朝鮮人街道
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朝鮮人街道(ちょうせんじんかいどう)は、近江国(滋賀県)に存在した近世の脇街道である彦根道(ひこねみち)、京道(きょうみち)および八幡道(はちまんみち)の異名である。中山道(上街道)との比較で下街道・浜街道、あるいは朝鮮人道、唐人街道などともいう。距離は約41km。滋賀県野洲市行畑で中山道から分岐し、琵琶湖沿いを八幡・安土・彦根を経由して、滋賀県彦根市鳥居本で再び中山道に合流した。
元は織田信長が岐阜城から安土城を経由して京都に向かう道として整備したとされ、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利し凱旋した街道で、将軍上洛に使われ、参勤交代での使用は認められていなかったが、唯一朝鮮通信使には通行が認められていたためこの名がある。
朝鮮通信使の通行は前後12回。宿泊地は彦根市の宗安寺で、「李朝高官の肖像」が残されている。昼食所として近江八幡市の本願寺八幡別院が使われ、現在も「副使の書」が残されている。
周辺の文化財
関連項目
- 滋賀県道2号大津能登川長浜線
- 滋賀県道206号神郷彦根線
- 滋賀県立彦根東高等学校 - 失われていた朝鮮人街道の道筋は彦根東高校新聞部によって解明された(門脇正人『「朝鮮人街道」をゆく―彦根東高校新聞部による消えた道探し』 サンライズ出版、1996年、ISBN 978-4883251087)。
外部リンク
- 地図Z 朝鮮人街道
- 京都へ、江戸へ 〜人の夢を運んだ道〜(彦根市)
- いにしえの道―中山道・朝鮮人街道(近江八幡観光物産協会)