神戸電気鉄道3000系電車
神戸電鉄3000系電車 | |
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3009編成(道場南口駅にて) | |
基本情報 | |
運用者 | 神戸電鉄 |
製造所 | 川崎重工業 |
製造年 | 1973年 - 1991年 |
製造数 | 36両 |
投入先 | 有馬線、三田線、粟生線 |
主要諸元 | |
編成 | 4両編成 |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 | 直流 1,500 V |
最高速度 | 80 km/h |
起動加速度 | 2.7 km/h/s |
減速度(常用) | 3.3 km/h/s |
車両定員 |
先頭車:130名(座席48名) 中間車:140名(座席56名) |
自重 |
奇数先頭車:33.7 t 偶数先頭車:34.0 t 奇数中間車:32.9 t 偶数中間車:33.4 t |
全長 | 18,140 mm |
全幅 | 2,700 mm |
全高 |
4,120 mm (パンタ付車) 3,930 mm (パンタ無し車:前期グループ) 3,975 mm (パンタ無し車:後期グループ) |
床面高さ | 1,180 mm |
車体 | アルミニウム合金 |
台車 |
ウイングばね軸箱守式ダイレクトマウント空気ばね台車 KW-12(3013編成以前) 軸梁式空気ばね台車 KW-67(3015編成以降) |
車輪径 | 860 mm |
固定軸距 | 2100 mm |
台車中心間距離 | 12000 mm |
主電動機 | MB-3054-C 直流直巻電動機 |
主電動機出力 | 75 kW |
搭載数 | 4 基/両 |
駆動方式 | WNドライブ |
歯車比 | 99:14 |
編成出力 | 1200 kW |
制御方式 |
抵抗制御(1C8M、発電ブレーキ付) 定速度抑速制動制御装置 |
制御装置 | ABFM-108-15MDH 電動カム軸式自動総括制御 |
制動装置 | HSC-D形電磁直通空気ブレーキ(発電ブレーキ付き)・保安ブレーキ・非常電制 |
保安装置 | 神鉄形ATS 防護無線 |
神戸電気鉄道3000系電車(こうべでんきてつどう3000けいでんしゃ)は、神戸電鉄が神戸電気鉄道時代の1973年に導入した通勤形電車。
本記事では、編成単位で表記する必要がある場合は有馬・三田・粟生方先頭車の車両番号で代表し、3013編成の様に表現する。また、1973年から1975年までに製造された3001編成 - 3005編成を前期形、1976年から1981年に製造された3007編成 - 3011編成を中期型、1989年以降に製造された3013編成 - 3017編成を後期形として解説する。
概要
神戸電気鉄道(神戸電鉄)は1960年に初の高性能車としてデ300形を導入し、以後もデ300形を基本とした1000系列の増備を順次行い、車両の充実と近代化を図った。この結果、1973年上期の車両保有数は113両に達し、当時在籍の貨車11両を差し引いた電車のみの合計も102両に達した[1]。
また、この時期には沿線開発の進展と乗客増で4両固定編成も必要となったほか、冷房装置の採用など旅客サービスの向上にも対応するため、保有車両数100両突破を機にモデルチェンジを図った新造車両として1973年に登場したのが3000系である[1][2]。1973年から1981年まで6編成が製造され、増備中断期間を経て1989年から1991年まで3編成が製造され、合計36両となった。
1974年の鉄道友の会ローレル賞(当時は投票制)の選定では、西日本鉄道2000形電車の獲得票数455票に120票余り及ばず、次点となった。
車体
神鉄で初めて採用されたアルミ合金製車体[3]であり、全長は1000系列と同じ18m級とした。扉は利用客の増加から両開き3扉を新造車では初採用、扉幅は1,300mmとなった[3]。前面は非貫通で折妻の2面構成とし、窓上に種別と行先を表示する方向幕とその外側に尾灯を設置、窓下両側にヘッドライトを配置している[3]。
側窓は幅920mm×高さ870mmの大型下降窓を採用、バランサーを装備しており任意の位置で止めることができる[4]。塗装はアルミ地肌を生かしたクリアラッカー仕上げ[注釈 1]とし、側窓周りと車体裾にオレンジを配した。このデザインから『ウルトラマン電車』のニックネームがある[5]。
内装の化粧板は、従来の淡青色のアルミデコラに代わり木目模様を採用、阪急電鉄や南海電鉄と同様のマホガニー模様であるが、色は薄茶色となっている[6]。天井は平天井となり、中央に冷房の吹出口、両側に蛍光灯を2列配置している[6]。
