岸川美好
岸川 美好 | |
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出生名 | 村田 美好 |
生誕 | 1948年2月7日(76歳) |
出身地 | 日本・山口県宇部市 |
ジャンル | 演歌 |
職業 | 演歌歌手 |
活動期間 | 2000年- |
レーベル |
キングレコード リアルミュージックファクトリー |
事務所 | 岸川音楽事務所 |
共同作業者 | 市川昭介 |
公式サイト | 岸川美好 公式サイト |
岸川 美好(きしかわ みよし、1948年2月7日 ‐ )は日本の演歌歌手。
来歴
山口県宇部市出身で、現在は佐賀県嬉野市。父親は市議会議員だった。視覚障害者であり、生まれたときからほとんど目が見えず、現在は全く見えない。作曲家の市川昭介と出会い、2000年(平成12年)に52歳でキングレコードより「春びより/雪どけ」でデビューする。 2002年(平成14年)、妻の岸川洋子とアルバム「二人三脚夫婦旅」「人生」(岸川音楽事務所)を発売。 2004年(平成16年)、盲導犬普及のためにチャリティーアルバムを作り、売上を九州盲導犬協会に寄付。
エピソード
金メダル
1964年(昭和39年)、東京で開催された第2回パラリンピックの男子100メートル陸上競技に出場し、大会新記録となる12.3秒のタイムで優勝、金メダルを獲得した[1]。
盲導犬アロマ
盲導犬アロマは2001年(平成13年)に生まれたラブラドール・レトリバー。2002年(平成14年)に岸川美好の盲導犬になり、同年に佐賀県嬉野町(現・嬉野市)より人間以外では日本初となる特別住民票を交付され、嬉野町の町民に認定された[2]。氏名は岸川アロマ、性別は女、続柄は夢先案内人。
署名運動
2002年(平成14年)、紅白歌合戦に出場するため、妻である岸川洋子のサポートで佐賀県の隣の長崎県からスタート、東京都の東京NHKホールをゴールとする1,500キロの道のりを、署名を集めながら夫婦で歩いた[3]。NHKの会長に直訴しようとしたが会長には会えず、代わりにセンター長が対応、集まった署名39,000名分を提出した[4]。紅白歌合戦に出場する目的は果たせなかったが、多数のメディアに取り上げられた。
その他
- 日本唯一の視覚障害者のためのラジオ放送局日本福祉放送の番組でパーソナリティを務めている[5]。
- 1998年(平成10年)、長男の岸川伸資がチンドン屋「嬉野温泉お茶らか夢楽団」を旗揚げした[6]。その後岸川美好と妻の岸川洋子も参加。嬉野温泉のPRのために大型バスをチャーターし、長崎から東京までの高速道路の各パーキングエリアに立ち寄ってはパフォーマンスしたり、韓国などへの海外遠征を行なった。
- 2003年(平成15年)より佐賀新聞で数年間、「甘口・辛口」という連載コラムを執筆していた。
- 2003年(平成15年)、盲導犬普及ならびに新たに施行された身体障害者補助犬法のPRを目的とし、日本全国47都道府県の知事を表敬訪問するための活動をスタート[7]。妻と盲導犬アロマを伴い、各都道府県庁を訪問しながら、同時に各地で募金活動を行なった。約2ヶ月の期間で2,008,051円を集めた。