畑恵
畑 恵 はた けい | |
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生年月日 | 1962年2月15日(62歳) |
出身校 |
早稲田大学第一文学部 お茶の水女子大学大学院 |
前職 | 参議院議員 |
現職 | 学校法人作新学院理事長 |
所属政党 |
(新進党→) (無所属→) 自由民主党 |
称号 |
博士(Ph.D in Science Policy=お茶の水女子大学・2008年) 文学士(早稲田大学・1984年) |
配偶者 | 夫・船田元 |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1995年7月24日 - 2001年7月22日 |
畑 恵(はた けい、1962年2月15日 - )は、日本の政治家、教育者。
来歴・人物
- 1984年、早稲田大学第一文学部仏文科卒業。NHK入局。「夜7時のニュース」を最年少で担当するなど、報道、科学、生活情報等各番組のキャスターを担当。
- 1989年、NHK退局。フリーランスのニュースキャスターとしてテレビ朝日系「サンデー・プロジェクト」はじめ、複数の報道番組を担当。
- 1992年、EC(ヨーロッパ共同体、現・EU)の招聘を機に、パリ留学。『ESMC(文化高等経営学院)』にて文化政策および文化マネージメントを、『レコール・ド・ルーブル』にて美術史を学ぶ。
- 1995年、参議院選挙に立候補、初当選。
- 2000年、作新学院副院長就任。
- 2001年、お茶の水女子大学大学院後期博士課程入学。現職の参議院議員としては初の大学院博士課程入学。
- 2003年、“Galerie du Temps(ギャルリー・デュ・タン)”を南青山に開設。
- 2008年、お茶の水女子大学大学院 後期博士課程修了、博士号(PhD in Science Policy)取得。
- 2013年、作新学院理事長就任。
主張
主要政策
日本が抱える構造的課題、「財政赤字」「少子高齢化」「ムラ社会的意識&社会構造」という3大課題の克服に向け、1.高生産性社会構造への脱皮⇒「イノベーション力」の向上、2.労働力と出生数の引上げ⇒「女性力」の開発、3.生産性(国民一人当たり)の向上=「人間力」の高い人材の育成⇒「教育力」の向上を3大政策に掲げる。
1.「イノベーション力」の向上に資する政策として、基礎研究から実用化・産業化まで一貫した「戦略的研究開発体制」の実現を主張。具体的には、①「研修支援人材」の確保・育成 ②「橋渡し」機能の拡充 “死の谷”の克服 ③許認可や治験体制などの制度整備 ④規制緩和の推進 ⑤府省横断的な一元的科学技術戦略体制の構築、を主張。[1]
政策実現に向け議員立法をめざし、山中伸弥氏、江崎玲於奈氏など科学および研究開発関係者ら約20名からなる勉強会を実施、意見を聴取し、「研究開発成果実用化促進法案(イノベーション促進法案)」[2]を策定。同法案は国会への上程を前に自民党が下野したことで、現在はお蔵入りとなっている。
2.「女性力」の開発に資する政策として、女性の「就労」と「出産・育児・介護」の両立を第一に掲げている。具体的には、①保育・介護施設&サービスの拡充(規制緩和や税制優遇、外国人労働者の積極活用など)②柔軟な勤務環境の整備(フレックスタイム制、在宅勤務、クラウドソーシング)③育児中の就業者へのキャリア・所得保証を、主に掲げている。[3]
3.「教育力」の向上に関しては、総合学園理事長[4]として教育現場にあることから、「“人づくり”なくして“国づくり”なし」が信条。教育力の3大力は、Ⅰ.人間力、Ⅱ.教員(学校)力、Ⅲ.親(家庭)力であり、それぞれの力が掛け合わされることにより、国としての教育力が向上すると定義。学校による教育と同時に、昨今急速に低下している「家庭での教育力」を抜本的に高めるため「親育て」プログラムの実施を最優先課題として掲げている。
①「親育て」プログラムの実施、以外の具体的政策としては、②教員力の向上(教職員の待遇・地位の向上)③偏差値偏重教育からの脱皮(社会貢献力など多様な評価指標の設定)④コミュニケーション力の強化(ディベート、ディスカッション力の向上)⑤語学教育の抜本的見直し⑥家庭・学校・地域三位一体の子育て体制の構築を、主に掲げている。
その他の政策
所属団体
脚注
- ^ 畑恵公式サイト「基本政策」
- ^ 畑恵公式サイト「イノベーション促進法案」
- ^ 畑恵公式サイト「少子高齢化&財政赤字克服のシナリオ」
- ^ 畑恵公式サイト「作新学院理事長として」
- ^ a b 畑恵オフィシャルブログ、2015年12月21日
- ^ “委員”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
外部リンク
期間 | メインキャスター | コーナーキャスター | ||
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男性 | 女性 | ニュース | スポーツ | |
1989年10月 - 1990年9月 | 鳥越俊太郎1 | 畑恵 | (メインが兼務) | |
1990年10月 - 1993年3月 | 美里美寿々2 | (なし) | ||
1993年4月 - 1995年9月 | 三崎由紀 | |||
1995年10月 - 1997年9月 | 佐藤紀子 | |||
1997年10月 - 1998年3月 | 麻木久仁子3 | 岡田洋子 | 飯村真一 | |
1998年4月 - 1999年9月 | 田畑祐一 | |||
1999年10月 - 2000年3月 | (不明) | |||
2000年4月 - 2000年9月 | 長野智子 | 小松靖 | ||
2000年10月 - 2001年9月 | 鳥越俊太郎1 寺崎貴司 |
(なし) | 乙武洋匡4 | |
2001年10月 - 2002年9月 | (なし) | |||
2002年10月 - 2012年1月 | 鳥越俊太郎1 | |||
2012年5月 - 現在 | 村上祐子 | |||
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