乗務員室は非貫通の全室式で[7]、運転台は足元が広く乗務員の居住性向上にも繋がっている[6]。マスコンハンドルは人間工学的見地から横軸式を採用し[7]、手前に引くと力行、奥に押すと抑速制動の位置となっている[6]。警笛はダブルホーンを採用する[6]。
1978年製の3007編成からは、尾灯がそれまでの凸型から凹型に変更された[8]。建造が再開された1989年製の3013編成から先頭車側面にKマーク、側面種別・行先表示器を種別用と行先表示用とに分割・大型化。併せて内装も一新された。外観デザインは1986年から採用された鋼製車の新塗装と同じものとなり、従来編成も順次変更されている。さらに3015編成からは運転台のマスコンハンドルの形状も変更された[注釈 2]ほか、外観では乗降扉の窓周りの銀枠がなくなり、側面の印象が異なっている。
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尾灯凸型タイプ(3003編成)
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尾灯凹型タイプ(3007編成)
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Kマーク付きタイプ(3017編成)
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3003車内
主要機器
制御装置・主電動機
主電動機は1000系列と同系列の直流直巻電動機であるMB-3054-Cを採用した。出力は75kWで、1両に4基搭載される[9]。
制御装置は電動カム軸式自動総括制御で発電ブレーキ機能を有する。制御方式はいわゆるMM'ユニット方式、制御単位は1C8Mで、2・4・6両での組成が可能である[5]。制御器は多段式の三菱電機製ABFM-108-15MDHを採用、制御装置を3000形奇数車 (cM) と3100形奇数車 (M) に搭載、電動機を4個ずつ直列として2群を制御、段数は直列17段・並列8段・弱め界磁4段の計29段で構成される[9]。
また、下り急勾配区間用の定速度抑速制御装置を設置、マスコンからの指令により乗客の多少、勾配の変化(40~50‰)、車輪径の変化などにかかわらず補助電源装置からの添加励磁電流の制御により定速度抑速運転が行われる[5]。駆動装置はWNドライブ方式を採用し、歯車比は7.07である。
台車
3013編成まではウイングばね軸箱守式軸箱支持方式ダイレクトマウント台車のKW-12を採用した。枕ばねに空気ばねを使用することで走行安定性の向上を図った[10]。基礎ブレーキは両抱き式の踏面ブレーキで、制輪子は勾配区間に適した鋳鉄制輪子を採用している[10]。3015編成以降は軸梁式のKW-67を採用した[8]。
集電装置
パンタグラフは前後方向の省スペース化が可能な下枠交差型のPT-4808-A-Mを採用[4]、奇数車の神戸方に搭載している[5]。
ブレーキ
ブレーキ装置は電磁直通ブレーキのHSC-Dで、勾配区間用の抑速制動5段と非常電制、保安ブレーキも併せて装備する[9]。
非常電制については非常ブレーキ操作後一定時間(3秒間)空制が作用しない場合、気圧スイッチでこの状態を検知、空気ブレーキの作用しない車両のみ自動的に非常電制が作用、制動距離が伸びるのを防止する。この機構は本系列において初めて自動化された。
補助電源・空気圧縮機
補助電源装置は定速度抑速制御装置や冷房を搭載した関係から大容量のMG-111-S電動発電機を採用。容量は75kVAである。後期グループでは前記のMGに代えて70kVAのNC-FAT70A静止形インバータを採用。電動空気圧縮機は実績のあるレシプロ式だが、空気ばね台車であることから吐出容量を毎分2100リットル以上としたC-2000-Mを採用した。これら補機類は3000形偶数車 (M'c) と3100形偶数車 (M') に搭載する。
冷房装置
神戸電鉄初の冷房車として集約分散式の冷房装置を採用、前期形はCU-18(8,500kcal/h×4)を装備した[5]。後期形ではCU-193R (10,500kcal/h×3) に変更[8]、冷風吹出口も従来のスポット方式からラインフロー方式に変更された[8]。ただし、後期形を含めてスイープファンは非装備である。
運用
有馬線、三田線、粟生線の各線で運用されている。入線有効長が3両分であった三田線の道場南口以北と粟生線の志染以西は長らく入線実績がなかったが、三田線は1991年3月、粟生線は2001年6月に4両対応化が実施され全区間の運用を開始した。公園都市線は3両編成のみのため、定期運用は実施されていない。
