蒲町)があった。

施設・設備

交通アクセス

駐車場

  • 収容台数 300台
  • 利用時間

河原井沼・昭和沼

河原井沼(かわはらいぬま)は開発される以前、長さ35町(約3.8km)・横16町(約1.7km)の広大なであった。河原井沼は上流からの悪水が落ち込む場所であるとともに、下流域では水源となる溜井の役割を果たしていた。当時流入していた主な河川としては古笊田堀五ヶ村堀外谷落大蔵落であり、流出先は備前堀庄兵衛堀川爪田ヶ谷堀などであった。

1728年享保13年)に見沼代用水の開削により豊富な水源の確保が可能になると、河原井沼や周辺の湖沼での新田開発が本格化した。河原井沼では1728年(享保13年)、井沢弥惣兵衛の指揮のもとに太田袋村の武助が出願人となり、主に周辺の台村江面村・除堀村・原村・下早見村所久喜村の村民が工事にあたり、新田開発が進められた。工事は主に流入・流出先の河川・水路の整備から始まったが、低湿地であったために縦35間(約63m)・横2間(約3.6m)の堀を幾重にも掘り、掘った土を積み上げて掘り上げ田を作る方式で新田を開発した。これらの新田は河原井沼周辺の6ヵ村に分配された。これらの新田は武助新田を除き幕府天領として幕末まで維持された。

1966年昭和41年)頃、この地域の工業団地造成計画が具体化し1977年(昭和52年)3月、9カ年を要し久喜菖蒲工業団地が整備され完成した。久喜菖蒲工業団地の造成時に現在の工業団地部分に盛り土をするため、河原井沼地区の中央部を掘削し用土を確保した。このために生まれたのが現在の久喜菖蒲公園中央部に所在する昭和沼(しょうわぬま)である。

外部リンク