横山金太郎
横山 金太郎(よこやま きんたろう、明治元年11月1日[1](1868年12月14日) – 1945年(昭和20年)9月25日[2])は、衆議院議員(又新会→中正会→憲政会→立憲民政党)、文部政務次官、広島市長。弁護士
経歴
広島県比婆郡東城町(現在の庄原市)出身。1891年(明治24年)に東京法学院を卒業したのち弁護士試験に合格し、弁護士事務所を開いた[3]。1895年(明治28年)、判事に任官され、松山地方裁判所判事、台湾総督府法院判官などを務めた。やがて官を辞して、再び弁護士を開業。後には広島弁護士会長に選ばれた。
広島市会議員、同市会議長、広島県会議員、同県会副議長を歴任した後、1908年(明治41年)の第10回衆議院議員総選挙に当選。当選回数は合計で9回を数えた。その間、第2次若槻内閣で文部政務次官に就任した。
1935年(昭和10年)から1939年(昭和14年)まで広島市長を務めた。
親族
- 横山勝太郎 - 従兄弟。衆議院議員。
脚注
参考文献
- 『昭和十一年度版 帝国人事大鑑』帝国日日通信社、1936年。
- 『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。
- 『衆議院要覧(乙)昭和十一年十二月』衆議院事務局、1936年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。