志賀 (海防艦)

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千葉市海洋公民館(元・海防艦「志賀」)。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
艦歴
就役 1945年3月20日
除籍 1945年11月30日
その後 1998年解体
性能諸元(竣工時)
排水量 1,020t
全長 72.50m
全幅 9.10m
吃水 3.05m
主機 艦本式22号ディーゼル機関×2基、2軸推進 4,200hp
燃料搭載量 重油120t
最大速 19.5ノット
航続距離 16ktにて5000カイリ
乗員定数 150名
兵装 45口径12cm連装高角砲×1基
45口径12cm単装高角砲×1基
25mm3連装機銃×2基
爆雷120個搭載

志賀(しが)は、大日本帝国海軍に所属した鵜来型海防艦の一艦である。戦後は海上保安庁おじか型巡視船こじま」となり、さらに千葉市の海洋公民館となった。第二次世界大戦に参加した大日本帝国海軍艦艇の最後の生き残り(特務艦宗谷は「艦艇」ではなく「特務艦艇」の扱い)だったが、1998年解体された。現在千葉市美浜区稲毛海浜公園内の稲毛記念館、栃木県那須町の戦争博物館に部品の一部が展示されている。

歴史

  • 1945年(昭和20年)3月20日 鵜来型海防艦「志賀」として、佐世保海軍工廠で竣工。呉防備戦隊に編入。
  • 1945年(昭和20年)4月6日 大和を旗艦とする第二艦隊の沖縄出撃に先立ち、慣熟訓練を兼ねて前路掃討を実施。豊後水道南部で敵潜水艦らしきものを捕捉し、爆雷投射により零式水上偵察機と共同して攻撃。
  • 1945年7月31日 長崎県壱岐半城浦で在泊中に空襲。対空戦闘でP51を2機撃墜したとされる。
  • 1945年11月30日 除籍
  • 1945年12月1日 掃海艦に指定
  • 1946年(昭和21年)8月1日 特別輸送艦に指定
  • 1946年11月1日 三菱造船横浜船渠に入渠し改装に着工。船橋は両舷まで拡幅。 船体は長船首楼型船形とし、士官用室、応接室等を増設。船楼甲板上にはボート甲板が追加。後部には兵員室等を設け、ヨット式船形になる。
  • 1946年12月31日 運輸省移管
  • 1947年(昭和22年)4月8日  米陸軍連絡船として(国鉄門司鉄道管理局運行)博多-釜山間に就航。
  • 1947年12月31日 国鉄博多-釜山航路廃止に伴い解役。
  • 1949年(昭和24年)1月15日 運輸省横須賀管船部保管船となる
  • 1950年12月 - 1953年(昭和25年 - 28年)中央気象台定点観測船「志賀丸」として再就役。
  • 1954年(昭和29年)1月1日 3インチ砲1門・20ミリ機銃2基で再武装し、海上保安庁に編入、おじか型巡視船こじま」(PL106)と改名。海上保安大学校練習船として第六管区海上保安本部に配属。
  • 1954年 - 1964年(昭和29年 - 39年) 海上保安大学校の遠洋航海。
  • 1956年4月17日 北朝鮮遮湖(チャホ)から在留邦人36名を舞鶴へ移送
  • 1956年11月30日 ソ連ナホトカから在留邦人23名を舞鶴へ移送
  • 1957年(昭和32年)4月12日 6期生第2学年の実習中に第五北川丸沈没事故が発生し、救助に緊急出動
  • 1958年(昭和33年) 海上保安庁観閲式に参加。
  • 1958年(昭和33年)9月 トランサムを丸みのある形状に改造、全長が0.2メートル延長。
  • 1965年(昭和40年)4月 除籍。広島県呉港に繋留。
  • 1965年(昭和40年)8月 呉市との招致争いの末、千葉市が払い下げを受ける。
  • 1965年(昭和40年)9月 巡視船むろとの曳航により呉港から千葉市稲毛海岸へ回航。
  • 1965年 - 1966年(昭和40年10月 - 41年5月) 海洋公民館として使用するため船内改装工事に着手。
  • 1966年(昭和41年)5月5日 竣工。
  • 1966年(昭和41年)5月18日 千葉県千葉市稲毛海岸4丁目(現・千葉県千葉市美浜区高洲4丁目)に「千葉市海洋公民館」として開館。周辺を「こじま公園」として整備。払い下げ当初は海沿いの岸壁に接した形であったが、周囲の埋め立てにより、公園の池に浮かぶ姿に変じた。
  • 1993年(平成5年)4月1日 建築基準法並びに消防法に適合しないことが判明し、公民館休館。
  • 1997年(平成9年)3月25日 公民館閉館。
  • 1998年(平成10年) 老朽化や保存コストを理由に千葉市が解体撤去。

参考文献