雪ノ下
雪ノ下 | |
---|---|
鶴岡八幡宮 | |
北緯35度19分22.85秒 東経139度33分11.13秒 / 北緯35.3230139度 東経139.5530917度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川県 |
市町村 | 鎌倉市 |
地域 | 鎌倉地域 |
面積 | |
• 合計 | 0.72 km2 |
人口 | |
• 合計 | 2,800人 |
• 密度 | 3,900人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
248-0005[3] |
市外局番 | 0467 (藤沢MA)[4] |
ナンバープレート | 横浜 |
雪ノ下(ゆきのした)は神奈川県鎌倉市鎌倉地域にある地名。現行行政地名は雪ノ下一丁目から雪ノ下五丁目と大字雪ノ下。住居表示は丁目あり区域は実施済み区域、大字は未実施区域[5]。郵便番号は248-0005[3]。
もともとは鶴岡八幡宮背後の地域を指していたが、次第に拡大し境内とその周辺を指すようになった。
歴史・由来
吾妻鏡によると、建久2年(1191年)2月17日に降雪が5寸になった雪見のため、鶴岡八幡宮を訪れた源頼朝が佐々木盛綱らに山辺の雪を長櫃に入れて夏に備えて貯蔵させたことが由来とされる。地名は吾妻鏡の建保元年(1213年)正月四日に初見される。源実朝を暗殺した公暁は、雪ノ下の本坊(別当坊)に逃れた。
応永24年(1417年)1月に関東管領上杉禅秀は挙兵して鎌倉公方足利持氏を追放するが、敗れて雪ノ下で自刃している(上杉禅秀の乱)。
江戸時代初期に「雪ノ下村」の地名が現れ、明治22年(1889年)まで続く。明治27年(1894年)に鎌倉町に編入され、昭和41年(1966年)に住居表示に伴い雪ノ下一丁目-四丁目となった。平成3年(1991年)に浄明寺からの移管で雪ノ下五丁目が編入・追加された。小町通りは、南半分の周辺が小町、北半分の周辺が雪ノ下である。
世帯数と人口
2018年(平成30年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
大字・丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
雪ノ下 | 18世帯 | 43人 |
雪ノ下一丁目 | 465世帯 | 1,049人 |
雪ノ下二丁目 | 161世帯 | 369人 |
雪ノ下三丁目 | 246世帯 | 546人 |
雪ノ下四丁目 | 329世帯 | 705人 |
雪ノ下五丁目 | 41世帯 | 88人 |
計 | 1,260世帯 | 2,800人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6][7]。
大字・丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
雪ノ下 | 全域 | 鎌倉市立第二小学校 | 鎌倉市立第二中学校 |
雪ノ下一丁目 | 10~16番 | ||
1~9番 | 鎌倉市立御成小学校 | 鎌倉市立御成中学校 | |
雪ノ下二丁目 | 2~18番 | ||
1番 | 鎌倉市立第二小学校 | 鎌倉市立第二中学校 | |
雪ノ下三丁目 | 全域 | ||
雪ノ下四丁目 | 全域 | ||
雪ノ下五丁目 | 全域 |
交通
道路
施設
名所・旧跡
- 鶴岡八幡宮
- 鎌倉文華館鶴岡ミュージアム - 鶴岡八幡宮の境内にある
- 鎌倉国宝館 - 鶴岡八幡宮の境内にある
- 段葛
- 川喜多映画記念館
- 鏑木清方記念美術館
その他
- 鎌倉雪ノ下郵便局
- 三井住友銀行 鎌倉支店
- 横浜国立大学教育学部附属鎌倉小学校
- 横浜国立大学教育学部附属鎌倉中学校
- 清泉小学校
参考文献
- 奥富敬之 『鎌倉史跡事典』 新人物往来社 1999年
- 三浦勝男編 『鎌倉の地名由来辞典』 東京堂出版 2005年
脚注
- ^ “平成28年(2016年)版鎌倉の統計”. 鎌倉市. 2018年2月22日閲覧。
- ^ a b “鎌倉の人口と世帯数(地域・町丁・字別)”. 鎌倉市 (2018年1月26日). 2018年2月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月22日閲覧。
- ^ “鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況”. 鎌倉市 (2017年2月7日). 2018年2月22日閲覧。
- ^ “鎌倉市の市立小学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
- ^ “鎌倉市の市立中学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
山ノ内 | 西御門 | 二階堂 | ||
扇ガ谷 | 浄明寺 | |||
雪ノ下 | ||||
小町 | 大町 |