津軽海峡大橋

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津軽海峡大橋(つがるかいきょうおおはし)は、かつて研究および構想されていた青森県大間町から北海道函館市間のの名称である[1]2007年以降は橋の建設実現にむけて主だった活動は行っていない。

概要

大間町史によると「本州北海道連絡橋構想」と呼ぶ。1994年(平成6年)3月22日大間町戸井町(当時)が本州北海道連絡橋大間戸井ルート誘致推進協議会を設立し誘致活動を行った。当時、大間戸井ルート(17.5km)の他に竜飛白神ルート(19.5km)、三厩福島ルート(23km)が想定されていた。[2]

津軽海峡大橋のルート

経緯

大間町の大間崎と函館市(旧・戸井町)の汐首岬の間は津軽海峡が最も狭くなる場所であり、その直線距離は20キロメートルに満たない。大間町では、大間 - 函館間(大間函館航路)およびかつては大間 - 戸井間(大間戸井航路)にフェリーが運航されており、函館山から発信されるテレビ等の放送波が良好に受信できるなど、地理的に函館との結びつきが強い。現在、津軽海峡線が通過している青函トンネルが鉄道専用トンネルであることから、本州と北海道を直接結ぶ道路の建設が求められ、この地点が選ばれた。

前青森県知事木村守男は架橋の推進に積極的であった。しかし、木村の在任当時から世界最長の明石海峡大橋を大きく上回る長大吊橋となり[3]、莫大な建設費用や維持・管理費用など(この事から津軽海峡大橋の通行料金が高額に設定される為、それにより津軽海峡大橋利用者があまり見込めないことも含まれる)の問題を理由に反対の声が強く、県知事が三村申吾に交代して以降はあまり津軽海峡大橋建設に前向きな動きがなくなった。

建設費用以外にも、津軽海峡とその周辺の景観の問題、橋脚施設の塩害対策、強風・積雪路面凍結時等の道路の安全確保や国際海峡である津軽海峡の荒波、水深、航路確保など技術的な課題も山積し、本州と北海道間の自動車連絡については下記の第二青函トンネル構想に移行した状況となっている。

自動車原動機付自転車軽車両の津軽海峡連絡手段に関しては青函航路になっている船舶の航海速力向上が図られ、その一環として2007年(平成19年)9月1日よりナッチャンRera並びに翌年に姉妹船ナッチャンWorldが就航していたが、2008年に定期運行を終了。2009年(平成21年)以降はナッチャンWorldのみが夏季繁忙期に運航されていたが、2012年をもってWorldの夏季臨時運航も終了した。

隧道案

橋を架ける代わりに海底道路トンネル「第二青函トンネル」を建設するという構想。ただし掘るのは現在の青函トンネルの西側であり、津軽海峡大橋とは場所が大きく異なる。

また青函トンネルカートレインを走行させる案もある[1]

脚注

関連項目

外部リンク