日本空飛ぶ円盤研究会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本空飛ぶ円盤研究会
正式名称 日本空飛ぶ円盤研究会
英語名称 Japan Flying Saucer Research Association
略称 JFSA
所在地 日本の旗 日本
東京都品川区五反田一丁目268番地
代表 荒井欣一
顧問 北村小松徳川夢声糸川英夫石黒敬七
活動領域 日本
設立年月日 1955年
設立者 荒井欣一
関連組織 日本宇宙旅行協会(JAS)
近代宇宙旅行協会(MSFA)
日本UFOクラブ
京大円盤研究部
宇宙友好協会(CBA)
宇宙クラブ
宇宙平和協議会
宇宙協会
宇宙船研究会
日本未確認飛翔物体研究会
吉田町円盤研究会
日本天文クラブ
紀伊天文同好会
科学創作クラブ
拠点 東京都
発行雑誌 『宇宙機』(全32号)
1956年7月1日 – 1960年4月1日
出版物 『UFO年鑑』
テンプレートを表示

日本空飛ぶ円盤研究会(にほんそらとぶえんばんけんきゅうかい、Japan Flying Saucer Research Association: JFSA)は、日本最初のUFOの研究団体。

太平洋戦争日本陸軍航空隊でレーダー装備を担当し、戦後は大蔵省印刷局に勤務していた荒井欣一(後にピー・プロダクションの庶務課長にもなっていた)が中心となり、1955年(昭和30年)に設立された。国内外の情報を収集する研究活動や講演活動、機関誌『宇宙機』の発行を行う傍ら、その後の日本で設立されたUFO研究団体と関わりを持ち、影響を与えた[1]

顧問には北村小松糸川英夫徳川夢声石黒敬七らがいた[2][3]。最盛期には約1,000名を超える会員を擁し、三島由紀夫(会員番号12)や石原慎太郎(会員番号169)らが参加し、著名人ではほかに星新一黛敏郎黒沼健森田たまらが会員であった[3]。客員会員として荒正人新田次郎平野威馬雄らも加わっていた。また、会員の柴野拓美による日本初のSFファングループである「科学創作クラブ」(のち宇宙塵)を生み出したことでも知られている。

会に集まった動機について、星新一は

ぼくの場合には、親父が死んだあとの会社の整理ということが、かなりの部分を占めていたし、空飛ぶ円盤の会を始めた荒井(欣一)さんの場合は、お嬢さんがストマイという薬の副作用で耳が不自由になられたとかで"本当に宇宙人が来てくれりゃ助かるのになあ"なんてなにかの折にふっと漏らされたことがありましたね。それから柴野(拓美)さんにしても、ずっと喘息に悩まされていたりとか……みなさんそれぞれに、なんともやりきれないものを背負いこんじゃって、その救いとかはけ口とか、そんなものもあったんじゃないかなという気がします。

と語っている[4]

1960年代から団体としての活動は低下したが、荒井欣一は2002年(平成14年)に死去するまで活動を続けた。

脚注[編集]

  1. ^ 犬塚潔「【資料】三島由紀夫著『美しい星』について」(研究15 2015, pp. 187–208)
  2. ^ 唐沢俊一『新・UFO入門』(幻冬舎新書)P.76
  3. ^ a b 「十一 瑤子夫人とUFOを目撃」(岡山 2014, pp. 71–74)
  4. ^ 東雅夫 編 編『幻想文学講義 「幻想文学」インタビュー集成』国書刊行会、2012年8月、201頁。ISBN 978-4-336-05520-0http://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336055200/ 

参考文献[編集]

関連項目[編集]