粛州区
中華人民共和国 甘粛省 粛州区 | |
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酒泉鼓楼 | |
簡体字 | 肃州 |
繁体字 | 肅州 |
拼音 | Sùzhōu |
カタカナ転写 | スーヂョウ |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 甘粛 |
地級市 | 酒泉市 |
行政級別 | 地級市 |
面積 | |
総面積 | 3,349 km² |
人口 | |
総人口(2004) | 35 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0937 |
郵便番号 | 735000 |
行政区画代碼 | 620902 |
公式ウェブサイト: http://jqsz.gov.cn/ |
粛州区(しゅくしゅう-く)は、中華人民共和国甘粛省酒泉市に位置する市轄区。シルクロード上にある主要な歴史文化都市である。紀元前121年に前漢が郡を設けてから2100年を超える歴史を有する。
行政区画
6街道、7鎮、8郷を管轄する:
- 街道弁事所:東北街街道、東南街街道、西南街街道、西北街街道、新城街道、工業園街道
- 鎮:三墩鎮、西洞鎮、総寨鎮、上壩鎮、金仏寺鎮、清水鎮、銀達鎮
- 郷:西峰郷、泉湖郷、果園郷、下河清郷、黄泥堡郷、鏵尖郷、東洞郷、豊楽郷
地理
河西回廊中間の西部、東経98度12分 - 99度18分、北緯39度10分 - 39度59分に位置する。平均海抜1765m。東西104km、南北84km、総面積3386km²。
典型的な大陸性気候で乾燥しており、降水は少なく、蒸発が多い。寒暖の差は比較的大きく、日照時間は長く、砂埃交じりの風が多い。
歴史
考古学的発見によれば新石器時代中期にはすでに人が酒泉へ定住していた痕跡がある。
『史記』「黄帝本紀」には黄帝の時、其の土地「西は空桐に至る」と記載、『括地誌』の説明では、この山は酒泉の東南六十里にある。到大禹の時になって、天下を九州に画いて、酒泉を雍州の管轄下とした。
名称の沿革
西暦紀元前121年(漢武帝元狩二年)、漢の驃騎将軍霍去病が河西回廊を取った後、漢朝は武威、酒泉、張掖、敦煌の4郡を設置した。酒泉郡下には9県が設置され、現在の粛州区は当時の縁福県に相当する。その後名称は顕徳県、縁福県、福縁県、酒泉県と変遷している。
帰属
- 夏から戦国時代までは西羌。
- 戦国から漢初までは順に烏孫、月氏、匈奴。
- 三国時代は魏。
- 東晋時、順に前涼、前秦、後涼、西涼、北涼の領地。西涼王李暠はかつてこの地を都とした。
- 唐代宗の広徳元年(西暦763年)以後は吐蕃。
- 唐末から五代(西暦907年 - 960年)まで回鶻(ウイグル)。
- 宋代は西夏。
他の時期は中央政権に属した。
特産物
- 夜光杯
- 酒泉奇石
- 玉彫
- 毛絨毯
- 氷硝梨
観光地
- 酒泉西漢勝跡
- 魏晋壁画墓
- 明代鐘鼓楼