稲川良夫

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稲川 良夫(いながわ よしお、1962年4月13日[1] - )は、日本クイズ王1987年第11回アメリカ横断ウルトラクイズ日本テレビ放送網系)などクイズ番組で5度の優勝を収めた[1]

来歴[編集]

岐阜県大垣市生まれ[1]岐阜県立大垣南高等学校を経て立命館大学法学部卒業[1]。大学在学中の1982年、第6回アメリカ横断ウルトラクイズと、そのスピンオフ番組であるウルトラクイズ史上最大の敗者復活戦に参加するも惨敗[2]。その後、同年12月1日、大学のクラスメート5人と立命館大学クイズソサエティー(RUQS)を結成、初代会長に就く[2]

大学卒業後凸版印刷に入社、1987年には第11回アメリカ横断ウルトラクイズに参加。途中国内第3次予選の成田空港でのジャンケンで敗北するも、出身地にほど近い愛知県小牧市のパチンコ店「ニューヨーク」[3]で行われた「名古屋縦断ミニトラクイズ」でのパチンコ敗者復活戦にて見事復活を果たす[4]小牧空港グアム島行きの機内で行われた400問ペーパークイズでも総合トップの成績を収め国外脱出がなった[4]。以後安定して上位勝ち抜けが続き、[5]優勝を勝ち取ることとなる[6]

優勝から2年後の1989年、第13回アメリカ横断ウルトラクイズに参加。こちらも見事海外脱出を果たすも、第2チェックポイントのグアムで敗退[7]。さらに翌年の第14回アメリカ横断ウルトラクイズに参加し第一次予選の第2問にて敗退し、その時前回準優勝の永田喜彰と前回3位の秋利美記雄と3人そろって同時に敗れ去る映像が写し出されていた。

現在は凸版印刷を退社し、地元岐阜のイベント会社に勤務。

エピソード[編集]

  • 第11回アメリカ横断ウルトラクイズで優勝を果たし、賞品「夢のリゾート・アイランド」[5]を獲得。しかし賞品地であるカナダノバスコシア州に行ってみると、実際にもらえたのは満潮になると1畳分しか顔をのぞかせない岩礁であった[5]。このは小牧市での敗者復活戦にあやかり「パチンコ島[5]と名付け、現在も島の固定資産税を支払っている[8]
  • 1986年に開催された第10回アメリカ横断ウルトラクイズでは、岐阜県出身の森田敬和が優勝しており、岐阜県出身者がウルトラクイズで連覇を果たす。また前述の森田に加え第9回優勝者の金子孝雄から3年連続で敗者復活から優勝者が出ることになった。
  • 第12回アメリカ横断ウルトラクイズでは瀬間康仁、第13回アメリカ横断ウルトラクイズでは長戸勇人と、立命館大学クイズソサエティー(RUQS)の後輩が連続優勝し、立命館クイズ研究会の会長経験者によって三連覇を記録することになった。[9]

クイズ番組優勝歴[編集]

※前述のアメリカ横断ウルトラクイズを除く。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 立命館大学クイズソサエティー『RUQSのクイズ全書』情報センター出版局1993年7月、p.31
  2. ^ a b 『RUQSのクイズ全書』p.13
  3. ^ 現在は閉店して建物も取り壊され現存せず。
  4. ^ a b 『アメリカ横断ウルトラクイズ 11』日本テレビ放送網1987年12月、p.27
  5. ^ a b c d カンクンでは圧倒的勝利を収め、ワシントンのクイズサミットではこのCPでの敗者を指名し二抜け、通過時にはエールを送る余裕を見せるなど実力を示した。
  6. ^ 『アメリカ横断ウルトラクイズ⑪』p.199
  7. ^ 『RUQSのクイズ全書』p.73
  8. ^ パチンコ島が没収の危機!?ハウエバー稲川のパチンコ島通信
  9. ^ ちなみに、12回優勝の瀬間は東京ドームでの一次予選で最後の問題で誤答したために失格となり、一次予選通過者から辞退者が出た時の補欠に回っていたが、通過者から辞退者が出た為に復活。13回優勝の長戸もこの回で稲川も失格となったグアムでのドロンコクイズで誤答したために失格となり、敗者復活戦で復活している。その為、最終的には5年連続で敗者復活者から優勝者が出る事になった。
  10. ^ 『RUQSのクイズ全書』p.82
  11. ^ 『RUQSのクイズ全書』p.77
  12. ^ 『RUQSのクイズ全書』p.79
  13. ^ 『RUQSのクイズ全書』p.83

関連項目[編集]

外部リンク[編集]