福岡晶

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福岡 晶
プロフィール
リングネーム 福岡 晶
(ふくおか ひかり)
本名 宮本 晶(旧姓:福岡)
ニックネーム ピュアハートの申し子
身長 160cm
体重 65kg
誕生日 (1971-02-23) 1971年2月23日(53歳)
出身地 秋田県秋田市
所属 ジャパン女子プロレス
JWP女子プロレス
スポーツ歴 器械体操
トレーナー 山本小鉄
デビュー 1989年12月1日
対杉原由佳子戦
引退 1999年3月28日
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福岡 晶(ふくおか ひかり、1971年2月23日 - )は、日本の元女子プロレスラー。戸籍名は宮本 晶(みやもと ひかり、旧姓:福岡)。秋田県秋田市出身。

JWP女子プロレスに旗揚げから参加しJWP認定無差別級王座を獲得するなど、同団体の主力選手として活躍した。

経歴・戦歴

高校時代は器械体操インターハイに出場。1989年ジャパン女子プロレス入門、同年12月1日の東京後楽園ホール大会において、対杉原由佳子戦でデビュー。優れた身体能力と高いルックスから、デビュー当初より将来のスター候補と目されていた。

1992年のジャパン女子解散後、JWP女子プロレスの旗揚げに参加。JWPの掲げる「ピュアハート・ピュアレスリング」を最も体現した選手として、「ピュアハートの申し子」と呼ばれた。団体対抗戦ブームの中にあっては、JWPの主力選手の一人として活躍する。一時は「脱ピュアハート宣言」をして、全日本女子プロレスで「修行」するなどファイトスタイルの変更を模索するも低迷。だが1995年尾崎魔弓とのタッグで全女の「猛武闘賊」こと三田英津子下田美馬組からJWP認定タッグ王座を奪還すると、以後はトップ戦線で活躍するようになる。1997年にはダイナマイト・関西からJWP認定無差別級王座を奪うなど、JWPのエースとして一時代を築いた。また、後輩のキャンディー奥津矢樹広弓ユニット「ひーちゃん'S」を結成し、エンターテイメント性の高い試合も見せた。

1998年10月11日の対久住智子(日向あずみ)戦で首を痛めたこと、合わせて結婚が決まったことを機に引退を決意。1999年3月28日の後楽園ホール大会で、奥津の退団により解散した「ひーちゃん'S」を再結成して、引退試合を行った。引退後は故郷の秋田に戻って家族飲食店を経営する傍ら、地元でのプロレス興行にも協力している。秋田のローカルヒーロー超神ネイガーショーにも、プロレス技を得意とするヒロイン「ネイガー・マイ」として出演している。

2009年11月2日、同期のGAMIの20周年記念興行『GAMILIBRE5〜GAMI CHRONICLE〜』(プロレスリングWAVE)のメインイベントで一夜限りの現役復帰を果たした。

得意技

器械体操出身であることから、華麗な飛び技を得意としていた。 若手時代は全日本女子プロレス豊田真奈美を目標としていたため、豊田の得意技の幾つかを自身の得意技にしていた。

ムーンサルト・フットスタンプ
マット上に仰向けに寝かせた相手に対して、コーナー最上段から後方一回宙返りをして、両足で腹部に落下する技。ムーンサルトプレスへ更に90度余分に回転を加え、強烈なフットスタンプを決める。ダイナマイト・関西からJWP無差別級王座を奪ったと同時に、肋軟骨骨折の負傷をさせた非常に危険な大技である。ムーンサルトプレスと違って相手によけられてしまっても、リング上に着地することができ(悪くても尻餅をつく程度)、自らへのダメージは極端に少ない。
ライダーキック
コーナー最上段から前方一回宙返りをして、ミサイルキックを相手選手の後頭部に放つ技。仮面ライダーBLACK RXのRXキックに形が似ている。
ローリング・クレイドル
テリー・ファンクの得意技として知られる。豊田真奈美を意識していた若手時代に多用。
タイガードライバー

タイトル歴

入場テーマ曲