牧野賤男
牧野 賤男(まきの しずお、1875年(明治8年)2月26日[1] - 1943年(昭和18年)12月30日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。
経歴
新潟県佐渡郡相川町(現在の佐渡市)出身。明治法律学校(現在の明治大学)法律科、東京法学院(現在の中央大学)高等研究科を卒業し、1898年(明治31年)に判事検事弁護士試験に合格した。司法官試補となった後、弁護士を開業。東京弁護士会副会長や帝国弁護士会理事を務めた。
下谷区会議員、東京市会議員、東京府会議員、同議長を歴任し、1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は6回を数えた。その間、犬養内閣で拓務参与官を務めた。
脚注
参考文献
- 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。