1980年(昭和55年)7月23日、当時の皇太子・皇太子妃が乗車した特別列車(御乗用列車)が新開地 - 志染間で運転され、本系列の3009編成が充当された[11]。
廃車
本系列は多段制御や定速運転機能などといった他系列にはない特殊な装備を持っており、これらの部品調達が困難になったことから運用減などにおいて廃車が発生している。
3001編成は2014年3月31日付で廃車された[12]。続いて3003編成が2018年2月1日で廃車となっている。そして2022年7月27日にも3007編成が廃車となり、8月22日に3005編成が廃車された。他の車両は下記の編成表を参照。
編成
編成構成
全電動車の4両固定編成で組成され、形式は先頭車がデ3000形、中間車デ3100形である[3]。編成は有馬方より Mc1-M2-M1-Mc2 で2両ずつを1ユニットとし、3001-3102-3101-3002のように組成する[3]。中間車の奇数と偶数の順序を先頭車と逆にしており、Mc1・M1車を奇数、Mc2・M2車を偶数で揃えている[3]。
編成表
2022年9月1日現在
← 有馬温泉・三田・粟生 新開地 →
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竣工 | 廃車 | 備考 | |||
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Mc1 | M2 | M1 | Mc2 | |||
3001 | 3102 | 3101 | 3002 | 1973年9月26日[13] | 2014年3月31日[12] | |
3003 | 3104 | 3103 | 3004 | 1974年7月5日[13] | 2018年2月1日[14] | |
3005 | 3106 | 3105 | 3006 | 1975年7月26日[13] | 2022年8月24日 | |
3007 | 3108 | 3107 | 3008 | 1978年11月7日[13] | 2022年7月27日 | |
3009 | 3110 | 3109 | 3010 | 1979年8月22日[13] | 休車中(見津車庫) | |
3011 | 3112 | 3111 | 3012 | 1981年3月12日[13] | ||
3013 | 3114 | 3113 | 3014 | 1989年3月29日[13] | ||
3015 | 3116 | 3115 | 3016 | 1990年10月16日[13] | ||
3017 | 3118 | 3117 | 3018 | 1991年4月6日[13] |
脚注
注釈
出典
- ^ a b 飯島・藤井・諸河『私鉄の車両19 神戸電気鉄道』8頁。
- ^ 神鉄編集委員会・小川金治『日本の私鉄 23 神戸電鉄』8頁。
- ^ a b c d e f 飯島・藤井・諸河『私鉄の車両19 神戸電気鉄道』12頁。
- ^ a b 飯島・藤井・諸河『私鉄の車両19 神戸電気鉄道』20頁。
- ^ a b c d e 米倉裕一郎「私鉄車両めぐり〔168〕 神戸電鉄」『鉄道ピクトリアル』2001年12月臨時増刊号、187頁。
- ^ a b c d e 飯島・藤井・諸河『私鉄の車両19 神戸電気鉄道』24頁。
- ^ a b 神鉄編集委員会・小川金治『日本の私鉄 23 神戸電鉄』9頁。
- ^ a b c d 米倉裕一郎「私鉄車両めぐり〔168〕 神戸電鉄」『鉄道ピクトリアル』2001年12月臨時増刊号、188頁。
- ^ a b c 飯島・藤井・諸河『私鉄の車両19 神戸電気鉄道』16頁。
- ^ a b 神鉄編集委員会・小川金治『日本の私鉄 23 神戸電鉄』80頁。
- ^ 神鉄編集委員会・小川金治『日本の私鉄 23 神戸電鉄』124-125頁。
- ^ a b 「私鉄車両のうごき(2014年1月1日〜3月31日)」『鉄道ダイヤ情報』2014年7月号、交通新聞社
- ^ a b c d e f g h i 「神戸電鉄 車両履歴表(高性能車・事業用車)」『鉄道ピクトリアル』2001年12月臨時増刊号、電気車研究会。196-197頁。
- ^ ジェー・アール・アール編『私鉄車両編成表 2018』交通新聞社、2018年、198頁。
参考文献
- 『鉄道ピクトリアル』2001年12月臨時増刊号(通巻711号)、電気車研究会、2001年
- 米倉裕一郎「私鉄車両めぐり〔168〕 神戸電鉄」177-194頁。
- 飯島巌・藤井信夫・諸川久『私鉄の車両19 復刻版 神戸電気鉄道』ネコ・パブリッシング、2002年(原版は保育社、1986年)。ISBN 978-4873663029。
- 神鉄編集委員会・小川金治『日本の私鉄 23 神戸電鉄』(カラーブックス)、保育社、1983年。