菅佐原英一

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すがさわら えいいち
菅佐原 英一
菅佐原 英一
松竹映画『若き日は悲し』(ポスター)での菅佐原(最右列最下)
本名 菅佐原 英一
生年月日 (1925-01-01) 1925年1月1日(99歳)
出生地 日本の旗神奈川県
国籍 日本
民族 日本人
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1953年 - 1964年
主な作品
母性日記1955年 佐々木啓祐
美貌の園1956年 杉岡次郎
緑なる人1956年 田畠恒男
恋愛裁判1959年 尾崎甫
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菅佐原 英一(すがさわら えいいち、1925年大正14年)1月1日 - )は日本の俳優神奈川県出身。

来歴・人物

東京帝国大学(現・東京大学)法学部在学中の1944年学徒出陣して、陸軍特別操縦見習士官として特別攻撃隊に配属された[1]が、敗戦後に無事に復員した。その後、京浜美術工芸社勤務を経て、1953年昭和28年)に佐分利信にスカウトされて、佐分利信監督主演の「広場の孤独」で銀幕デビューを果たす。2作目も佐分利が監督した映画「叛乱」(1953年、新東宝)に出演する。1953年、松竹に入社。松竹入社後は、「蛍草」(1954年、松竹)、「母性日記」(1955年、松竹)、「美貌の園」(1956年、松竹)などに水原真知子中川弘子杉田弘子七浦弘子紙京子らと共演して松竹大船調メロドラマ作品で活躍する。松竹大船現代劇において、佐竹明夫船山裕二溝口亮らと共に、当時の松竹三羽烏:佐田啓二高橋貞二大木実川喜多雄二と肩を並べる活躍をする。その後も「花ふたたび」(1956年、松竹)、「家庭教師と女生徒」(1957年、松竹)などのメロドラマ作品に出演を続けた後、1961年に松竹を退社。フリーになり、テレビドラマにも出演するようになった。

主な出演作品

映画

テレビドラマ

参考文献

  • 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報増刊10月23日号、キネマ旬報社、1979年、286頁

関連項目

脚注

  1. ^ 東京新聞1956年5月7日

外部リンク