測天型敷設艇

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測天型敷設艇
艦級概観
艦種 敷設艇
艦名 島の名
前級 夏島型敷設艇
次級 平島型敷設艇
性能諸元
排水量 基準:720トン、公試:750トン
全長 74.70m
全幅 7.85m
吃水 2.60m
機関 マン式三号ディーゼル2基2軸
3,600馬力
速力 20.0kt
航続距離 14ktで2,000
燃料 重油:35トン
乗員 74名
兵装 40mm連装機銃1基2挺
13mm連装機銃1基2挺
爆雷36個、捕獲網8組
(もしくは九三式機雷120個)

測天型敷設艇(そくてんがたふせつてい)は、日本海軍敷設艇。同型艦5隻。

概要

前型の夏島型敷設艇を更に改良しマル3計画により5隻建造された。船体は凌波性向上のため船首楼を延長し、主機は「猿島」で好評だったディーゼル推進とした。主砲は対潜水艦のために発射速度の速い40mm機銃を搭載したが、次型の平島型では8cm高角砲に戻されている。

大戦中は本来の要港防衛や機雷敷設などに加え、船団護衛にも駆り出された。終戦時は「巨済」1隻が横須賀で残存している。

同型艦

測天(そくてん)[II]
1938年(昭和13年)12月28日竣工(横浜船渠)。1944年(昭和19年)7月25日戦没(パラオ近海、航空機)
白神(しらかみ)
1939年(昭和14年)4月25日竣工(石川島)。1944年(昭和19年)3月5日戦没(得撫島南方、日蘭丸と衝突しその後船体切断)
巨済(きょさい)
1939年(昭和14年)12月27日竣工(石川島)。終戦時在横須賀。復員輸送ののち1947年(昭和22年)11月20日英国に引き渡し、塩釜で解体。
成生(なりゅう)
1940年(昭和15年)6月20日竣工(横浜船渠)。1945年(昭和20年)2月16日戦没(潮岬沖、米潜「セネット」)
浮島(うきしま)
1940年(昭和15年)10月31日竣工(石川島)。1944年(昭和19年)11月16日戦没(静岡県初島沖、米潜)

参考文献

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇Ⅱ』光人社、1990年。 ISBN 4-7698-0464-4