山田百貨店

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山田百貨店
Yamada Department Store
「山田百貨店」のあった平和ビル(写真中央)
店舗概要
所在地 福島県福島市栄町8-1
開業日 1948年(昭和23年)
閉業日 1998年(平成10年)2月
正式名称 平和ビル
施設所有者 株式会社平和ビル[1]
施設管理者 株式会社平和ビル
商業施設面積 12,251[1] m²
後身 ダックシティ山田

福島ビブレ

中合福島店二番館
最寄駅 福島駅[1]
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山田百貨店(やまだひゃっかてん)は、福島県福島市にあった日本の百貨店である。

歴史・概要

1930年昭和5年)に福島県福島市で山田呉服店として創業したのが始まりである[2]

1948年(昭和23年)に福島県福島市の本町通に山田百貨店として開業[1]して福島市では2番目の百貨店となった。

1965年(昭和40年)には年商8.5億円(売場面積4,016m²)で、1938年(昭和13年)に先行して百貨店を開いていた中合の年商24.5億円(売場面積7,028m²)に大きな差を付けられ、同じ本町通にあった1958年(昭和33年)に郡山市から進出して百貨店を開いたツタヤ[3]の年商10.1億円(売場面積3,210m²)にも抜かれ、福島市第3位の百貨店となっていた。

1971年(昭和46年)9月にライバルの中合が福島商工会議所の小売商部会で売場面積19,338m²に増床することが決まる[1]と、もう一つのライバル「ツタヤ百貨店」が1972年(昭和47年)に専門店ビルコルニエツタヤに業態転換したのに対し[3]山田百貨店1973年(昭和48年)にニチイ(後のマイカル)の100%出資を受けて傘下に入り[1]、資本力を強化すると共に、中合に対抗してその隣接地に再開発で建設されることになった平和ビルに進出して売場面積9,960m²に増床することが大規模小売店舗法に基いて行われた1973年(昭和48年)3月3日の福島商工会議所の商業活動調整協議会で認められ[1]1973年(昭和48年)11月13日に移転・開業[1]して福島市で第2位の百貨店の地位を固めた。

その一方で1978年(昭和53年)3月に親会社のニチイの支援を受けて、カネ長武田百貨店イチムラ丸光小美屋と共に新時代の百貨店を目指して株式会社百貨店連合を設立し、同年4月に業務委託契約を結んで仕入関連業務を集約するなど業務の改革も行った[4]

その後も1979年(昭和54年)3月1日に610m²の増床[1]1979年(昭和54年)11月16日に閉鎖された旧十番館を改装して別館ヤングフォークス山田(売場面積3,862m²)開業[1]するなど拡張路線を採ったが、1981年(昭和56年)にはヤングフォークス山田を閉店[1]して再び1館体制に戻している。

そして1981年(昭和56年)3月に先行して武田百貨店とイチムラの2社と共に株式会社武田山田百貨店となって企業としての山田百貨店は消滅した[4]

さらに、1982年(昭和57年)9月に株式会社百貨店連合が武田山田百貨店や[4]1982年(昭和57年)3月に丸光(本社仙台市、資本金8億円)と合併して株式会社丸光小美屋を設立していた丸光小美屋と合併して[5]5社が経営していた百貨店の経営を完全に引継いだため、法人名から山田の名が消えることになった。。

その後1985年(昭和60年)3月株式会社百貨店連合株式会社ダックシティと改称したため[4]、後に店名はダックシティ山田に変更している。

1985年(昭和60年)6月19日には同じビル内にあったハトヤストアの売り場を引継いで売場面積12,251m²を増床[1]して、東北新幹線開業に合わせて福島駅西口の昭栄製糸工場跡に進出したイトーヨーカ堂[1]などに対抗し続けた。

そして1993年平成5年)3月にマイカルの経営方針で同社の店舗ブランドであるビブレを用いることになって福島ビブレと改称し[6]山田百貨店の名称は完全に姿を消すこととなった。

福島ビブレ→さくら野福島店のあった曽根田ショッピングセンター(MAXふくしま)

その後1998年(平成10年)3月山田百貨店時代からの平和ビルの店舗を閉鎖して、駅北側の福島市曾根田町(現:曽根田町)に1000台収容の立体駐車場や7館からなるシネマコンプレックスを持つ新店舗に移転し[6]、若い女性を主要顧客として2001年(平成13年)2月期には売上高約90億円[6]を達成したが、同年9月に親会社マイカルと共に経営母体のダックビブレ(1998年(平成10年)2月に社名変更)が民事再生法適用申請して破綻した影響で信用不安から売れ筋商品が1年近く入らなくなって一気に客足が遠のき[6]、翌年2002年(平成14年)9月さくら野百貨店福島店に名称変更[7]して再スタートを切ったが、2004年(平成16年)2月期には売上高55億8300万円[6]に落ち込み、2002年(平成14年)3月から賃料の3割減免を受けて年間3億~4億円の負担軽減がされていた[6]にもかかわらず2億円弱の赤字[6]に陥った。

賃料の減免は当初2年間とされていたため2003年(平成15年)7月から三井住友銀リースと減免延長の交渉行ったが決裂し、2004年(平成16年)10月28日に契約解除が決まり[6]2005年(平成17年)3月21日に山田呉服店として創業して以来、75年の歴史に終止符を打った[2]

跡地には2010年(平成22年)11月25日に福島市の第三セクター福島まちづくりセンターが運営する曽根田ショッピングセンター(MAXふくしま)が開業している[8]

脚注・出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 新家健精. “福島商調協の軌跡 大店法は地域商業に何をもたらしたか”. 福島大学地域研究 第4巻第3号 (福島大学地域研究センター) (1993-1). 
  2. ^ a b “涙こらえ…/さくら野福島店75年の歴史に幕”. 福島民報 (福島民報). (2005年3月22日) 
  3. ^ a b “ツタヤ百貨店に破産宣告 負債13億円 福島”. 河北新報 (河北新報社). (2002年11月6日) 
  4. ^ a b c d ダックビブレ 第24期有価証券報告書 (Report). ダックビブレ. 2002.
  5. ^ 『川崎市史 通史編 4 下 現代 産業.経済』 川崎市、1997年。
  6. ^ a b c d e f g h “さくら野福島店3月閉店/賃借料交渉が決裂/赤字経営続き継続断念”. 福島民報 (福島民報). (2004年10月30日) 
  7. ^ さくら野百貨店 企業概要”. さくら野百貨店. 2012年4月6日閲覧。
  8. ^ “「MAXふくしま」開店 県都活性化の起爆剤に 旧さくら野百貨店ビル跡地”. 福島民友新聞 (福島民友新聞社). (2010年11月26日) 

関連項目